群青

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0814
2008年10月15日(水)




 憎悪期。それは本来、症状の悪化を意味するのだろうに、文字通り憎しみで満ち満ちて押し止める術を知らない。こういったときにこそ寛ぎを作り出すことのできない性分がことさら悔やまれる。


 『空は暗いが、星が一つ二つ見えるくらいには雲も切れている。レック
 スの明かりは消えていて、通りに人けはない。ジーンはものすごくゆっ
 くり、慎重に運転する。標識や信号に来るたびにきちんと停まって、交
 差点でも一時停止する。道路にはほかに一台も走っていないのに。きっ
 とジーンは、何もかもものすごくきちんとやれば、事態がばらばらにな
 らずに済むかもしれないと念じているのだろう』








 「分からない」「どうしたらいい?」口癖のようにそう繰り返すWの空虚がそのまま染み込んだかのように、頓服を飲用した途端ぽっかりと大穴が空いてしまった。覗き込んだその瞳でいつしか僕も周囲を眺めていた。

 明晰さが失われ、素面で酔うことにより得られる多幸感は緩慢に情緒を蝕む。憎悪と多幸感の振幅が本来の姿を霞ませてしまう。ようやく季節の移り変わりを肌で感じ、自然とのつながりを回復したところで、僕は僕の立ち位置を見付けられず、身の置き所がない。見出すが、見出されることはない。融け込むことを拒むかのように、また痙攣に似たひきつけが起こる。









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シネマライズで
ミシェル・ゴンドリー、レオス・カラックス、ポン・ジュノ「TOKYO!」
早稲田松竹でウェス・アンダーソン「ダージリン急行」

東京オペラシティアートギャラリーで
「トレース・エレメンツ - 日豪の写真メディアにおける精神と記憶」
東京都庭園美術館で「アール・デコの館 - 庭園美術館建物公開」
原美術館で「米田知子展 - 終わりは始まり」
ギンザ・グラフィック・ギャラリーで「『白』原研哉展」
Bunkamuraザ・ミュージアムで「ジョン・エヴァレット・ミレイ展」









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バリー・ユアグロー「セックスの哀しみ」
レベッカ・ブラウン「私たちがやったこと」

読了。












0813
2008年09月30日(火)




 自然から切り離されて芯の定まらないまま漂泊を続けている。夜から夜へ、寝床から寝床へ。淫蕩と放埒の果てに迎える朝は胸苦しく、気管に綿が詰まったような息切れが一層心と身体を重くする。朝が清々しいものだと最後に感じた日を思い出せない。狂騒と停滞の振幅が大きいほど哀しみも深く、激情に突き動かされて身の危うさを感じるが早いか、感情の空白地帯に右も左も分からぬまま取り残される。

 どうすれば満足する?二十歳の軽蔑が今となっては心地良く、明確な信念に貫かれた怒りにはある種の憧憬の念すら覚える。不意に彼の横顔にHっちやKちゃんの面影を見出し、踏み越えて行った人らを今改めて犯しているような気になるが、このもつれ合い絡み合った激情は痛痒すら感じることなく、淡々と処理を進めて絶頂に行き着くまでその手を緩めることがない。





 「もうやめた方が良いよ」シーツの赤い染みが目に入り、ようやく少し救われたような気がした。ひどい有り様に自分を追いやることで救済を得ようとするなんて甘えにもほどがあるが、酒に溺れて紛らわすよりかはきっとましに違いないと言い聞かせ、湿っぽくなるのをしばらくの間許した。

 ちっとも内容が頭に入らないものの活字で目を覆い、まったく心に届かないものの音楽で耳を塞ぎ、それほどまでに鉄壁に防御して守りたいものとは一体なんなのだろう。Tを訪問したついでに乗る関西の列車の牧歌的な雰囲気は、一触即発の気を身にまとって乗り込む都心の風情とあまりにかけ離れていた。そればかりか、抜き身の刃をぎらつかせているのがひどく無粋に思われ、張り詰めているものの内容の乏しさに拍子抜けし弛緩するに任せるのだった。

 空気の読めない(KY)人間を厭い、如才なさを強要する風潮が苦手なのだけれど、精神の寛ぎが自然に伝播する場合において僕はこれを容認する。同時に、拡大する一方の孤独を優しく押し止め、自然とのつながりを回復しようとする試みに淡い希望を抱きもしている。





 「塩辛かったですか?」と、申し訳なさそうに女性(夫が厨房で立ち働き、夫婦で営んでいるのだろう)に尋ねられ、そんな顔をして食べていたのかと得心した。最近、なにを食べてもちっとも美味しいと思えない。そのたびに、顔の見えない相手の作ったものを受け付けなくなった時期が頭をよぎり、一瞬ひやりとするのだけれど、それを打ち消すようにTの言葉が降りおりてくる。「不味いと思って食べたら、食べられるもんに失礼やで」そうして、渋々ながら少し食事をしてみようかという気持ちになる。

 Tを蔑ろにする貪欲で底の見えない行為と、唯一無二に愛しく想う気持ちが、だまし絵のように一面に共存している。手綱を握っていてはくれないだろうか。つながりを保つことは難しい。僕はきっと自分を押さえつけられない。


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シネマメディアージュで中島哲也「パコと魔法の絵本」
早稲田松竹で
ポール・トーマス・アンダーソン「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」
ジョエル・コーエン、イーサン・コーエン「ノーカントリー」

神奈川県立近代美術館 葉山で「生誕100年記念 秋野不矩展」
INAXギャラリーで「クモの網 -What a Wonderful Web!-」

手塚貴晴、手塚由比【ふじようちえん】


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荻原規子「西の善き魔女1 セラフィールドの少女」
「西の善き魔女2 秘密の花園」
「西の善き魔女3 薔薇の名前」
「西の善き魔女4 世界のかなたの森」
「西の善き魔女5 銀の鳥プラチナの鳥」
「西の善き魔女6 闇の左手」
「西の善き魔女7 金の糸紡げば」
「西の善き魔女8 真昼の星迷走」
ダン・ローズ「コンスエラ 七つの愛の狂気」

読了。



0812
2008年09月01日(月)




 クローゼットから取り出したダウンジャケットは、まるで別の人間が着ていたもののようで、これを羽織り街中を歩いていた季節を上手く思い出すことができない。今年も単独で富士山に臨んだ。去年、熾烈な風雨で登頂を断念した折、来年こそはと心に誓っていた。今回は須走口から登り、三時間後に頂上に立っていた。さらに一時間かけて火口の周囲を回る。風がやむとそこは驚くほどに静かで、強い太陽の光が岩と砂の山肌を蹂躙していた。もう何年前になるのか定かですらないが、登山家のWさんと話をした。滑落する仲間を目の当たりにした当時のWさんの気持ちはどれほどのものだったろうか。孤独を気取ったところで、僕は彼の絶望に届かない。静けさに倦んで、イヤホンを押しあてるとシャッフルされた楽曲の中からシガー・ロスが流れ出した。目をつむると音楽に吹き流されるような心持ちがした。

 遠雷を眺めている。稲光が毛細血管のように浮き上がるたび、まるで世界に亀裂が走るようで、その静かな狂騒が僕を捉えた。Mさんは食べることを拒否してこの世から去った。Pさんはいまだに目覚めない。メンテナンスに行ったきり、帰って来なくなってしまった。「(自意識過剰という名の)仲間だ」と言われたことが思い出される。僕はこれからも仲間であり続けますよ。きっと。


 『水風呂にみずみちたれば……。僕らもそういう頃があったんだよな。
 浴槽の、縁近くまで張ってある冷たい水に手を差し入れるだろう。そう
 するとその張りつめた水の質感は、何というか、指をはじくだろう。抵
 抗感があるだろう。そういう抵抗をなだめすかすようにして、その張り
 つめた「物質」の中に、少しずつ少しずつ躯を沈めてゆく。とうとう全
 身が水の中にとっぷりと浸りこむ。縮み上がるほど冷たいんだけど、そ
 のままじっと我慢しているうちに、躯がだんだん水に馴染んでくる。ち
 ょうど今日みたいな生暖かい風が吹きつけてきてさ。下半身を掠め取ら
 れるような不安な気持ち……。でも、どこかその不安の感覚そのものを
 愉しんでいるような、へんな心地良さ……』





 サプライズバースデー。温かい光に照らされて、大好きな人達の輪郭が浮かび上がる。祝いの対象が誰なのか悟るまでに間があったのは僕が臆病だからか。いつもの斜視も影を潜めて、ただただ唖然呆然とするしかなかった。人の優しさはまだ少し怖い。頃合いを見計らって表に出ると丁度良い塩梅に大文字と舟形の送り火が見られた。花火に接したときの浮き足立った感じとは違う、静かに心がさざめき立つ感覚を不思議に思った。他の建物にも同様な人の群れが見え、その眼差しは一様に優しくて、人と人の間を優しさが伝播する様子を目の当たりにしたかのように思えた。きっと、見つめている間だけは、生死の別なく今この時を共有できているのだろう。部屋に戻ってUちゃんと遊ぶ。以前、人の顔を見るなり泣き出して、手のつけようのなかったUちゃんが別人のように穏やかだった。そればかりか、言語化以前の音声をためつすがめつしている様子は微笑ましく、その愛らしさが一層目尻を下げさせた。

 翌日、エレファントファクトリーコーヒーへ行く。クンパルシータからそれほど離れていないところにゆっくりと腰を落ち着けられる場所が見付かったのは、まるで帳尻合わせのようで、なるほど物事はそんなふうにできているのかと思った。


 『それでは今こうして故郷に戻り、この国で何百年も前から街の片隅に
 生きる細君が慈しんできたようなささやかな庭に向かい合い、雑木が無
 造作に植わっている傍らに小さな池が切られ、その淀んだ水面には朽ち
 葉が浮かび、それを囲むようにして大小の石が雑然と転がっているさま
 に目を遊ばせ、草むらからリリリ、リリリと聞こえてくる秋の虫の音色
 に耳を澄ましているとなぜか心が安らいでくるというのは、これはつま
 りある種の敗北なのだろうか。しかしたとえ敗北だとしてもこれはその
 せいで歯ぎしりするような思いに駆られるということはない種類の敗北
 なのだと有紀子は思った』





 「Nさん」呼び掛ける声は風にかき消される。別れたくないばかりに、時間を引き延ばして彼をつなぎ止めようとしていた。そうして結局切り出すタイミングを彼に委ねてしまった。「必死すぎたんだよ」そうだね、確かにそんなときもあった。Nさん、僕は


 『さよならだけが
  人生ならば
  また来る春は何だろう
  はるかなはるかな地の果てに
  咲いている野の百合何だろう

  さよならだけが
  人生ならば
  めぐりあう日は何だろう
  やさしいやさしい夕焼けと
  ふたりの愛はなんだろう

  さよならだけが
  人生ならば
  建てたわが家は何だろう
  さみしいさみしい平原に
  ともす灯りは何だろう

  さよならだけが
  人生ならば
  人生なんか いりません』


 『僕らは離ればなれ たまに会っても話題がない
  いっしょにいたいけれど とにかく時間がたりない
  人がいないとこに行こう 休みがとれたら
  いつの間にか僕らも 若いつもりが年をとった
  暗い話にばかり やたらくわしくなったもんだ
  それぞれ二人忙しく汗かいて

  すばらしい日々だ 力あふれ すべてを捨てて僕は生きてる
  君は僕を忘れるから その頃にはすぐに君に会いに行ける

  なつかしい歌も笑い顔も すべてを捨てて僕は生きてる
  それでも君を思い出せば そんな時は何もせずに眠る眠る
  朝も夜も歌いながら 時々はぼんやり考える
  君は僕を忘れるから そうすればもうすぐに君に会いに行ける 』





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早稲田松竹で
フランシス・フォード・コッポラ「地獄の黙示録 特別完全版」
TOHOシネマズで
デイブ・フィローニ「スター・ウォーズ/クローン・ウォーズ」

山田かまち美術館で「『これが、かまちだ!』山田かまち代表作品展」
川村記念美術館で「コレクション展示 川村記念美術館
『絵画の森』レンブラント、印象派、現代の巨匠たち」
伊勢丹府中店で「人間国宝 三代 徳田八十吉展」

フランク・ロイド・ライト【ヨドコウ迎賓館】
野口孫市、日高胖【中之島図書館】
重森三玲【重森三玲庭園美術館】
アントニン・レーモンド【群馬音楽センター】
隈研吾【高崎駐車場】





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松浦寿輝「もののたはむれ」
松浦理英子「葬儀の日」
東野圭吾「容疑者Xの献身」
古川日出男「ベルカ、吠えないのか?」
トマス・ピンチョン「ヴァインランド」

読了。







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