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ICHIRO!SASAKI! - 2001年09月22日(土) というわけでいってきましたマリナーズ対アスレチックス。 でもマリナーズやる気なさすぎ。2対11で負けました。まあ、イチローと佐々木見れたからいっか。思いっきりAmericanCultureといった感じにホットドッグ、ポップコーンを食べる。楽しかった。いろいろもっと知ってたらもっと楽しかったんだろう。 寮に帰ってから留守電を見ると珍しくメッセージが。Alleguaからだった。IhouseでやるSufi Celebrationに来るとのこと。私も急遽行くことにする。Sufiって何じゃ?とおもったらスーフィズムのことだった。そういえば世界史ででてきたなあ。内容は微妙だった。なんか新興宗教チックだったよ。歌とか英語だし。え、アラビア語のはずじゃ…Alleguaもその彼氏も微妙だといっていた。とりあえずとてつもなく甘いお菓子をつまんでから別れる。結構近くにすんでいるんだって。今度一緒に勉強しヨット。 そのあとはさすがにつかれたので寝る、はずがネットで遊んでしまう。だったら勉強しろよ。こうして日曜日にまた苦しむ羽目に。 ... 疲れたよ - 2001年09月21日(金) 今日の私は本当に使い物にならなかった。へろへろになりながらSpanishのテストを終える。良くないけど思ったより悪くはない。そのあとはたらたらとネットをする。いやあ、昨日の記事を検索してプリントアウトしました。やはり実際みたのとメディアを通して見るのは違うね。扱われ方とか、いろいろ。Projectではメディアやろうかな。 で、Disをしに行く。いろいろな影響でクラスが進んでないので、ディスカッションをそんなに活発ではない。というかうーん、女性の扱われ方で本当にsensitive名ものだから。そしてかなり前に読んだので反射的にsrticleについて考えが浮かばない。授業の後はクラスメイトとメディアについてちょっとはなした後、cody's booksにいってタイムなどを買う。結構するんだね。specialEd.だから買ったんだけど、かなりScary.ううん。写真って訴える力強いよな。だから怖い。 そのあとEAPのreceptionにちょっと顔をだして、Marisaと、彼女のイスラエル時代のアドバイザーの家に夕食を食べに行く。素敵なひと時でした。ユダヤ教は金曜の夕食が重要なので。初めてそういう場にいった。イスラエルから彼らは戻ってきたばっかりで家の中はまだちょっと雑然としている。 2人の小学校3年と4年の男の子がいた。元気元気。お祈りや英語とヘブライ語の組み合わせとか何もかも新しい。きちんと子供をしつけていた。おいしい鮭の煮物、アップルパイなど久しぶりに家庭料理を食べる。この家ではお父さんが主夫らしい。お母さんは洗い物も、片付ける場所がわからないのでしないといっていた。Berkeleyで宗教を教えているらしい。日本にいったことがあるらしく、着物を持っていたが着方がわからないと。しかも着物がまだ仮縫いの段階だったんだけど。これを打ったなんて信じられない。いろんなところに旅行しているらしく、いろいろな置物や写真をみた。楽しかった。 ゲームをしたりして、子供が寝るのと共にお暇する。Marisaの運転する車で帰る。 ... Stop the violence, stop the hate!!! - 2001年09月20日(木) 今日はデモ行進に参加した。正確には、アメリカの大学で(すべてじゃないけど)RallyforPeaceをするという試み。PACSMajorということもあってこの関係の情報は常に入ってくる。昼にSproulにいくともう人々が集まってきていた。Jennyを見つけたのでいっしょに参加することにする。この時点ではまだマーチに参加することは考えていなかった。というか明日Spanishのテストだったので。Jennyとも、PACSのクラス以外は平常どうりに進んでいるこの状況はちょっと皮肉だと話す。いろんなInformationalMtgとかTeach−inに行きたいのに時間が取れない。1-week offが切実にほしい。どんどん人が集まってくる。二人でRacismには反対であるという証の緑のリボンを腕にまく。みんなプラカードを掲げはじめる。私たちも"stop the violenve、peace is an option”というカードをもつ。ほかにも"eye to eyes makes you blind" "anti-war is patriotic""we support Berbara Lee"などなど。ちょうど私の真後ろはこの集会に反対する人たちだった。アメリカの国旗をはためかせてさまざまなプラカードを持っていた。スピーチが始まると"U−S−A"chantingをはじめ、それに対抗して周りの人が"stop the war”とやりはじめたびたびスピーチが中断される。口論を始める人たちも。私の印象は、何も知らない人たちだなあ、といったところか。戦争が自分にだけは降りかかってこないと考えているんじゃなかろうか?見つめると目をそらす。メディアは彼らを映している。ああ、これがメディアの原理なんだね。ワシントンからきた誰かからインタビューされた。私の英語力じゃ誤解去れる可能性大きいし、変なところで切られて編集されるのいやなんで、極力シンプルに答えた。I do not want violence anymore, it would solve nothing, make the matter worse.こんな感じのこと。実際Publicationされる可能性は低いだろう。しかし周りでメディアのインタビューを聞いているとどういうふうに彼らが大衆の反応をLeadしたいかよくわかります。特にテレビ。 演説は、ちょっとあまりにもパレスチナやアラブの人々にFocusがおかれていて、イスラエルの方の痛みとかその外の人たちの痛みがなんだか無視されていたり、ちょっとanti-semetismっぽい発言があったのは残念だけど、全体的な方向はよかったと思う。とくに、"I do not want to see the flag of the United States hitting and killing civilians"と行った人にはさすがの後ろのグループも沈黙していた。 そのあと、マーチしながらCivic Centerへ向かう. "what we want?" "PEACE!" "when we want it?" "NOW!" "what we want?" "STOP THE WAR!" when we want it?" "NOW!" "1,2,3,4, we don't want the racist war, 5,6,7,8, stop the violence(war) stop the hate" "people united, we never be defeated" と口々にchantingしながら進む。なかには皮肉って "hey hey, ho ho , the racist war has got to go" とうたう人も。 こういうことに批判的な人もいるだろうが、これだけの人間がいま政府が進む方向に反対しているということをあらわさなければならないと思う。 このくらい派手な行動をとらないと、メディアにはでない。メディアが報道しているPollがすべてではないことをアピールする必要があると思う。 ただ座ってテレビの前で批判しているのは、いくら批判していても行動的には容認しているということにならないだろうか。一人一人が動かない限り何も変わんない。私が望むのはこの運動がエスカレートして日本の学生運動みたいにならないこと。Non-ViolenceはBasicPrincipalだと思う。 キャンパスにもどり学生会館の前でSit-inに移る。これは、火曜日のDailyCalという学生新聞がのせたイラストがMuslimにたいしての差別だという抗議行動。十分な謝罪がなされていないということ。私もそれをみたが、確かに書いた人にどんな意図があったにせよ、このタイミングでテロリズムを示唆しているターバン、長いあごひげの人物がでてきたら、それはアラブ系を示唆していると思う妥当。作者はラディンを皮肉るつもりでかいただけでムスリムに対して他意はないといっているが、どちらにせよMisleadingなことはたしかだとおもう。この時点で私は輪をぬけた。理想的なことをいいつつ授業にいくの皮肉さ。警察が参加者のビデオをとっていることに気づく。 middleeastは今日は早めに終わって、そのあとNon-Violenceのteach-inに行く。これがすごくよかった。PACSのChair,ユダヤ人のジャーナリストなどが話したのだが、とくにこの二人のは共感できた。Chairは、もう戦争を止めるには襲いと思うが、それでも違いは作り出せる、そして更なる戦争、暴力を止めることはできるといった。ジャーナリストの人はあぜアメリカ人がこんなにpatriotismにCommitするのか、それは無知だからだ、と一刀両断。彼いわく、"oh, we are HATED? it's really NEWS to us. We thought we were loved"というのが一般の反応だそう。私はよく知らんが、みんな爆笑していた。いろんな視点を学べた。 その後IhouseへCara,Megunと戻って夕食。Annも加わって話しながら食べる。AlexandoraにSFのClubにいかないかと誘われるが断る。というかそれどころでは。。。部屋に帰ってしばらくMarisaと今日のことについてはなしてから、宿題に。その前に廊下でアショーシャにつかまる。今日はおとなりのDanaの誕生日らしい。スペイン語のHappyBirthdayをJoseたちが謡い(ギター付き)、そのあと英語で歌う。ワインを飲めのめといわれ引き止められるが「おめでとう」をつたえ少しして部屋に戻る。だって宿題が。ひいいいいい。隣の部屋では奇声が。大騒ぎ。壁薄いよう。ReactionPaperをあげて、Spanishのテスト勉強。1時にはもうMarisaはネルというので、図書室へいって3時まで続ける。ゆうすけが3時ごろ現れる。なぜこんな時間に。人のこといえないけど。最後には図書室には3人しかいなかった。3時過ぎにやっとreviewしおわって寝る。3時間後には起床だよー。自業自得だとは知っているが。 ... スニーカー購入 - 2001年09月19日(水) だんだん朝晩の冷え込みが激しくなってきた。 サンダルで過ごすのはそろそろきつい。というかかかとはアカギレできました。 いたいいたい。初めての経験。普通日本ではこんなに足が荒れることはない。やっぱ乾燥しているんだと実感。 Spanishご図書館で勉強、のはずが1時間ぐらい爆睡。このごろスタバでさえ寝ることができる自分が怖い。ていうかセキュリティの観念日本にいるときより薄いんだけど!カリフォルニアで二番目に治安悪いらしい割にのんき。 12時からはIntro.あさみが聴講できた。でも今日はずいぶん前のビデオの続き。残念。私はあんまあの映画好きじゃないんだが。オリバーストーンのHeaven&Earthという奴です。 その後ついにスニーカー購入。ちょっと高かったけどどうせはきつぶすのでいいや。もう1足買うと半額になるらしいが2足もいらないっす。あとでSangOhkが一緒に行けばよかったと悔しがってた。その手があったか!!!! 寮に帰ってペーパーを仕上げたあと、PSSA(Peace Studies Student Association)のMTGに行く。そこで、実際に今自分たちが何をできるかを話し合う。PACS150で一緒の女の子と隣り合いつつ、みんなで話し合う。いろいろ呼びかけたり反戦をアピールする方法について話し合った。なんだかかなり気が楽になった。DirectActionについて話すのはなにがJustかを延々と話し合うよりも健康的だと思う。いろんなアイデアに驚く。 そのあともTeach-Inに行く。いろんなAssociationの人がSpeechした。すごく沢山の人があつまっていて、こんなに多くの人が反戦派だということに驚く。 時々TooEmotionalな演説があったけど全体はすごく良かった。みんな緑色のリボンを腕につけている。これは私はRacismやスケープゴートに反対、アラブの人たちを差別からサポートしますという証。自分はスカーフをつけようかなと思う。紙じゃアピールにならないし(今はバックパックにつけている)。 Speechはときどきパレスチナに重点を置きすぎる人やブッシュをBlameする人がいたのが残念。Calling Nameや特定の犠牲に重点をおきすぎるのはこの場合あんまりふさわしくないと思うんだが、いかがなものか。 そのあと寮にかえり、宿題をしてCoffeeHourへ。コーヒーをのみつつおしゃべりしてひとやすみ。 ... 大事件? - 2001年09月18日(火) イヤーびっくりした。疲れている自分を感じた今日この頃。 何がって泣いちゃったんですよ!この私が!!授業中に!!!!! といってもほぼ終わりかけてたけど。いやー、自分でもぎゃあ、どうしたんだって感じ。 Shinae(クラスメイト)と教授にめちゃくちゃ心配かけてしまった。 何があったかというと、まあ、いつもの通り火曜日のことについて話し合っていて、また私は1人フラストレーションをためていたんだけど、1人「みんな暴力を使うのは行けないというけど、アメリカが原爆を落として、とりあえず日本が世界を征服するのをとめられたように、やはりある程度の犠牲はでるだろうけど武力行使するべきだ」って言った人がいて「そういう問題じゃないだろう!」と思ってがーっとなって感情がオーバーロードした。 「黒い太陽731」という映画がある。これは731部隊についてで、高校のときに見たんだけど、ひどすぎて最後まで目をあけていられなかった。同時に、小学校の時に丸木いり(っだっけ?)の原爆の後の絵をみてしばらく飛行機が頭上を通るたびに塀の影に隠れたことも思い出した。 今まで生きてきて学んだこと:どんなExcuseがあろうとも実際に痛みを受けた人は永遠にわすれない。そしてそれは語り継がれていく。 それでも私が持っている日本兵がしたことの認識はアジアの人から見れば生ぬるいんだろう。 そういうことを考えて、彼の発言を考えたときまるで日本人として「平和」を語る資格はないとcondemnされた気になった。もちろんあっちにそんなつもりはないとはわかっている。ただの例だってことも。でもやはり感情的になった。 まさか自分がこんなに感情的になるとは考えなかったけど。 やっぱり見た目から不安定だったらしくてMarisaにも心配かけた。いろいろ話し聞いてもらったよ。日本の戦争教育についても話した。やはりNativeじゃないというのは不便だなーとおもう。ままならないよう。 まあ今は回復。あれだけ心配かけといてなんだがすっきりした。 さて、これからマークにもらったCD(スペイン語の教材を焼いてくれた)を聞くカー。金曜テストなんだな。MiddleEastのPaperもやんなきゃ。今日はユダヤ教の祝日でお休みだったがだからといって楽になるわけではないのがふ・し・ぎ。 ... memorial Service - 2001年09月17日(月) 今日はmemorial serviceでした。授業がキャンセルになるというのに直前まで知らなかった私。Bredが花を配っていて、くれたので、あとみんなそっちへ向かっているので行くことにした。内容は、私は演説がまったく聞き取れなかったのでよくコメントできない。マイク悪すぎだよー。変に反響してNativeでも聞き取れなかったらしい。なので最初の国歌しか印象に残っていない。殆どの人が立ったけど立たなかった。アメリカ国民じゃないし。聞き取れないので途中で離脱。最後にO Beautiful Americaを歌うらしかったし。私は歌詞のO beautiful for patriot dreamという部分がいや。特に今それは聞きたくない。 抜ける途中でクラスメイトに会う。彼女はTeach inのフライヤーを配っていた。PACSのChairが話すらしい。いけたらいくことにする。授業があるからなあ。 とちゅうで「自分はracism,Scapegoatなどに反対する」という証の紫のリボンを配っていたのでそれをもらいバックパックにつける。あと道で募金を募っている消防士の人たちをみかけた。今日もキャンパスは落ち着かない。学生会館のまえのメッセージは増えていくばかり。 そのあと寮に戻ってひたすら勉強。とちゅうでよしえにあってサラダ一緒にたべたけど。いま日本人と話すのはかなり心強い。おたがいにこのnatioanalismの暴騰にはうんざりだとひとしきり。そのあとも夕食を15分ほどでおわらせ、ひたすら宿題。おいつかなきゃー。 ... SundaySupper - 2001年09月16日(日) 10時ごろにおきだして2人がかえるのを見送る。Marisaはそのまま勉強へ。私もSpanishをやろうとするが遅々としてすすまず。途中よしえに今晩のSundaySupperに行くかどうかきかれる。SundaySupperとはAlmuniとかResidence、Staffがいっしょに夕食をとるちょっとFormalなイベント。私がApplyしわすれた、といったら、まだ大丈夫とのこと。さっそくサインアップする。浴衣をきていくことに。そのあと課題をやろうとするがわからなすぎる。となりの部屋のJoseを尋ね、わからないところをすべて聞く。生き字引状態。とりあえず大体理解したので、そして時間が迫っていたので浴衣をきることに。さおりのへやにいく。彼女はPremiumDoubleにすんでいて、広い!うちにの2倍はあるよー、高いらしいけど。よしえに手伝ってもらって浴衣をきこみ、Auditoriumへ。すごいみんなに珍しそうにみられる。有名だと思ったんだけどな、着物。日本のものだとわからない人も。ちょっと帯を締めすぎたのでゆうはんたべれるかなー、と不安になる。いつもよりおいしいといいけど。そして着物は動きにくい。 みんなFormalですごかった。いつもが結構よれよれだしね。キルト着てる人発見!メディアはアラブの衣装をきていて、まるでアラビアンナイトから出てきたみたい。シカレラは腰蓑みたいなのに首飾りをつけていて、おお、アフリカーという感じだった。寒そうだったけど。じっさい、あとであったら着替えていたけど。 夕食は本当にDiningHallのスタッフが作っているのかかと思うくらいおいしかった。すごく!ではないけど。きついのにおかわりしてしまったよ。ジョルディがピアのひいたり、パメラがペルシャの踊りをおどったりマリアンヌがカルメンをうたったり。すごいな、私もなんか日本の楽器とかできたらいいのに。 そのあとはGreatHallでCofeeHour、のはずがいっこうにCoffeeは現れず。動物園の動物のように写真をとられちょっとつかれる。仲いい人ととるのはいいんだけどさ。。。いままで話したこともない人ともとるはめに。ここでBと再開。ナイジェリアの衣装着てました。Pacsについて話す。IntroToPeaceは評判よいクラスらしい。そうだろうな。面白いし。 しかしみんなの民族衣装がきれいー。同じフロアの(よく話すくせに名前が分からない)インド人のひともすごい格好よかった。女の子もきれいだったなー(ゆめみごこち)。着飾るってのはおとこでも女でもいいもんです。とくに民族衣装。 ... Estoy cansada. - 2001年09月15日(土) かなりつかれました。>>今週。 昼頃おきだしてお昼を食べに行く。Zoltanがメールを送ってきていたので彼のいう待ち合わせ場所にれんちゃんといく。しかしだれもいない。2分ぐらい遅れたけど先日彼のいっていたBerkeleyTimeのことを考えると絶対10分はまっているはず。メール返信しなかったのがまずかったのかな?しょうがないので台湾料理店でおひる。おいしかったー。ひさしぶりな味を堪能しました。そしてランチやすい。StefanyとかIhouseの中国系住人もきていた。食べてる途中、いきなり横でアメリカ人の集団が"God saves America!"っていってたのには驚いたけど。みんな注目してた。そのあと、カフェいってお勉強。いきなり横にホームレスのおじさんが座ってきてびびる。ひたすら本に集中。今までにない速さでよめたぞ。しかし、あのにおいにはまいった。行ったなんだったんだか。彼がさったあと周りの人と「一体何をしたかったのか」と顔を見合わせる。あーびっくりした。 疲れてきたので寮にもどって入り口のベンチで読む。ひなたぼっこ。ここのなにが日本と違うって寒いのに日差しはものすごくきついところ。フリースきてるのに足はサンダル焼け。ここでケニアからきて、PACS10を人に会う。いたんだ、Ihouseにも。ReadingsはSchool of Americaについて。エルサルについていっぱい出てきた。 夕食をたべ、リトリートの写真ができたというのでシカレラとGreatHallで写真をみる。謝っている私がなんだかいっぱい写されていた。。。 そのあと部屋に戻るとルームメイトの友達が2人きていた。今日泊るらしい。Mexico出身のRosaとCuba出身のMaryland。すごくCuteなふたり。サルサをいっしょに踊る。(狭い部屋で)で、カフェに繰り出す。どこかでアルコールをゲットしようと寮の周りをうろうろするがよい店は見当たらない。 はいったバーもウェイトレスの態度があまりにも悪かったのですぐ出る。 寮に帰る道々通りすがるひとがパーティにさそってくる。あんま相手にしないまま歩いていくとそれは寮の側のシナゴーグでやってるやつだった!一体どういう目的でやっているのかなぞ。とりあえず入って、少し踊る。ROsaはベトナム系の集まりじゃないか、といっていた。とりあえずAsianAmericanの集まりではあった。私以外の3人は踊るのうまいー。いいなあ。 しかしどうしてシナゴーグで。。。 そのあと、疲れ果ててしまし寮に帰って寝ることに。Marisaが寝袋。私の場所に2人。わたしが2段ベッドの上に上がってねる。 ... 長い1週間 - 2001年09月14日(金) 自体は悪いほうへ向かっているような気がする。キャンパス外と内のReactionの違いは激しい。結局IvoryTowerだということなのか。 今日は国旗を良く見る日だった。バックパックにつけている人、髪の毛につけているひと。私は国旗にCommitするということは考えもつかないので、かなり恐ろしかった。私にとって国旗というのはNationalismの象徴。ほんとに怖い。すごくいってほしくない方向にアメリカが向かっている気がする。WW2のときと違って今回は日本人はターゲットになっていないので私自体になにかあるということはないのだが、アラブ系の人々へのハラスメントはすごいらしい。キャンパス内でさえもあったということを聞く。 SpanishのあとPaperを書いて、Readingを読んで、DiscussionSectionに行く。Jennyと授業の前に何で今日は人が少ないんだろうとはなす。後で聞いたところによると、ミサがあったらしい。DiscussionはReadingsと絡めながらもやはり火曜日の出来事。今までのFrastrationがたまっていた所為か、また、ひとり明らかに軍事行動をサポートしている人がいたせいか(といっても無差別攻撃ではないが)、耐え切れなくなって発言する。全ては伝えきれないので、みんなこれがスタートポイントのように話しているけど、そのまえにきっかけがあったはずだということ、そしてこれが他の国におこったらどういう反応をしたか考えてほしいといった。そのうち今週のReactionPaperアップします。整理し切れてないけど、今週考えたことをまとめました。(英語だけど)話しているうちにかなり感情が高ぶってしまってなきそうになった。何でかはわからない。ネイティブアメリカンの人がいて、その人がすごく私的には納得できる意見をいっていた。おわったあとJennyとちょっとはなして、私は約束があるのでSproulPlazaでReadingを読む。 5時にMiddleEastで一緒のAricaと、日本にいたというEllenと食事をする。また火曜日のことについてはなしたり、どんな週だったか話したりした。また、日本についてもはなした。どうやら二人はBibleStudyのGroupの人たちらしく誘われたがわたしはそこまで興味がなかったので行くことはやめる。どちらにしろ疲れすぎていてExtraで英語を読む気になれない。 寮に帰ったらよしえにあったので廊下で1時間ほど話す。やはりみんなにとってタフな週だったらしい。いろいろはなして別れると、今度はDavidと会う。また火曜日のことについて話す。また1時間。本当に話してばっかり。さて、本当にもう使い物にならないので、今日は寝ます。 ... unstable - 2001年09月13日(木) 今日はずっと火曜日のことについて話し合った一日だった。SpanishのあとConflictResolutionではDiscussion.まずPowerとConflictについてのPresenを聞いたあと、Discussionに。はっきりいって感情的になっている人と英語で討論できる自信がないのでとりあえずメモリながらいろんな人の意見をきく。反論したくてもなかなかできないのでFrastrationがすごくたまる。内に秘めた感情がすごく高ぶってきている。どうしても感じるのは、私は日本人なんだ、ということ、アメリカ人の人たちの感情の高ぶりについていけない。もともとAntiUS−Policyなのでいろいろ反論したい点はたくさんある。でも大勢の意見には賛成。暴力は何も生まないということ、メディアの危険性、他の道があるはずといういけん。しかしこれはキャンパス内の大勢であってキャンパス外では違うらしい。またひどい話を聞く。あるCollegeでは教授が!モスリムの女の子に"Would you please go out the classroon, 'cause your existence disturbs me"といったとか。ラジオも本当に感情的になっているらしい。ひどすぎる。言葉をうしなった。仮にも教壇に立つものの態度じゃないだろうそれは。 MiddleEastではやはりDis.やはりFrastrationがたまる。ああ、もっと英語はなせたらなあ。感情的になるのはわからなくもないけど、それは何の解決にもならない。そして報復を望む彼らは本当に戦争の意味を理解しているのだろうか?私はその中のどのくらいの人が実際にアフガニスタンがどこか、どんな人々がいるのかを知っているかさえ疑問視している。ちなみにこの日StudyGroupに振り分けられた。私たちはWaterについてやるらしい。しかし私の苦手な意見を言いまくる感情的な人々と一緒じゃなくてよかった。それだとほんとにやる気をなくしていたよ。 授業後、外にでると、けいしろうがあるいてくる!やはり飛行機はキャンセルされたらしい。Davidとあさみとれんちゃんと夕飯を食べるというので一緒に食べることに。PubでNachoをたべる。彼らの昨日の冒険談?を聞く。Nachosはアペタイザーのはずが信じられないくらい多かった。半分ちょっとたべてもう気持ち悪くなったのでやめる。当分みたくないー。そのあと、タワレコにいってDavidが買い物する間雑誌を立ち読み。Xmen読んでたら目が疲れた…日本の雑誌もかなりあるのだ。びっくり。ハリーポッター特集の雑誌があったがまよった末やめておく。映画みてからきめよう。 そのあとは9時ごろまでカフェでしゃべる。MochaBiancaはしゃれにならない甘さだった。砂糖味。いろいろな雑談をした。BerkeleyとSanDiegoの違いとか。すごく楽しかったー。そのあとIhouseまでおくってもらって別れる。 けいしろう、David、気をつけて。また会おう。 その後は明日出すReactionPaper.うまくまとまらなくて書いて消し、書いてけし。3分の2ほど書いてあきらめて寝ることにする。明日続きはしよう。 Marisaから前一緒に遊んだDanが明日DCから飛行機で帰ってくることをきく。いきなり身近な問題になってショックをうける。Marisaにどう思うかきくと、今何もわかってない状況では何もいえない、といっていた。イスラエルに行っていたことも会ってかとても意見をいうのに慎重だと思える。 ...
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