昔書いたものの焼き直し。笑
職業に貴賤がないというのはもちろんだが、てめえが最も尊敬している職業の一つはガードマンである。
ガードマンを街で見かけると、てめえはほんまに、彼らに対してごくろうさま、という気持ちになる。ただ交通整理をしているだけとの見た目と違って彼らの仕事が過酷であることは、てめえがかつて植木屋で働いていたときに嫌と言うほど感じたのだ。
現場には雇い主よりも早く着いていなければならず、そのために彼らの朝はやたらと早い。また現場の仕事が遅れれば、その分だけ彼らの終業も遅くなる。しかし、現場の仕事が終わらなかったからと言って「すんません、もう5時ですので帰ります」なんて口が裂けても言えない。
そして単調に見える交通整理の仕事は、一瞬でも気を抜いたら現場の人間からたちまちぼろくそに怒鳴られる。結構理不尽な仕事だな、と思ったものだ。
植木屋で働いていたある日のことだが、その日は街路樹の剪定をしていた。公道にある街路樹の剪定をするときには、植木屋は必ず安全のためにガードマンを雇わなければならない。ので、その日も二人のガードマンのおっちゃんが現場に来ていた。
その日は昼を過ぎてもその日の目標の地点まではまだ遥か遠く、親方は結構いらいらしていたのだろう、なんでもないことでガードマンのおっちゃんを理不尽に怒鳴りつけていた。いつもは何本かの剪定を終えるたびに、てめえはてめえの単車を少し前に移動するのだが、その日は忙しかったのでそんなヒマもなかった、というか、単車を移動することをすっかり忘れていた。
もうとっぷりと日が暮れ、ようやく仕事がすべて終了したときに、てめえは単車を橋の向こうに置きっ放しにしていたことに気が付いた。その大きな橋はいったい何を考えて作ったのかわからんが歩道が無かった。つまり、交通手段がない限り向こう側には渡れず、かなり遠くにある橋を渡って向こう側に渡るしかなかったのだ。
もう仕方が無いので橋の欄干の上を歩いていくしかないか、となどと考えていたら、仕事を終えたばかりのガードマンのおっちゃんが何を思ったかてめえのところにやって来た。自分の原付でよければ橋の向こうまで2ケツしましょうか、と。
それからノーヘルのてめえを乗せた原付は、渋滞気味の車の間をすり抜けて、その橋の上を疾走した。ガードマンの制服を着たおっちゃんと、足袋を履いた植木屋が2ケツしている姿は結構笑える図だっただろう。そもそも原付の二人乗りもノーヘルも法律違反だが、時効ということで許してもらう。
そしててめえは、なんだかバイクに初めて乗った中学生のような不思議な気分になった。橋の上から見た川の波は、どっぷり沈んだ街の闇と光をしっかりと吸い込んでいた。
今日は捏造に関連する二つのニュースに接して、本当に驚いてしまった。正直驚いたどころの騒ぎではないのだが、今日考えたことを書き記しておく。
一つ目は、笹井氏が亡くなったこと。
学問がなんであるかを不幸にも学ぶことなく研究者としてこの世に出た女性のために、学問の世界をリードして来た研究者が亡くなった。彼女は、この結果をいったいどう総括するのだろうか。それ以上に、そんな彼女を世に送り出した早稲田はどう落とし前をつけるのか。
二つ目は、朝日新聞が「日本軍による、従軍慰安婦の強制連行が捏造だった」と、暗に認めたこと。
http://www.asahi.com/articles/ASG7L71S2G7LUTIL05N.html
物証もなく、証言だけしかなかった慰安婦問題だが、これをはじめに報道した朝日が「虚偽と認めた」って、これは凄い大ニュース。証言そのものが嘘だったら、もう存在してませんやん。
朝日新聞の報道があるまで全くこの「慰安婦」問題をとり上げなかった(だって存在しなかったのだから)韓国がこの報道の後に「慰安婦の強制連行」大キャンペーンを始めたのだが、朝日新聞はてめえのせいでここまで拗れた日韓関係にどうケリを付けるつもりなのだろうか。
そして、今回朝日新聞によって梯子を外された、自称「元慰安婦」はどうするのだろうか。今後「韓国軍慰安婦」についての事実が明らかになってくると思うが、事実として存在しなかったこと、それに対して「謝れ!」と言って来たことに対して、韓国政府はどうけじめをつけるのだろうか。果たして彼らは日本に対して謝るだけの器があるのか。
ていうかライダイハンについて韓国はベトナムに謝罪しないのはなぜか。日本にはありもしなかったことを謝れと言っておいて、自分たちがしたことは絶対に謝罪しない。ただ感情的でなぜか尊大で、理知的な会話が出来ない人たち。ベトナム政府はこの件に関して、もっと戦うべきだと思う。
しかしあの心優しいベトナム人たちはそんなことしないだろうな。だって、あれだけ国土をめちゃくちゃにしたアメリカに対してすら謝罪求めてないからね。ベトナムを見ていると「未来志向」とは何かということについて考えさせられる。
過去は過去で、これからは未来を見て行きましょうというメッセージだと思うし、それはとても建設的だと思う。過去を謝れとしか言わない(その内容も捏造だったってわかったが、このことをどのように落とし前をつけるのだろうか)方々と違ってね。
「オペ室に外科用の縫合セットがあったやろ、あれ持って来て。それと血圧計も持って来て」 上司はそう看護師に指示した。
血圧計はすでに看護師が持参していたのがあったので、それを上司は受け取ると、彼女の上腕にマンシェットを巻き付けて勢いよくポンプから空気を送り出した。
腕に巻いたものにその人の血圧より大きな圧をかけると血管は完全に閉塞する。そして、血圧計の圧表示が150を超えたところで、彼女の腕は血の気を失い完全に真っ白になった。
腕が真っ白になったことを確認して、てめえはゆっくりと破裂した血管から指を離した。血流は完全に途絶されており、そこからは一滴の血液も出てこなかった。ちょうどそのときに、手術室から外科用の縫合セットが病室に届いた。
「長時間このままだと腕ごと壊死するから、さっさと勝負をつけようか」
そう言って、上司はてめえに外科手術用の手袋を渡した。
「こういうの、得意やろ? 俺はもう歳でうまくやれる自信はない。今のうちにとっとと縫ってくれ」
そこまで言われればやるしかなく、てめえは手術着に着替えて外科用の手袋を嵌めた。そして縫合セットから出来るだけ細い糸を選び、針の先に装着した。
そして慎重に、裂けた血管に針を通す。一方の血管壁に糸を通し、もう一方の血管壁にも慎重に糸を通した。
後は縫うだけだ。
ゆっくりと結び目を作り、血管壁と壁を合わせようとしたが、残念なことに縫合した糸は血管壁を容易に裂いた。
できるだけ丈夫そうな部位を選んでも同じだった。長年の宿痾を抱えていた彼女の血管は、すでにぼろぼろだったのだ。
タイムリミットは近付いている。いったん血圧計の圧を解除し、血流を回復してから再度圧をかけるという方法もない訳ではないが、結果は見えている。
血管を修復するのは不可能だった。しばらく考えて、てめえは血管の周りにある皮膚を寄せて、裂けた血管を覆うように強く縫い込んだ。
縫い込んだ状態で、いったん血圧計の圧を解除する。縫った部位から血が吹き出るようなことがあればやり直しだが、傷口から滲む程度で出血はほとんどなかった。
念のために、団子状にしたガーゼで圧迫し、弾性包帯をぐるぐるに巻き付けた。
「…あとは祈るだけや」
と上司は言った。てめえも全く同じ気持ちだった。その頃には輸血も届いていたので輸血を開始し、血圧などが安定していることを確認して家族を呼んだ。
「なんとか止血は出来ましたが、状態は非常に厳しいです。おそらく今日明日あたりが山でしょう。呼べる家族はみんな呼んでください」
とてめえは説明したが、目の前で動脈の破裂を見た家族は未だ放心状態だった。
その間にまるっと放置していた他の患者の処置や投薬の指示を終え、結局その日の仕事が終わったのは午後9時を過ぎていた。一通りの仕事を終えたてめえは、彼女の病室に向かった。
病室には溢れるくらいの人がいた。彼女は静かに眠っているようだった。人をかき分けかき分け彼女のそばに立った。裂けた動脈は、しっかり止血されているようで弾性包帯には血が滲むこともなかった。
親指の付け根にある橈骨動脈をそっと触れてると、しっかりとした拍動を感じる。動脈を完全に閉塞しているのではなく、血流もちゃんと通っている、ということだ。病室に置かれたモニターを見ても、血圧も脈拍も安定していた。今のところは安定しているようだ。よかった。
「今は、安定しているようですね」
と、てめえは振り絞るように言った。
一通りの診察を終えて病室を出ると、キーパーソンの娘さんも一緒に病室から出て来た。
「さっきは動転してしまったけど、ちょっと時間も経ってやっと落ち着きました。ここまでしていただけて、皆様にはとても感謝しています。でも、母もよくがんばった。もし次に何かあれば、もうそのままにしていただけませんか。勝手なことを言いますが、これが私たち家族の総意です」
そうだろうな。とてめえは思った。このご家族さんは、非常によく母のことを理解されておられた。だから最期は、という意思は、痛いほどに理解できた。
わかりました、とてめえは言った。そう、よくがんばった。
そう思い、もう一度病室の中を見た。多くの家族に囲まれて静かに眠る彼女の寝顔は、苦しみなどもうすでにどこにもないような穏やかな顔をしていた。
それから彼女はひたすら眠り続けた。家族の希望で、週3回の透析も中止した。「母は誇り高い人であり、もし意識があったらこの状態で透析を続けることに同意するとは思えない」との娘さんの意見を汲んだのだ。
それからきっかり1週間後、家族に見守られながら彼女は息を引き取った。ちょうど、桜が満開の季節だった。
それからしばらく経ったある日、娘さんが病院を訪れた。娘さんはとても穏やかな表情だったので、てめえも安心した。
「あの亡くなった日ね。病院を出て、鴨川沿いに母を乗せた車を走らせたら、桜がきれいでね…。お母さんはこれを見るために、血管が破裂してから1週間がんばったんだと気が付いたんです。なんせ、桜がとても好きな人だったから。このタイミングで病院を出たかったんだねって、みんなで帰り道に笑って…。変でしょ、亡くなったばかりなのに。でもなんだか可笑しくてね」
と娘さんは笑った。
しばらくはとりとめもなく彼女の思い出話をした。
そうそう、今日は先生にお礼を持って来たの。と、娘さんはタッパーを取り出した。タッパーをあけてみると、その中には「ぜいたく煮」が入っていた。
母の得意料理でね、母の味を再現してあるからぜひ食べてね、これを先生に食べてもらうのが母の想いだと思ったの。それとタッパーは返却不要なので適当に有効利用してね、と娘さんは笑った。
少し前の話だが、上司に「病状的に難しい患者さんがいるので、自分の代わりに診てほしいのだが」とお願いされた患者さんがいた。上司が長いこと診ていた人だったので、なぜてめえに投げたのかよくわからなかったし、今もわからない。上司の手に余ると判断したのか、てめえの手腕を試そうとしたのか。前者の訳がないので、おそらく後者だろうとは思う。
80歳くらいの女性で、腎機能は既に廃絶しており、週3回の透析が必要な方だった。人工透析も長いこと受けておられた。それだけではなく、肝機能も悪く常に腹水が貯まっていた。いわば難病をいくつも抱えている悲惨な人生だったが、ご本人はとてもポジティブな方で、透析をしていない日は積極的に人生を楽しまれていた。友人と遊びに行ったり料理教室もされたり、その他多趣味な方だった。
もちろんてめえが受け持った時はそんな多趣味であることなどは知らず、度重なる入院生活で話を聞く中で知ったことだった。患者生活も長い彼女は、若いてめえに最初こそ警戒心を隠さなかったが、治療計画などを説明するうちにどんどんと打ち解けて行った。
ご本人が最も悩まれているのは腹水だったので、まずはこれをどうするか相談した。お腹がぱんぱんで、遊びにも行けないの、と彼女はこぼした。80超えてたらもうええんちゃうの、とはてめえは言わない。こういう人にはとことん遊んでほしい。
まずは腹水の性状を確かめさせてほしい、とてめえは言った。さっそく彼女のお腹に太めの針を刺し、腹水を摂った。
その腹水を検査に出し、分析する。肝臓が原因の腹水なので悪性ではないことはわかっていたが、意外と栄養成分が多かった。
栄養成分がなければ、単純に貯まれば抜くという方針でいいのだが、栄養成分がリッチなのであれば、腹水を抜けば抜くほど痩せていく。
そんなわけで、治療方針は決まった。出来るだけ腹水を抜いて、純粋な水分だけを取り去って、栄養成分だけを点滴で彼女の体内に戻す。
いったん体外に出た成分を戻すのは、自分の一部だったとしてもそれなりの危険を伴うのだが、彼女はこの方針に賛成された。
月に1回入院して、1泊で腹水を抜いて栄養成分だけを戻すという治療を行うこととした。1泊するのは、副作用が出ないかどうか確認するためだ。そして副作用がないことを確認して、ついでに透析も受けて家に帰る。
そしてしばらくはこの治療は著効した。体内に栄養成分を戻すことで腹水も出来にくくなった。不安気味だった彼女が、笑顔を取り戻すのにさほど時間はかからなかった。
毎月ルーチンワークのように入院するというのに、彼女はいつも笑顔だった。 「入院して治療を受けると、いつも元気になるの。ありがとうね」 と彼女はいつも言った。
腹水治療のための入院中に彼女から色んな話を聞いた。てめえは治療と関係ない話が好きで、治療に関係ない話が多いほど、治療関係としては成功していると思っている。治療に関係ない話をしない医師も多いが、それだとてめえは仕事を続ける自信がない。
しかしあらかじめ予想していた通り、腹水は増えて行った。月一回では間に合わなくなり、彼女は月2回の治療を希望した。それはもちろん受け入れられる範囲だったのだが、この治療は保険上、月2回までしか出来ないのだ。
だから2回まではできるのでは、と思う医師と、2回以上必要になればどうしようか、と思う医師に分かれると思う。てめえは後者で、今後のために次の治療を考えませんか、とてめえは彼女に言った。
それまでの入院治療で副作用が全く生じず、回診のときにも医療と関係ない話題で盛り上がっていたてめえを、彼女はとても信頼してくれていた。
今まで通り、保険で出来る範囲の治療を続けるか、あるいはリスクはあるが別の治療法を試すか。どうしますか。
「私は今まであなたを信頼して治療を受けて、その結果にとても満足している。この数ヶ月、本当に充実した人生だった。だから、あなたの選んだ方針であれば、それを受け入れます。」
と、彼女は言った。
人の人生を受け入れるのは非常に困難である。今まで通りの治療を続ければ、緩やかに悪化はして行くが今まで通りの人生は難しい。別の治療法を選択すれば、リスクはあるが今まで通りの人生を続けられるかもしれない。
そして、てめえは後者を選択した。
後者の治療には手術が必要だった。内科医であるてめえは手術を出来ないので、最も信頼している医師に手術を依頼した。手術の段取りだけを決めて、彼女はいったん退院した。
ここからは娘さんに聞いた話。いつも遊びに行く時のように、彼女は手術のための入院日に「じゃあ、行ってきます」と軽快に歩いて家を出たそうだ。
そしててめえの勤務しない別の病院に入院し、手術は成功した。
手術は成功したが、術後に様々な合併症が出た。先方の病院も手を尽くしてくれたが、意識状態が戻らないままてめえの病院に転院となった。
転院されて来たとき、引き継いだてめえは彼女のあまりの変わりように驚いてしまった。難病をいくつも抱えていたにもかかわらず元気に過ごしていた彼女。しかし手術の合併症で、彼女は意思疎通も出来ず寝たきりになっていた。いわゆる、予想できた中では最低の結果。
最終決断をしたのはてめえなので、てめえは家族に心から詫びた。もちろん、そんな筋はないが、本当に申し訳ないと思ったのだ。家族はてめえを責めることはなく、治療の選択は母も納得していたので仕方がなかったと思っていると言われた。
なんとか病状が好転することはないだろうかと、てめえは出来る限りのことをしたが、日に日に病状は悪化する一方だった。
そんなある日、病棟で仕事をしていたてめえのPHSが鳴った。 「血管が破裂したんです、今すぐ来てください!」
呼ばれた病室は彼女の病室だった。血管が破裂? って良く意味が分からんが、と思いつつ、てめえは全速力で病室に向かった。
病室では看護師が必死に腕を圧迫していた。てめえは使い捨ての手袋を両手に嵌めると、看護師が押さえている部位をそっと外した。
たちまち血が噴き出した。上腕の動脈が何らかの原因で破裂したのだ。てめえは両手で動脈を圧迫した。吹き出す血は押さえられたが、彼女の顔色はどす黒くなっていた。普段は起きないことが起きるということ自体、もう終わりが近いということを示している。
とりあえず、そばにいた看護師に輸血の準備をするように指示した。「輸血はわかりますけど、この血管はどうするんですか?」と看護師は小声でてめえに囁いた。ふと周りを見上げると、たくさんの家族の方がいた。「とりあえず、圧迫するしかないやろ」と、てめえは言った。
先ほど一瞬だけ見た血管は完全に裂けており、縫合で何とかなるレベルではない。人工血管を置く? それはこの状態では無理だろう。とすると、止血するまで押さえ続けるしかない。しかし避けた動脈が止血するなんて、医学の常識としてはあり得ない。
そうでなくても彼女の生命は長くないだろう、とてめえは考えた。呼吸は今にも止まりそうで、これ以上侵襲を与えることなんて考えられない。
てめえは腹を据えた。息をのんでいた家族に状況を説明して、てめえは出血が止まるまで押さえ続けると言った。
そう話している最中に、病室に飛び込んできた人間がいた。てめえにこの患者さんを丸投げした上司であった。
彼は、居並ぶ家族を確認するとにっこり笑い「少し席を外してもらえますかな」と言った。
患者とてめえと上司の3人になった病室で、彼は先程の笑顔を消した。
「で、どうするつもりや?」 「血管は完全に裂けていてどうしようもありません。正直、時間の問題やと思うので、それまで私は止血を試みます」と、てめえは言った。
「なるほどそれも道理やけど、これが3日続いたらどうする? さっきオーダーした輸血が届いたらしばらくはもつ。君は3日間押さえ続けるつもりか」 「その覚悟でしたが」 「アホか! その間、お前の患者は誰が診るんや? 家にも帰らずひたすら血管を押さえ続けるのか。それは建設的じゃない」 「じゃあどうするのですか」 「俺に考えがある」
と、上司は看護師を呼んだ。
つづく。と思う。笑
2014年07月25日(金) |
コウノドリの5巻が配信されたわけさ。 |
コウノドリの5巻が今日kindleに配信された。4巻までそろえていたてめえは、密かに前から予約していたのだ。そんなわけで、発売日の今日の朝、てめえが起きたらすでにkindleに入ってた。まあ便利な時代になったものだ。
仕事が終わっていろいろやることを終えてから早速読んでみた。このマンガは結構リアリティがあるだけではなく、てめえが産婦人科研修をしていたときのこともリアルに思い出す。
てめえは2ヶ月だけ、なんちゃって産婦人科医をした。「何も知らない研修医」の身分を利用して色々勉強させてもらった。
産科領域に関しては、予測できないことも多くてほぼ毎日病院に泊まり込んだ。てめえのいた病院の方針は「できるだけ実践させる」というものだったので、数例正常出産を見た後は、ほぼ自分が赤ちゃんをとり上げた。
分娩介助をするためには、陣痛が始まったところからずっと妊婦に付き添わなくてはならない。もちろんその前にある程度の人間関係を作っておかないと、妊婦の側から分娩介助に入らせてもらえない。そりゃあそうで、自分の大切な子供は信頼できる人じゃないととり上げてほしくないのだ。てめえは幸いなことに、一例も拒否されなかった。
そんなわけで、正常分娩で約20人の赤ちゃんをこの手でとり上げた。この経験があるので、今でも多分、例えば道端で緊急の正常分娩に出会っても赤ちゃんをとり上げることは出来ると思う。
死産に出会ったことは以前に書いた。産婦人科研修では、それ以外にもう一人印象的な妊婦さんがいた。
奥さんが外国の人だった。ご主人は日本人で、どうやって出会ったのだろうかは全く知らない。妊婦検診の時から良く知っていた方だった。
奥さんは黒人で20代だったと思う。夫は40代の日本人だった。妊婦検診は順調だった。とうとう予定日近くになって、陣痛が起きて夫婦は病院に来院し、入院となった。
奥さんは初産だったので、なかなか子宮口が開かなかった。定期的にやってくる陣痛に、彼女は呻いた。ご主人はずっと付き添っておられたが、途中でリタイア。年のため? かどうか知らんが、最もしんどい妻を横目にさっさとリタイアってなんだろうか。人間はしんどいときに本領を発揮するとは良く言ったものだと思う。
まあ、医療側から見れば正直夫とはそんなものだ。ていうか男ってそんなもので、覚悟が出来ない子供なのだ。
そんなわけで、リタイアした夫の代わりに業務上てめえがその女性に付き添い、ずっと腰をさすり続けた。
陣痛が来るたびに、彼女は躊躇わず痛みに顔を歪め、てめえにさする腰の部位を指示した。俺はあんたの夫じゃないぜ、なんて言いませんよ。
それが何時間続いただろうか。てめえは腰をさすりながら、痛みが引いた時をみて内診をした。子宮口はそれでも開いていない。上級医にも見てもらったが同じ意見だった。これはまだまだ時間がかかりそうだ。
度重なる陣痛の痛みに堪え兼ねて、とうとう彼女は叫んだ。
“kill me! please!”
てめえは「あなたの子供は今この世に出ようとしていてがんばっているんだ、あんたががんばらないとどうするんだ! 生まれて来た子供になんて言うんだ? あなたは愛する子供に会いたくないのか?」と、精一杯の片言英語で言った。残念なことに、最も愛する人であるはずの夫はその場にいなかった。
その後、彼女は泣き言を言わなくなった。夫は気絶したままだった。
それから数時間後、無事彼女の子をとり上げた。元気な男の子だった。生まれた子供を抱きしめ頭を撫でながら、彼女は生まれたばかりの息子に”I love you"と言い続けた。
数ヶ月後、ベビーカーにその子を乗せて、一家は挨拶に来た。気絶していた夫もこの日は付き添っていた。
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