群青

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090713
2009年07月13日(月)




 顔がある。大きな手で鷲掴みにされた顔が。その長い指が目といわず口といわず顔中の穴という穴を掻き乱す。顔から涎と涙が流れる。顔は嘔気を抑えることができない。一瞬の溜めがあってから、口中に吐瀉物があらわれる。吐瀉物は蛙の卵のように見える。よくよく見るとそれは人の眼球がぎっしりと詰まっているのだった。眼球は今にも口から溢れそうに見える。本来収まる場所にある一対の眼球も今にも飛び出しそうにせり出している。やがて表面張力を欠くと大粒の涙がこぼれるようにぼろぼろと落ちる。それはまるでパッキンの磨耗した蛇口から水滴が滴るようで、途切れることなく確実に失われ続ける。


 『この頃はいつも後頭部が開きっぱなしになっているような気分がして
 いて、その無防備なところを常に何かに追われているような恐怖を感じ
 ている。びくびくしている。朝、ハッとして目が覚めるくらいである』


 「あなたは自分を立て直すために私を利用した」あるいはそれは正しい。僕は彼女を通過することで世間に対する足がかりを得た。不誠実ではないが、決して誠実だとも言えない。自分の主張を控えることで、逆説的だが少しずつ自分を回復していった。これでもう大丈夫だと思えた頃にぽろりと本音を漏らすと、冒頭の言葉が返ってきた。それきりKは会うことを一切拒んだ。





 Tの自宅でAさん家族をもてなす。AさんはTと一緒になってからの僕が安定していると言う。Tの安定感が僕に伝播しているのだろう。離れて暮らせば、こんな安らかな日があることをきっと忘れてしまうだろうが、それでもこの安定感は波紋となって不定形の闇を震わせ続ける。この泣き笑いのような安らかな夜を溶かし込めば、僕も少しは穏やかになるだろうか。


 『女のまわりに浮かんでいる何かと何かが小さく衝突した加減によって
 、くじかれて、なぜかとんでもない不安のなかに放り出されたような気
 持ちになって、立ちつくしてしまうというようなことがある。しかしそ
 れはいつも、ほんの少しのことなのでそれがしゅっと渦を巻いて消えて
 しまうまで、だいじょうぶ、だいじょうぶ。目をつむったりひらいたり
 して息を整えたりして色々なものを逃がしてやる』


 『女は心臓がまたいやな感じに動き回るのを感じて、自分で選んでやっ
 てきたこの新宿がなにかよくわからない大きなものの角度に見えて、ど
 こに立ってよいのか見当もつかず、胸に立ちのぼってくる煙のようなお
 そろしさを止めることができなくなっていた』


 「あなたは独りです。それはとても辛いものですが、それでも良いのですか?」「別に構いません。僕はそれを理解するためにずっと独りでやってきたんですよ。そしてこれからも」


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PHP研究所で春日武彦、斎藤環、滝川一廣「人間学アカデミー
シンポジウム2009『精神科医が診る、現代日本のうつろな気分』」

渋谷クラブクアトロでイースタンユース
「極東最前線 ~俺達まだ旅の途中~」

早稲田松竹でベティナ・オベルリ「マルタのやさしい刺繍」
クレイグ・ギレスピー「ラースと、その彼女」
TOHOシネマズで庵野秀明「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」

近代科学資料館で
「統計計算の50年 ~統計計算・教育統計の歴史を振り返る~」
メゾンエルメスで「名和晃平『L_B_S』」


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恩田陸「チョコレートコスモス」
中村航「あなたがここにいて欲しい」
山崎ナオコーラ「論理と感性は相反しない」
向田邦子「思い出トランプ」
佐藤亜紀「ミノタウロス」
川上未映子「乳と卵」
村上春樹「ねじまき鳥クロニクル 第1部 泥棒かささぎ編」
「ねじまき鳥クロニクル 第2部 予言する鳥編」
「ねじまき鳥クロニクル 第3部 鳥刺し男編」

読了。



090608
2009年06月08日(月)




 施設の方の外出に付き添って行った先の大きな公園で、遠足に来た小学生の一群と鉢合わせになった。大の大人すら好奇の眼差しを向けずにおれない奇形を前に、小学生が反応を見せないはずはなく、行く先々で雷に打たれたように呆然と立ち尽くしていた。であれど、子供の好奇心は見上げたもので、遠巻きに眺めていた輪が徐々に狭まり、やがて一方的に質問を投げ掛けるまでになった。一旦越境する子供が現れると、堰を切ったようにあとからあとからやってくる。気付けば僕の隣りはもちろんのこと、肩や背中によじ上って会話を求める子供で溢れていた。引率の教師の恐縮そうな顔が見えた。





 『オリバーは父親の傷を癒している。この父親も、息子を遠ざけること
 で傷ついていたんだ。「オリバー、君がまだ生きているうちは、みんな
 のエサになるんだ」』

 『ネガとポジのあいだの闘いとバランス。物事には善悪があり、明暗も
 ある。だからこそ物は、その形と色を現すのである』





 ハートビートを送る。長いシャットアウトの期間を経て数年振りに連絡をした友人には子供があり、別の友人は長く付き合っていた女性と結婚をしていた。Hっちは「今日、電話がくると思ってたよ」と神懸かり的なことを言い、Hは「あの頃はお互い、もがいてたよねー」と出産を経た貫禄で言う。Oさんは、ようやく冬眠が終わったの?といった風情で呆れた様子だった。連絡がつかなかった友人達も皆元気にしていてくれると良い。

 花に水を遣るのが苦手で、しばしば枯らせてしまう。人間関係は砂上の楼閣のようなものだと思っている。いや、思っていたと言うべきか。別れたAがHと連絡を取り合っていると知って思わずくらくらしてしまった。けれどそれは、思うままにならないことをあらわすと同時に、地上で崩れたものが地下に流れてそれぞれ結びつき合っているのだということの象徴でもあった。皆どこかで誰かとつながっている。小さな流れが合わさって行き着く先はどこだろう。





 『リオは黙って父の手を握ると、病室の壁を吹き飛ばし、ベッド以外の
 全てを海に変えた。父は見渡す限りの水平線を眺めるとため息をつき、
 目を瞑ってから、もう一度周囲を確認した。「どうしてもっと早く言わ
 ないんだ」「どうしたらいい?」』





 起きがけにNさんの温かな感触を思い出した。スカイビルの屋上で大阪を見晴かした帰り、遅い遅いと思っていたらば、二人分の飲み物を手にNさんが現れた。そんな些細で突拍子もないことからふくふくと幸せな感情が思い起こされた。翻って、タクシーの運転手に告げた場所で降りるとそこは山の起点だった。この先に本当に目指す店があるのかといぶかしみながら僕とTは歩く。「今晩は一組だけなんですよ」と、客より多い従業員のおばちゃん方にもてなされる。愛想は良いが人間不信気味で人の話を聞いているように見えて聞いていない僕と、打ち解けるのに時間がかかるが好人物でちゃっかり者のTが囲炉裏を前に斜向かいに座っている。日が暮れて表の闇は益々色濃くなる。Tは、おばちゃんと漬け物のことをあれやこれや話している。酒が入ると外面を良くしておくのが面倒になるので、対外的なことはTに任せてしまう。浸けダレが赤く熱した炭に滴って香ばしく匂う。相槌を打つ変わりに僕はただ阿呆のように笑っていた。ずっと昔からこうしているような気がした。


 『タツ子はしまいまで、一言も口をきかなかった。口をきかないものに
 変化してしまったのかもしれない。それはきっと、とても柔らかなもの
 だ。苔とか、降り始めの淡雪とか、春昼のかすかな風とか』





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青山ブックセンターでレベッカ・ブラウン、柴田元幸「妄想の贈り物」

三鷹市芸術文化センターでサンプル「通過」

ギャラリー小柳で「内藤礼『カラー・ビギニング』」
「鈴木理策『WHITE』」
INAXギャラリーで「西澤諭志 展 -写真/絶景 そこにあるもの-」
ギャラリー戸村で「高松和樹 展 距離感主義」
ナディッフで「鷹野隆大<おれと>」
上野の森美術館で「ネオテニー・ジャパン-高橋コレクション」
アラタニウラノで「西野達『バレたらどうする』」
国立新美術館で「野村仁 変化する相-時・場・身体」
BLDギャラリーで「森山大道写真展『光と影』」
セルバンテス文化センターで「チェマ・マドス:詩意」


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橋口亮輔「無限の荒野で君と出会う日」
池澤夏樹「骨は珊瑚、眼は真珠」
ジム・トンプスン「残酷な夜」
吉田篤弘「つむじ風食堂の夜」
川上弘美「龍宮」
恒川光太郎「秋の牢獄」

読了。



090506
2009年05月06日(水)




 入店するとまず死角を探す。精神の不調に呼応するかのように悪癖が頻出する。誰にも見られることのないように。誰にも咎められることのないように。消耗して視線を跳ね返す力が残っていない。目を上げればそこに居心地の良い場所があるのに面を上げることができない。うつむいて奥歯を噛み締める。柔らかさが欲しいなあ。笑われても笑い返せる柔らかさが。





 ダブルベッドがあからさまだ、とTは不機嫌になる。不快をあらわにして悪びれないさまが羨ましく、疎ましくもあった。親しくなるほどに寄り添い近付くTと、距離を置いて本心を遠ざけようとする僕はまるで決して追いつくことのない持久走のようだ。それはTに限ったことではないと思い至る。近付き過ぎ、甘えやあけすけさが見え隠れすると興味の方向性を失ってしまう。そこに留まっていれば良いものを、なぜそれ以上近付こうとする?





 『幾重もの意識が、おれらの邪魔をしてるんだ。誰かが見たら、この抱
 擁を、果てしなく無様なものだと思うのに違いない。だって、そう感じ
 るだろう?噴き出すような類の光景。目を閉じて、意識を閉じて、下界
 へ向かって唾を吐き捨てるなんてことをせず、ただ、こうしていたいけ
 れど、どうしてもそれは叶わないんだ』





 中州の屋台で斜向かいに座った連れ合いと親しくなる。ギアの変速操作がまだぎこちなく、ためつすがめつしながら調子を合わせる。運転する主体と、助手席で操作と景観を眺める客体が本当の意味で和解することは決してない。旅の最中であるという解放感と、酩酊が、どうにか運転席と助手席の仲立ちをする。





 よく、人見知りをしないねと言われるが(この歳で人見知りもないものだが)、それは隠し、遠ざけようとする力の表れに過ぎない。時折、自分の言葉は壁のようだと感じる。互いのアウトラインに沿ってせっせと積み上げられてゆく壁。親しくなれそうだなと思って近寄るとコチンとぶつかる壁。安全だがそこは冷えきっている。隙間風を防ごうと、益々緻密に壁を作り、保温しようと上着を何枚も羽織る。着膨れして肥大した自意識は、もう軽やかに壁を越えられない。


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テアトルタイムズスクエアで京田知己「交響詩篇エウレカセブン」
TOHOシネマズでダニー・ボイル「スラムドッグ$ミリオネア」

無人島プロダクションで「朝海陽子 個展『22932』」


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小村小芥子「うさぎのダンス」
三島由紀夫「暁の寺 -豊饒の海・第三巻-」

読了。





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