加賀棒茶があまりに旨かったので、再度手に入れようと考えたのだが、これがまた面倒くさかった。ので、近場で代用できないかと、てめえが愛してやまない一保堂で「くきほうじ茶」と購入して飲んでみた。
これはこれで旨かったのだが、似て非なるものだったのだ。そんなわけで、なんとかネットで購入した。ううむ、やっぱり旨い。今年の夏は加賀棒茶で乗り切るぜ。
日本の国歌は地味すぎることや、ドイツ人の作曲によるもの(別に日本人でなくても良いのだが、国歌の作曲はやはりその国の人の方がよくない?)などからあまり好きではなかったのだが、この歌声にはしびれたというか泣けた。今後世俗に塗れて神の声が失われないことを祈る。
国歌と言えば「ドイツ国歌」。今回ドイツがワールドカップを制してドイツ国歌を聴く機会があったと思うが、実は今歌われているのは3番だけらしい。
1番がまずいのは置いといて、2番が凄い。「ドイツの女性! ドイツのワイン!」て。笑 国歌の尊厳がまるでないし。ドイツの女性ってまず浮かんだのがメルケルやけど。てめえ的には「ドイツのビール!」があればもっとよかったぜ。
しかし歌詞は置いといて、ハイドンの作曲になる曲自体は素晴らしいね。えっ「ハイドンはオーストリア人では?」って?
2014年07月13日(日) |
タミフルとかワールドカップとか。 |
こんな論文を発見。
成人と小児のインフルエンザ患者を対象とした無作為化プラセボ対照試験43件の報告書と規制情報を基に、オセルタミビル(タミフル)の効果をシステマティックレビューで検討。症状緩和までの時間短縮は成人で16.8時間(P<0 .001)。喘息小児では効果はなく、健常児では平均29時間短縮(P=0.001)した。また、肺炎などの重篤な合併症の減少効果も確認できず、服用中または服用後の精神的異常行動、治療中の頭痛、腎機能異常、服用中の悪心のリスクが増加した。
文献:Tom J,et al.Oseltamivir for influenza in adults and children: systematic review of clinical study reports and summary of regulatory comments.BMJ 2014;348:g2545.
BMJという、医師であれば誰でも知っている世界的に有名な大雑誌に上記の記事が載っていた。まあてめえが書き続けてきたことからすると当然の帰結で、こういう記事を日本のマスコミはとり上げてほしいわ。
要は「熱は早く下げるが合併症は減らず、副作用のリスクはある」ということ。もっとぶっちゃけて言うと「クソみたいな薬」ということ。何度も書くが、自分は飲まないし家族にも処方しない。
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今朝も早起きしてサッカー観戦。寝不足の日々ももうすぐ終わると思うと、一抹の寂しさが残る。
ブラジルは、主将のチアゴ・シウヴァが戻って本来の力を発揮するかと思いきや、この3位決定戦も全くダメだった。こんなにダメダメなブラジル代表は見たことがない。3-0という点差以上に内容を圧倒されていた。
ということは、ネイマールの存在がそれほど大きかったということ。彼が負傷しなければ、と思うと残念でならない。
明日の決勝は、きっとアルゼンチンが勝つだろう。戦前の評価は圧倒的にドイツだが、アルゼンチンの万全の守備の前になす術もなく。そしてメッシが今度こそ決めるだろうと思う。そうすればメッシがMVPかな。
しかしアルゼンチン対オランダは凄いゲームだった。両チームともがっつり守って隙を見せない。あれほどの攻撃力を誇るオランダが0点だったんだぜ。結果だけを見ると0対0のPK戦という地味な結果だったが、内容はそれ以上だった。もしアルゼンチンが負けるとしたら、この激闘による疲労のせいとしか考えられない。
そしてオランダのロッベンのパフォーマンスは凄かった。まさに切れることのないスタミナを見せつけられたわけで、無敗(PK戦は、記録上は引き分け)で終わったオランダはアルゼンチンに勝っていれば優勝もあり得ただろうと思う。
ブラジル代表の柱だったネイマールと、アルゼンチン代表の柱であるメッシは良く知られているようにバルセロナという同じチームに属している。そんなこと言ったら、ブラジル代表のいぶし銀ダニエウ・アウヴェスも、アルゼンチン代表で、オランダ戦で攻撃に守備にと大活躍したマスチェラーノも皆バルセロナ所属。どれだけやりたい放題やってんねん、バルセロナ。
このバルセロナというチームについてはてめえも大好きなチームなので、いつか詳しく書きたいと思う。
そんなわけで、明日は決勝。
最近毎日Appleの公式サイトにアクセスするのが日課になっている。なんか面白そうなデバイスは出ていないだろうか、と。まるで恋に落ちた中学生が恋い焦がれる彼女のサイトにアクセスするかのように、毎日Appleのサイトにアクセスしている。
そしてある夜、思わずスピーカーを衝動買いしてしまった。前から存在は知っていたし、「今すぐに買わなくてもいいんじゃないか」と理性を働かせて堪えていたのだが、夜というのはどうやら悪魔が降りてくるようだ。気が付いたらぽちっとな。なんか最近こういうのが多いな。笑
そんなスピーカーは、何と二日後にてめえの家に届いた。さっそく試してみたが、これが素晴らしすぎた。もう時代が進みすぎてよくわからんレベル。
まずとても小さい。手のひらサイズ。しかし重みは結構あり、手のひらに載せると意外とずしっと来る。
そして音質が凄い。小さいくせにすげえパワーがある。低温域がしっかりのびている。しかもボリュームを上げても全く割れない。何よりも持ち運び可能で、bluetoothでiphoneたちと繋ぐことが出来る。
つまり、iPhoneに入っている音楽を、屋内屋外に関わらずいつでもどこでも最高の音質で再現できる、ということ。なんと言う時代になったのだろうと思う。
ウィンドウズとはWin95からの付き合いで、それなりに長い付き合いなのだが、今回初めてMacを購入してからその関わりが激変した。本当に、全くWindows機を使用しなくなってしまった。これまで20年近い付き合いだというのに正直もう触りたくもない。家にあるノートパソコンはOSも7だしまだまだ使えるが、使う機会を想像できない。ので、てめえの個人データをきれいに消して、ノートパソコンは弟にあげようと思う。
しかし、よく考えてみれば全く意外なことではなかった。もともと音楽データはiTunesで管理していたし、iPodも初期から愛用していた。そんなてめえがiPhoneやMacに興味を持たなかったのは、よくわからない不安感だったのだろうと今になって思う。未知なるものに対する不安感。そう、今まで通りの携帯電話に、windowsを搭載したパソコンを使っていれば、大きな変化はない。
そんなてめえの転機は言うまでもなくiPhoneであった。本当に興味がなかった。iPhoneに対してというより、スマホに対して興味がなかった。それは単に無知であったことの裏返しにすぎない。
たまたま携帯電話をiPhoneに代えて、正直人生が変わった。まあ、その利点をよく知らなかっただけなのだ。
しかし、このiPhoneの便利さとAppleの製品とは、また別だと考えていた。新しいもの好きではあるが、また一から違うOSでやり直すことを考えると正直うんざりした。
そんな折に、これまたなぜだったのかよく覚えていないがAppleTVを購入した。これがまた便利だったのだ。iPhoneの映像や音楽を、テレビモニターで見ることが出来るということが衝撃的に便利だった。
しかしまだ、この便利さとAppleの製品とは、全く別だと考えていた。
今回、仕事でパソコンに自炊データを入れて持ち運ぼうと思い至った。もちろんその前にタブレットに入れることを検討した結果、amazonのkindlefireを購入したのだが、これがまた思ったより不便であった。この不便さは、マウス操作やキーボード入力の不便さを反映しているだけなのだろうと思ったてめえは、kindleは仕事に使わずに、専ら軽い読書に使うようになったし、その意味では今でも便利に使用している。
さて持ち運ぶパソコンの話。持ち運ぶには軽い方が良いし、バッテリーが良く持った方が良い。そんなわけで、いろんなパソコンを検討した。もちろんはじめはwindows機で検討したのだが、途中でふと気が付いた。appleのありなんじゃないの?
そんなわけで、早速Appleの公式サイトへと飛んだ。持ち運ぶだけなのでDVDなどの再生機能はいらない。そんなわけで、はじめからMacBook Air狙いだったのだが、なんと重さも1.35kg! バッテリー駆動も12時間で、なんとフラッシュストレージ! なんだそれは?
いったん充電すると、12時間使いっぱなしに出来るということは、充電器を持ち歩く必要はないということ。しかも電源をつけっぱなしにしていることはないので、数日は持つ計算になる。なんとiPhoneよりも持ちがいいやん。笑
そんなわけで、感動のあまり衝動買いしてしまった。その感動は以前に書いた通り。
今日は長いがまだ書くぞ。笑 いつもiPhoneと繋げてネットに接続しているが、その間ずっとiPhoneを充電してくれるので、使っているとあっという間に減って行くiPhoneのバッテリーを気にすることがなくなった。これは意外な副産物で、とても助かっている。と言うのは、今まで仕事でもiPhoneを使うことが多かったのだが、バッテリーが半日も持たず。充電器を常に持ち歩く必要があったからだ。
そんなわけで、今後はMac中心で生きて行くわ。もうwindowsには戻れないわほんまに。弟に差し上げるために、今まで愛用していたノートパソコンの整理をしているが、立ち上がりやレスポンスの遅さなどなどに本当にイラっとする。使っている時はわからなかったのだが、一度Macの便利さを知ってしまうと本当に戻れないな。
例えば。
windowsの場合は、不要なプログラムを消去するためには「コントロールパネル」から「プログラムのアンインストール」を選んで、その中のプログラムを選びアンインストールしていた。これが当たり前だと思っていたのだが、Macだと「ゴミ箱」にポイで終了。何だこの便利さは。
ワープロソフトも勝手にバックアップしてくれるので、windowsのように途中でパソコンが固まってしまって、保存していなかったデータが飛んでしまい泣くこともない。何だこの便利さは。
急に用事が入って、パソコンのカレンダーに予定を書き込むと、あっという間にiPhoneのカレンダーに反映される。しかも予定直前にはiPhone上で知らせてくれる。何だこの便利さは。
パソコンでiTunesで曲を購入したら、その瞬間にその曲が自動的にiPhoneに入っている。何だこの便利さは。
パソコンのSafariで開いていたウェブページの続きを、iPhoneで読むことが出来る。そう、iPhoneのSafariに反映される。何だこの便利さは。
まさか自分がMac使いになるなんて夢にも思っていなかったので、自分が一番驚いているぜ。やっほー。
2014年07月09日(水) |
沖縄の人たちは、大丈夫。ブラジル歴史的大敗。 |
沖縄の人たちは、大丈夫。
ものすごい台風が沖縄を通り過ぎて行った。強風で特別警報が出て、いったん解除されたにも関らず、その次には50年に一度という大雨で、なんと二度目の特別警報がその日のうちに出た。
てめえも職場では「沖縄が大変なことになっていますね」とか「沖縄の友人さんとか大丈夫?」と聞かれたりしたが、沖縄の人は大丈夫。てめえはそのことを良く知っているので、実は全く心配していない。
沖縄の人はある意味「緩い」し、「テーゲー(適当)」である。南国らしく深く考えず、その緩さがこれまた何とも言えない良い空気を作っているのだが、この人々はこと「台風」となると全く別人のようになる。
台風が来る数日前から食料を買い貯め、家に不安があればあらかじめ直しておく。そして一度台風がやってきたら、絶対に家から出ない。絶対に。田んぼも見に行かないし船が流されようが見に行かない。そんなことをすれば、たちまち命に関わるということを知っているからだ。
船は流されても最悪また買えば良いが、命は戻ってこない。停電しても、たとえ食料が尽きても(そんなことはまずないが)絶対に家から出ない。これは沖縄人のDNAに深く刻み込まれているのだ。
今回避難勧告が大々的に出ていたが、ほとんどの人は避難しなかった。多良間のようにあえて避難勧告を出さなかった自治体もある。そう、「台風の時は家から出てはいけない」のだ。そもそも沖縄では台風に耐えられない家は建てないし、仮に建てたとしても台風が来ると淘汰される。無機質にすら見える沖縄のコンクリート建築は、実は台風に備えた「要塞」なのだ。
具合が悪くなっても救急車も呼ばない。呼べば救急車自体が危険に晒されるし、その車に乗って行く自分も危険に晒される。そんな危険な賭けは誰もしない。救急車の中で死ぬのなら、自宅で死んだ方が良い。
もちろんコンビニも閉まる。県内は全て出勤禁止である。例外は医療機関と警察くらい。
医療機関も「出勤」しない。台風番を決めて、あらかじめ泊まり込む。看護婦さんも3交代分泊まり込むので、臨時の「ナース宿泊所」が院内に作られる。そして台風が行ってしまうまで誰も病院に出入りしない。
てめえの同期は、台風の時に非番だったのだが、病院の様子が気になってなんとか出勤しようとした。彼の家から病院まで、直線で100メートルもなかった。
まず彼は沖縄以外で見るように、傘をさして外に出ようとしたが、傘は全く役に立たないばかりか、傘を閉じても暴風のため立つこともままならない。
合羽を着込んで匍匐前進でなんとか前進しようとしたが、暴風だけではなく雨も凄く、視界を遮られていったいどこを進んでいるのかもわからない。
ガレージまで行けばクルマに乗って出勤できるかもと思ったが、そもそもほんのわずかの距離しかないガレージまでたどり着けなかった。
どこまでも律儀な日本人である彼は、仕方なくいったん仕切り直しをし、家に帰ってタクシーを呼んだ。ようやくつながった電話の向こうからは「本日は台風のため、業務を停止しております」という録音された声が流れてきて、ようやく彼は出勤をあきらめた。
このように、沖縄の人は台風に関しては本当に徹底している。だから、彼らは大丈夫。
数年前にも大きな台風がやってきた。沖縄では一人の死者も出さなかったが、そのあと上陸した九州では死者を出し、進路を変えて上がって行った朝鮮半島では100人以上の死者が出たらしい(北朝鮮国内での正確な死者数は不明)。
勢いが弱くなるにつれて被害者が増えるのは。これは本当に、備えに対する意識の違いだと思う。最も勢力の強い沖縄では誰も死なない。しかし、他のところでは「様子を見に行く余裕がある」だけ、犠牲者が出てしまうのだろうと思う。だって、沖縄の台風は本当に外出できないからね。
今日のブラジル戦は衝撃映像だった。ほんまに言葉を失ってしまった。
試合前に、ブラジル代表メンバーが、ネイマールのユニフォームを抱きしめ国歌を歌っていたところでは不覚にも泣いてしまったが、その後の試合展開でも涙が止まらなかった。ていうかなんだこの「悲惨な戦い」は。あまりにも酷いものを見てしまった。
途中で見るのを止めようかと思うほど、ブラジルにとっては惨めな戦いだった。しかし、てめえは最後まで観てよかったと思う。後半は少し希望が見えたし、それは3位決定戦に生きるだろうと思う。観客も悪態をつくだけではなく、あれだけ容赦なく叩きのめされたドイツ代表にもちゃんと敬意を払っていた。これを観ててめえはサッカーファンで良かったと心の底から思ったぜ。
なぎら健壱「悲惨な戦い」
2014年07月04日(金) |
ベトナム ホーチミン Nhu co bac hotrong ngay vui dai thang |
初めてベトナムに行った時のことは、どこかに詳しく書いたような気がする。とにかく毎日が楽しかった。
空港の免税店で、テレビや冷蔵庫などが主力で売られていたこともびっくりしたし、医薬品を税関に通すために賄賂を必要としたのも驚いた。全く別の世界に来たと思った。
空港を一歩出たら、じっとりと湿っぽい空気がてめえの体にまとわりついたこと、アジア特有のなんだか美味しそうなエスニックな香りにたちまち包まれたことを思い出す。
初日はサイゴンに宿を取って、夜の街に友人と繰り出した。適当に歩いていると、陽気な少年が「マッサー、マッサー」と纏わり付いてくる。"what do you mean マッサー?”と聞いたら、「マッサージだ」とのこと。このマッサージには二種類の意味があった。一つ目は性的なもの。てめえは全く興味がなかったが、同行した友人はそれなりに興味があったようだ。初めて行った国で、初日に女を買うほどてめえは冒険家ではない。ていうか、外国で女性を買う意味が分からない。
と言うことを同行した友人に語ったところ「まじで? 俺は外国旅行したら必ずその国の女性一人とは"する"ぜ。それが文化を知る一番の方法やろ」と言った。そんな彼はいつも、酒の席では国ごとの「異文化交流」について熱く語った。それがまったく嫌らしく聞こえなかったのは彼の人格の賜物だろうか(棒読み)。
話は飛んだが、二つ目のマッサージ。これはかなり本格的なもので、ごりごりと揉み解してくれるだけではなく、そのあとに「吸い玉」も付いてくる。
少年の「マッサー」は後者の意味だったので、てめえはさっそく青空マッサージを受けることにした。これが個室に連れ込まれると何をされるかわからないのだが、少年は「路上でいいで」と言ったのだ。
てめえは笑い転げる友人たちの前で、上半身裸になってマッサージを受け、吸い玉治療も受けた。ビジュアル的には結構な衝撃映像だったが、そんなことはどうでもよい。
翌日はサイゴンをあとにして、ダラートに向かった。ダラートで一泊し、そこでベトナム人の通訳と合流した。この人はチュオンという名前だったと記憶しているが、とても面白い人だった。ダラート出身で、いつも気の利いたことを言って皆を笑わせた。
チュオンはお酒が大好きで、夜になると皆で酔いつぶれた。「モッ、ハイ、バー、ヨー!(1、2、3、乾杯!)」と毎晩飲み明かした。
飲んだあとは、チュオンを中心にしてみんなで大合唱。最後に歌う曲はいつも、ベトナムホーチミン。
この曲に酔いしれたてめえは、帰りにサイゴンのCDショップでこの曲を買い求めた。歌ってみるとすぐに理解されたようで、「このCDに入ってるわ!」と言われるままにそのCDを購入した。相場よりも高かったことが気になったが、そんなことはどうでもよい。
日本に帰って早速聴いてみたら、全然違う曲が入っていた。ああ、やられた。クソサイゴンめ。まあ、ホーチミンにやられた元南ベトナムの首都であっただけあって、ホーチミンのことが嫌いなんだろうな、と言うことがよくわかったわ。まあ、皮肉にもサイゴン市は、革命後「ホーチミン市」になった。が、市民はみな旧名のサイゴン市を好んで使用している。
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