桜は不穏だ。満開ともなると、なおさら剣呑でいけない。冬のあいだ固く閉じていた心が唐突に引っくり返されるようで、そわそわと落ち着かない。安定しない気温も精神の乱降下を助長するようで、浮ついて乱れる心を引き留めるのに苦労する。そんな労苦を嘲笑うかのごとく、とめどもなく花が咲く。あの軽佻浮薄な色が疎ましい。 年を経るにつれて相対的に特異な点が益々特化するのだそうだ。気持ちが人の内側に向かない。「今はきっとそういう時期なんだよ」と言ってSさんは慰める。しばしば顔を合わせているのは、TとSさん、Aさん夫婦ぐらいだろうか。生来の人払いの亢進を強く感じる。それが今日、僕の上を通り過ぎただけの相手だとしても、ことが済めばもう会話は要らないのに、打ち解けるための取っ掛かりを探しているのが気配で知れるとひどく苛々する。 『ホテルにもどったら風呂に入ろうと私は考えた。風呂から出ないまま ワインを飲もう。それから寝床に移って今日は一日中ずっとうつらうつ らして過ごそう。夜になっても部屋から出ず仕事の連絡は電話とメール だけにして夕食はルーム・サービスで済ませて。そう思ったときになっ て初めて私は自分がどのくらい疲れているか知った。この数日間の疲れ だ。それが雪のように音もなく降って私の心の底に積もっている。私は 冷えきっている』 『私は、誰とも喧嘩をしていないのに、誰かと和解することをいつも空 想していた。現実に誰かと誰かが和解したり、誤解を解消させたりする のを見ると、スーと涙が出てくる。どういうわけか、偶会した人物の自 尊心を満足させることを次から次へとしてみせて、その人物の機嫌がよ くなるのを眺めていたりしたものだ』 『私は木だ。林の中の一本の木。一本の木には何枚の葉があるかと私に 問うたのは誰だっただろう。木である私はずっと昔の記憶しか持たず、 ただそこに立って夏の美しい光と冬の弱い光を浴び、雨と雪と風を享 け、一日単位の深呼吸をしている。木々は並び立っていつまでも生き、 しかも言葉を必要としないと私は考えた』 『着氷で奇妙な造形になったジャングルジムの脇を歩きながら、コース の上端でこちらに向かって手を振っている子供に男は手を振り返した。 一回滑ってそこに立つたびに子供は公園中を目で探して親に手を振っ た』 ----------------------------------------------------------- 三人灯でひょうたんライブ 下高井戸シネマで滝田洋二郎「おくりびと」 シネカノンでガス・ヴァン・サント「ミルク」 早稲田松竹で「マラノーチェ」 「パラノイドパーク」 ヤン・シュヴァンクマイエル「アリス」 「シュヴァンクマイエル短編集 対話の可能性」 メゾンエルメスで 「ジャネット・カーディフ&ジョージ・ビュレス・ミラー 展」 アップフィールドギャラリーで「遠藤貴也 ヒステリア・シベリアカ」 国立国際美術館で「杉本博司 歴史の歴史」 ギャラリー・間で「20 クライン ダイサム アーキテクツの建築」 資生堂ギャラリー「椿会展2009 Trans-Figurative」 INAXギャラリーで「チェコのキュビズム建築とデザイン 1911-1925 -ホホル、ゴチャール、ヤナーク-」 「日野田崇 展 -アレゴリーの暴発-」 森美術館で「万華鏡の視覚 :ティッセン・ボルネミッサ現代美術財団コレクションより」 伊東豊雄【ぐりんぐりん】 ----------------------------------------------------------- 酒井順子「都と京」 色川武大「怪しい来客簿」 関川夏央「水の中の八月」 織田みずほ「スチール」 英田大輔「ハルジオン」 池澤夏樹「きみのためのバラ」 読了。
一晩に三度の悪夢を見る。目覚めてまた一眠りすると、待ってましたとばかりに次の悪夢がやってくる。なじり、なじられ、殴り、撃たれ、喚き、笑われ、脅し、脅され、追い詰め、揺すられる。夢の中で、僕は常に怒りをあらわにしている。誰かを非難している。そうして完膚なきまでに相手を叩きのめすと、決まって手痛いしっぺ返しを食う。そんな際限のない応酬の中で怒りは増幅され、器から溢れた水が辺りを濡らすように、胸の内で徐々に不穏が広がって行く。現実が夢を見させるのか、夢が現実を浸食するのか(あるいはその両方)判然としない。実生活で声を荒げて面罵する場面が増え、それを常態としておかしいと感じないバイアスが存在している。であるので、僕は以前よりも容易く怒声を発することができる。併せて、権利を主張することができる。けれど、僕はその時の自分の顔を決して見ようとはしない。見たくない。 お前は誰だ。 『でも僕が本当に怖いと思うのは、青木のような人間の言いぶんを無批 判に受け入れて、そのまま信じてしまう連中です。自分では何も生み出 さず、何も理解していないくせに、口当たりの良い、受け入れやすい他 人の意見に踊らされて集団で行動する連中です。彼らは自分が何か間違 ったことをしているんじゃないかなんて、これっぽっちも、ちらっとで も考えたりはしないんです。自分が誰かを無意味に、決定的に傷つけて いるかもしれないなんていうことに思い当たりもしないような連中です 、彼らはそういう自分たちの行動がどんな結果をもたらそうと、何の責 任も取りやしないんです。本当に怖いのはそういう連中です。そして僕 が真夜中に夢をみるのもそういう連中の姿なんです。夢の中には沈黙し かないんです。そして夢の中に出てくる人々は顔というものを持たない んです。沈黙が冷たい水みたいになにもかもにどんどんしみこんでいく んです。そして沈黙の中でなにもかもがどろどろに溶けていくんです。 そしてそんな中で僕が溶けていきながらどれだけ叫んでも、誰も聞いて はくれないんです』 『俺にはわかっちゃうんだよ、リュウちゃんのしてること。リュウちゃ ん、自分みたいな人間がもっと増えて普通になって、あたりまえの人間 として社会に存在できればいいと思ってるわけでしょ。でも、本人も気 づいてないかもしれないけど、その裏には、自分みたいじゃない人間は 減ればいいっていう呪いを感じるよ。じゃなきゃ、リュウちゃんみたい な考えの人が、女のカスミさんにあんな頼み事をするはずないじゃない か。産む人間とかそれを当然と思ってる人間への復讐だよ、あれは。そ ういう現実を根こそぎ否定してる』 バスは河原町通を北上している。「代理母が許されるなら2人の子を産みたい」昼に別れたばかりのAさんからメールが届く。目が霞んで、僕はその先をまともに読むことができず、めくらめっぽうにTへ携帯を放り投げた。雨が静かに降っている。痛みや怒りや怯えに由来する騒音が止み、随分久しい平穏が胸に滲みた。窓を滴る雫がレンズの役目を果たし、街の灯を実物以上に明るく見せる。ガラスを通した街の灯にぬくもりは感じないが、その冷えたあたたかさが心地良かった。バスは京都の街を駆け上がる。昼に見た桜の枝には膨らんだ蕾がなっていた。この半分眠ったままの日々が過ぎれば、やがて花開き春がやってくるのだろう。そうなれば、もうきっと、大丈夫になるだろう。 ----------------------------------------------------------- 立命館大学衣笠キャンパスで「言語に関する間文化現象学」 ジュンク堂池袋本店で伊藤比呂美トークセッション ツァイト・フォト・サロンで「マイケル・ケンナ展 『Mont St Michel モン・サン・ミッシェル』」 ニュートロン東京で「大和由佳 展『存在の満ち欠け』」 国立新美術館で「アーティスト・ファイル2009 -現代の作家たち」 ギャラリー・アートアンリミテッドで「齋藤芽生 遊隠地/百花一言絶句」 ラットホール・ギャラリーで「ロー・アスリッジ Goodnight Flowers」 塚本靖、高橋貞太郎【旧前田公爵邸】 岡田信一郎【明治生命館】 アントニン・レーモンド【カトリック目黒教会】 ----------------------------------------------------------- 絲山秋子「沖で待つ」 三田誠広「僕って何」 向田邦子「夜中の薔薇」 村上春樹「レキシントンの幽霊」 星野智幸「われら猫の子」 読了。
痛みだけの世界。僕はストレッチャーの上でのたうちまわっている。理不尽なまでに暴力的な痛みは、人の人たる尊厳をもぎ取る。獣のような雄叫びを押し留めることができない。誰もこの痛みは理解できない。泣き叫んだところで痛みは直ぐに癒えない。自己の同一性を保持することができない。平時の、体裁をひどく気にする自分と、恥も外聞もなく泣いて懇願している自分とがうまく共存できない。これは今まで慣れ親しんできた孤独と決定的に違う。居ながらにして、驚異的な早さで別所に押し流されて行く感覚は、かつて経験したことのないものだ。流れて行く先の深さと冷たさに愕然とした。 夢の中で収まっていれば良いものを。自分の身を守るのに必死で、締め上げた首がTのものだと知ったのは眠りが中断されてからだった。Tはそれを覚えていないと言う。ありったけの痛み止めを懐に押し入れて、這々の体でやっと辿り着いたというのに、僕のやったことと言えば親しい者に歯を突き立てることだけだった。
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