夕暮塔...夕暮

 

 

千尋の - 2003年08月23日(土)

わたの原 千尋のその先旅寝した道に今も尚月は登るか



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葉先 - 2003年08月22日(金)

やわらかな葉先に触れれば虫の音が響いてる きみよ 幸せになれ



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約束をしてほしい君も私にも馴染みなき街で暮らしゆくこと




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ポケットに - 2003年08月21日(木)

あなたへと 声だけつながるおもちゃなら ポケットにそっと隠してるけど



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横浜へ - 2003年08月17日(日)

小雨のちらつく横浜、桜木町からバスで中華街へ向かう途中、レトロで重厚な雰囲気の建物をいくつも窓から見上げる。「あれは銀行、あれは…」と友人が説明するのに感心して頷いているうちにゆっくりとバスは進む。典雅なイオニア式の柱、自分の家にしたいとは思わないけれど、ああいうのをギリシャで沢山見たなあとぼんやり思い出してうっとりと幸せな気持ちになる。ギリシャの建物がわたしを強烈に惹きつけるのは、あの果てしない神話と哲人の世界に限りなく近づけるような気持ちになるからかもしれない。あの土地に自分の足で立ったことを考えながら、一体どこまで信じていいのだろうと思ってしまう、史実のうちの何が事実かを確かめることはきっととても難しい、それに、すべてが事実なら満足というわけでもない。


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買い物はしないつもりでいたのに、意外な所で好みのカトラリーを見つけてしまった。持ち手のあたりがやや厚くてややきつめの曲線で反っているデザートフォーク、それと対のスプーン。ずっと探していた理想の大きさに近いし、何より使いやすそう。デザートフォークをスプーンを3本ずつ買うことにする。
本当はナイフまで一式そろえたいところだけれど、これ以上食器類を増やしてどうするのだという超自我の叱咤を大人しく受けておこう。とりあえず、今日のところは。


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お盆 - 2003年08月13日(水)

夕食と入浴を済ませて墓参した後、母の実家の座敷へと落ち着いた。生まれてこのかた変わらないコース。小さな神社に隣接する木造の家は昭和の雰囲気そのもので、開け放した戸口と玄関から清涼な風と蝉の音がいっぱいに入ってくる。こんなにあちこち開け放して暮らせるなんていいなあとぼんやり思う、うちもそうだけれど、この家は玄関でさえ日中は施錠しないのだ。

皆でビールのグラスを持って、今年もお盆が来たわねえ、と叔母が長閑に言ったところに、叔父は「こんな日に葬式を出すところがあるんだもんなあ……」と切なげに呟いた。日曜に隣の地区で、高校に入ったばかりの少年が亡くなった。突然死だったらしい、幼い頃心臓が悪くて手術した事があったけれど、その後の経過は良好で、中学時代3年間柔道を続け、亡くなった時もその稽古途中だった。取り分けなにか大変な技があったわけでもない、よくある練習の中で、ふと蹲ったかと思うとそのまま心臓が止まったという。もとより心臓が丈夫でなかったことが急逝と無関係とは思えない、だけど本人も家族も今更の再発を考えたりしない時期に来ていた。
「幼げな子だったらしいね。なんにせよ、本当に親は“可愛い可愛い”で大事に育ててきた子で…もう食事も出来ずに呆然と泣いてるらしい。周りのひとは、かける言葉も見当たらんって」




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穂波 - 2003年08月12日(火)

耳揺らし 草に頬擦りするきみを 連れてのどやかに穂波暮れゆく


きみと穂の波をくぐれば日は暮れて 横たわる竜の影見はるかす



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日暮れ時、老いたビーグル犬と散歩に出た。家の裏手に出てあぜ道をえんえんと進めば、半径1km位には誰も人がいなくなる。水田地帯を流れる川は昨日の雨で水を増して、静かにゆるやかに、輝く夕空を映す鏡になっている。隣町の山頂から流れた雲が低くうねって横たわるのが、遠くから見ると竜のようで、大切にしている『りゅうのめのなみだ』という絵本を思い出した。



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静謐と - 2003年08月11日(月)

静謐と名付けられにし夏夜には 草の葉擦れと虫の声して



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幽霊と友達に - 2003年08月10日(日)

「長く生きたから、怖いものは何も無くなった。もう、幽霊とだって友達になりたい」 と少し変わり者の祖父が笑う。今月はまたモンゴルへ出かけて写真を撮ってくるという。何となくこの興味屋さんは外国で死ぬつもりではないかという気がして、このごろは私もそれを考えると呆れたような楽しいような気分になってしまう。そういう目的で発つわけではなくてもとりあえず覚悟はあるらしい事をしょっちゅう匂わせて、「山や外国で何かあっても、俺には捜索とか出さなくていい。そこでそうやって死ぬからいいて」 などとからから笑い、それが真剣に言っているのだとわかるようなニュアンスなので、働き者の賢い祖母をキレさせる。「そういうわけにはいかないでしょ!!」 という言葉でさえ壁紙にでも聞かせているかのような態度で流す。「それで本望なのになあー……」
掴まって殺されても? と私が尋ねて、「ああそんなの、全然構わないよ」とあっさり返答された時にはちょっと閉口した。
私はこの極楽とんぼで穏やかな祖父を心から敬愛しているし、いなくなったらどうしようと思って本気で泣いた事もあるけれど、結局はこういう、常識の枠からややはみ出していて背中に羽の生えたような人には、本人の望むようにしてもらうしかないのだとようやく思うようになってきた。もしも祖父がどこかの山や遠い国で亡くなったら、きっと多くの人が泣きながら、まったくしょうのない人だった、と笑うだろう。


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帰省 - 2003年08月09日(土)

今日からしばしの実家生活。稲の穂先がぐんと伸びて、風が来ると一面に輝きながらそよぐ。見渡す限りとはいかないまでも視界300度くらいはそういう景色、ああ空が広い。


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紺夜 - 2003年08月08日(金)

この円き湯船に浮かんだ星ひとつ ともにして紺夜航海に出ん




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