2015年02月18日(水) |
貧乏ヒマなしというかなんというか。 |
ちょっとまじめに「投資」に取り組んでみようと思い、本日次の銘柄を購入した。
1356 TOPIXベア2倍ETF 6070円×160株 971200円 3951 朝日印刷 2218円×500株 1109000円
しめて約200万ぶちこんだぜ。ワイルドだろ。 こんな買い方してたら「NISAって何?」ってなるわな。 さて、どうなることやら。 上記は、見る人が見れば何を狙っているか一目瞭然。 まじめに取り組むことにしたので、まじめに結果も書いていくつもり。
祖母は施設を(ある意味)追い出されててめえの病院へ逆戻り。正直エンディングは近いと思う。あとはできるだけ、家族のエゴに左右されないようにするしかないと思っている。彼女の晩節はこれ以上汚したくない。
父はある意味絶好調で、昼間預かってもらっている施設から苦情の嵐。「活発すぎるので薬を増やしてみてもいいでしょうか」はい、お願いします。と言ってみる。てめえは基本的に、医学的な判断はよほどクソでない限りお任せすることにしている。患者の家族が介入してきたらろくな結果にならないことは、てめえがさんざん経験している。
でも、父の活発さは薬ではなんともならんと思うぞ。これとは戦うだけ無駄だと思うが、医師が「なんとか頑張っている」という姿を周りに(特に看護婦さんに)見せなければならないことは、てめえが痛いほど知っている。ただし、それはPatient-orientedでもなんでもない。
しかし、「もううちでは見れません」て言われたら、どうしようか。てめえは念願の無職になるか。あるいは父を野に放つか。施設に入れるとしたら、そのランニングコストはどうするか。そして父は産みの母のことは全く興味が無いらしい。それも悲しいわ。現在祖母と最も関わっているのは、祖母がお腹を痛めて産んだ子ではなく、祖母の息子の子(てめえ)と、息子の元妻(てめえの母親)だというのは一体どういうことなんだろうか。
さっそく確定申告を終えた。申告会場は、その場で申告書を作成している人が殆どで、てめえみたいに自分で作成して印刷して持ち込んだ人はほとんどいなかった。お陰で提出するだけで確定申告はめでたく終了した。還付金は結構な額になるので、がっつり春のボーナスになる。いやあ税金対策しているかいがあるわほんま。
確定拠出年金が開始になった。これで来年の還付金は更に増えるだろう。
1.ファイナンシャルプランナー(FP)の資格をゲットする。
ファイナンシャルプランナーの資格としては、国家資格としてのFP1−3級と、民間資格としてのCFP及びAFPがある。
この中で、全くの未経験者がアプローチできるのはFP3級だけ。他は「2年以上の業務経験」などが問われるので、てめえとしてはまずはFP3級を取る。3級に合格すれば2級の受験資格が得られるし、2級を取ればAFPにアプローチできる。
ただし、FP1級及びCFPは、資格を持った上での実務経験が必要なので、開業しない限り難しそうだ。てめえはFPで食べていくつもりは今のところないので、今年の目標はFP2級あるいはAFPを取るところまでにしておこうと思っている。
2.総合内科専門医を取る。
内科系の専門医資格の中では最も困難な資格だと思っている。範囲も全内科分野に広がっており、専門分野以外に常に触れていないと非常に厳しい。できるだけ早めに準備を始めたいと思う。
一旦取得すると資格の維持も面倒くさいので取る気はなかったのだが、いろいろ事情があって気が変わった。やるからには一発で合格するちゅもり(「つもり」と入れようとしたら手が滑った笑。「T」「Y」「U」が並んでるのが悪いのよ。笑。面白いのでこのままで)。
続きを書こうとしていると瞬く間に時間が立ってしまったので、一気に省略。
3日目
朝起床すると、解熱していた。発汗がものすごく、着ていた服だけではなく布団までビショビショで、服と布団を取り替えた。汗が出て解熱したということは、麻黄湯の効果が十分に発揮されたということだ。
そんなわけで、麻黄湯の服用を中止した。結局麻黄湯は五包内服しただけに終わった。残りは次回発熱した時のために置いておくことにした。
体はずいぶんと楽になったがまだ食欲はない。体重も結構減っただろうが、測る気力もわかない。
昼から今度は猛烈な下痢になった。知識としては、インフルエンザで腹部症状が出現することは知っていたが、知っているのと経験するのはずいぶんと違う。
それと、強烈な筋肉痛は数日続いた。あの痛みは忘れられないし、貴重な経験となったと思う。
臥床中は勉強する気にもならず、ただたくさん本を読んだ。本っていうか、主に漫画。
「球道くん」全19巻
いつの日か読もうと思い大人買いしたままだった漫画。水島新司の漫画は大好きだが、球道くんは未読だった。そんなわけで今回初めて読んだのだが、1巻を読み始めたら19巻最後まで一気に読み通してしまった。
水島新司は野球漫画をもっぱら書いている作家だが、彼の漫画の特徴は「スポ根」ではないところ。そして、特に「大甲子園」以前の漫画は、野球を扱っているように見せてその実は「貧困」を扱っている作品がとても多い。球道くんも単純なスポ根漫画ではなく、その世界が非常に面白かった。
「大甲子園」全28巻
引き続き水島新司で大甲子園。彼の集大成の作品で、球道くんに引き続き読んだ。
水島新司の高校野球を扱った作品は、「ドカベン」「球道くん」「ダントツ」「一球さん」などなどたくさんあるが、実はすべて高校3年生の春まででストーリーが終わっている。
それはなぜか。まあ、ここまで書いてしまえば理由は明白だが、彼の思い入れのあるキャラクターを全て一つの作品で、しかも高校3年生の夏の甲子園でまとめて戦わせようという、まあ言ってしまえば男の夢みたいなもので。それがこの「大甲子園」。上記のキャラをガチで戦わせた結果、果たして誰が優勝するのか。作者としては最高に楽しかっただろうな。
「聲の形」
kindleで大人買い。読みたいときにすぐに購入できるなんて、なんて素敵な時代になったことだろうか。感想はまた今度。
「おしゃべりは朝ごはんのあとで」
朝ごはんは食べない自分だが、人が食べているのを読むのが大好き。そういう意味で結構楽しく読んだ。
「弾左衛門とその時代」
部落問題に対する勉強はてめえの人生のテーマだが、あらためて弾左衛門についてのお勉強。今度東京に行った際には浅草に行って、弾左衛門の軌跡に触れてみたい。
漫画ばかり書いたが他にも本はたくさん読んだわけで、なんだかもうどうでも良くなってきたのでこの辺りで終わり。てめえはたくさん写真集も持っているが、それらも読み返したり。要は頭をあまり使わない本を読んで、がっつりリフレッシュしたわ。
2014年12月26日(金) |
麻黄湯マジック:インフルエンザに罹ってしまった! |
今回はとても長くなるが、自分がインフルエンザに罹ってしまった記録と、抗インフルエンザ薬を使わずに麻黄湯で治療した記録。
麻黄湯【マオウトウ】 構成生薬:麻黄、桂枝、杏仁、甘草
傷寒論を由来とする。麻黄及び桂枝にはいずれも発汗作用があるため、強力に発汗を得ようとするときに組み合わされる。杏仁には鎮咳・去痰作用がある。
以下は添付文書より。 【効能又は効果】
悪寒、発熱、頭痛、腰痛、自然に汗の出ないものの次の諸症: 感冒、インフルエンザ(初期のもの)、関節リウマチ、喘息、乳児の 鼻閉塞、哺乳困難
【用法及び用量】
通常、成人1日7.5gを2 ~ 3回に分割し、食前又は食間に経口投与 する。なお、年齢、体重、症状により適宜増減する。
【使用上の注意】
1.慎重投与(次の患者には慎重に投与すること)
(1)病後の衰弱期、著しく体力の衰えている患者[副作用があら われやすくなり、その症状が増強されるおそれがある。]
(2)著しく胃腸の虚弱な患者[食欲不振、胃部不快感、悪心、嘔吐 等があらわれることがある。]
(3)食欲不振、悪心、嘔吐のある患者[これらの症状が悪化する おそれがある。]
(4)発汗傾向の著しい患者[発汗過多、全身脱力感等があらわれることがある。]
(5)狭心症、心筋梗塞等の循環器系の障害のある患者、又はその 既往歴のある患者
(6)重症高血圧症の患者 (7)高度の腎障害のある患者 (8)排尿障害のある患者 (9)甲状腺機能亢進症の患者
[(5)~(9):これらの疾患及び症状が悪化するおそれがある。]
以下は東洋医学会HPより引用
基礎研究では麻黄に含まれるタンニン(エピカテキン)に塩酸アマンタジン 類似のウイルス不活化作用のあることが明らかにされており、また桂皮のシンナムアルデヒドにはウイルス遺伝子転写後の蛋白合成の阻害による抗ウイルス 作用が明らかにされています。抗インフルエンザ薬とは作用点が異なります。
引用は以上
1日目
この日も朝から仕事。数日前から、明け方に出現する空咳に悩まされていたのだが、この日は咳だけではなく鼻水も認めていた。
明け方の咳はなんだか喘息っぽい咳だなあと一寸うんざりしていたが、我慢できないほどでもなく様子を見ていたのだ。しかし鼻水が出てくると喘息ではない。「風邪、引いたかなあ」ともう一度うんざりする。
がっつりマスクをはめて仕事を開始した。なるだけ患者さんにうつさないようにしないと。
夕方にかけて咳と鼻水はどんどんひどくなっていく。この時点で熱っぽさはなかった。念のために途中で熱をはかったが平熱だった。
寝る前には倦怠感が強くなってきていた。ちょっと熱っぽさを感じて再度熱を測ると、37℃台の微熱だった。しかしまあ寝たら治るやろうといつものように晩酌して寝た。
2日目
起きたら身体中が痛い。寒気が強くて身体中ががちがち震える。倦怠感というよりは眩暈がする感じ。熱を測ると39℃を超えていた。咳鼻水などの気道症状、悪寒と筋痛、これってインフルエンザやんけ。まじっすか。ちゃんとワクチン打ったのになあ、でも今年は、きちんとワクチン打った人が罹るパターンがやたら多いのだ。くそう、今年のワクチンはハズレやったな、などと悪態をつく。
この日は休日だったのでしばらく布団の中でゴロゴロしていたが、意を決して病院に行くことにした。しかしあまり早く行きすぎると、インフルエンザに罹っていても検査で陰性になってしまう「偽陰性」になってしまう。そうなると、翌日に再検査となるのでそれだけは避けたい。
というわけで、昼過ぎに病院に行くことにした。しかし本当に体が動かない。食欲も全く起きず、かと言って脱水が一番怖いので、てめえが株主になっている大塚から送られてきたポカリスエットを枕元に置いて水分だけは摂るようにした。
しかし、どうやって病院に行こうか…。平日なら歩いて行ける最寄の病院に行くが、この日は休日なので休診である。救急病院はどこもそれなりに離れている。てめえの勤務先も救急受け入れはしているのでそれなら勝手知ったてめえの病院が良い。
しかし、どうやって病院に行こうか。歩いて行くのはほぼ無理な距離だし、かと言って公共交通機関を使うのはインフルエンザの可能性が極めて高い今ほぼバイオテロである。タクシーも選択肢の一つだが、あの密閉空間では運転手に感染させるのはほぼ間違いない。
うんうん唸っていた午後12時前。一瞬だけ、ふと体が軽くなった。もしや熱が引いたのか、と思い再度体温を測ると39.6℃と本日最高値をあっさりと更新していた。しかし体は不思議なほどに軽い。今だ、この瞬間だ! と思ったてめえは急いで支度を整えて愛用のバイクにまたがった。
絶対に間違いを起こしてはいけないので、ありえないくらいの安全運転で病院に向かう。冬の冷たい風が火照った体に妙に心地良い。そろりそろりとバイクを運転して、何事もなく病院に到着した。
バイクを置いて受付に向かう足取りも異様に軽い。まるで病原菌が消え去ってしまったかのようだ。なんだろうこれは。実はインフルエンザでもなんでもなかったというオチは勘弁な。
しかしやっぱり自分が長年働いている病院だけあって、ホームグラウンドにいるという安心感が押し寄せてくる。受付の休日アルバイトのおじさまも、救急のナースもみんなよく知った人ばかり。さくっと受付を済ませてバイタル測定を行った。
血圧は140くらい。普段のてめえの血圧よりは高いが体調が悪いからだろう。極端に高かったり低かったりすると問題だが、まあこんなものか。
脈拍は110くらい。ちょっと早めだが、人間は体温が1℃上昇するたびに脈拍数が約10上昇する。体温が39℃台であれば普段よりも3℃上昇しているわけで、脈拍は約30上昇していると考えられる。とすると、平熱換算するとだいたい80くらいなので、まあこれもそんなものか。
体温は38.7℃だった。冬の風に当てられて少し下がったか。でもやっぱり発熱はしている。
というわけで、検査結果が出るまで感染症患者を隔離する部屋に案内された。というより、自分で向かった。そして自分でインフルエンザ検査キットを鼻の穴に突っ込んで結果を待つ。
果たして結果は陽性だった。
「どうさせていただきましょ?」と、初めて当番の医師が登場した。本来であれば問診や診察を終えてからの検査になるのだが、身内同士なのでよほどのことがない限り問診も診察もせず、検査結果が出てからの相談となる。
この場合も、医師同士の場合は、基本的に相手の希望する通りに処方を出す。これはてめえの病院に限らず日本中どこでもそうなのではないだろうか。少なくとも京都の他の病院でもそうだし、沖縄でもそうだった。外国の場合は知らない。
「麻黄湯をください」とてめえは言った。そう、インフルエンザに自分が罹った時には、麻黄湯のみで治療してみようとずっと考えていた。以前にもどこかで書いたがタミフルやリレンザなどのノイラミダーゼ阻害薬は全く使う気がしない。
そんなわけで麻黄湯をいただいて、またそろりそろりとバイクを運転し帰宅した。「麻黄湯の効果、また教えてくださいね」と言った当番の医師は、おそらく麻黄湯を処方したことがないのだろう。
なんとか無事に帰宅したてめえは、さっそく麻黄湯を二包、アツアツの熱湯に溶いて服用した。時間は午後1時だった。
ちなみに麻黄湯の、保険収載上の使用法は「一日に三包を毎食間に服用」となっている。ところが、実際の漢方ではそういう服用の仕方はしない。とにかく大量の汗が出て解熱するまで、2−3時間毎に服用するのだ。このやり方だと一日三包どころではないし、そもそも保険を通らない。ので、処方箋状は「一日に三包を毎食間に服用」と書くしかない。てめえのような飲み方をするのは自己責任である。
この場合副作用として気をつけなければいけないのは、麻黄湯に含まれる「麻黄」の作用である。よく知られているように、麻黄には成分として「エフェドリン」が含まれている。これは強心作用を持つため、心臓の弱い人や血圧の高い人はそもそも服用を避けたほうが良い。もう一つ忘れてはならない作用としては、胃を荒らすことがあるということ。だから、胃の弱い人は、麻黄湯を飲む際には胃藥も併用した方が良いかもしれない。
ちょっと漢方マニアックな話になってしまうが、風邪薬としてあまりにも有名な葛根湯も、実は構成生薬として「麻黄」を含む。しかしあれだけ老若男女が市販品を含めてガンガン使っているにもかかわらず、胃を痛めるという話をほとんど聞かないのは、実は葛根湯の中に胃藥としての生薬(生姜+大棗+甘草)が含まれているからである。まあ、なかなか良く考えられているものだと感心する。
「麻黄湯」にそう言った配慮が全くされていないのは、この薬自体が超短期決戦のための薬だということを示しているのではないだろうか。そう、この漢方薬は最強の有効成分だけをシンプルに配合してあるのだ。
逆に言うと、体力のない人にはお勧めできない薬だということになる。
そんなわけで効果が早く出るために、最初だけ倍量で内服する。そのまま布団にくるまった。バイクの運転で神経を使ったせいか、どっと疲れが出てあっという間に眠ってしまった。
15時半頃に目が覚める。体熱感は強く、汗は全く出ていない。まだ麻黄湯の効果は出ていない。というわけで、さらに追加で一包を熱湯で溶いて服用した。寒気が強く、身体中が痛い。「これほどの痛みがあるのか!」というくらい痛い。そうか、インフルエンザの痛みはこんなに強いのかと実感する。インフルエンザって高熱を出す病気だと思っていたけど、全身の筋痛を来す病気だったんだなと実感する。発熱はおそらく二の次だ。そういえば、全身の痛みだけで熱もなく、念のために検査したらインフルエンザ陽性だった患者さんもいたわ。
今度は身体中の痛みで眠れない。スマホで時間でも潰そうかと思うが文字が全く頭に入らない。諦めて音楽を流すことにした。これで少しは気が紛れる。
気がつくと眠っていたようだ。外も真っ暗になっていた。時計を見ると18時だった。まだ麻黄湯の効果は出ていないようだ。
さらに一包を追加して服用する。身体中に熱が篭っているのがわかる。身体中の痛みもますます強い。そろそろ効いてくれよ、とてめえは願った。
18時半頃、いきなり身体中が燃え上がるように熱くなった。ものすごい熱で、頭も朦朧としてまるで夢の中にいるようで、目を開けると世の中が歪んで見える。しかし今までの全身の痛みは少し軽くなったような気がする。今まで全く経験した事のない感覚だ。麻薬でハイになった時はこんな感覚なんだろうか?
とにかくすごい体験で、体の中から燃え上がるような感覚。まるで全身の免疫系がファイアーして、一気にインフルエンザを燃やし尽くそうとしているような感覚。
西洋薬だったら、症状を抑えようとする「陰性の作用」が主なのだろうと思う。病状が陽なのであれば、それを叩く、逆方向に持って行こうとする。
しかしこの麻黄湯は違う。「陽」を極限まで燃え上がらせた上で、鎮火させる如く作用する。これは体力のある人には可能な治療法だが、高齢者や免疫力の落ちた方などは下手するとそのまま持って行かれるのではないか。
などと考えていると、19時頃に一気に発汗した。身体中の熱が汗と共にあらゆる毛穴から抜けていくような感覚に襲われる。ぐっしょりと発汗したあと、一気に体が軽くなった。おお、これが麻黄湯マジックか。
それでも完全に解熱したわけではなく、まだ37-38℃台の発熱が続く。20時半ごろに胃に違和感を感じたのはおそらく麻黄の副作用だろう。手持ちの胃薬をこの時点で内服した。
かなり体は軽くなったがまだ38℃台の熱はあったため、21時前に麻黄湯をさらに一包服用した。これで計五包。だいぶ体が軽くなったので、これを最後にもう寝てしまうことにした。
続く。
ほんまにもう、どうしたらいいのかわかりません、とてめえの後輩は泣きそうになりながら言った。入院している患者さんの治療についてである。
今まで断続的に相談を受けていて、できる限りの治療オプションは提案していた。空き時間に文献を漁り、お互いの考えをつき合わせながら治療方針を微妙に修正する。
しかし患者さんの病勢は強かった。どんな治療をしても反応しない上に、どんどん弱っていく。主治医である彼は常に「自分の力量が足りないのでは」「治療方針が間違っているのでは」という強迫観念に駆られていた。
いや、そうじゃないんだよ。と、てめえは言いたかった。言いたかったが、あえてその言葉は封印していた。ここはとことん悩んで欲しい。そして考えて欲しい。この経験は、必ず彼の医師人生にプラスになるはずだ。
そんなわけで、一緒にとことん悩んだ。だが、てめえは結論が見えていた。この患者さんは、どれだけ力を尽くしてもおそらく助からないのだ。
「この人はもう助からないと思うよ」というのはとても簡単だが、そう考えるに至ったてめえの思考回路や経験は、残念ながら彼と共有することはできない。てめえも駆け出しの時は、指導医が最も簡単に治療を投げ出すことに疑問を感じていた。もちろん、今はそうした指導医の気持ちが痛いほどにわかる。
病棟のナースは「この患者さんに追加の検査をする意義はどこにあるのですか?」と彼に詰め寄った。そのエピソードを聞いて、てめえはようやく彼に話をすることにした。てめえは、そう言わざるを得なかったナースの気持ちも、また治療を諦めきれない彼の気持ちも痛いほどよく分かる。
「もう、他に手段はないのですか。ただ悪化していくのを見ているだけというのは耐えられません。」 「気持ちはよく分かる。わかるよ。でも、もうこの患者さんは、おそらく一線を越えてしまった。残念ながら医学というのは敗北の学問で、どの患者さんも最後には必ず治療に全く反応しない時期が来て、亡くなる。これは必然やねん。この患者さんもその時期が来たのだと思う。これからはそれを家族に受け入れてもらうところなのちゃうかな」
そう、医学の、特に内科は必ず最後には亡くなられる。付き合いの長い患者さんが目の前で亡くなっていくのを見るのは正直とてもつらい。でも、それは必然なのだ。そしてこの仕事をしている限り、その運命から逃れることはできない。
病状が悪化したら大きな病院に送り、患者さんが亡くなったことを知らない開業医も多いが、病院に勤務している限りその運命からは逃れることはできない。
とりあえず二人で家族さんに病状説明をした。手は尽くしたが、残念ながら病勢は強く、これ以上の回復は望めない、ということ。
「あと、どれくらいでしょうか」 と娘さんが聞いた。 「それは…」 と絶句した彼の代わりに、てめえが応えた。 「おそらく、あと二日くらいでしょう」
その話をしてからきっかり二日後に、患者さんは亡くなった。後輩の初めての「死亡症例」だった。「モニター上心電図がフラットになりました」との電話が入り、一緒に死亡宣告に行った。
ベッドの上で、患者さんは安らかな表情をされていた。後輩に促し、かれはぎこちなく心音がないこと、呼吸音がないことを聴診器で確認し、最後に指で眼瞼を開いて瞳孔が開ききっていることを確認した。それから時計を確認し、死亡宣告を行った。これから長く続く彼の医師人生での初めての死亡宣告 となった。
それから彼と二人で死亡診断書を書いた。あのモノクロな用紙はどうしても気が滅入る。その間にナースが体を清めてくれる。
「なにがあかんかったのでしょうかね」 と、彼は無念そうにてめえに尋ねた。 「あかんかった事はないで。君は十分患者さんに尽くした。最善を尽くした結果やと思う」 と、てめえは言った。
それからご家族さんと話をした。
「まったくこちら側の力が足りず、残念でした」 と、てめえらは頭を垂れた。
「いえ、よくしてもらいました。正直、家族から見ても、もうあかんという覚悟はしてました。でも、主治医の先生は、まるで自分の家族のように悩んでいろいろ治療してくれた。だからね、ちょっとだけ期待したんですよ、もしかしたら少しでもよくなってくれるかもって…。だから、本当に感謝しています。ありがとうございました」 と、娘さんも頭を垂れた。
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