解放区

2014年10月02日(木) オール・イン読了。将棋の思い出。

「オール・イン」と言う本を読み終えた。




著者の天野氏は子供のときに将棋の天才と言われて小学校名人戦で準優勝し、その後プロ入りを目指して奨励会に入るも、プロ入り手前の三段であえなく燃え尽きてしまった方だ(注:将棋のプロは四段以上であり、四段になれなければプロにはなれない)。

てめえも小学校の頃、他の小学生男子と同じように将棋にハマってしまった。まあそこまではよくある話だが、いったんハマってしまうととことん入り込んでしまう性格のためにあっというまに学校の中に敵はいなくなってしまった。駒の動かし方を教えてくれた親父などあっという間に追い越した。

てめえの存在する小学校にも敵はいなくなってしまい、これを喜んだ父はてめえにアマチュア棋戦への参戦を勧めた。手応えのある戦いを求めたてめえはもちろん参戦した。

大人に混じって予選を戦った。対戦相手にも恵まれたのか、意外と良い成績を残した。最終的に、京都府内の地区予選で良いところまで勝ち残った。京都府の代表にはもちろん届かなかった。

「まあ、だいたいアマチュア二段くらいかな」

と、てめえの将棋を見続けた棋戦の主催者は言った。それくらいの位置にいたということに、てめえは驚いたのだ。

そして結構良い成績を残したてめえに、母は本格的に将棋の勉強をすることを勧めた。ハローページで母が見つけてきた将棋道場に、てめえは通うこととなった。学校の勉強に関しては全く何も言わず、息子が才能があると思った分野に惜しみなく援助するというてめえの親の姿勢は、今思うととても素晴らしいと思う。そしててめえが小学生の当時、てめえの両親はまだ離別していなかった。

母の見つけた将棋道場は伏見稲荷にあった。てめえは一人で京阪電車に乗り、その道場があるというアパートに向かった。そのアパートは古ぼけていて、中学生のてめえには卑猥な感じがした。

薄暗いアパートの廊下をおそるおそる歩き、表札もかかっていない道場の部屋の呼び鈴を押すと、ヌシみたいな老人が出てきててめえを招き入れた。ほんまにこれはヤバいのではないかと小学生ながらに思ったが、中に入るとリビングみたいなところに将棋の本が棚にずらっと並んでおり、そこはまぎれもない将棋道場であった。リビングの奥にある和室には将棋盤がたくさんあって、多くの人が苦行のように黙々と将棋をしていた。

壁には成績表なども張られている。なんだか本格的な感じにてめえは思わず息を呑んだ。

「どれくらい指すの?」

と、将棋をしていた20歳くらいの方が将棋盤を睨んだまま、唐突にてめえに聞いた。てめえは正直に、今までの棋戦の成績と、「だいたい二段」と言われたことを話した。

「じゃあ、とりあえずこの子と指してみて。この子、ここのレベルでは7級やねん」と、その20歳くらいの彼は言った。

指名された子は、小学校の中ぐらいに見える、かわいらしい男の子だった。てめえよりも明らかに年下の彼に、てめえはなぜか安堵した。指名された彼は、にこりともせずに駒を並べ始めた。

「7級って、うちでは一番下なんやで」

とその小さい彼は言った。だいたい二段と言われたことのあるてめえは楽勝だろうと思ったことは否定しない。

しかし、そんな彼にてめえはこてんぱんに負けた。本当に、良いところも一つもないどころか、全くレベルが違った。あと一手指せば負けが決定するという手順で、てめえは悔しすぎてその手を指せず、将棋盤の前で泣いた。

「お前、うちのレベルでは23級やな」

と、てめえの将棋を観ていたその20歳くらいの彼は言った。23級! 聞いたこともないくらい低いレベル。

7級の彼よりも遥かに下に認定されたてめえは、その道場に出来るだけ通った。そのほとんどはてめえよりもかるかに年上の方が多かったので、2歳下の7級の彼とはその後よく遊ぶようになった。というよりも、いつも彼が絡んできたのだ。

墨染に住んでいた彼はいつも誰よりも早く道場に来ていた。一日中将棋を指した帰り道はいつも二人で下らない話をしながら帰った。

所定の成績を残せば進級するシステムだったのだが、残念ながら中学校1年のときにてめえの家庭が破綻し、ほぼ同時期にその道場も大人の事情で畳むことになってしまったので、残念なことにてめえは23級のまま終わった。7級の彼は、その後高校には進学せずにプロを目指して見事に突破され、今は将棋のプロとして活躍されている。一度また昔話をしてみたいものだと思う。


中学生になり、別のアマチュア棋戦で、てめえの隣の学校に通う同学年の子が京都府代表になった。てめえはその頃は家業のラーメン屋を手伝うことで精一杯であり、それだけではなく学校にも絶望して登校せずに毎日トラックの助手をしていた。

昼間のトラックの仕事を終えて、夜のラーメン屋の仕事をしていたある日。塾帰りの同級生が、小腹を空かせててめえのラーメン屋にやってきた。

小学校の時は、新聞配達をしているときに同級生に会うのは死ぬほどイヤだった。その格差を嫌という程感じざるを得なかったからだが、ラーメン屋は違った。ちゃんと接客業をしているということ、大人のお客ともコミュニケーションをとることが出来ていたということ、そしてそれにより真っ当な対価を得ていたということがあるからだと思う。

そんなてめえの働いているラーメン屋に、よく同級生は食べにきてくれていた。同級生が来店してくれている間は、他の酒臭い酔っぱらいの相手をしなくて済むので幸せだった。学校に行っていないてめえとしても、貴重な同級生情報が得られるその場が嬉しかった。

そんなある日、塾帰りの同級生がてめえの作ったラーメンを啜りながら言った。

「そういえばお前、昔将棋の大会で活躍していたよな。今同じ塾に将棋の強い奴がいるねん。どうや、紹介したるし一回戦ってみたら」

彼は本当に軽い気持ちで言ったのだろうと思うが、てめえはこの瞬間に全てを理解した。

その友人が言う「塾の友達」は、隣の学校に通う、中学生ながら京都府代表に選ばれた子で、全国大会でも活躍して、中学生としては史上二人目の準優勝を飾った彼である、と言うことを。つまり「天才」である。

てめえは一度天才と戦ってみたいと思っていた。てめえが天才ではないということを証明するためにも。

ラーメンを一杯御馳走する、という友人の妄言につられて、「天才」はてめえの店にやって来た。もちろん店の座敷は空けてあり、てめえの用意できる一番の駒と盤を用意してその一番に臨んだ。

続く?



2014年10月01日(水) 胃瘻造設。久しぶりに株を買う。

祖母の胃瘻造設はあっさりと無事成功。まあ、よかった。近くにいて経過をすぐに追えるのは安心だが、毎日洗濯物を持って帰って洗うのがちと大変かな。おむつの補充も必要だし。まあ、それくらいは全然問題ないけどね。

祖母の転院を知った副院長から

「ちょっと、がんばり過ぎでは?」

と言われたが、別にがんばっている訳ではなく、自然に任せたらこうなってしまっただけの話。叔母から祖母を奪って来た訳ではなく、こういう流れになっただけの話だと思っている。しかしそう言うことをいちいち説明するのも野暮だと思ったので

「まあ、ぼちぼちやりますわ」

と答えておいた。


昼からの勤務病院に、てめえの勤める病院で診ている患者さんが入院になったことを知ったので、回診ついでにお見舞いに行ったらえらい驚かれた。まあそうだろうな。わざわざ来てくれたのか? と聞かれたので、今日は昼からこっちでの勤務なんですわ、と答えた。

「色んなところから必要とされているのね。まあ出来る子だからわかるよ。でもあまり手を広げたらダメよ」

と、彼女は言った。御歳85歳、2年前にてめえの外来で出会うまで病気知らずだった人だ。

「まあ、しゃあないですね」

と、てめえはいつもの様に答える。これもこういう流れになっただけだと自分では思っている。

良い悪いは別にして、人には抗うことの出来ない流れがあることがあると思っている。それは自然なことで、抗うだけ泥沼にハマるのだろう。だから、あまり逆らわない方が良い、そう思って来た。

それから彼女と下らない世間話をする。診察室では忙しすぎて、こんなにのんびりとおしゃべりは出来ない。

「あら、長男なの? なら合点が行くわ」

と、おしゃべりの間に彼女は言った。なんかの話の拍子に長男であることがばれてしまったが、彼女が何に納得したのかはわからない。わからないが、そういうオーラみたいなものがあったのだろうか。


今日は思うところがあり、ずっと持っていた大塚HDの株を売った。700株持っていたのだが、600株を売却し、約60万の利益となった。100株残っているので株主優待はもらい続けることが出来る。この100株は死ぬまで売らないし、今後株価が下がれば買い戻す。

この取引では、てめえに100株とそれに伴う株主優待と約60万の利益が残った。ありがたい話である。


売却したお金に手持ちの資金を加えて、新たに株を買った。今日は珍しく3銘柄を購入。なぜ今日購入したかというと、いずれも今日暴落したからである。前から狙っていて、あまりに安すぎると判断。

ただし今後も株価が落ちて行く可能性はあり、てめえには珍しく博打っぽくなってしまった。さてどうなるか、いちおう銘柄も書き残しておこうと思う。

・3678 メディアドゥ

電子書籍関連銘柄で、最近はほぼ電子書籍を購入する立場からは今後のびるのは間違いないと思っていた。今日は−290円と暴落したので購入。今日の終値は5110円だが、今後7000−8000くらいまでは少なくとものびると思っている。配当金はゼロ。有利子負債はほぼ無いに等しい。株主数をあと満たせば、東証一部に上って行くだろう。

・6079 エナリス

再生エネルギー関連。既存の電力会社が再生エネルギーの買い取りを検討するとのニュースで本日暴落。−104円で、終値は1170円。ほぼ一割の暴落。しかし長期的に考えると再生エネルギーへの依存は絶対に必要なので、反発することは必至と考えた。なわけで、ちょっと遠慮も入ったがとかん(どかん、ではない)と117万円ぶちこんで1000株購入。さらに下がったら追加購入も考慮。

・3679 じげん

ここは経営者にちょっと興味があったので、正直彼に賭けたとしかいいようがない。そんなわけで、今後暴落してもしゃーないわ。−53円で終値が817円。約6%落ちた。年初と比べると半分以下の株価で、そろそろ底値だろうとの判断。遠慮気味に600株、約50万円分購入。

さて、どうなるか。


ではね。



2014年09月30日(火) 祖母、転院。

祖母がてめえの病院に転院して来た。正直、ほぼ老衰でもう人生としては終わったのかと思ったが、驚異の生命力で生き延びて来た。

前の病院も初めは自然に看取ろうとしていたのがよくわかったが、状況が落ち着くにつれて次の栄養の手段を考えだした。正直、点滴だけしていたら栄養不足で死ぬからだ。

通常は、まず行うのは「経鼻栄養」だ。鼻から胃に管を通して、流動食を胃に直接流し込む。一時的に弱っている場合は、この経鼻栄養で栄養状態が改善することで、自力で食事をとれるところまで回復することがある。ただし老衰の場合は全く期待が出来ないし、そもそも「一時的に弱っている」のか「老衰」なのかはてめえらプロでもよくわからんことがある。

祖母に経鼻チューブが留置されようとしたが、全く入らなかったらしい。これは解剖学的な問題で、そういう人がたまにいる。

前の病院は、胃カメラを使用して経鼻チューブを胃に入れたそうだ。そういう方法があるということは初めて知った。というのは、通常はそう言う場合は下記の理由もあり、そこまでの方法をとらずに栄養自体をあきらめるからだ。

しかし考えてみると、チューブを留置するためだけに胃カメラをするのはかなり苦痛を伴う。多くの病院は1週間ごとにチューブの交換を行うので、それだと毎週胃カメラをする必要があるが、てめえなら毎週胃カメラを飲むなんて死んでもイヤだ。死んだ方がマシだ。いくら意識状態がはっきりしない祖母とはいえ、これは一種の虐待ではないか。

もちろん「やらないと命に関わるだろ」という意見は理解するが、老衰に対してそこまでするか?

まあともかく、経鼻チューブを留置したことで祖母の容態は安定した。人間としての尊厳は置いといて、とりあえず命はつながった。

しかしその代償もある。意識状態がはっきりしないとはいえ、祖母は無意識のうちにだろう、その大切なチューブを手で引き抜いた。

結果として、チューブを抜かないように両手が拘束されることとなった。そして、再度チューブを入れるために胃カメラ。しつこいが、てめえなら死んだ方がマシな仕打ちである。

そこで次に考慮されるのが「胃瘻」である。老衰に対する胃瘻にもともと懐疑的であったてめえは胃瘻造設には反対だった。

かといって、経鼻チューブをこのまま続けるのか。経鼻チューブを抜いたら、遅かれ早かれ祖母は死ぬ。残酷に聞こえるかもしれないが、てめえは正直それが一番自然だと思ったが、叔母は違った。「実の親である以上、明らかに死に至る処置は許容できない」のだ。てめえは実の親でも自然のままが良いけど。


しかし残念なことに、腹部CTでは胃と腹壁の間に肝臓と腸管が横たわっており、これまた解剖学的に胃瘻が作れない体だということがわかった。

とすると、残酷だが抜けるたびに胃カメラで経鼻チューブを入れ続けなくてはならない。

そしてこれが一番大切なことだが、「経鼻チューブを留置したままの患者」は、基本的にどこも受け入れてくれないのだ。


経鼻チューブを留置したまま、そして両手を拘束されたまま、祖母の容態は安定した。安定しただけで、昔のように歩き回る訳でもなく食事がとれるようになった訳でもない。

そうして3ヶ月が過ぎた。


よく知られていることだが、入院して3ヶ月を過ぎると病院に入る報酬がぐっと少なくなるため、病院側としては経営上困るのだ。「3ヶ月以上入院していれば退院か転院しなくてはならない」のは、法律でそう決まっている訳ではなくて病院側の収入の問題である。

そんなわけで、病院側としてはなんとしても退院あるいは転院させようとする。

しかし、祖母の場合は自宅退院は無理。転院も、経鼻チューブであるうちは基本的に無理。病院側が経鼻チューブの患者に早めに胃瘻を作ろうとするのは、基本的にこう言った事情がある。


そんなわけで、てめえの病院で引き取ることにした。「公私混同」と思われるかも知れないが、てめえの病院は職員の家族であることに関わらず、こう言ったややこしい複雑な事情を抱えた患者の面倒を見ることが得意なのだ。


まあ残念なことに、転院してすぐに重度の肺炎を来しててめえが病院に張り付き状態になり、叔母から「何のために転院させたのか?」と言われたり。まあいろいろあったけど、肺炎もなんとか治り、明日胃瘻造設予定。そう、てめえの病院で再検査した結果「胃瘻できるんじゃね?」となったのだ。ほんまに出来るのかどうかは明日を待たないといけないが。

家族に胃瘻なんて作りたくなかったけどな。でも、拘束も解かれるし(実はてめえの病院に転院してからは拘束していない)、なにより胃カメラからの呪縛から解かれるのが一番の救い。まあ、人生いろいろありすぎてもうお腹いっぱい。ちょっとゆっくり癒されたいわ。



2014年09月17日(水) ファイナンシャルな話。

妹2号と3号が揃って8月から無事職に就いた。このご時世にありがたいことですわほんまに。

そんなわけで、初めての給料をゲットした妹3号から相談があった。将来のためを考えてお金を貯めようと思うのだけど、どうするのが良いのか?

この心構えは素晴らしい。詳しく話を聞くと、給料から生活費やその他の必要経費をさっ引いても、少なくとも3−4万は余るらしい。それを資産運用したいとのこと。

早速てめえなりに提案をさせていただいた。


前にも書いたような気がするが、日本ではファイナンシャルな話は御法度に近い扱いになっており学校でも勉強しない。一切経済学的な勉強をしないのに大学の進路として「経済学部」があるのはほとんどギャグじゃないかと思うレベル。

そんなわけで、妹に時間を作ってもらって簡単なレクチャーをした。全くわけもわからんままにてめえの言う通りに資産運用してもまあ間違いなく成功するが、理屈をわかっているとそのうち自分で応用できるようになるし、その方が長期的に彼女のためになるのだ。


まず前提として、経済成長以上のリターンがないと、資産運用としては意味がないということ。

例えば、経済成長が年3%だったとする。とすると、物価も平均して3%は上昇するはずなので、資産運用としては3%以上のリターンをしないと意味がない。

最悪なのはタンス預金で、減りもしないが増えない。なので、3%成長している中で全く増えないのは相対的に財産を減らしているのと同じである。

銀行預金も同じで、利率が3%以上ないと預ける意味がない。

3%以上のリターンを期待するのならば、やっぱり株式だろう。てめえの愛してやまないキヤノンであれば、配当だけで3%はある。

しかし全財産をキヤノンに突っ込むのはあまりにリスクが高い。この優良企業もある日突然倒産するかもしれない(当分はないと思うが)。

とすると、リスクを軽減するために資産を分散させる必要がある。そのために個別株を選ぶのも楽しいのだが、これでリターンを得るのは正直趣味の世界になる。

そんなわけで投資信託の出番になる訳だ。これは究極の分散投資になるし、結論だけ言うと「ローリスク・ハイリターン」である。

例えばてめえは今、何も考えずにeMAXISの「先進国インデックス」と「新興国インデックス」に何も考えずに毎月一定額の積み立てを行っているが、現在の成績としては、前者が29.35%、後者が18.21%のプラスとなっている。これは今月までの積み立てを入れての成績である。当然経済成長率を上回っている。

以前はこれに加えて先進国REITとアクティブファンドも積み立てていた。いったんこれらは、母親に家を買うときの資金にするために全て解約したのだが、解約しなければもっとすごいリターンになっていたことは間違いない。

倒産のリスクもなく、今後経済成長が続く限りさらにリターンが増えることが期待されるので、てめえは次の大きな買い物がない限りは解約することなく淡々と積み立てて行く。


と言うことを妹に簡単にレクチャーした。例えば銀行に毎月3万円を入れても1年で36万、3年で108万にしかならないが、投信積み立てだと1年で40万、3年で150万くらいは少なくとも期待できるだろう。この差は年々大きくなる。数十年経ったらものすごい差になっている。


別件でとある人から、まとまったお金が入るのでどう運用すれば良いかという相談が入った。まとまったお金とはまあ数百万円くらい。

人の金なので好き放題言うことが出来るが、金の恨みは恐ろしいのでてめえは極めて客観的な意見を言った。

正直、今は経済はとても良好で、新たな投資を始めるのには全く向いていない時期。経済には波があるので、冷えるのを待つのが良い。

どうしても運用したいのであれば、半分をMRFに入れて、残りを日本国債の購入に充てるのが良い。そして株価が落ちたときにこれらを解約して、投信なり好きな株購入に充てるなりするのが良いでしょうとお話した。もちろんてめえに数百万が入っても同じことをするわ。

妹の話に戻るが、妹は証券会社の口座を持っていないので、まずは口座を開設するところから始める必要がある。とするとネット証券一択であり、てめえが最も素晴らしいと考えている証券会社を紹介した。今後野村とか窓口で買うのはアホだけになるだろう。

妹に勧めるのは「先進国インデックス」「日本株インデックス」に加えて、「外国債券インデックス(為替ヘッジなし)」あるいは「外国REITインデックス」。どれを選ぶのかも含めて、自分で考える部分を作ろうと思う。言いなりになるのは簡単だけど応用できないしね。なぜてめえの買っている「新興国インデックス」が入ってないかって? いい質問ですがその答えを書くにはこの余白は狭すぎるわ(by フェルマー)。



2014年09月16日(火) いやあ今日はほんまに腹が立ったわ。

あまりネガティブなことは書きたくないのだけど、こういう場で愚痴らせてほしいわ。


専門的な治療が必要で、ご本人のたってのご希望でてめえの出身じゃない大学に紹介した患者さんがいる。もともとこの大学の色んな科にかかっていた方で、てめえの専門領域だけてめえのところに縁があって転医して来た方だった。

その専門科の治療中に、投与している薬の副作用と思われる症状が出現したので、てめえは薬物の血中濃度まで測定して過剰であることを示した上で、その薬を中止した。次回の受診までその薬を続けるのは患者にとって不利益でしかないと判断したからだ。

その経過や検査結果などを添えた紹介状を渡して患者さんを受診させたのだが、その返書が常軌を逸していた。まあ、簡単に要約すると「頼まれて診てやっているのに勝手に薬を中止するなゴルア!」であった。

しかも診察室で、患者さん本人にてめえの施設とてめえと、こんな紹介状をのうのうと持ってきた患者さん自身を「その面下げてこんな手紙を持って来たんや」と口汚く罵ったらしい。患者さん自身はあまり多くを語らなかったが、奥さんは「いつもちゃんと診てもらっている医師と病院をぼろかすに言われて、悔しくて眠れない」と泣いた。

しかし残念なことに、これは珍しいことではない。あの大学に紹介して、もう頭がおかしいとしか思えないような対応をされたことはよくあるのだ。だから、正直なところてめえは関わりたくないし、今後も患者自身の希望がない限り積極的に紹介する気はない。てめえに命を預けてくれる、物好きではあるけれど大切な人たちの命を預ける気はない。

転医した方が良いだろうか、と患者さん自身からも相談を受けたが、同じ大学の他の科にかかっていることや、患者さん自身の自宅からのアクセスの良さもあり今しばらく続けた方が良いのではと考えた。単にてめえがそう考えただけではなくって、長年その病院を受診している患者さん自身から「そう言ってほしい」オーラがあったのだ。そんなわけで、てめえからは「大変申し訳ありませんでした、今後ともよろしくお願いします」という手紙を送っておくから、と提案した。まあ理不尽には違いないが、そうするのが一番丸く収まると判断した。


「権威」を勘違いする人間というのはどこにでもいるものだ。そう言う人間は、顧客が次々とやってくることを「てめえの腕」と勘違いしがちである。実際には、大学(あるいは一般社会で言うと会社)の看板にやって来ているにも関らず。そして本当に素晴らしい人はどんな場所にいても権威的にはならないものだ。そう、本物の「選良」とはそういうものだと思う。


その後しばらくは平穏な日々が続いたが、新たに投与された薬で今度は患者さんが食事をとれなくなった。副作用に「食思不振」と書いてあったこと、患者さん自身が内服を続けることを拒否したため、再度中止した上で早めに受診することにして予約を取り直した。これが先週の話。


…そして今日。再度「何度も勝手に薬を止めるのなら、どうぞそちらでご勝手に好きなように治療をすれば」と言う内容の紹介状を持って、患者さんの奥さんがやって来た。とうとうこの方は、専門家であるという誇りも捨てたらしい。

「しかも、勝手に予約取り直しやがって、こっちは忙しいんだ! 何を考えてるのか!」と怒鳴られたらしい。そして再度てめえの施設とてめえと患者さんを口汚く罵る彼に、さすがに今回は患者さんが切れたそうな。まあ詳細は書かないが、内容を聞いてててめえがすかっとしたわ。こうして、この大学は今日も善良な府民の支持を失ったというわけでした。

しかしこのお方、医師として以前に人間としてどうかと思う。が、実のところそう言う人は彼だけではないのだ。ほんまに変な人というか集団とは関わりたくないわ。そして変な人がいる(しかも複数)と言うのはだいたい集団の問題。今後も出来るだけ関わらずに生きて行くわ。


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い・よんひー [MAIL]

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