日々是迷々之記
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月曜日で会社を辞めた。月末までいてもよいかと思ったが、とても耐えられなかった。朝、目が覚めてもふとんから起きることができない。会社に行かなくてはならないという焦燥感の中、じりじりと横たわる。結局会社に体調が悪いと連絡をして半休を取ったりしていたのが先週後半。新しい仕事のオファーが派遣会社からあったので、当初の予定通り月曜日で辞めたのだった。
「あんたで3人目や。寂しくなるなぁ。」と一番古株の人は言っていた。例のAが来てから一年半。その前から来ていた人がやめ、次の人も辞め、そして私も辞めた。皆、例のAとそりが合わないと言って去っていったらしい。最初の人はパートさんだったが、例のAがパートから社員に変わった途端、上司風を吹かせ始め、それが鬱陶しくなって辞めたらしい。Aの取りそうな行動である。
今日、火曜日は目覚めが良かった。もうあそこに行かなくていい。それだけで気分が違う。洗濯をして、掃除をして、夕方から病院へ。メンタルクリニックの先生は静かに話を聞いてくれた。ただ、寝ている途中で起きてしまうのはあまり改善されていないので、薬を変えることになった。
その帰り道、新しい仕事の面接についての電話があった。職種は一番私の能力を生かせると思われる職種だが、業界がかなり特殊なので耐えられない人は耐えられないらしい。わたしは想像ができない世界だったが、とりあえず話は聞いてみようと思う。米国人技術者を新たに雇い入れる会社での、翻訳、通訳、その他もろもろとのこと。ただ、人の生死に関わる業界なのである。
とりあえず新しい仕事がありそうなのにはほっとした。あのAと机を並べてため息をつく日々はもうない。毎日は変わってゆくのだ。
今日はいつもよりちょっと早く家を出て会社に行った。台風だから、というのもあるが、何となくその方がいいような気がしたからだ。
会社に行くと、皆が心配をしていてくれた。例のAですら。この人はあんまり身の回りに不幸だとか、どうにもならない状況だとかがないみたいで、親が寝たきりで入院していると聞いただけで、衝撃を受けていた。
今回も母親が多少体調を崩して見舞っていたこと、書類をそろえたりその他していたと伝えると、普通に大変やなぁ、がんばりや、と励ましてくれた。
複雑である。悪い人ならそれらしく、同情なんかしないで欲しかった。そうしないと、その人のことを根本的に受け入れられない自分がものすごく心が狭いみたいではないか。
悪人なら悪人。善人なら善人。ずっとそれらしくしていて欲しい。そうしないと悪く思ったり、いい人だと思ったり、気持ちを持ち続けられない。もっとも、大人の対応なら何があろうといつも真ん中の態度を取っているべきなのだろうが。しかし、私はこれが苦手だ。嫌いな人に対しては気持ちが閉じてしまう。好意を持っている人に対しては、なるべくたくさん知ってもらえるように気持ちをオープンにする。何を33歳にもなって、と思うが、今のところこれしかできない。
まぁもうすぐこの職場を離れるし…と思い、その場で自分をコントロールするしかないのだろう。
今更ナンだが大人になりたいもんである。
昨日、夜半に病院から電話があった。医療費減免関連の書類が8月末で期限切れなので新しい書類を持ってくるようにとのことだった。昨日の日記のことも引きずっており、会社に行く気もしないので、会社を休んで母親の入院する病院へ行った。
湿度120%の外界に比べ、病室の中はエアコンで適温に保たれていた。その中で母親はワイド番組を見ているのか、寝ているのか、その中間といった雰囲気だった。誰かが来ると目を開いて会話するのだが、一人だと眠ってしまったように目を閉じてしまうことが多いと言う。相変わらず鼻には管が通してあり、食事は鼻から流動食を胃に流し込んでいるようだった。
支離滅裂なことを話している。最も、本人にとっては筋が通っているのだろう。もう亡くなってしまった人が生き生きと登場する。最近誰さんは顔を見ないが元気なのだろうか、などと言う。
この人は幸せなんだなぁと思うと同時に小さな消化不良を感じた。生まれてから33年間色んな不合理なことがあった。そのほとんどは身勝手で無知な母親が繰り出して来た物事に巻き込まれたわけで、子供の頃からそんな親を少し醒めた目で見て大きくなった。大人になったらこんな風にならないでおこう。バランス感覚と常識を身につけて、よく生きようと思っていた。
その結果、騙すよりは騙される方、一目置かれるよりは笑いのネタな方、というちょっと情けないキャラを持つようになったわけだが、それはそれで満足だった。最大限の予防線を張っておけばそれほどひどい目にも遭わずに生きてこれたからだ。
その分、私は醒めた見方が根付いている。全ての親が自分の子供を愛している、そんな言葉が未だに信じられない。たまたま生まれてきたのが自分の親の所で、全ての子供は神様からの預かり物であるという方を信じてしまう。たまたまあの父親&母親のところにやってきただけなのだ。
だから、「あんたなんか産まなきゃよかった。」「今まで育てた分、金返せ。」などと言われても、「これは自分の人生なのだ。」と思うことでほとんど気にせずに過ごすことができた。
そんな中でも、入学式や卒業式に来てもらえない、色鉛筆を買ってもらえない、高校も大学も私学を併願させてもらえないなど、「何でやぁ〜!!」と叫び出しそうになる側面はあった。
しかし、今となっては母親はまるでほとけさまのように横たわっているだけだ。誰を苦しませたことも、嫌なことをしたことも全て覚えていないかのように思える。
私はどうすればよいのだろう。怒りも恨みもどこへも行くことができない。ただ蒸発することを私の記憶の中で待っているようだ。「死んでまえ!」と言い横たわる母親の細い首根っこを握力44kgのこの手で締めてしまえばいいのかなと思ったことも正直あるが、今、弱りきった母親の顔を見るととてもそんなことはできないのであった。
帰り際、母親は今度バナナを買ってきて欲しいと言った。私はきっとバナナを買ってくるだろう。
これが勝負なら、私はきっと負けだと思う。
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