日々是迷々之記
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2004年03月05日(金) 会社をやすんでやることは

目が覚めると、頭の痛みはましだったが、全身が痛かった。右膝の裏には打ち身の上に切り傷があり、右の腰には握り拳大の打ち身が。左肩は腕が上がらないほどだった。ということで全身に湿布を貼り、今日は一日おとなしくしていることにした。

頭の方は氷で冷やしている。寝ているときはまだ固定しやすいのだが、体を起こしていると氷を入れた袋が落ちてくる。なので氷を入れたジップロックを頭にのせてから、毛糸の帽子をかぶっている。

これがまたマヌケなのだ。ちょうどマックに向かい合うと、右側に直角に置いてあるウィンドウズ用の19インチモニターに自分の姿が映っているのだが、家の中で毛糸の帽子をかぶってるだけでもアレなのに、氷の袋が入っているもんで、変に頭が長いし、ぼこぼこしている。やっぱり厄年なんだろうか?

ぼんやりと本を読んだり、テレビを見たりしていたらお腹が空いてきた。が、外に行く体力もないし、あるモノで料理をすることにした。

普段は適当なものしか作らないくせに、時間があると真面目に作りたくなるもんで、肉無しチリビーンズと炊飯器パンを作った。チリビーンズは買い置きの豆、たまねぎ、冷凍庫のパセリ、缶詰のトマトを圧力鍋で10分でできた。炊飯器パンは前ウェブで見て面白そうだなぁと思ったので試してみることにした。

ホットケーキミックスに全粒粉を混ぜて、ベーキングパウダー、牛乳(スキムミルク)を入れて、普通に炊飯したら33分でできあがった。ウェブで調べたら炊飯器の種類によっては米以外のものを炊くことはできないのもあるらしかったので、ちょっとどきどきだったが、うちのは大丈夫だったようである。



ケーキクーラーとして使っている網の上でさましてから食べたら、ほんのり甘いしっかりとした蒸しパンという感じでなかなか美味しかった。四分の一食べて残りはスライスして冷凍庫へ入れた。炊飯器でごはん以外のモノを作るというのはなかなか面白いので、ちょっとはまってしまいそうな気がする。

参考リンク
All About Japan 「炊飯ジャーで簡単クッキング」


2004年03月04日(木) 強者のゴーマンと弱者の遠吠え

ぼーっとしながら白い巨塔を見た。最後の最後で主人公は目をかけていた助手に裏切られるわけだが、あまりにも当たり前で、裏切るように話を振ってまで保身に走る主人公はかなり薄っぺらい。

だってそうだろう。普段、親から「かわいいねぇ、かわいいねぇ。」と言われながら育って来た子が、「私はそんなにかわいくないのになぁ。」と自我が芽生え始めたころに、「つーか、うちの子、ゾウリの裏とええ勝負ってくらいブッサイクやねん。整形でもせな未来はあれへんわ。私に似んと可哀想に。ワハハハハ!」と高笑いされたらどんな気持ちだろう。いくら裏で、かわいがっているような言動をしても、信じることはできないだろう。

疑問なのだが、偉い人や力のある人は自分だけの力でその地位を手に入れたと思っているのだろうか?支配者にも親はいるわけで、大統領だって子供の時にゴハンを食べたから大きくなって偉くなったのではないか。

何でこんなことをいきなり書こうと思ったのか。それは今日、マンションの階段から自転車ごと転げ落ちて、アタマがおろし金で摺ったみたいになってしまったからである。救急車を呼んで病院に行き、頭部CTとレントゲンを撮ったが、特に問題はないらしく、塗り薬をもらって、小一時間横になって帰ってきた。今も頭に氷を乗せているわけだが、ぼんやりと今日の出来事を思いかえしてみた。

会社から帰り、自転車を部屋に入れようとした。それだけなのに、アタマから血が滲んでいる。何回か書いた気がするが、マンションの自転車置き場は空きがなく、自転車をエレベーターに入れるのは禁止だ。しかも最近治安が悪いので路上駐輪をすると、タイヤのバルブを緩められたり、サドルを抜かれたりと、不愉快なことが続いている。ということで、「階段でかついで自転車を持ち上げる。」しかないのだ。

それをだんなさんに話すと、「そりゃそうだけどさぁ。」と言っていた。いくら自転車が大事でも、自分が怪我してどうするよ、自分の体力とか体格とかを考えると、もう上に上げるのは辞めとけとのことだった。小さなワイヤーかぎを買ってきて、サドルと自転車のフレームをつなぐようにして、路上に自転車カバーをして、バイク用のワイヤーでガードレールにくくりつけておけば、とりあえずましやろという。

何だか、うまいこと妥協しつつもとりあえず守っておく、というスタンスだ。確かに現時点ではそうするのがいいんだろう。とりあえず、この意見を飲むか、自転車に乗ることをやめるしか選択肢はないのだが、本当にそれは最善なんだろうか?私にできるのはそれしかないのだろうかと思うとむなしい。

今回はたまたま自転車というきっかけがあってこういう思いをしたが、交通事故でリハビリ通院をしていたときも同じようなことを考えた。当時は走ることもできずに、びっこを引いていたので信号が青になってすぐ歩き出しても、赤になるまでに対岸に着かないことがあった。

すると特に右折しようとしているクルマは私が邪魔でしょうがないらしく、渡り終わるまでホーンを鳴らし続けて、捨てぜりふを浴びせられることもある。そいつの人間としての度量の狭さを哀れむと同時に、むかついても追っかけて行って、一発ぶんなぐることすらできない自分の方が嫌だった。弱いものは負けるしかないのだ。

弱いモノが負けるのは自然の摂理なんだろうが、人間の世界は弱さ強さがものすごく曖昧な気がする。動物は自分でエサを取って生き抜いた結果「強くなって」いるわけだが、人間はそうでもなく、まさしく「白い巨塔」ばりの取引や根回しで偉くなったり、強くなったりしている。

是非とも「偉い人」や「強い人」は自分がどれだけ他の人とのつながりの中で今の地位を築いたか考えて欲しい。アンタは無人島でも同じくらい強くなれたのかよと。…なんてことを書いても、きっとこれは「負け犬の遠吠え」なんだろうなぁと思ったりする。

とまぁ、タダでさえアタマが痛いのにこんなことを考えるとますます痛くなりそうなので、このへんで。こんな未熟さであと10日もすれば32歳になってしまうのが恐ろしい。


2004年03月03日(水) 夕方寝の恐怖

今の仕事に転職して3日目。眠い。環境が劇的に変化したのでそのギャップがつらいのである。(なんとまぁぜいたくな。)

従業員数4人から80余人。やまごもりしていて下山してきた都会でめまいがするような感じか。お昼休みは特にギャップを感じる。今までは自席でネットをやりながら適当に済ませていたので、お弁当自体も食パンに何かを適当にはさんだものとか、おかずが一種類しかない弁当(しかも昨晩と一緒の内容)とか、まぁ、でたらめだったが、今は食べる部屋があってそこでみんなテーブルを囲んで食べる。思わず、彩りを考えた弁当などを作ってしまった。

わたしは、玄米、筑前煮、ほうれん草のごま和え、ひじきの煮付けをもさもさ食べながら他の人の話に耳を傾ける。アカデミー賞の話題とか、餃子スタジアムの話題とか、かなり大阪の夕方のワイド番組っぽい。まぁ、かなり年齢層が高めで、20代後半から50歳くらいまでといった感じだからそうなるのかもしれないけれど。

中でもひとりのおばちゃんに目がいった。別の女性がどっかからお弁当を買ってきたのだ。それはおかずとごはんが別個になっていて、ごはんが選べるやつだったらしい。彼女は「古代米」を選んだとのことで、黒いような赤いようなちょっと不思議なかんじのごはんだった。

すると、そのおばちゃんは、「うぁー珍しいわぁ。ちょっと一口ちょうだい。」と言って、自分の箸箱から箸を取り出し、その彼女がパックを開けると「この豆のところ取ってもかめへんやろ?」と言ってごはんを取った。

うむーすごい。中学生のころに、親しい間柄で唐揚げとか固形のおかずのやりとりをしたことはあるけれど、ごはんのやりとりは経験がない。彼女たちは私が思う以上に親しいのかもしれない。

仕事に戻るとあっという間に終業時刻が来た。今のところ定時が早い。何でも慣れるまでは疲れるからという配慮らしい。確かにもう、むちゃくちゃ疲れる。

この仕事をしているのは自分だけなので他の人と分け合ったりなどはできないし、どっさりとやることがある。書類も英語だけでなく、ドイツ語とか、中国語とか、いろんな書類があって、そういう書類から特定の単語を見つけて何を書いてあるかを判別して、ってやるとアタマが爆発しそうになる。

わたしの周りの人も皆、扱う書類は一緒なので、ドイツ語や中国語がわかるんですか?と聞いてみたら、「全然。」とのことだった。みんな単語を見つけて、ああ、アレの書類やなぁって感じで判別しているらしい。うむむ。

そんなこんなで、自転車通勤もあり、45分の道のりをコギコギ家に帰ってコタツに入ると、自動的に寝てしまう。起きたら夕方のニュースなんか終わっているのが悲しい。

早く一週間が終わらないかなぁとまだ水曜日なのに思ってしまう。


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