日々是迷々之記
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「せっかく○○したったのに…。」こういう恩着せがましい物の言い方が嫌いで、そういう状況にはまらないよう考えて行動してきた。
しかし、ふと思うことがある。誰か他の人たちに何かするとき、根底にあるのは「喜んで欲しい」という気持ちで、それは誰しも持つことがあるのだと思う。家族や、恋人の間だけでなく、もっと普通の仕事つきあいや、友達つきあいの中でも存在している、ごく普通の気持ちではないだろうか。
「喜んでくれると信じているから○○しよう。」そういう気持ちに何も帰ってこないときの気持ちはとても表現しずらい。オバチャンチックに、「あんたのために良かれと思ってやったったんや!」と言い切れれば少しは気持ちも晴れるとは思うのだが。
こういうときは何か今までの時間を裏切られたような気持ちになる。現在までのことを考慮に入れて、こうすれば喜んでもらえるに違いないと信じて行動を起こす。しかし、気持ちは帰ってこない。キャッチボールをしていて、いきなりそっぽを向かれてしまい、自分の投げたボールが誰にも目も向けられずに通り過ぎてゆき、ぽとりと落ちてしまう。それは私にとって悲しいことだ。
「期待しなければ、失望することもない。」というのはよく言われる言葉だ。しかし、期待に至るまでもない、経験から来る信じている気持ちが空振りになる気持ちをそういう言葉では説明できないと思う。それとも私以外の人たちは、他者によって気持ちを動かされることもなく、淡々と生きているのだろうか。
ダンナさんと電話で話してみた。あの人はそう言う場合は怒ることはあれども、落ち込むことはないと言った。「気ぃ悪い。」「今までのはなんやってん。」そういう言葉で気持ちを表していた。
落ち込もうが、怒ろうが、心の中にマイナスなのは変わりない。マイナスな気持ちに感染して、他に悪影響を与えてしまわないようにココロに言い聞かせよう。
あと何十年生きるかは分からないけれど、いろいろな人と出会って、楽しいこともつまんないこともたくさんあるだろう。でも、「気持ちの温度差」が人づきあいの1つの基準になるんだなぁと最近思う。
さぁ、もう寝てしまおう。明日の朝日は私たちの上に射すのだ。
| 2001年12月04日(火) |
やっぱり自転車が好き |
目が覚めると空は誇らしげに「どうです、立派な青空でしょう。むふふふ!」と言っているかのような、キラキラした青空だった。私は根菜の煮物を温めつつ鮭を焼き、ご飯を食べつつ、「これは自転車に乗るしかないな。」と密かに考えていた。
実は先週の水曜日くらいに自転車がパンクしてしまい、スペアタイヤを使い切ってしまったのだ。今装着している分がパンクしたらもう乗ることは出来ない。なので地下鉄で通院していたのだ。
「パンクしたら歩いて帰ればいいか…。」素直にそう思わせるほど青空は魅力的だった。
身支度をして、手袋をはめ、自転車をマンションの下に降ろす。こぎ出すと、つめたい空気が胸に充満してゆく。ほんの5日くらいの間に景色は姿を変えていた。真っ黄色だった銀杏並木はその葉を落としはじめている。
病院に着くと混んでいたが、昨日よりはマシだった。マウンテンパーカーを脱いだが背中が汗ばんでいる。長椅子に腰掛けると、コットンのトレーナーを脱いで、ダンガリーシャツになった。それで丁度良いくらいだった。
リハビリ室に行くと、受付の横にちいさなクリスマスツリーがピカピカしていた。もうこんな時期なのだ。そういえば去年もこのツリーを見たなぁ。
涙が出るほど膝を曲げてもらい、病院を後にする。ちょっと遠回りをして隣町の商店街へ寄った。そして大きな本屋さんでWindows2000のマニュアル本を物色する。マルチユーザーの設定がどうしてもよくわからないのだ。しかし、お目当てのことが書いてあるようなマニュアル本は見つからなかった。
家に帰ると急に冷えてきたので、コタツにスイッチを入れた。先週からコタツ布団を出していたのだが、電源は入れずに使っていたのだ。やはり電気を入れると暖かい。コーヒーを飲みながら本を読んでいるといつのまにか寝てしまった。
いやはや、コタツ寝の季節到来なのだ。
今日は、郵便局と、銀行と行かなきゃいけないなぁと思いつつ、いつものようにノホホンと家を出た。
病院に着くと、なんじゃこりゃというほど混んでいる。あと1時間で午前中の診察が終わりとは思えない。待合室の椅子に腰掛けることはもちろんできず、人いきれで熱気が充満して暑い。じっと壁にもたれかかって呼ばれるのを待つ。
45分ほど待つと「リハビリの方、お呼びします。○○さん…」といつものようにアナウンスがあった。が、しかし、まとめて10人以上呼んでいる。大丈夫かいなとリハビリカードが渡される診察室へ向かった。すると案の定、中に入りきれなくて、廊下までリハビリ待ちの人が溢れている。「××さ〜ん。」看護婦さんがカードを渡してくれるのだが、呼ばれてもそこまで辿り着くことができない。行ったことはないけど、きっと中国の切符売り場の窓口はこんな感じなんだろう。
そしてカードを手にした10人あまりは、どどどと別棟のエレベーターに向かう。一気にエレベーターに乗り込み、リハビリ室へ。着くと、各々牽引のベッドや、低周波治療器に散る。しかし、それだけのキャパはなく、出遅れたわたしを含む数人は手持ちぶさたにそのへんに座る。
先生も忙しそうで、目が泳いでいた。こういうときは無駄話をせず、てきぱきと済ませて帰ろうと思うが、やっぱり空いてくるとぐたぐたしゃべってしまった。
結局、肩に電気をあてる治療はなんとなく時間切れで今日はやめておき、きんじょの某スーパーに向かった。そこの本屋は曲者なのだが、家から地下鉄で通院するとここしか本屋がないので結局寄ってしまう。女子高生3人組がフロムAを立ち読みして、気に入ったバイト先の電話番号を携帯のメモリに入れている。んなもん、買えばいいのにと思うけど、買えないからバイトするのかなとどうでもいいことを考える。探していた雑誌が見つかったのでレジに向かった。いつものように「袋は結構です。」と言って、鞄を開けてしまう素振りをした。するとまたもいつものように「おシール貼らせていただいてよろしいでしょうか?」と来た。おシールって一体…と思いつつ、「いえ、紙に貼ると剥がしにくいので貼らないでください。」と言い、さっと鞄にしまった。貼らないと困りますと無理矢理貼る店員もいるけど、今日は私の勝ちだ。
こんなことを綴っていると、「がんこババァ」になりつつあるのかなと思うときもあるけれど、自分がそうしたくて私の方が筋が通っているならば、それも可かなと思うようになってきた。もう少し若い頃は、「物わかりの良い穏やかな大人」であろうとしたが、最近は何故かそうは思わなくなってきた。マニュアルに従い、自分で考えることをせずに毎日を生きながらえて行くことがまっとうな生き方だとされるならば、私は異端でいいのだ。
次は郵便局へ支払いをしに行く。その払い込み用紙は窓口でしかできないものなので、番号札を取る。なんと18人待ちだ。どよよんとした気分になるが、払わないわけには行かないのでじっと待つ。が、しかし、30分くらいでしびれが切れて、待つことをやめてしまった。10日までに払えばいいのであと1週間あるし。
家に帰ると、夕方の奥様番組が始まっていた。丸干しと鮭の切り身を焼き、ゴハンを暖め、ピーマンをさっときんぴらにして、遅すぎる昼食を取る。食事をして、コーヒーを飲んでいると、窓の外が夕焼けになってきて、ぐんぐん気温が下がってきた。
今日一日が何だか不毛だったような気がするが、しんと冷えてきたベランダで沈む夕日を眺めていると、ああ、師走ってこんな感じだったんだなぁと2年ぶりの年末をかみしめた。
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