解放区

2014年10月29日(水) がんばれ阪神タイガース

#この文章は、阪神タイガースが奇跡的に巨人に勝ったときに書き始めました。しかしその後時間もなく、気が付いたら第4戦まで終わってるやんけ。とほほ。



阪神タイガースが日本シリーズに進出してしまった。こんなことってあるのかと正直驚愕している。ほんの1−2週間前には全く考えられなかったことだ。

レギュラーシーズンはなんだかぱっとしなかった阪神タイガース。一時期は4位にまで落ちてしまい、関西中に和田監督に対するブーイングが吹き荒れたが、最後まで2位を走っていた広島カープのよくわからん失速もあり、強いのか弱いのかよくわからんまま広島を僅差で抜き去り2位でシーズンを終えた。

そしてポストシーズンが始まった。今までのポストシーズンでは、シーズン中にも増して不甲斐なかった阪神タイガース。正直誰も期待していなかったと思うし、てめえも「ファーストステージでさっさと広島に負けるだろう」と全く期待していなかった。

ところが蓋を開けてみると広島に無敗で勝ち上がり、なんと信じられないことに宿敵の巨人を4タコに打ち負かして日本シリーズに進出してしまった。なんてことだ。夢を見ているようだ、というより、夢そのもので明日朝には儚く消え去っているような気がするが、これは現実である。

しかも相手は、かつててめえが愛してやまなかった南海ホークスを前身とするソフトバンクホークス。これ以上の舞台はないのではないか。

てめえがこの世に現れてから、阪神が日本シリーズに進出するのはこれで4度目。


1回目は29年前。てめえは小学生だった。当時は21年ぶりの優勝に関西が揺れた。もちろんてめえの人生の中で初めての阪神優勝。その勢いのまま、初めての日本シリーズ優勝を果たす。まだ南海ホークスは存在していたので、てめえは純粋な阪神ファンではなかったが、虎キチである父や阪神ファンが圧倒的多数を占める同級生達は激しく燃え上がっていた。

当時、日本シリーズはナイターではなくデイゲームだった。まだドーム球場が一般的ではなく、夜は寒すぎて試合が出来ないと考えられていたためである。

もちろん小学校では、試合時間中は授業の真っ最中なのだが、生徒及び教師の圧倒的多数の支持を得て、授業は休止されてみんなでテレビ観戦をした。

日本一を果たした阪神タイガースの熱狂的なファンは、集団で海に飛び込むレミングの如く(注:この話は単なる伝説で、レミングは集団自殺しないそうです)次々と道頓堀に身を投げた。おまけにカーネルサンダースさんが胴上げをされ一緒に道頓堀に投げ込まれたのは記憶に新しい。

とばっちりを受けた彼の呪いにより、その後の阪神タイガースは低迷を極めた。


2回目は11年前。てめえは医学部6年生だった。卒業試験と国家試験を控えるこの大切な最終学年の秋に、よりによって阪神タイガースは優勝してしまった。野球部に所属していたてめえの学友は、優勝に狂喜乱舞し道頓堀の汚水に身を投げた。そんなベタ過ぎる彼も今や立派な医者になった。

貧乏学生だったてめえには、日本シリーズのチケットは高嶺の花で、手に入れることはおろかトライすることも出来なかった。その代わりではないが阪神タイガースのハッピを購入して自宅で観戦した。

しかし、どうにも我慢が出来なくなって、とうとう甲子園でのパブリックビューイングに足を運んでしまった。もうてめえの沖縄行きも決まっていた。もしかしたら二度と甲子園に足を運ぶことはないかもしれないという思いもあった。

甲子園のスクリーンに映し出されるプレーに、てめえはあらん限りの声援を送ったが、残念なことに阪神はあっさりと負けてしまった。


3回目は9年前。沖縄では、驚くべきことに日本シリーズのテレビ放映自体がない試合があった。BSだかケーブルテレビだかでは観ることが出来たのだが、てめえはそのいずれも契約していなかった。

そもそも研修医の身分では、日本シリーズを放送している時間に仕事を終えて帰宅することが不可能だった。

そんなある日、たまたま仕事が早く終わったので、てめえは日本シリーズを観ようと急いで帰宅した。しかし、なんとその日はテレビでの放映がなかったのだ。そんな日に限ってこんなことがあるのかとてめえは愕然とした。

だが、待てよ。そういえばその街唯一の繁華街の中に、タイガース一色の居酒屋があったはずだ。もしかすると、その店に行けば試合を見ることが出来るかもしれない。

淡い期待を胸にてめえはその店に向かった。存在は知っていたが、訪ねたことはなかった。沖縄にある阪神タイガース居酒屋は違和感しかなく、足を運ぶ気にはなれなかったのだ。

やがて店に着いた。外壁はタイガースイエローに染め上げられ、阪神タイガースの旗が店の前にはためいていた。正直、やはり一人でしかも素面で店の中に入ることが躊躇された。

しかしてめえは日本シリーズを観戦するのだ。そう思い直し、少しの勇気を出して店の中に歩を進めた。

もしかすると沖縄には数少ない阪神ファンで足の踏み場もないかも、という考えは杞憂すぎた。手前のカウンターにはくたびれた親父が一人座り、てめえの方をみてうんざりと「いらっしゃい」と言った。

よく見ると奥のカンターにもう一人客がいるだけだった。なんだか居心地の悪さを覚えながら、てめえは目の前のカウンターに腰を下ろした。どこかから野球中継の音が聞こえる。ああ、よかった、ようやく日本シリーズを観戦できる。

ほっとしたてめえは、まずはビール、もちろんオリオンを注文してから店の中をあらためて見渡した。もちろんテレビを探したのだが、なんと見つけたのは電源の入っていないくたびれたテレビだった。そう、野球中継はなんとラジオだったのだ。

正直、その後のことはあまり良く覚えていない。おそらくラジオをうんざりと聞きながら適当に飲んで帰ったのだろう。この年の日本シリーズは、パリーグを2位で終えたにも関らずポストシーズンを勝ち進んだロッテが阪神に4連勝したシリーズだった。阪神は全く良いところもなくパリーグ2位のチームにぼこぼこに負けた。なんせ、第1戦から第3戦まで3戦連続して10点取られて負けたのだ。


そして今年。ほぼ棚ぼたのような日本シリーズだが、逆に楽しめると思う。てめえは第7戦のチケットをゲットしたので、ぜひ最終戦にまで縺れ込んでほしいが、さてどうなることやら。



2014年10月19日(日) 墓参りから帰って来たら、祖母が発熱していた。iPadmini3とか。

毎年恒例の墓参りから帰って来たら、祖母が発熱していた。だいたい家族の具合が悪くなるのは、てめえがどこかに行っている時が多い。去年は沖縄に行っている間に父が発熱して入院した。

幸い祖母の熱は1日で下がった。ここ最近は痰も増えていたので、おそらく誤嚥だろうと思う。胃瘻を作って口から食べなくなっても、唾液はあるので誤嚥は起こる。胃瘻から注入した流動食が食道を逆流して誤嚥することも珍しくない。胃瘻を作った結果として、祖母はこれからも誤嚥に苦しみ続けるだろう。

そんなわけで、てめえには絶対に胃瘻は作らせない。みぞおちに「胃瘻禁止」て書いた刺青でもいれようかな。当然胸には「心肺蘇生禁止」。笑

転院当初は呼びかけたらうっすらと反応していた祖母だが、特に胃瘻を作った前後からまったく覚醒しなくなった。やっぱり自然な経過でないということなのだろうと思う。人間は、というか動物は、自力で食べられなくなったらそこでおしまいなのだ。


先日、祖母の今後についての面談をしたいということでソーシャルワーカーの方と面談した。提案されたプランは、正直考えうる中で最高のものだったので非常に安心した。と同時に、てめえの病院に移してよかったと心の底から思ったわ。職員は制度の仕組みも使い方も本当に知り尽くしている。

てめえの勤務する病院が「入院して3ヶ月経ったし、どうしましょう…」なんて非道なことを言う病院じゃなくて本当に良かった。そして、ここに勤務して本当に良かったと思う。

転院するにあたって、この医師に診てほしい、という主治医の指定もしなかったし、病室や病棟についてもまったく要求しなかった。なぜならば、誰が主治医になってもベストを尽くしてくれることをてめえは知っているし、どの病棟でも最高のケアがあることも知っている。てめえも病院もVIP扱いはなく、普通に大部屋に入院となった。

そしててめえは知っている。家族などがあれこれ病院側に注文を付けた方が、結果的にうまく行かないことが多いということを。

ドクターを指定した場合、そのドクターの都合に合わせなければならないことになり、結果的に手遅れになったりすることがある。

また、治療方針に口を挟みたがる家族の場合、特にその家族が遠方にいた場合、急変時に連絡がつかなかったり返事を待つことによって、結果的に手遅れになったりすることがある。そうでなくても医療側としては萎縮医療になってしまうので、積極的な治療は避ける方向になる。

そう、いらんことはしない方が良い。病人の家族が積極的に介入して、良い方向に向かった例をてめえは知らない。それは医療関係者の中では常識なのだが、それでも家族に医療関係者がいる場合、残念なことに介入してこようとする場合がある。もちろんわかりきっている通りろくな結果にならないのだが、わざわざ家族の首を絞めるなんてきっと頭が残念なことになっているのだろう。


かねてから考えていた通り、iPadmini3が発表された瞬間に購入予約を入れた。スペックがほとんど変わっていなかったことが残念ではあるが、これでほぼAppleの製品をコンプリートしたことになるわ。ワイルドだろ。もうwindowsなんて買う気がしないわ。先日も友人と話していたのだが、iPhone持っていてパソコンをwindowsにしている人の意味が分からん。全部Appleで統一したら幸せやで。


阪神が奇跡の4連勝で日本シリーズに駒を進めた。当然今までのてめえであれば甲子園のチケットをとりに行くのだが、そうなると親父を預ける必要があり。今月の分は墓参りで使ってしまったので無理なので、今年は自宅で観戦するわ。



2014年10月02日(木) オール・イン読了。将棋の思い出。

「オール・イン」と言う本を読み終えた。




著者の天野氏は子供のときに将棋の天才と言われて小学校名人戦で準優勝し、その後プロ入りを目指して奨励会に入るも、プロ入り手前の三段であえなく燃え尽きてしまった方だ(注:将棋のプロは四段以上であり、四段になれなければプロにはなれない)。

てめえも小学校の頃、他の小学生男子と同じように将棋にハマってしまった。まあそこまではよくある話だが、いったんハマってしまうととことん入り込んでしまう性格のためにあっというまに学校の中に敵はいなくなってしまった。駒の動かし方を教えてくれた親父などあっという間に追い越した。

てめえの存在する小学校にも敵はいなくなってしまい、これを喜んだ父はてめえにアマチュア棋戦への参戦を勧めた。手応えのある戦いを求めたてめえはもちろん参戦した。

大人に混じって予選を戦った。対戦相手にも恵まれたのか、意外と良い成績を残した。最終的に、京都府内の地区予選で良いところまで勝ち残った。京都府の代表にはもちろん届かなかった。

「まあ、だいたいアマチュア二段くらいかな」

と、てめえの将棋を見続けた棋戦の主催者は言った。それくらいの位置にいたということに、てめえは驚いたのだ。

そして結構良い成績を残したてめえに、母は本格的に将棋の勉強をすることを勧めた。ハローページで母が見つけてきた将棋道場に、てめえは通うこととなった。学校の勉強に関しては全く何も言わず、息子が才能があると思った分野に惜しみなく援助するというてめえの親の姿勢は、今思うととても素晴らしいと思う。そしててめえが小学生の当時、てめえの両親はまだ離別していなかった。

母の見つけた将棋道場は伏見稲荷にあった。てめえは一人で京阪電車に乗り、その道場があるというアパートに向かった。そのアパートは古ぼけていて、中学生のてめえには卑猥な感じがした。

薄暗いアパートの廊下をおそるおそる歩き、表札もかかっていない道場の部屋の呼び鈴を押すと、ヌシみたいな老人が出てきててめえを招き入れた。ほんまにこれはヤバいのではないかと小学生ながらに思ったが、中に入るとリビングみたいなところに将棋の本が棚にずらっと並んでおり、そこはまぎれもない将棋道場であった。リビングの奥にある和室には将棋盤がたくさんあって、多くの人が苦行のように黙々と将棋をしていた。

壁には成績表なども張られている。なんだか本格的な感じにてめえは思わず息を呑んだ。

「どれくらい指すの?」

と、将棋をしていた20歳くらいの方が将棋盤を睨んだまま、唐突にてめえに聞いた。てめえは正直に、今までの棋戦の成績と、「だいたい二段」と言われたことを話した。

「じゃあ、とりあえずこの子と指してみて。この子、ここのレベルでは7級やねん」と、その20歳くらいの彼は言った。

指名された子は、小学校の中ぐらいに見える、かわいらしい男の子だった。てめえよりも明らかに年下の彼に、てめえはなぜか安堵した。指名された彼は、にこりともせずに駒を並べ始めた。

「7級って、うちでは一番下なんやで」

とその小さい彼は言った。だいたい二段と言われたことのあるてめえは楽勝だろうと思ったことは否定しない。

しかし、そんな彼にてめえはこてんぱんに負けた。本当に、良いところも一つもないどころか、全くレベルが違った。あと一手指せば負けが決定するという手順で、てめえは悔しすぎてその手を指せず、将棋盤の前で泣いた。

「お前、うちのレベルでは23級やな」

と、てめえの将棋を観ていたその20歳くらいの彼は言った。23級! 聞いたこともないくらい低いレベル。

7級の彼よりも遥かに下に認定されたてめえは、その道場に出来るだけ通った。そのほとんどはてめえよりもかるかに年上の方が多かったので、2歳下の7級の彼とはその後よく遊ぶようになった。というよりも、いつも彼が絡んできたのだ。

墨染に住んでいた彼はいつも誰よりも早く道場に来ていた。一日中将棋を指した帰り道はいつも二人で下らない話をしながら帰った。

所定の成績を残せば進級するシステムだったのだが、残念ながら中学校1年のときにてめえの家庭が破綻し、ほぼ同時期にその道場も大人の事情で畳むことになってしまったので、残念なことにてめえは23級のまま終わった。7級の彼は、その後高校には進学せずにプロを目指して見事に突破され、今は将棋のプロとして活躍されている。一度また昔話をしてみたいものだと思う。


中学生になり、別のアマチュア棋戦で、てめえの隣の学校に通う同学年の子が京都府代表になった。てめえはその頃は家業のラーメン屋を手伝うことで精一杯であり、それだけではなく学校にも絶望して登校せずに毎日トラックの助手をしていた。

昼間のトラックの仕事を終えて、夜のラーメン屋の仕事をしていたある日。塾帰りの同級生が、小腹を空かせててめえのラーメン屋にやってきた。

小学校の時は、新聞配達をしているときに同級生に会うのは死ぬほどイヤだった。その格差を嫌という程感じざるを得なかったからだが、ラーメン屋は違った。ちゃんと接客業をしているということ、大人のお客ともコミュニケーションをとることが出来ていたということ、そしてそれにより真っ当な対価を得ていたということがあるからだと思う。

そんなてめえの働いているラーメン屋に、よく同級生は食べにきてくれていた。同級生が来店してくれている間は、他の酒臭い酔っぱらいの相手をしなくて済むので幸せだった。学校に行っていないてめえとしても、貴重な同級生情報が得られるその場が嬉しかった。

そんなある日、塾帰りの同級生がてめえの作ったラーメンを啜りながら言った。

「そういえばお前、昔将棋の大会で活躍していたよな。今同じ塾に将棋の強い奴がいるねん。どうや、紹介したるし一回戦ってみたら」

彼は本当に軽い気持ちで言ったのだろうと思うが、てめえはこの瞬間に全てを理解した。

その友人が言う「塾の友達」は、隣の学校に通う、中学生ながら京都府代表に選ばれた子で、全国大会でも活躍して、中学生としては史上二人目の準優勝を飾った彼である、と言うことを。つまり「天才」である。

てめえは一度天才と戦ってみたいと思っていた。てめえが天才ではないということを証明するためにも。

ラーメンを一杯御馳走する、という友人の妄言につられて、「天才」はてめえの店にやって来た。もちろん店の座敷は空けてあり、てめえの用意できる一番の駒と盤を用意してその一番に臨んだ。

続く?



2014年10月01日(水) 胃瘻造設。久しぶりに株を買う。

祖母の胃瘻造設はあっさりと無事成功。まあ、よかった。近くにいて経過をすぐに追えるのは安心だが、毎日洗濯物を持って帰って洗うのがちと大変かな。おむつの補充も必要だし。まあ、それくらいは全然問題ないけどね。

祖母の転院を知った副院長から

「ちょっと、がんばり過ぎでは?」

と言われたが、別にがんばっている訳ではなく、自然に任せたらこうなってしまっただけの話。叔母から祖母を奪って来た訳ではなく、こういう流れになっただけの話だと思っている。しかしそう言うことをいちいち説明するのも野暮だと思ったので

「まあ、ぼちぼちやりますわ」

と答えておいた。


昼からの勤務病院に、てめえの勤める病院で診ている患者さんが入院になったことを知ったので、回診ついでにお見舞いに行ったらえらい驚かれた。まあそうだろうな。わざわざ来てくれたのか? と聞かれたので、今日は昼からこっちでの勤務なんですわ、と答えた。

「色んなところから必要とされているのね。まあ出来る子だからわかるよ。でもあまり手を広げたらダメよ」

と、彼女は言った。御歳85歳、2年前にてめえの外来で出会うまで病気知らずだった人だ。

「まあ、しゃあないですね」

と、てめえはいつもの様に答える。これもこういう流れになっただけだと自分では思っている。

良い悪いは別にして、人には抗うことの出来ない流れがあることがあると思っている。それは自然なことで、抗うだけ泥沼にハマるのだろう。だから、あまり逆らわない方が良い、そう思って来た。

それから彼女と下らない世間話をする。診察室では忙しすぎて、こんなにのんびりとおしゃべりは出来ない。

「あら、長男なの? なら合点が行くわ」

と、おしゃべりの間に彼女は言った。なんかの話の拍子に長男であることがばれてしまったが、彼女が何に納得したのかはわからない。わからないが、そういうオーラみたいなものがあったのだろうか。


今日は思うところがあり、ずっと持っていた大塚HDの株を売った。700株持っていたのだが、600株を売却し、約60万の利益となった。100株残っているので株主優待はもらい続けることが出来る。この100株は死ぬまで売らないし、今後株価が下がれば買い戻す。

この取引では、てめえに100株とそれに伴う株主優待と約60万の利益が残った。ありがたい話である。


売却したお金に手持ちの資金を加えて、新たに株を買った。今日は珍しく3銘柄を購入。なぜ今日購入したかというと、いずれも今日暴落したからである。前から狙っていて、あまりに安すぎると判断。

ただし今後も株価が落ちて行く可能性はあり、てめえには珍しく博打っぽくなってしまった。さてどうなるか、いちおう銘柄も書き残しておこうと思う。

・3678 メディアドゥ

電子書籍関連銘柄で、最近はほぼ電子書籍を購入する立場からは今後のびるのは間違いないと思っていた。今日は−290円と暴落したので購入。今日の終値は5110円だが、今後7000−8000くらいまでは少なくとものびると思っている。配当金はゼロ。有利子負債はほぼ無いに等しい。株主数をあと満たせば、東証一部に上って行くだろう。

・6079 エナリス

再生エネルギー関連。既存の電力会社が再生エネルギーの買い取りを検討するとのニュースで本日暴落。−104円で、終値は1170円。ほぼ一割の暴落。しかし長期的に考えると再生エネルギーへの依存は絶対に必要なので、反発することは必至と考えた。なわけで、ちょっと遠慮も入ったがとかん(どかん、ではない)と117万円ぶちこんで1000株購入。さらに下がったら追加購入も考慮。

・3679 じげん

ここは経営者にちょっと興味があったので、正直彼に賭けたとしかいいようがない。そんなわけで、今後暴落してもしゃーないわ。−53円で終値が817円。約6%落ちた。年初と比べると半分以下の株価で、そろそろ底値だろうとの判断。遠慮気味に600株、約50万円分購入。

さて、どうなるか。


ではね。



2014年09月30日(火) 祖母、転院。

祖母がてめえの病院に転院して来た。正直、ほぼ老衰でもう人生としては終わったのかと思ったが、驚異の生命力で生き延びて来た。

前の病院も初めは自然に看取ろうとしていたのがよくわかったが、状況が落ち着くにつれて次の栄養の手段を考えだした。正直、点滴だけしていたら栄養不足で死ぬからだ。

通常は、まず行うのは「経鼻栄養」だ。鼻から胃に管を通して、流動食を胃に直接流し込む。一時的に弱っている場合は、この経鼻栄養で栄養状態が改善することで、自力で食事をとれるところまで回復することがある。ただし老衰の場合は全く期待が出来ないし、そもそも「一時的に弱っている」のか「老衰」なのかはてめえらプロでもよくわからんことがある。

祖母に経鼻チューブが留置されようとしたが、全く入らなかったらしい。これは解剖学的な問題で、そういう人がたまにいる。

前の病院は、胃カメラを使用して経鼻チューブを胃に入れたそうだ。そういう方法があるということは初めて知った。というのは、通常はそう言う場合は下記の理由もあり、そこまでの方法をとらずに栄養自体をあきらめるからだ。

しかし考えてみると、チューブを留置するためだけに胃カメラをするのはかなり苦痛を伴う。多くの病院は1週間ごとにチューブの交換を行うので、それだと毎週胃カメラをする必要があるが、てめえなら毎週胃カメラを飲むなんて死んでもイヤだ。死んだ方がマシだ。いくら意識状態がはっきりしない祖母とはいえ、これは一種の虐待ではないか。

もちろん「やらないと命に関わるだろ」という意見は理解するが、老衰に対してそこまでするか?

まあともかく、経鼻チューブを留置したことで祖母の容態は安定した。人間としての尊厳は置いといて、とりあえず命はつながった。

しかしその代償もある。意識状態がはっきりしないとはいえ、祖母は無意識のうちにだろう、その大切なチューブを手で引き抜いた。

結果として、チューブを抜かないように両手が拘束されることとなった。そして、再度チューブを入れるために胃カメラ。しつこいが、てめえなら死んだ方がマシな仕打ちである。

そこで次に考慮されるのが「胃瘻」である。老衰に対する胃瘻にもともと懐疑的であったてめえは胃瘻造設には反対だった。

かといって、経鼻チューブをこのまま続けるのか。経鼻チューブを抜いたら、遅かれ早かれ祖母は死ぬ。残酷に聞こえるかもしれないが、てめえは正直それが一番自然だと思ったが、叔母は違った。「実の親である以上、明らかに死に至る処置は許容できない」のだ。てめえは実の親でも自然のままが良いけど。


しかし残念なことに、腹部CTでは胃と腹壁の間に肝臓と腸管が横たわっており、これまた解剖学的に胃瘻が作れない体だということがわかった。

とすると、残酷だが抜けるたびに胃カメラで経鼻チューブを入れ続けなくてはならない。

そしてこれが一番大切なことだが、「経鼻チューブを留置したままの患者」は、基本的にどこも受け入れてくれないのだ。


経鼻チューブを留置したまま、そして両手を拘束されたまま、祖母の容態は安定した。安定しただけで、昔のように歩き回る訳でもなく食事がとれるようになった訳でもない。

そうして3ヶ月が過ぎた。


よく知られていることだが、入院して3ヶ月を過ぎると病院に入る報酬がぐっと少なくなるため、病院側としては経営上困るのだ。「3ヶ月以上入院していれば退院か転院しなくてはならない」のは、法律でそう決まっている訳ではなくて病院側の収入の問題である。

そんなわけで、病院側としてはなんとしても退院あるいは転院させようとする。

しかし、祖母の場合は自宅退院は無理。転院も、経鼻チューブであるうちは基本的に無理。病院側が経鼻チューブの患者に早めに胃瘻を作ろうとするのは、基本的にこう言った事情がある。


そんなわけで、てめえの病院で引き取ることにした。「公私混同」と思われるかも知れないが、てめえの病院は職員の家族であることに関わらず、こう言ったややこしい複雑な事情を抱えた患者の面倒を見ることが得意なのだ。


まあ残念なことに、転院してすぐに重度の肺炎を来しててめえが病院に張り付き状態になり、叔母から「何のために転院させたのか?」と言われたり。まあいろいろあったけど、肺炎もなんとか治り、明日胃瘻造設予定。そう、てめえの病院で再検査した結果「胃瘻できるんじゃね?」となったのだ。ほんまに出来るのかどうかは明日を待たないといけないが。

家族に胃瘻なんて作りたくなかったけどな。でも、拘束も解かれるし(実はてめえの病院に転院してからは拘束していない)、なにより胃カメラからの呪縛から解かれるのが一番の救い。まあ、人生いろいろありすぎてもうお腹いっぱい。ちょっとゆっくり癒されたいわ。


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