日々是迷々之記
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2003年08月29日(金) そして今日も愛知

おとつい愛知に行って来たばかりだが、週末ということでまた行ってきた。今日で18切符は最後である。

今回は晩の9時15分に待ち合わせだったので、家を夕方の4時頃出た。一瞬カブで行こうかとも思ったが、暑苦しそうなのでやめた。いつもと同じパターンで電車を乗り継ぐ。米原から豊橋行の特別快速に乗ったが、私はボックス席でおばちゃん集団に囲まれて苦しかった。しゃべる声がでかいし、挙げ句の果てにせんべいを食べ始める。しかも一人はサマーセーターの透かし編み部分からベージュの下着が丸見えで見苦しいことこの上ない。

将来おじさんかおばさんにならなければならないのなら、私はおじさんの方がましだと思った。でも、群れたら同じくらい邪悪なんだろうけど。

いいタイミングでダンナさんが迎えに来てくれていて助かった。私はいつもの調子でビーチサンダルで家を出てしまい、歩いているときはいいんだけど、立ち止まっていると蚊に食われてかゆくなってしまうのだ。クルマで家に向かう。

家ではダンナさんが閉店直前のスーパーでゲットした半額商品が私たちを待ちかまえていた。中トロのおつくり、タラモサラダ、おからの煮付、ネギチャーシューサラダ、などなど。焼酎とチューハイで宴会であった。

明日は温泉に行くので早く寝た。


2003年08月28日(木) 自由研究のおもいで

夕方のニュースバラエティ番組でいまどきの夏休みの宿題事情を取り上げていた。昔のように「ドリル一冊」とか「はみがきカレンダー」のようなものは姿を消しつつあり、自由研究がメインとなりつつあるようだった。

街角の親子にインタビューをすると、「自由って言われたって何をしたらええかわかれへん。」という答えが多かったのにはちょっとびっくり。私は自由研究や植物の観察日記を書くのが一番好きだったからだ。

夏休みに入ると図書館でネタ探し。実験モノは実験の段取りを立て、研究モノは百科事典でネタを集める。そうやって大学ノート一冊分、びっしり埋めるのが好きだった。でも、今はそんな小学生はあまりいないようであった。

画用紙で作った「河原のいきもの図鑑」にはセルビンで採ったくちぼそ、ドジョウ、やご、ガガンボ、なんかのあんまりぱっとしない生き物を見開きをどーん使ってでっかく書いたりしていた。研究そのものよりも書いたり、描いたりするのが好きだったような気がする。

それが小学4年のとき、悲しくも屈辱的な出来事が起きた。先生は自由研究の用紙として女子にはうすいピンクのB4くらいの模造紙を2枚、男子には同じサイズでうすいブルーの用紙を2枚づつ配った。一人2つの研究をやれということだった。

私は女の子テイストのものが当時からキライで、習字道具入れの赤いカバンが嫌でスヌーピーの手提げに習字道具を入れていたくらいのへそ曲がりである。そんな子供にピンクの紙は屈辱的だった。

わたしは女の子テイストを払拭したいという思いもあり、その夏の自由研究の題材は「郵便の父・前島密氏について」にした。今はあまり見ないが1円切手のおっちゃんが前島密(まえじまひそか)氏である。当時、わたしは切手集めに凝っており、切手のデザインの由来を調べては天下をとったように親の前で解説していたりしたのだ。(痛いかも…。)

鼻息荒く平凡社の百科事典を調べたり、東京に住んでいたので大手町の逓信総合博物館に行き、前島氏の功績に激しく感心していた。夏休みの半分を前島密氏に費やし、その邪悪に思えたピンク色の模造紙を塗りつぶすように、研究の成果をまとめ、一円切手をプラバンにはさんで裏に木工用ボンドを付け模造紙に貼り付けた。

その時点で宿題は終わったも同然だった。あとは「歯磨きカレンダー」や「絵日記」をでっち上げ、計算ドリルは「一列計算し終わるまで息を止める」という早くできなきゃ死んじゃう方式で一日で終えた。ちなみに「一単位終わらせるまで息を止める」方式は今でも役に立つ。会議の資料をホッチキスで留めたりするときはこうやってやると早くできるのだ。

話はそれたが、ふと気が付くと自由研究の用紙はもう一枚余っている。その時点で8月31日。私は家にころがっていたキルティングのはぎれで「ポケットティッシュ入れ」を作った。単に両端を三つ折りしてかがってから、ティッシュに合わせて折って、ミシンで縫うだけだ。これにてきとーに「ティッシュがぐちゃぐちゃにならないようにと考えてつくりました。」とか用紙に書いてセロハンテープでティッシュ入れを貼ってできあがり。

始業式の日に宿題を提出し、自由研究は先生に採点され、後日教室の後ろに張り出された。父兄参観日があるからだ。その張り出された自由研究を見てわたしは仰天した。スペースの都合だろうが一人一枚の自由研究が貼ってある。私の作品は「前島密氏について」ではなく、「てきとーに作ったティッシュケース」が貼ってあったのだ。詳しくは覚えてないけど、「女の子らしい発想ですね。」とか書かれていて花丸が付いていた。

一方、「前島密氏について」は「先生もしりませんでした。」とか赤で書かれて、手元に戻って来た。なんだかむなしかったのを今でも良く覚えている。親に、「先生のくせに生徒がどれほど一生懸命やったか分からないのはおかしい!」と口をとんがらかせて言ったような気もする。

しかし、大人になったらわかるんだけど、「先生」は「何でも知っている」わけではないのだ。何かすごい研究をしてその功績を努力を子供達に伝えるような先生ってのもいるんだろうけど少ないと思う。ぶっちゃけた話、教育大学なりを出て、教員試験に合格したら先生になれるのだ。大学出たって「前島密氏」を知らなくたっておかしくはない。

でも、私の理想はサリバン先生やシーボルト氏だったので、手抜きのティッシュケースを見抜けない先生は一段下の存在だった。

そんなこんなで私は大人になってほっとしている。ネットのおかげでこうやって好きなことを書き散らかせるし、何も分からない人間におざなりの評価を受けることもない。

が、今の子供たちは最初っからなんでもあって、「自由って言われても何していいかわからない。」ってなるらしい。それも何だかなんぎな話だ。


2003年08月27日(水) ザ・とんぼ返り

今日は職安に行こうかと思ったが突然用事が出来たので急遽予定変更した。

ダンナさんが出張先で持病の歯痛になり、歯医者から薬をもらって届けに行くことにしたのだ。宅急便で送っても良かったのだが、晩の10時ごろしかアパートに帰ってこないので受け取るのは難しそうだってことで18切符を使って日帰りで行くことにした。

まず11時ごろカブで歯医者へ。そこで薬を受け取って大阪駅へ。バイクは秘密の所へ駐車する。で、12時30分大阪発の新快速長浜行へ乗る。そこからは米原、大垣と乗り換えをして、15時頃、名古屋を通過。そして16:30にダンナさんの家に到着。まずまず順調である。

そこで薬を置き書き置きをして駅に戻る。そこから名鉄でJRの駅に向かう。ぼちぼち空は夕暮れだ。乗り換え駅で外へ出た。駅前はロータリーになっているが人が少なくのんびりしている。駅前のコンビニでビールを買って飲んだ。

ぷはっ。うまいのである。背の高いビルが少ないので空が広くて気持ちいい。木のベンチに腰掛けて空を眺めながらぼんやりする。こうやって全然縁もゆかりもない土地でビールを飲みながら空を見るのは悪くない。あっという間に30分が過ぎてしまい、乗る予定だった新快速米原行きは行ってしまった。

といっても18切符なので別にそれに乗らなくったって帰れるさ…。と気分が良くなってきたのでかなり楽天的である。が、次の新快速は1時間後だった。またコンビニでお茶とおにぎりを買い、ホームで待っておくことにした。

すっかり夜になったころ新快速はやってきて、私は車内で眠ってしまった。気が付いたらもうすぐ米原である。そこから新快速網干行に乗り換えて大阪まで。妹尾河童さん作の「河童のスケッチブック」を読んでいたらあっという間だった。

行きは下川裕治氏の「世界一周ビンボー大旅行」を読んでいたので、これもあっという間だった。

大阪駅からはカブで家まで帰った。帰り着いたのはちょうど23時。結局12時間くらいかかった計算になる。

昼からで大阪名古屋の日帰り、しかも普通列車でというとなんとモノ好きなと思われるかもしれないが、行って帰ることだけでなく、本を読んだり、知らない空の下でビールを飲んだりできるのだから、とっても私は得をした気分だ。

しかし、結構つかれたみたいでその日の晩にこの日記をしたためることはできなかったが…。


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