◆◇◆きのうのひとり言◆◇◆
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それから、私の手違いでこの日記は「成人向け」というカテゴリーに登録されてしまいました。
つまり、その手の内容はほとんどありません (^^;) 期待された方ごめなさいm(_ _)m
でも、基本的に大人の方を相手に話をしたいので、あえてそのままにしてあります。
…っていうか、いくら登録しなおしても直んないのであきらめました(^^;)


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2005年12月30日(金) 長年の夢

長年の夢が叶いそうです

その夢はね

元日に着物を着て
天皇杯の決勝を観に行くこと

もちろん
レッズが出なくちゃ
意味がありません

この為に
決勝のチケットを無駄にした事
過去二回
(準決勝の前にチケットを買うから
負けちゃうとそのまま無駄に・・・)

そして今年
三度目の正直で
決勝に進出したのに
昨日の時点で
元日の天気の予報は
雨か雪
(T_T)

でもね
きょうになったら
曇りに変わったんですよ♪
これで迷いもなくなって
美容院に着付けの
予約の電話!

これがね
最近の美容院って
元日はやってないんですねぇ
知りませんでした
一旦は諦めました
(´-ω-`) ショボ〜ン


ところが間もなく
電話が鳴って
出てみると
先ほどの美容師さん

「元日の着付けやりますよ。
主人がね、長年の夢なら
やってあげたらって言うの(笑)」

!!!!

実はこの美容師さんのご主人
スポーツ少年団のサッカーの
コーチの一人なんですよ
やっぱりサッカーをやる人なら
解るんですねぇ
元日にサッカーをやる意味


NHKの中継で
真っ赤な道行コートを着て
不釣合いにレッズのマフラーをした
着物姿のおばさんが映ったら
私かもしれません
(笑)



(8:25pm)


2005年12月09日(金) 母校

またまたお久しぶりです

きょう
所用があって
母校に行ってきました
卒業以来とはいいませんが
最後に訪れてから
確実に10年以上経つでしょう

電車を降りて
ホームに降りると
どこにでもあるような
ホームだけど
幅の狭いそのホームは
確かに記憶のとおりでした
でも
毎朝毎夕
駅員さんに挨拶をしていた
改札は
無味乾燥な自動改札に
変わってしまっていました

近道の狭い路地に入ると
雨の日は泥はねを気にして
歩いた地面は
きれいに舗装されていて
すれ違う後輩達の制服は
昔のままだけど
スカートの丈は
私達の頃より
10cm以上短くて
靴下は紺色でした

私の入学当時
生徒会の人が
前年度の活動で
真っ白のソックスしか
許可されていなかった校則を
ワンポイントを許可するように
変えたと
自慢げに話していたのを
思い出しました

門を入って
管理棟を右に曲がると
校舎に囲まれた
中庭のようになっている
通路の脇の植え込みに
『乙女の像』が立っています
私の記憶では
緑青(ろくしょう)に覆われた
そのブロンズ像は
綺麗な緑色に光っていましたが
きょう見たそれは
半分以上黒く汚れていました

18歳の春
この『乙女の像』の前を
旅立った
昔の乙女も
汚れちゃっているのかな

でもね

あの頃と同じように
不安と希望を胸に
新しい春に思いを馳せる
私もいるんですよ


卒業して20年余りの月日は
当然のように
いろいろな物を変えていくけれど
変わらないものも
あるんですよね




『乙女の像』で検索をかけてみたら
十和田湖畔にある
高村光太郎の『乙女の像』が
出てくるんですね
私の母校の『乙女の像』は
これとは全く関係ありませんから
あしからず
でも
今頃になって気が付きました

母校の『乙女の像』について
作者だの建立の経緯だの
何も知らないって事
(^^;)


2005年10月23日(日) もうすぐ中学生

「ママ、管制塔って英語で?」

てっちゃんが
こんなふうに訊ねてくるのは
日常茶飯
たいていは
てっちゃん自身
答えが判っている単語なので
私の方から聞き返して
てっちゃんに答えを
言わせるのだけど
さすがに
“管制塔”という単語は
知らないかもしれないと
思って
「Control tower かなぁ」と
答えてみた

「違うよママ
Control island だよ」



てっちゃん
“塔”の字を“島”と勘違い
してたのね

こんなてっちゃんが
可愛くてしかたがない

ずっとこのままでいて欲しい

って思うのだけど
もうすぐ
その可愛らしい声は
低くなってしまったり
ヒゲが生えたり
しちゃうんだろうね

そして
来年はもう中学生

小学校は
なんとか普通学級にいられたけど
中学生になったら無理そう
通い級で
英語の時間だけでも
普通学級に入れてもらえると
いいね

ほんと言うとね
ママは
この節目にあたって
不安がいっぱい

てっちゃんが
無邪気に
中学生になるのを
楽しみにしている様子が
救いだわ


2005年09月01日(木) 今年の夏

大変ご無沙汰しておりました
9月に入り
陽が傾くとすっかり
秋の気配でございますね

夏生まれの私は
夏が大好きなので
ちょっとばかし寂しい気もします

7月に義母が亡くなり
今年の夏休みは
家族旅行も諦め
バタバタと過ごしているうちに
また一つ
歳をとっちまいました

喪中と言うことで
家族にもスルーされ
寂しいお誕生日でしたよ
(泣)


いい歳して
お誕生日なんて
忘れたい物の一つと
思うかもしれませんが
一介の主婦にとっては
年に一度
この日だけですからね
主役になれるのは
(笑)


そんなわけで
家族旅行もない
お誕生会もない
夏だったせいか
なんとなく
今年の夏は特に
戦争への想いを
深くしたような気がします

戦争関連の
TV番組を見るたび
気が滅入って
しかたがありませんでした

見なきゃいいのにね
でも
こういう痛みを感じる事が
少しでも
犠牲者への慰めになるのなら
と思ったりするんです

とうとう
空襲から逃げまどう夢を
みましたよ
たぶん
生まれて始めて感じた
感覚を味わいました
理不尽に命の危機に
さらされる感覚
っていうんでしょうか
現実にはそんな体験
した事ないですからね
どれ程リアルなものだったか
なんて
わからないけど
一生わからないままで
いたいですよ
そして
子供にも
味あわせたくないな




2005年07月17日(日) お見舞い

三月に交通事故にあって
一命をとりとめた
昔の芝居仲間のお見舞いに
行ってきた

もっと早く行きたかったのだけど
最初の頃は
面会できる状態ではなかったし
なんだかんだで
遅くなってしまった

第一報は意識不明で
かなり危ない状態だと言うもので
意識が戻ったと聞いた時は
ホッとして
思わず泣いてしまった
その後も
難しい手術をいくつか
乗り越えてきたが
左手だけがまだ回復しない

話しには聞いていたけど
やっぱり彼は元気がなかった

これからの事を考えて
落ち込む気持ちもよくわかる
「頑張って、元気出してよ」
喉元まで出てくる
そんな言葉を飲み込み
「頑張れない時だってあるよね
そんなに頑張らなくてもいいよ
今はのんびり構えていればいいじゃない」
と言ってきた
思いつめて落ち込む彼には
焦らない事が
一番大切だと思ったから

映画俳優の
クリストファー・リーブが
脊椎損傷で
首から下は永久に動かないと
医師に言われていたのに
奇跡を信じて
リハビリを続け
歩くまではいかなかったけど
指が動くようになったという
意志の力で神経細胞を繋く事も
できるんだという話しをした

左手ぐらい
信じてリハビリを続ければ
必ず元のように動くようになるよ

ときおり見せてくれた
わずかな笑顔には
救われたけど
それでも
力なく横たわり
話しながら
思わず涙ぐんでしまう
だらしない私を
無表情でみつめていた
こーちゃんの顔が
頭から離れない


2005年04月30日(土) 福知山線脱線事故の遺族

飛行機事故で
多数の犠牲者が出た時など
パイロットの家には
数え切れないほどの
嫌がらせがあると聞きます

あの尼崎の列車事故の
運転手さんの家にも
同じような事が
起こっているのでしょうか

私は
犠牲者の遺族への
同情と共に
あの運転手さんの家族の事が
気になります

大切な人を失った事に
変わりはないのに
事故を引き起こしてしまった
当事者の遺族と言う
立場の為に
その悲しみや悔しさを
表に出す事を憚られます
でも
断じて言える事は
家族には
何の責任も無いと言う事です

もちろん
亡くなったからといって
運転手さん自身の
事故を起こしてしまった責任が
消滅したたわけではないでしょう
それでも
TVでみるかぎり
犠牲者の遺族の中に
運転手さんを責める方はいません
ましてや
その家族を責める方なんて
いないんですよ

それはたぶん
誰よりも
残された者の悲しさを
知っているからでしょう

もし
心無く運転手さんの家族に
嫌がらせをしている人が
いるとしたら
それは
おそらく
事故とは直接関係無い
第三者でしょう


どうか
運転手さんの遺族が
静かにその悲しみに
身を置ける環境でありますように



こんな事を考えるのは
自分が息子を持つ
母親だからかもしれませんねぇ

親の立場で考えれば
息子が電車の運転手に
向いていなかったのだとしたら
なぜもっと早い時点で
それを自分が見抜いて
運転手になる事を
諦めさせなかったんだろう
なんて
自分を責めたかもしれません

でもね
息子が運転手になる事を夢みて
ひたむきに努力していて
世間が認めないならまだしも
会社がそれを認めて
運転手の資格を与えているのに
親が
「お前は向いていないからやめなさい」
なんて言えないですよね
仮に言ったとして
息子が納得するわけもないし

やっぱり
家族に責任なんてないんですよ




(11:45pm)


2005年04月21日(木) 保護者会の楽しみ

今週は保護者会で
三回も(三児の母ゆえ)
学校に行かなくちゃ
ならない他に
中学の最後の役員会と
小学校の役員会があって
憂鬱な一週間です

レッズが今季リーグ戦
初勝利した後だと言うに!

そんな憂鬱な
お出かけを
少しでも
楽しみに変えるのが
おしゃれ

普段
すっぴんにGパンの私も
ばっちりお化粧をして
春物のスカートに
春色のセーター
(ブラウスといきたいが
今年は寒い!)
なんて着ると
ちょっと
気分が華やぎます

もちろん
すっぴんにGパンで
出てくるお母さんもいますよ

おしゃれは
私の
趣味みたいなものですからね

さてさて
スカートを穿くには
足の無駄毛の処理は
必須です
前の晩
お風呂上りに
ナショナル・ソイエ
(無駄毛処理機)
を出してきたところまでは
よかったのですが
巾着型の専用袋から
出す時に
ACアダプターを
取り落とし
左足を直撃
しかもプラグ側!
しっかり皮がむけ
血がにじみ出したじゃないですか
痛みは言うに及ばず
ショックなのは
ストッキングを穿いても
透けて見える
この傷!
春物のスカートで
バッチリ決めるはずだったのに
みっともねぇ〜
(T_T)




(11:30pm)


2005年04月04日(月) 訂正

3月28日のひとり言なんですけど
読み返してみたら
誤解を生じそうだなと
思ったので
ちょっと手を加えました

他人が欲しくても
手に入らないものは
私の幸運ではなくて
他人が欲しくても
手に入らない物を
私が持っている事が
私の幸運なんだと
言いたかったんです

他人が羨むほどの
幸運を私は持っているなんて
大きな事を言うつもりは
ないんですよ
(笑)


突き詰めて言えば
誰でも
一つぐらいは
他人が羨むような
素敵な物を持っていると
思うんですよ
みんな本当は
そういう幸運を
持っているんです

でも
そういう自分の幸運に
気が付く事が出来ずに
他人ばかりを羨んで
嫉むような事に
エネルギーを使っている人は
不幸だと思うんです

だから
そういう人の悪意を嘆いて
被害者的な意識でいるのは
もうやめようと
思ったんです



(2:50pm)


2005年04月01日(金) エレクトーンの発表会

昨日はてっちゃんの
エレクトーンの発表会でした

例年はグループでの演奏で
てっちゃんがソロを弾くところは
極わずかだったのですが
今年は
先生と二人きりの
アンサンブルで
最初から最後まで
メロディーラインを
一人で弾くという事に
挑戦しました

先生は
てっちゃんにはできるという
確信があったから
それを決断したと思うのですが
なにせ
普通じゃない
てっちゃんのことですから
本番で力が出せるか
私以外のみんなが
不安だったみたいです


母親だからでしょうか
私には
不安のかけらも
ありませんでした
てっちゃんは
他のどんな発表の場でも
本番に失敗した事が
ありません
注目される事を
楽しんで
のびのびと
力を出せる子なんです
だから
何も心配する事はないと
思っていました

そんなふうに思う私ですから
本番も冷静にみていましたし
初めての発表会の時のような
感動もありませんでした


ところが
終わってから
先生とお話しをすると
演奏の後
先生は涙が止まらなかったと
言うんです
それも
幼児クラスの時に
お世話になって
今では発表会の時にしか
お目にかかれない先生まで
一緒に
てっちゃんの成長に
感動して
泣いていたと言うんです

先生方には
他にも生徒さんがいて
みんな頑張って
発表会の時には
それぞれに達成感を
感じていると思うんです

でも
先生を泣かせるほど
感動させるのは
てっちゃんだけです

そんなふうに
思ったら
私まで急に
ウルウルしちゃって
先生とてっちゃんの
頑張りに
心から
感謝の言葉を
言っていました


親馬鹿と言われようと
親の欲目と言われようとも
間違いなく
てっちゃんは
みんなを幸せな気持ちにしてくれる
天使だ


と改めて私は思うのでした




(5:00pm)


2005年03月28日(月) 幸運

嫉まれて
初めて気付く

私は嫉まれるほど
いろいろなモノを
持っているんだなって

もちろん
自分が不幸だなんて
思ってはいないけど

それでも
時々
日常の小さな幸せを
改めて
噛み締めないと
うっかりして
忘れてしまいそうな
幸せだ

幸せなんて
そんなものなのかも
知れないけど

私が
無い物ねだりをするように
他人が
欲しいと思って
手に入らない物を
私は持っている

そういうものを
持っている事は
幸運な事だ

自分の努力で手に入れたと
思っているモノでさえ
そういう努力ができるような人間に
生んでくれた
或いは
育てくれた
親のおかげだ
あの親の元に生まれた
私の幸運が
そこにある

素敵な友人達にしても
私が
こんなふうに生まれついた
幸運の上に成り立つ
偶然の
宝物なのかもしれない

そういう自分の
幸運を思うと
なんとなく
優しい気持ちになれた


眠れない程傷ついたけど
今度顔を合わせたら
何もなかったように
笑顔で挨拶すると
決めた





(3:15pm)


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