日々是迷々之記
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2001年10月24日(水) パソコンを捨て町へ出よう

先週から格闘しているJavaScriptだが、にっちもさっちもどーにもならなくなってきた。ちっとも思い通りに動作してくれないので「がぁ〜!!」と叫んでどこかへ行ってしまいたい気分だ。傍らにある「Danny Goodman の JavaScript ハンドブック」全550ページ、4800円也の重たさが身にしみる。今日は朝イチのメールチェックだけして、外に出ることにした。

銀行の通帳セット、クリーニングに出すジャケット、デジカメを買い物袋に入れていざ出陣。平日の住宅街の昼下がりは平和そのものだ。犬もあくびをしていた。この町に暮らして3年。まだ通ったことのない道を歩く。思わぬ所に九官鳥が飼われていたり、大昔の黄ばんだアイドルのポスターが貼ってあったりしてなごむ。

クリーニング屋に立ち寄った。初めて利用する店なのだが、昔ながらのカーボンで複写する小さなオビのような受け取り票で、なんだか懐かしかった。そうだ、昔はバーコードなんかなかったんやからと、思いを巡らせ市場へ向かう。夕方のセールでおばちゃんたちは活気づいていた。大根50円。みかん1盛200円。実質一人暮らしなので買わずにおいた。鯛のあら、にんにくなどを勝って家路を急ぐ。長袖のタートルネックのシャツ一枚にGパンだと少し肌寒いのだ。

公園では子供たちが野球し、おじいさんたちが将棋をさし、ひもを外された犬たちがじゃれ合っている。向かいの駄菓子屋兼ゲーム屋では、子供たちがわーわーやっている。21世紀になってもこういう光景が残っていて、それに気づかなかった自分は何だかもったいないことをしていたような気がする。

ブロードバンドだの、JavaScriptだの、生死に関わらないことでうにゃうにゃと悩むくらいなら、たまにはパソコンを休ませて町に出ようと思った。歩いて行ける範囲にまだまだ気づいてないこと、見えていないことがたくさんある。


2001年10月23日(火) 小さな強い意志

目が覚めると、昨日とは大違いの青空が広がっていた。早速洗濯機を回し、掃除をする。喉のつまりが続くので今日は内科に行くことにした。いつも行くM病院だ。

胸に聴診器を当ててみるとさほど音はしないので、気管支炎というほどでもなく、風邪という診断だった。もらった薬は痰を出やすくする薬で非常に良く効いている。診察が300円、薬が600円、ならとても安い。

気分が良くなってきたのでちょっとお買い物に行く。お気に入りのショップで洋服を物色。たまたまちょうどいいサイズのものが安くなっていたので買う。手触りがいいから気に入ってしまった。

明るいうちにバスに乗り家に帰った。しかし、ココロ晴ればれでいることができたのはここまでだった。実家の母親が私と連絡を取りたがっているとの旨が妹から知らされた。私はいろいろあって、去年の春頃から関係を絶っている。妹もそのいきさつを知ってか、知らずか、「どうしよう?」と尋ねてくれている。適当にあしらってもらって、電話番号やメールアドレスは伝えないでおいてもらった。

しかし、数時間後、友人から同じような内容のメールをもらった。母親は、私の友人をひとりひとりあたっているらしい。理由は「夢で出てきて、心配だから。」私はその言葉を聞いて、本当にそう思っているとは素直に思えなかった。それほどに私の心の中の溝は深い。

その友人にも、妹と同じように告げた。電話番号やメールアドレスはくれぐれも伝えないようにと書き添えて。

私には母親の行動が読めない。今までも分からなかったし、これから先も分かることはないだろう。一年前には恐怖を感じ、第三者の相談機関に相談をしに行ったこともある。行動の差し止めなどは可能だが、民事の判決なので強制力はないとのこと。その時の失意は記憶に新しい。親子ならどれだけ傷つけてもいいのだ。

それから私は夜が怖くなってしまった。夜中に電話が鳴り、繰り言を言う。そして、出来もしない虚言を繰り返す。同意しない私を変わってしまったとなじる。そして誹謗中傷のメール攻撃。ダンナさんのアドレスにまで送りつける始末だった。結局私は家の電話番号を変え、携帯電話を解約し、プロバイダーを変えた。6ヶ月後の胃カメラ検診では丁度治癒したばかりの潰瘍が4つ見つかった。はっきりと原因が分かってはいないが。

そして、一年半経って、今また同じことが起きるのかもしれない。まだわからないけれど。しかし、ひとつ言えるのは、あのころより私は意志の力が強くなった。押しつけることで人を変えることは出来ないと悟っている。うわべの言葉で人の心を動かすことも出来ない。もう、涙を流すことはないだろう。

これから何か起こったら、この日記に綴っていこうと思う。今まで私を支えてくれた人たちが引いてしまうのではないかという危惧感はあるが、綴ることが私自身の癒しであることを分かってもらえれば嬉しいです。

#もしこの件がカタついたら、告白の手記でも書こうかなぁと思ったりもする。「プラトニック・○ックス」みたいに。誰か出版して下さい。(爆)


2001年10月22日(月) それでも生きて行く私

常々疑問に思っていたことを友人(だと思っている)に尋ねてみた。この世にインターネットというものが現れて、メールのやりとりがコミュニケーションに加わってから、「私」というものが違った印象を残しつつ一人歩きし始めたように感じていたのだ。

「なんかメールと印象が違う。」と言われてしまう。要は、メールだと理路整然として理論だっているが、実際は何を言ってるかわかんないに近いタイプのようだ。そのせいか、ダンナさんはメールで議論というか、怒りあい(変な言い方だが)することを嫌がっている。「つけいる隙のない文章。」だからだそうだ。

その人の答えは「ギャップがあるとは思いませんが、日記やメールだと実際のつきあいの中では見えない自分の世界の中で生きているように感じて、遠いような、でもすこし羨ましい感じがします。」とのことだった。

う〜ん、これはどういうことなんだろう?なにがしかの差というものがあるようだ。実生活の中の自分と、ネットの中での自分。どうして差が生まれ、どちらが本当の姿なんだろうか。まぁ、何もかも含めてそれが私というものだとは思うのだけれど。

不規則な生活と、喉のげほげほ感で頭がうまく回らない。寝ても醒めても降っている雨にもすこしうんざりしつつあり、何だかうまく考えがまとまらない。

明日はこんなことに思いを巡らせる気も起きないくらい運動しようと思う。その方が気持ちがいいから。


nao-zo |MAIL

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