日々是迷々之記
目次|前|次
日曜日の晩はちょっとしたいさかいがあった。直接の原因は私が夜中までマックで調べ事(田舎の土地を売ることに関しての法律的なこと)をしていたら、その物音が気に障って眠れないとのことだった。
私は即座にマックの電源を落とした。でもそれで終わりではなく物音は単なる引き金でしかなかったようだ。私のことが「計算違い」だったと言う。簡単に言うと収入が少ないのになおかつ母親のことで仕事を中断したり、入院費用を一部だが出しているのが気に入らないようだ。ついでにカブとVTR250の2台を持つ必要があるのかとか、鬱病なんか気の持ちようだとか。などなど。
結局話をまとめてみるとストレスが溜まっているようだった。私は仕事もせず毎日のほほんとしているように見えるんだろう。実際のほほんとしていようと心がけているのでそう見えて当たり前だ。鬱病だから鬱々としていたら本当に頭が狂ってしまいそうになるので、努めてのほほん。青空やおいしいもの、楽しいテレビなんかには素直に笑ったりしている。
それも程度の問題で、朝の5時半に起きて6時38分に家を出て、帰るのは22時から23時という人間からみたら苛々するのだろう。ついでに最近共通の友人がごっついいバイクを買うことになった。それが羨ましいみたいで、しょっちゅうそのことばかり言う。ので私もハイハイと適当に流していた。(そんなに大金持ちでもないので100万円のバイクをほいさと買えるほどの余裕も置き場所もないのだ。衝動買い&路上保管ができるのは50万円以下の不人気車だけやと思うし。)それも不満のネタになっていたようだった。
私はやっぱりちょっと悲しかった。マンガとかだとこういうとき年上のだんなというのは限りない慈愛を注いでくれ、見守ってくれるもんだが、実際はそうはいかないんである。が、自分を振り返れば母親のことや、鬱病と気分転換(ラーメンツーリングのことなど)ばかりしか頭になくて、だんなさんが何を求めているのかとか、家のことなんか少しも頭になかったのも事実である。やはり私にも改めるべき点はあると感じた。
というわけで昨晩は一睡もできなかった。@考えすぎ。今も頭の芯がしびれるような変な感じがする。だんなさんを送り出してから中断していた調べ事を終わらせ、洗濯をして、親の事務手続きで区役所に行ったあと、大阪市の無料の法律相談会でどうやって土地を処分したらいいか、具体的な方法、法律上の問題点などを相談してきた。結果、大きく10歩くらい前にどかっと進んだ気がするが、それは私がのほほん人間だからだろう。ぐっと歯をくいしばる。とりあえずクリアしたのは住民票と保険証の件だけ。土地のことは弁護士さんに頼めばスムースだが、あんまりお金を使いたくないので勉強して自分で片づけるつもりだ。
ついでに仕事の案件も舞い込んできた。外国人上司の外資企業での貿易関連業務。定時が10時〜19時なのでがんばれば役所仕事も朝にできそうだ。私は超やる気まんまんで「是非、やらせてください。」と言った。場所がへんぴなところ(うちの近所だが)なので、向こうも助かりますと言ってくれた。
「やればできる。やればできる。やればできる。」エヴァのシンジが「逃げちゃだめだ。逃げちゃだめだ。逃げちゃだめだ。」とつぶやくように言ってみた。壊してしまうことは一瞬でできるからこそ、大切にしないといけないものが世の中にはある。(ってかっこつけてみたが、レベッカの歌詞です。(^^;)
きっとわたしの人生はがんばるようにできてるんだなぁ。
2005年10月22日(土) |
みんなでラーメンツーリング |
予告通り、今日はラーメンツーリング本番だ。
結局うちの相方が先導することになってほっとした。総勢8台の大所帯。下は220ccから上は1200ccまで仲良く国道43号線を飛ばす。
まず「もっこす石屋川店」でラーメンを食べる。
写真は中華そば630円だが、今日はおなかが空いていたのでチャーシュー麺840円を食べる。ちょうど写真のラーメンにどばーっとチャーシューをもう一層乗せた感じだ。チャーシューに覆われて湯気も出ていない。(笑
おなか一杯になって六甲山へ。むっちゃ寒かった。下界で14度ってことは山頂付近は10度くらいだったのではないだろうか。ぶるぶる震えてしまった。長袖Tシャツに、薄手のセーター、ジャケット。下はジーンズの下に登山用のアンダーウェアまで着ていたが、まだ足りない感じだった。
帰りに西宮のセブンイレブンでコーヒーを飲んで一服。ここから先は家がバラバラの方面なので自由解散。
一人で行くのも楽しいが、大勢でも楽しい。いいねぇラーメンツーリングは。っと、お風呂で体を温めながらしみじみ思った。
昼頃、派遣会社から電話があった。某電機メーカーで輸出の貿易事務の仕事があるんだけど、と話を持ちかけられたのが3日くらい前。進めてもらっていたのだ。こちらから出した条件は一つ。毎月月初めにいつでも良いので半休が欲しい。何故なら寝たきりで入院している母親の用事で区役所で書類にはんこをもらい、病院に提出しなければならないからだ。
果たして、その仕事の案件はお流れになった。その平日に半休を取るというのが受け入れられないとのこと。私は静かに受話器を置いた。
昨年末に親が倒れてから、その場で区役所に行くので休ませてくれと前日に言い、どうにかその責務を果たしてきたわけだが、これから働きはじめる場合、こういうことは最初から告げておくべき事だと思う。それとも黙って勤め始めて、それから、「実は…。」という感じで切り出し、平日に半休をもらった方がいいのだろうか。
これが理由で採用が流れたのはこれだけではない。なんだかなぁと思う。今までは単に家にずっといるのが向いていないという理由で、子供もいないし、必然的理由もないまま働いてきた。が、今は違う。働かないと入院費用が払えないのだ。どうにか貯金や、実家を引き払ったときの敷金の返りで払っているが、底を着くのは目に見えている。(なんせ40万円くらいしかなかったし。)
だからまぁ働かなきゃしょうがないんだが、区役所にも行かなければいけないわけで、どっちも別に自分のためではない。区の生活保護課に相談をしてみた。まず、本人名義の貯金が4万円以下であること。土地を持っていてはいけないこと。家賃が4万2千円以下の賃貸住宅に住んでいることが、生活保護を受ける条件らしい。
現在、実家は引き払っており、住民票は置いたままである。生活保護課の人によると、病院に住民票を移して、土地を手放し、貯金が4万円以下になるまで使い切ってから、病院のある区の役所に相談しなさい、とのことだった。
ということで、田舎の土地は手放すことにした。以前テレビで見たのだが、これも高齢者の虐待とかになるらしいが、どうなんだろう。まぁ、客観的に見れば、勝手に家財を売り払って、貯金を勝手に下ろしたりしているわけだから、私のやっていることは責められるべきことなのかもしれない。
こんなときに、昨日のニュースを思い出す。中一の男の子が母親をぶん殴ったら当たり所が悪くて脳挫傷で死んでしまった、というやつだ。最初に手を出したのは母親で、「勉強しなさい。」と言って平手打ちを食らわしたらしい。
私も中学生、高校生の頃はよくぶん殴られていた。家に帰るのが遅い(私が食事を作っていたので8時とかに帰ると横殴り)、勉強して京大に入れ(父親が早稲田だったので、それに対する典型的な学歴コンプレックス)、などなど。大学受験に失敗したときが一番の修羅場で、ベランダからマンガや本を投げ捨てたりとほとんどキチガイ状態だった。
それでも私は手をあげなかった。あの人はかわいそうな人だと哀れんでいたからだ。目先の利益で自分の立ち回り方を考える人だった。ヤクザ系の会社に出資という名目で金を貸して踏み倒されたり、マルチ商法に手を出して、友達をなくしたり、そんな愚かな姿を見て、「ああ、この人は広く世界を見られない、かわいそうな人なんだなぁ。」と子供のころから思っていた。だからこそ、「生まなきゃ良かった。」とか、「死ね。」とか言われても、「ハイハイ。」って感じで流して来られた。
愛なんかないんである。大体そもそもそれって何なんだろう。
もう別に生きていてくれなくていいんだけどさぁ、というのが正直なところ。こんなとき、自分の中の殺意を隠してしまったことを後悔する。中学生のあのときに手をあげて、怒りを爆発させてしまえば良かったのかもしれない。子供だから終身刑にも、無期懲役にもならないし、名前も公表されない。あのころは失う物なんかなかったし。
でも今は違う。相方もいるし、妹もいるし、私の人生にいろんな人たちが関わっている。そういう人たちに迷惑をかけたくはない。
とりあえず、住民票を病院に移して、土地を手放して、貯金が底をつくまで入院費用を払い続けよう。最終的に生活保護に切り替えれば済むことだ。もう私の方からの経済的負担はとりあえずなしの方向で。
うーん、愛がないなぁ。
|