日々是迷々之記
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2005年10月19日(水) |
ひとりラーメンツーリングin六甲 |
夕暮れを狙って六甲山へ走りに行った。週末に友人達と行くちょこっとツーリングの下見も兼ねている。恐ろしいことに私が先導するんである。道を知っているのが私だけ、ということで自動的にそう決まってしまった。(泣
うちから神戸まで40km弱。そこから表六甲経由で山へ入る。すぐにある鉢巻展望台から景色を眺めた。六甲アイランドが見える。
もうすぐ日が暮れるので風がつめたい。途中で見た温度計は18度だったので、ここは15度くらいだろう。
長袖Tシャツにジャケットを羽織っただけなので立ってるだけで寒い。バイクにまたがっている方がまだましだ。足下だけでもエンジンの熱が伝わってくるから。まあ、上半身は寒いのだが。
びゅわんびゅわんと軽快に流す。クルマは少ないし、まだ真っ暗になっていないので走りやすい。前回同じところを走ったときは夜中だったので、まるで墨汁の中を走ってるように真っ暗けだった。
あっという間に山頂を越え、芦屋市に入り、西宮市へ。街へ下りるとすっかり真っ暗だったが、あまり寒くなくてほっとした。ネットで見つけておいしそうだなぁと思っていたラーメン屋、「宮っ子ラーメン」へ行ってみる。
チャーシュー麺700円を注文。
チャーシューは12枚くらい入っていた。カウンターの上のニラこしょう(刻んだニラととうがらしを混ぜたもの。自由に食べることができる。)をチャーシューでくるんで口に入れる。あったかくて美味しくて、単純に幸せだ。
完食して外へ出ると体がほかほかした。ここから家までは30分弱。よく流れているので走っていて気持ちがいい。往復80キロくらいだった。
最近あんまり気が晴れるようなことがなかったので、いい息抜きになった。時間があるときはこうやってふらりと走りに出ようと思う。
2005年10月18日(火) |
人と人とが支えあう? |
支えあっているから「人」なのです!というドラマが昔あったが、一方的に支えさせられている場合、どうなんだろうか?そんなことを今日思った。
母親の入院している病院に行ったのである。月に一度の支払いの日。請求書が母親のベッド脇のテーブルに置かれているので行かなければしょうがないんである。私を見るや、訳の分からないことを言い出す。家に帰るから、とか、どうしょもなく妄想的な言葉。鼻から栄養を摂取しているので、入れ歯の必要もなくなり、ふがふがしながらしゃべる。65歳だが、80過ぎくらいの感じだ。森光子は85歳らしいが、うちの母親とは比べるのも失礼なほどだ。
適当に相づちをうって、請求書を探し出し、会計に行く。すると保険証が今月末までだから、新しいのを持ってこいという。忘れていた。住民票をこの病院に移していいかと訊いてみると、転院の可能性があるからだめだと言われた。ということは、我が家に移すか、今のままで私が逐一役所に出向くかのどちらかである。
我が家に移すことだけはしたくない。「死んでも帰ってくるな。出てゆけ。」と言われて結婚した以上、形だけでも同居するなどあり得ない。本人はボケてるので都合の悪いことは忘れたふりでも何でもできるわけだが、私の心の中にはがっしりと遺恨が根を下ろしている。
大体、あの人の保険証がどうなろうと私には関係がない。保険がきかない→10割負担→当たり前だが払えない、となるだけで、私は一つも困らないのだ。携帯電話を解約して、黙って引っ越してしまえば縁は切れてしまうだろう。でも、実際そんなこともできない。病院側もそれを知っているのか、親戚の名前、連絡先など何件か書かされた。姥捨山にさせられたらいい迷惑だろうし。
というわけであの人は私の善意だけに頼って生きている。ただ機械のように。ベッドの上で看護士さんに寝返りを打たせてもらい、時間が来たら鼻から栄養を入れられ、夜が来ると眠る。それの繰り返し。平均寿命を全うするとしたらこれが後20年続く。
合法的に死んだふり、というのができないかなと思う。常々あの親は「最大の親不孝は子供が親より先に死ぬことだ。」と言っていた。ということは、私が死んでしまえば最大の親不孝ができることになる。といっても私は死ぬ気がないので、看護婦さんに「娘さん、亡くなったらしいですよ。自殺です。」と一言耳打ちしてもらえばいいのだ。それで私が現れなければ信用するだろう。
が、しかしこれも私のことを娘だと思っていれば成立する話で、ただの金づると思っていればさほど落胆もしないだろう。「お母さんのことは誰が面倒見てくれるの!」と元気な頃ならヒステリックに叫ぶだろう。
というわけで私の憤りをあの人が理解することはないだろう。私はあの人が生きている限り、こういった日常と鬱病とつきあっていくことだろう。淡々と。人生はテレビドラマではない。愚にもつかない毎日が続くことが日常なのだ。
世の中の男性はどうやって毎日着る物を選んでいるのだろう。我が家では私は一切関知せず、である。ただ洗濯してたたんだり、吊したりしておくと、そこから自分の気分で好きな物を着ているようだ。まぁそんなもんやろ、と思っていたら、知り合いの男性は毎日奥さんが選んで並べてくれるらしい。しかも休みの日に一緒に外出するときなどは靴下まで選んでくれるのだそうな。
「なんか適当に履くやんか。そしたら、何で白いソックスやねん!センスないなぁ、とか言われるねん。」と言っていた。うちの相方も気が付くとスゥエットのパンツの中にTシャツを押し込んだりするので、あなどれないが。
が、しかし、毎日だんなの服を選ばないといけなかったらめんどくさいなぁと思ってしまう。大体私にあんまりセンスがないので、ネクタイとYシャツの関係とかよく分からないし。
そもそも、私は相方の服を一切買わない。買ったとしても下着のランニング程度。以前、安いYシャツを見つけたので、後日一緒に見に行ったら、「ポケットのフタの部分が作業着みたいでなんか嫌。」と言われてびっくりした。そんなとこ見てるねんなぁってことで。この1件があって、洋服類は本人が自分で買ってくるのが我が家式なのだ。
が、こないだフェリシモのカタログを見ていたら、なにげにかっこいいパンツとカッターシャツがあった。のでこれの相方用を購入しようと思った。しかし、サイズがわからないのである。LLとかLTとかあるのだが、身長178センチだったらどうなんだろう。本人にサイズを聞いてみて、なおかつフェリシモに電話で実寸を問い合わせた。
すると、合わないんである。裄丈(首の付け根から測った袖の長さ)が88センチ、パンツのレングスが88センチらしいのだが、フェリシモのそれはLTでもそれより小さかった。
そんなこんなで一応ちょうどよさそうなカッターシャツだけ買ったのだが、それでも今風なタイトフィット感がいまいちらしく(おっさん化しているからか?)たまにしか袖を通さない。
「じゃあ、チェ・ホンマン(韓国のK1ファイター。めっちゃ背が高い)とかスーツ買うのん大変やろなぁ。」と言うと、「そうやで、大きい青山とか行かないと、袖の長いYシャツがないんや。B体って言うて全体に太く作ってるんはあるけど、そういうのは首まわりが合わんのや。結構めんどうやねんで。」とのことだった。
これは新鮮な驚きだった。どんなバイクに乗っても足が届くからいいなぁと良い面しか見えてなかったが、実は苦労もあったのだ。しかし、解せないのはパンツのレングスが私より15センチも長いことである。身長が20センチ違って、足の長さが15センチ違う、ということは胴+頭で5センチしか差がないということではないか。
やはり私の足は短いようだ。(どんな結論やねん。)
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