日々是迷々之記
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| 2003年08月20日(水) |
目がさめるとハライタ |
朝起きるとおなかが痛かった。傍らを見ると扇風機がぶんぶん回っている。昨晩は熱帯夜で、扇風機にタイマーを仕掛けても、切れると起きてまたセットの繰り返しで、結局一晩中扇風機は回っていたようだ。
それにわたしは異常に寝相が悪い。朝起きると壁に対して直角になっており、足を壁にもたせかけて寝ていたこともある。当然足には血液がまわっておらず、下ろすとサ〜っという独特の感じが味わえた。(別に味わいたくないけど。)
今日は息苦しくて目がさめた。最初はタオルケットが顔に巻きついているのかと思ったら、パジャマがめくれて顔を覆っていたのだ。ちなみにタオルケットはバレーボールのように丸められて、腰の下にあった。最近腰が痛いので無意識にそうしたのだろうか。とにかくパジャマは顔の上にあったので、おなかは露出している。
で、ハライタ。扇風機のつけっぱなしに、ハラの露出。冷えたのである。食欲もなく、布団から出るとお茶を飲み、水を飲む。そしてぼーっとする。これで午前中はほとんど終わった。
昼からは汗にまみれながら履歴書をパソコンで作成。面接に行くことになったのだ。そうこうしているうちに夕方だ。私は外に行く気持ちになってきたのでお風呂に入って身を清め、自転車で近所のスーパーへ行った。そこでなぜか冷凍の小龍包とアクエリアス、インクジェットプリンタのインクの黄色を購入して家に帰った。
小龍包はうまかった。今日はビールでなくてアクエリアスだが、わたしは体調が悪くなるとこれが飲みたくなる。「燃焼系アミノ式」とか、「ダカラ」なんかを飲んでみようかと思ったが、どうも得体がしれない気がしてやめた。まぁ、アクエリアスも似たようなもんなんだろうけど。なんとなくアクエリアス。なのだ。(古っ)
今はハラマキをしてパソコンの前に座っている。履歴書を作っていた関係でマックではなくウィンドウズの前だ。は、もしかしたらこのハライタはマックのたたりかもしれない。
いやはや、早く寝よう。
| 2003年08月17日(日) |
Go Go 愛知県「第四日目・18切符で帰阪」 |
とうとう愛知県旅行記もこれで最後です。長いのでつまんなかったら適当に読み飛ばしてください。
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目が覚めると相変わらず雨だった。駅まで歩くと15分。クルマにいらいらさせられながらの15分だから気が重い。晴れ間を見計らってダンナさんにバイクで送ってもらった。駅に着くと、他の乗客の人がじろじろ見ていた。大型バイクが珍しいようだ。
そこから最寄りのJRの駅までは約30分。2両編成のちいさな列車がかわいい。が、値段はかわいくない。ホンの15キロほどしかないのに390円である。わたしはぼんやりと車窓の景色を眺めた。大阪は雨なんだろうかと考えつつ。
うとうとし始めたころ、JRの駅に着いた。すると、タイミングのいいことに「豊橋発米原行」が来た。米原というのは滋賀県で、コレに乗れば私の家の最寄り駅まで、米原、大阪の2回の乗り換えで帰れるのだ。わたしは「ヨシヨシ」とつぶやきつつその「特別快速米原行」に乗り込んだ。
乗り込むと私はウトウトと眠ってしまった。で、名古屋を過ぎ、岐阜駅を過ぎた頃にアナウンスがあった。「え〜、この列車は大垣で後ろ4両を切り離し、前2両のみが米原行きとなります。米原駅方面にお越しのお客様は前2両にお移りください。」
私は電車の中程に乗っていたので、いそいそと前方へ動いた。が、座れなさそうだったので3両目の空いた席に腰掛け、大垣の手前で映ることにした。が、しかし、しかし、である。どんどん前2両は混んできて、通勤時間の大阪市営地下鉄もびっくりという感じに混み合っている。地獄だ。私は大垣駅で駅員さんに背中を押されつつドアを閉められた。まるで押し寿司のごはんにでもなった気分だった。
私がほげ〜と思いつつ満員電車に身をまかせていると、左手首が痛い。腕時計の時計部分が外を向いているので圧迫されて手首が痛いのだ。私はもごもご動いてどうにか時計を内側に回した。ふーっ。
今度は後ろの女性がゆらゆら動いて私のザックにヘッドバッキングをかましてくる。わたしはむむむ!と思いつつも彼女を観察していた。すると、彼女の向こうはお母さんに抱かれた幼児がいる。その幼児は異常にハイテンションで手を振り回して、お母さんの顔をつかんだり、私の背後の見知らぬ女性をたたいたりしている。それで女性はその子から逃げるため、私のザックに頭突きを繰り返していたのだ。むっとしてごめんよ。
が、こんな混むって分かってる列車に幼児を乗せるってのはどんなもんだろうか?確かに青春18切符とはいえ、「大人一人に付き中学生未満の子供を二人同行できる。」というルールは適用される。でもさぁ。青春18切符は使うのが楽しいと思える人が使うもんであって、「お得命」の子育てママが帰省に使うモンじゃないと思う。そんなことどこにも書いてないけど、大人ならそんくらい分かれ。
案の定、米原に到着すると私の背後の女性がその子連れ夫婦に文句を言っていた。そりゃそうだ。メイクをした顔を約30分の間、叩かれたりなでられたりしてて、身動きすらできないんだから。痴漢のほうが本気でやり返せるだけマシだと思う。その母親は平謝りしてたけど、ココロの中では「青春18切符で得したんだから、これくらいは何でもないわ。」とでも思ってるんだろう。確かに特急や急行で指定席を取れば子供でも指定料金はいるわけだから。小銭で常識失うバカがここに一人である。
米原では接続の網干(兵庫県)行きが待っており、みんな乗り込んでいたが、私はほとほと疲れ果てていたので北陸線に乗り、3つ北にある長浜駅へ向かった。
長浜は以前だんなさんが単身赴任をしていたので、なつかしい。琵琶湖もあるし、広々した空がなんだかカナダ西部みたいで気持ちのいい所だ。私は人っ子一人いないベンチでお茶を飲み、しばしぼんやりした。
そして長浜発網干行の新快速列車に乗り込む。さっきの殺人的混みようが嘘のようで申し訳ないほど空いている。わたしは30分ほどボックス席を占領してのんびり小説を読んだ。
近江八幡の駅で私の前に女性が座った。年の頃は60くらいか。スーツを着てお洒落をしており、静かにバッグから取り出した週刊誌を読んでいる。わたしも、読書を続けた。京都駅で私の斜め前に着物の女性が座った。着物といっても、一般的にイメージする絹の着物ではなく、和風創作居酒屋なんかの制服でありそうなポリエステルの着物である。模様は白黒の市松模様。黄色の帯を締めている。びっくりするのは足下だ。小学生女子の履くようなファンシーなソックスに着物の草履で何だかミスマッチだ。が、「冷え性なんやろか?」とさほど気にせず、その藤山直美を地味にしたような女性をちらりと見た。
京都から大阪までは途中高槻と新大阪しか止まらないので30分もかからないと思う。その間に信じられない話を聞いてしまった。(ハイ、いつもの変な人が出てくるパターンです。)
その着物の女性は手提げから手芸用具のようなものを取り出して小物を作り始めた。それを見た、正面の初老の女性が、「まぁ、何を作ってらっしゃるの?」と聞いたのだ。それが始まりである。
すると着物の女性は「ええ、家にこもっていることが多かったので自然とこういう趣味を身につけたんです。」と言った。続けて、「私、こう見えても足が不自由なんです。先天的なもので軟骨が普通の人と違うんです。これがね、軟骨でなくて骨だったら障害者2級を頂けるとお医者さんはおっしゃるんですけどね。今の日本の医療制度ではカバーできない障害なんです。これがね、原因で子供のころから運動障害が出て、いじめられてたんです。だからあんまり外にも出なくて。お医者さんから薬を頂いてたりするんですけど、やっぱり親がね、私が子供の時にちゃんとしてくれなかったのが、悪いと思うんです。」
と、これくらい一気にしゃべった。私の前の初老の女性は「…、あら、たいへんね。」ととりあえず相づちをうった。着物の女性はまたもまくしたてる。
「私ね、女の子一人だったから、祖母に嫌われてたんです。男の子が欲しかったみたいで。ほら、昔は家を継ぐために男のが必要って考え方あったでしょ。で、子供の頃、やかんのお湯を足にかけられたりしたんです。」
やかんのお湯と手芸とどういう関係があるのかは分からないが、彼女を止めることは出来ない。なんとなく目がいっちゃってる感じだったからだ。初老の女性は「まぁ、良くないおばあさんねぇ。」と相づちを打つ。
「でも、やはり長生きはしませんでしたね。孫に殺されましたから。階段の上から突き落とされたんです。え?私じゃありませんよ。二つ年上のいとこです。彼女も女の子で祖母には嫌われてましたから。親戚も私の親もこのことは内密にってことで、祖母が自分から足を滑らして階段から落ちたことにしたんです。でも、2年後、突き落とした彼女は自殺しちゃいました。」
…。あのー、そこまで訊いてないんですけど。私は本を読んでるふりをしながらヒヤアセをかいていた。高槻から乗ってきた私の隣の女子高生風の女の子も携帯メールを打つ手が止まっている。隣のボックス席でビールを飲んできたおっさん4人組もしーんとしている。みんな耳ダンボなのだ。
「あらまぁ。」初老の女性がどうにか相づちを打った。まだも話は続く。
「結局ね、祖母の育て方自体がおかしいんですよ。私の両親も著作がたくさんあって、教育の評論をしたりしてるくせに、あれは仮面なんですよ。」
「で、今からはどこに行かれるの?」と初老の女性が話を振った。えらい!ここで話の流れを変えてくれとそこにいる皆が願っていたに違いない。が、それが深みにはまっていった。
「ええ、今から友人を訪ねるんです。もう20年も会ってないんですけど。いきなりね、昨日の深夜に「死にたい。」って何通も何通もメールが来るんです。それではるばる3時間かけて来たんです。彼女の顔を見て安心したいなと思って。彼女ね、同じ職場の同僚だったんですけど、セクシャルハラスメント、アレで調子をおかしくしちゃって田舎に帰ってずっと薬を飲んでるんです。メールだけのつきあいの私になんで助けを求めに来るのかちょっとわかんないですけどね。痛みが分かる人って思われてるのかな。」
ここまで来て、電車は新大阪である。あと2分で大阪駅に着く。乗客は網棚から荷物を下ろしたりいそがしい。私の隣の女子高生も席を立って出口へ向かった。わたしも本をしまい、出口に向かった。
本当なら18切符を生かして神戸あたりまで行って美味しいものでも食べようかと思ったが、変な話を聞いてしまったのでとてもそんな気になれず、さっさと家に帰った。
その日の晩、ダンナさんにこういうことがあったと伝えると、ひとこと、「それ、その人のネタやで。ぶはは。」と一笑に付された。そうなんかな〜。「で、なんのためにそんなネタを電車の中で振るんかな?」と訊いてみた。すると、「そんなん知らん。言いたかったんちゃう。」いいなぁ、こういう考えのできる人は。
前回みたいに、むりやりおかずを押しつけられたり、現地人と間違えられて道を聞かれたりするだけならまぁいいんだけど、こんなアタマがおかしくなりそうな話を訥々と聞かされると気分がどんよりしてしまうのは、わたしが考えすぎだからだろうか?
今年のお盆は雨つづきでついでにこんな変な話でフィニッシュした。何だかほんとにいまいちな休日だった。
| 2003年08月16日(土) |
Go Go 愛知県「第三日目・大須の町」 |
土曜日はかろうじて晴れそうなので「大須」という町に行くことにした。私の中で「大須」とは東京の秋葉、大阪の日本橋と並ぶ電気屋街だと認識していたからだ。ダンナさんの住む町から電車で1時間ほど。片道890円を費やして行ってみた。
地下鉄から地上に上がってびっくりした。ただのビルが立ち並んでいるだけなのだ。大阪だと、地上に出るやいなや、チラシ配り攻撃に遭ったり、たこ焼き屋台がどーんと控えていたりするのだが、ぜんぜんそんなこともなく、ただの休日のビル街なのだ。いきなり途方に暮れてしまった。なんせ下調べは一切していなかったので。とりあえず、ちょっと歩いて大きな中華料理屋さんで早めの昼食を取ることにした。結構混んでいたので味には期待していたのだが…。
私は台湾ラーメンとごはん、ダンナさんはばりばり焼きそばを注文。なぜかごはんはだんなさんの方に置かれてしまったがまぁそれは良いとしよう。問題は味なのだ。まずいわけでは決してない。濃いのである。ばりばり焼きそばのあんかけ部分は醤油の色で真っ茶色。ダンナさん曰く、「この一皿でどんぶり飯2杯はいけるで。」とのことだった。台湾ラーメンもスープを飲むことは出来なかった。スーパーの総菜とかからも感じたが総じてこの辺の味というのは、油モノは濃いようだ。(でも煮物はそうでもない。)余談だが、スーパーの「豚天の炒めもの」は豚なのに天ぷら、しかもそれを甘辛いタレで絡めてあるという、ごっついシロモノだった。まずくはないんだけどツラい味、とでも表現したらいいのか。
その後、どうにか歩き回ってパソコンショップの集落を見つけた。そこには「Apple Park」というマック専門店などがあり、結構楽しめた。でも、想像していたより規模は小さいようだった。そこからてくてくと歩くと大きなアーケードに出た。そこは大阪・ミナミのように若者向けのでろでろの洋服屋、人混みの中のオープンカフェなどが立ち並んでいて、にぎわっていた。そこで目を引いたのが「コメヒョウ」というファッションビルのようなものだった。
ダンナさんがトイレに行くというのでその賑わっている「コメヒョウ」というビルに入った。ダンナさんが用を足している間、私はその辺をうろちょろして回った。そして分かったこと。この「コメヒョウ」とは「質屋」だったのだ。質屋で中古なのに店員さんがうやうやしく白手袋で商品を出してくる。それを品定めする子連れのお母さん。傍らのダンナさんは茶髪のアイパーでスゥエットの上下を着てポーチを小脇に抱えている。
私はすっきりした表情のダンナさんにその旨を素早く伝えた。すると、「ふーん、質流れやねんなぁ。」とショウウィンドウのバックを眺めて感想を述べていた。その後、あまりにも蒸し暑いので喫茶店に入り、アイスカプチーノを頼むと、コーヒー牛乳に氷を入れてカプチーノの泡を乗せた飲み物が出てきた。喫茶店のくせにシロップはメロディアンミニみたいなやつである。それで450円なんだから、儲かっちゃってしょうがないような喫茶店である。
「都会はなんかつまんないね。」と私はひとことダンナさんに告げ、帰りの電車は熟睡してしまった。往復で二人で4000円近くかかったわけだが、もう2度と行かなきゃいいやということで、高い授業料だと思うことにした。
帰り道はぽつぽつと雨が降っている。私はのそのそと歩きながら傍らのクルマがうっとおしかった。歩道がないような道で両面通行。そして前が赤って分かってるのにぶんぶん飛ばして走る。もっとも道を歩いているのは私たちだけで、子供すら歩いていない。完全な車社会なのだ。私は水しぶきを上げながら能天気にぶんぶん走る自動車を横目で見ながら、「どうせなら歩行者通行禁止にして、『危険!道路を歩くな!歩行者は自動車を利用しましょう。』って書いておけばいいのに。」と言った。するとだんなさんはニガ笑いをしていた。
こういう話になるといつも同じぼやきを繰り返すことになるが、クルマで移動を繰り返す生活って私はあんまり面白くないと思う。いくら田んぼや畑があって、虫が鳴いたり花が咲いたりしていても、クーラーの効いた車内でボンボンマフラーを鳴らしながら走っても何も感じることはできないからだ。
近い将来、この町に引っ越してくることになるかもしれないが、私はクルマには乗らないつもりだ。確かに坂道で信号のなくて見通しの悪い交差点でうちのMT車を右折させることはできないほど運転はヘタクソだが、(音で判断して何も来ないと思ったら思いっきり加速して曲がればいいらしいが怖くてできないのだ。)、歩行者に恐怖感を抱かせるような狭い道を能天気に運転するようなバカ者にはなりたくないのだ。
晴れた日は自転車で、雨の日はカッパを着てカブに乗ろうと決めた。町を見たところ、バイクは少なく、ツーリング中のバイクは見たが、新聞屋と農業の人以外でカブに乗っている人はいなかった。大阪ではたくさん走っている黄色やシルバーのお洒落なカブもこっちにはいなかった。
ちょっとこの町は不思議な町だ。続きはまた明日。
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