日々是迷々之記
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2004年01月05日(月) 愛と希望の圧力鍋

昨日は大阪に戻るなり、正月用品のたたき売りを求めてスーパーに行ったのだが、生鮮品はまだまだ正月モードで参ってしまった。「特上霜降りしゃぶしゃぶ肉」とか「とらふぐてっちりセット」とか一人ではどうしょもないものばっかりだ。

その中で唯一手を出せたのが「牛すじ肉」だった。が、正月らしく、高級な和牛の筋のようでちょっと高めだった。それと人参などを購入。カレーにするのだ。

正月が終わって即カレーだと「おせちもいいけどカレーもね。」というベタ宣伝文句を連想するが、確かにそうなんである。んで、7日に七草がゆを食べるという段取りか。

まず、すじ肉を普通の鍋に入れ、かぶる位の水を入れて沸騰させ、ゆでこぼす。そしてすじ肉を水洗いし、適当に切り、圧力鍋へ。そこに水1リットルと昆布10cm角くらいを入れて蓋をする。火にかけて高圧で25分。その間にたまねぎを千切りにして炒め、飴色タマネギを作る。25分圧力をかけたら自然に減圧し、減圧が完了したら、昆布を取り出し、飴色タマネギと乱切りにした人参、カレー粉を小さじ2杯ほど入れて再び圧力をかける。今度は2分ほど。人参が柔らかくなるまでだ。減圧したら蓋を開けてカレーのルーを入れてかきまぜて、普通のカレーくらいのとろみがつくまで煮ればできあがり。全行程1時間くらいか。

これが、感動的にうまいのであった。一番安いから購入したすじ肉が輝く瞬間だ。カレー用角切肉なんか足下にも及ばない。今回は生のすじ肉300グラムで水1リットル、ルーが6皿分だったが、牛すね肉を大ぶりに切って300グラムくらい入れても良さそうだ。

次はテールでテールカレーなんてのも作りたいなぁと思ってしまった。はー、じゅるじゅる。


2003年12月31日(水) 年末年始食べまくりの記

年末年始をだんなさんの出張先で過ごした私は何をしていたかというと、飲酒、飲食、スキー。それだけであった。5日もあったのにそれだけなんである。ということで12月31日から1月4日までをまとめて記そうと思う。

12月31日
昼過ぎに現地へ到着。肩すかしなほどに普通列車は空いていて、18切符でお得気分満喫だ。早速昼食。回転寿司の「プラザ丸忠」へ。ここは何と100円均一でも食べ放題でもない。一皿380円とかだったらどうしようとエビのように腰が引けたが意を決して入る。結果、大満足。ねたがでかいのと、巻物の分量が多いのと、かに汁(220円)がうまかったのだ。二人で2560円なら「あきんど」や「くら寿司」とあんまり変わらない。併設の巨大スーパーで買い物ををして、アパートに帰る。メニューは唐揚げ(大阪から持参)とかぶらの漬け物(これも大阪から)、野菜サラダ、中華のオードブルセットなどなど。酒は何と雪中梅(日本酒)、海童(焼酎)、瑞泉(泡盛)がいずれも一升瓶で床に置いてある。ビールはモルツスーパープレミアムを一本づつ。ボブサップが曙を倒したところまでは記憶があるが、その後は記憶が曖昧だ。が、しかし、しっかりと年越し蕎麦を食べてから寝たようだ。

1月1日
目覚めると強烈な腹痛だった。原因は分かっている。冷えだ。だんなさんの家にフトンは一組しかない。私はキャンプ用のマットに空気を入れてその上に寝ていたのだが、パジャマからハラが出てしまい、なおかつ寝返りをうったときにマットからはみ出し、ハラが木の床に設置。瞬間的に「冷たい!」と思いつつも眠いのでそのまま寝てしまったのである。と言うわけで朝から胃腸の中で、お坊さんがガンガン鐘を鳴らしつつ、ラップのリズムでヘイチェケラッチョ!というかんじであった。私はフトンから出ることもままならず、昼までフトンにくるまったまま「こち亀」のマンガを読みつつぼんやりしていた。

傍らでだんなさんがお雑煮を作っている。鶏ガラと昆布、鰹のだしに、鴨と大根、三つ葉、焼き餅を入れる。人生で一番うまいお雑煮だと思ったので、「将来は雑煮屋をやるのもいいねぇ。」と言うと、「…その店って雑煮しかないの?」と聞き返された。海苔で巻いた餅もあっても良いと思った。雑煮を食べると元気になったので散歩に出た。街が空いていて気持ちが良い。変な名前の店があったので、いちいち指摘すると、「そんなの気が付かなかった。」と言われた。「たこ焼きポニーテール」「磯ラーメン」とか私は目がいってしまうのだが。

散歩をしていると元気になってきたので夕食は近所の韓国料理屋「柳キムチ」へ。ここでは豚足、海苔巻き、豆腐サラダ、ソルロンタン(牛骨スープくずきり入り)、そして、壺入りのマッコリを注文した。マッコリはいわゆる濁り酒でここのモノは食事に合うちょっと辛口のものだった。向こう式の湯飲みで10杯以上あった。小皿のナムルもどんどん出てくるしで、もう朝にお腹の中でぼんさんが暴れ狂っていたことを忘れて飲み食いしまくってしまった。結局3時間も飲食してしまい、帰りにコンビニでホームランバーを買って帰った。

1月2日
今日は正月らしくおせちを食べた。初めて食べたが鯛のかまぼこはうまかった。そしてビール、日本酒、焼酎といつものペース。さすがに昼過ぎになってしんどくなってきたので、明日のスキーの準備をしてから仮眠した。

夕方クルマで出発して道の駅併設の「どんぐりの湯」という温泉に向かった。そこでこないだも行った「山武き(きは七が三つなのだがATOKで出て来ず)」が開いていたので温泉に入る前に食事にした。私は「とろろ御膳」ダンナさんは「あまごの塩焼御膳」これがうますぎた。クルマだってのに熱燗を2本。とろろは自然薯。ご飯はミネアサヒの新米でおかわりし放題。茶碗蒸しにはムカゴに名古屋コーチンまで入っている。あまごはでっかくて、きのこの赤だしはサイコーだった。ということで私はオロカにもどんぶり2杯のご飯を食べ、ふらふらしながら温泉に入った。

ダンナさんは酒を抜くためにサウナに10分以上入り続けたそうだ。わたしが露天風呂でうつろな目をしていたころにごくろうさんだと思った。そこからは「きそふくしまスキー場」に向けて走った。

1月3日
昨晩は9時過ぎにスキー場の駐車場に着いてしまい。軽く焼酎を飲んで、途中のコンビニで購入したつまみを食べつつクルマの中で寝た。しかし、最近のコンビニは生ハムや、クリームチーズを売っているのにびっくりした。

朝起きるとうっすら雪が降っている。それほど混んでないしサイコーの気分だった。が、気分はサイコー、スキーはトホホであった。私は今日でスキーをやるのが人生で5回目。20歳の時に1回。その後スノボに転向して3年でケガしてやめ。その後ブランクがあって去年いきなり3回行ったのである。ということでそこいらの幼児レベルの滑りである。ほらよくいるでしょう。ガニマタ直滑降でやたらと早い子供が。アノ滑りしか出来ないのである。が、私は30過ぎの女である。滑っている本人は気持ちが良いが、はたから見るとお笑いらしい。こけて立とうともがいていたら大汗かくし。筋肉痛であっという間に夕方を迎え、クルマで出発した。

が、国道19号線が事故で大渋滞。私たちは朝にパンを食べたきりだったので、殺気を感じるほどに空腹だった。渋滞から抜け出した午後6時半。無言で「とん太ラーメン」にクルマを寄せた。

そこでは瓶ビール、おつまみチャーシュー(ゆがいたもやしとチャーシューにニンニク醤油がかかっている)と餃子で小腹を押さえて、だんなさんは味噌ネギラーメンと大ライス、わたしはとん太ラーメンと普通ライスを食べた。お勘定は2780円。ラーメン屋でこれだけ食べたのは初めてである。食い過ぎ?家に帰っても全然お腹は減らず、焼酎を飲んで寝てしまった。

1月4日
今日は大阪に帰る日である。やることはお金の精算と掃除、スキーの手入れであった。お金の精算はめんどくさいのでいっしょくたにして、「正月の飲食10000円」とかメモしておいた。つじつまあわせが大変そうだけど、めんどくさいのでしょうがない。昼頃、駅まで送ってもらい、行きと同じで18切符で帰った。家に帰ると、年賀状をチェックしてから、会社の近所のスーパーへ買い物に行った。お正月の残り物ゲットに燃えていたのだ。結果、ニシンの北海漬などを購入し、帰りにさぬきうどんの「麦まる」できつねうどん300円を食べて帰った。

と言う感じでよく食べ、よく飲んだ正月だった。しかし年々正月らしさが薄れてゆく。子供の時は、洋服を新調したり、髪の毛をカットしたり、していた記憶があるが遠い昔のような気すらする。

それでは今年もよろしくです。


2003年12月30日(火) 静かな一日

目が覚めると電気はつきっぱなし、おなかの上には読みかけのパタリロのコミックスが乗っかっていた。まだ4時だった。たいしたことはやっていないのに、フトンに入るとすぐに寝てしまう。電気を消してもう一度寝た。

今度起きると8時だった。私は洗濯機をまわしつつ、ゴミ出しをして、今日やるべきことをぼんやりと考えた。まず通帳の書き込みと家計簿のつじつま合わせ。これは一週間以上ほったらかしていたので狂っている可能性大だ。気が重い。

次に明日から愛知県に行くことになったのでその準備。今回は休みが長いのでカブで行こうかとも思ったが、滋賀の関ヶ原か、三重の青山高原近辺のどちらかの積雪地帯を越えなきゃいけないので今回はパス。カブどころか、バイクなんてとんでもないらしい。そう言われるとよけいと行きたくなるのがちょっと複雑だ。

後は懸案の部屋の掃除。本当なら窓ふきとか、換気扇の掃除とかそういうことまでやらなければいけないようだが、私の場合は、古本を捨てるとか、空き瓶をリサイクルに出すとか、そういうレベルからやらなければならない。いかに平日何もやってないかということだ。

あとはカブのオイル交換。本来なら3000km走行ごとでいいようだが、結構とばしてることが多いので、まめに替えることを勧められた。ということで2000キロちょい走ったところで交換だ。

まず、オイル交換からとりかかった。小さなプラスチックの入れ物で古いオイルを受け、古いオイルが抜けきったら、栓をして上から新しいオイルを入れる。たったそれだけのことなんだが、知らない人にはたいそうに見えるようで、知らないおばさんに「アラ、えらいわね。」などと言われて困惑してしまう。

次にオイルをリフレッシュしたカブで青春18切符を買いに行った。この18切符とは5枚綴りで11500円で販売されており、一枚で最大24時間JRの普通列車が乗り放題という一見お得な切符である。私は中学生くらいのときにこの切符を知ってしまい、それから自腹では一切特急や急行に乗らないというとんでもないドケチになってしまった。

大阪から四国の高松に行ってうどんを食べ歩いて、帰りに神戸の中華街で中華を食べ倒して帰ってくるなんてもの可能で、今まで何度も行っている。往復の交通費だけなら2300円で済むのだ。が、それなりにつらいのも確かで、高松までふつうに5時間くらいかかる。「将来ビッグになったら特急乗ったるねん。」と何度思ったことか。(そういうこと考えてるからビッグへの道はほど遠いような気がするが。)

話はそれたがこの切符で愛知県へ行くのだ。この路線は比較的本数が多く、しかも110キロをたった81分で駆け抜ける鬼のような普通列車「新快速長浜行き」が使えるので全行程240キロあまりが4時間程度で行けるのだ。

この切符を買いにJRの駅へ向かった。帰り道に商店街をうろうろし、激安のターボドライヤーがあったので購入。旦那さんへのおみやげなのだ。愛知県は大阪と比べると物価が異常に高い感じがする。「カップヌードルが100円」って高いと思ってしまうのはおかしいだろうか?行くところへ行けば、メジャーなインスタントラーメンが29円で売っているのが大阪という町なのだ。(なんかアジアのどっかの国みたいな物価だなぁと思うこともしばしばあるし)

家に帰るともう夕方だ。もう今年は乗らないだろうカブにごくろうさんでした。来年もよろしくと、声をかけ、部屋にあがった。パソコンを起動して家計簿のつじつま合わせなどをやる。しかし、この家計簿というのは本当のところ意味があるのかわからない。確かにお金の流れを知ることが出来るという意味では優れているのかもしれないが、流れが理解できていなくても、払うモノは払わないといけないし、なくなったら使えないのは変わらない。

家計簿をつけ始めてから、「運命の分かれ道」みたいなことをよく考えるようになった。たとえば、ここでエビスビール220円を買うのと特売の極生108円を買うのとこれから先どんな違いがあるのか考えてしまう。その差額が積み重なればゴージャスな車に乗れたり、家を買ったり出来るのだろうか?

主婦雑誌的切り口では「そういう積み重ねがお金を残す。」という考え方のようだが、わたしにはよくわからない。頭がバクハツしそうなときに、食事もせず、冷えた発泡酒をゴキュっと飲み、ばさっと焼酎を飲んで寝てしまいたいこともあるし、今日はいいお魚が手に入ったからたたきにして、残りのすり身で鍋をしてと、わくわくしているときは、モルツかエビスが買いたくなる。そう考えるとそれぞれ意味のある選択のようにも思えるのだが、こういう甘さがいまいちお金が貯まらない原因かもしれない。

私は釈然としないまま家計簿をつけ終わった。相変わらず「副食費」(おかずやおかしのこと。食費全体からお米などの主食を引いた項目)と「酒代」が激しいデッドヒートを繰り広げている。毎月ほぼ同額なのだ。

さて、と一段落ついたところでホームページのトップの画像を何かに替えようかと思ったが止めた。最近はこういう自分が望んでやる作業にとりかかると、とりつかれたように没頭してしまうようになってしまった。年賀状を作ったときも1パターンしか要らないのに、ごはんも食べずに10時間くらいマックにへばりついて3パターンくらい作って、厚紙に印刷してはニヒニヒとうすら笑いを浮かべてしまった。なので画像いじりみたいな楽しい作業だと、気がついたら朝でしたとうのも十分ありえる訳で今日は止めておいた。

そんなこんなで本年最後の日記はとりとめもなく、意味もなく、ただだらだらと長いだけでした。読んでくださった皆様、来年もお暇なときにお立ち寄りくださればうれしいです。

よいお年を。


nao-zo |MAIL

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