去年から往診の仕事をしている。今まで全くの未経験だったので、かなりビビったあげく引き受けたのだが、これが楽しいのだ。
その一。患者さんにとってはホームで、てめえはアウェイ。病院外来とは全く反対の立場で、リラックスされている患者さんと話するのがとても楽しい。医療ってこうあるべきなんじゃないかとまで思うわ。
病を得て、あえて込み合う外来に出かけて行って、数時間待ってようやく診察を受けるより、こっちから出向いた方が良い。それを痛いほどに実感する。
その二。医療資源がない。つまり、てめえの診察で全てを判断しなければならない。それこそ「腕」を問われる訳で、検査に頼らない医療を実践してきたてめえ的には最適である。その結果はシビアに帰ってくるので緊張感は抜けないが、これこそ在宅医療の醍醐味だろうと思う。
というのは、検査が必要な場合は病院への受診が必要になるのだが、在宅医療をしている方々はそんなに簡単に受診できないから在宅医療を選択されているのだ。レントゲン一つとるにしても、介護タクシーを手配したりなんだかんだとハードルがある。
しかし、てめえの持論は「レントゲンなどの検査は、あくまでも結果の確認」である。つまり、レントゲンを撮って初めてわかるようでは医師として失格とまでは言わないが、とても恥ずかしいことなのだ。「肺炎」だと思ってレントゲンを撮って、その通りだということを確認する。検査というものはそう言うものだとてめえは思っているし、これは死ぬまで変わらないだろう。
その三。在宅医療を選択される方は変な人があまりいない。これが一番大きいかもしれないが、詳細は書きません。
今日の往診は、看護婦さんがサッカー好きな人なので、移動中はずっとサッカーの話ばかり。
「先生は、どこが残ると思いますか?」
と聞かれたので、戦前は普通にブラジル一択だったけど、今までの試合を見ているとそうでもない。勢いを感じるのはコロンビアとオランダで、コロンビアは次戦のブラジルに勝ったらそのまま行くのではないでしょうか、とお話した。
彼女も同じ考えのようで、むしろコロンビア一択らしい。笑
まあオーソドックスに、決勝戦がブラジル対アルゼンチンになるのもいいけどね。てめえ的には、メッシとネイマールの対決を観てみたいわ。
そして、この二人の天才を抱えるバルセロナというチームはほんまに頭がおかしいよな。笑 てめえはバルサ大好きだけど。またいつか、バルサについて書いてみたいと思う。そして、バルセロナでバルサの試合をこの目で観てみたいと思う。
てめえは20歳と少しで二輪免許を取って以降、ひたすら単車に乗り続けてきた。クルマの免許に興味がなかった訳ではないが、お金がなかった。四輪の免許を持っている人の多くは親に金を出してもらった人が多いだろうと思うが、学費すら出してくれなかったてめえの親が免許のお金を出す訳がない。
そんなわけで、てめえは自分で稼いだ金で二輪の免許を取った。それからは単車ばかりの人生。
二輪にとって、一番の面倒は雨。とにかく大変で、無防備で走っていていきなり雨に会うと悲惨としか言いようがない。
思い出すのは沖縄時代。休日もなく働いていたが、少しだけ時間が出来たので、単車でラーメンを食べに行った。てめえの住んでいた名護市にはろくなラーメン屋がなかったが、那覇の近くまで行けばそれなりに選択枝はあった。
自宅を出てひたすら南へとバイクを走らせる。心地よい風に包まれてバイクは走る。
名護から恩納村、読谷へと下っていったら、急に天候が怪しくなった。沖縄に住んでいる人ならわかると思うが、読谷って本当になんもない。サトウキビ畑の中に走る道路があるだけで、バス停もないので雨が降ったら逃げる場所がないのだ。
目指すラーメン屋まで雨が降らないことを祈りながら、てめえは南下した。まあそんな思いもむなしくスコールが襲来し、ぐっしょり濡れたてめえはラーメンを食べることもなく家に帰ったわけさ。涙
何が言いたいかというと。二輪の敵は雨である、ということと、それ以上にクルマであるということ。
クルマは危ない。彼らは歩行者や自転車には牙を剥かないが、単車に対しては容易に牙を剥く。ウィンカーも出さずに車線変更はするし、一番腹が立つのは幅寄せ。明らかに殺意があるだろ。そんなわけで、てめえはいつも殺されそうになりながら、健気に走っているのだぜ。
長いこと二輪で走っていたら、クルマに殺されそうになったことなど数知れない。よく生き残ってきたのは、てめえが必要以上に安全運転しているからだろう。クルマは適当に走っていて二輪と交錯してもまず死なないが、二輪はだいたい死ぬ。
てめえも月に一回は殺されかけると思うような体験をする。もう慣れたけどね。前にも書いたがウィンカーを出さずに車線変更したり。巻き込まれたら死ぬのはてめえだぜ。
そして最近はてめえを殺そうとするクルマの傾向が出てきたのだ。それは「プリウス」だ。プリウスを運転している連中は非常に危ない運転をする。てめえは何度プリウスに殺されかけたものか。
面白いことはてめえ的には全くないが、傾向としては他のトヨタ車にも他社のハイブリッド車にもみられない、プリウスにのみ観られる傾向。なんだろうねこれは。
そんなわけで、てめえはプリウスを観ると出来るだけ近付かないようにしている。こんなクルマに殺されたくないしね。
2014年06月30日(月) |
ブラジル対チリとか。 |
夜中に目が覚めてしまった。普段なら眠る努力をするのだが、日曜日だし何よりワールドカップ開催中だし。
そんなわけで、何も考えずにサッカー観戦。決勝トーナメントの第一戦、ブラジル対チリだったが、これが凄い試合だった。
スタートから溢れるスピード感と、繰り広げられる個人技に絡み合うチームプレイ。正直、これほどにレベルの高いゲームを観たのは久しぶりで魂が震えた。こりゃあ日本も敗退するわ。
今回は南米のチーム同士の戦いだったが、これらのチームの選手を観てて思うのは、全く甘えがないこと。全面的にチームプレイに撤してはいるが、最終的に信頼できるのは自分だけ。だから、ゴール前でもパスできる味方を捜すよりも、自分でいかに突破できるかを探す。それが無理なら躊躇なく味方にパスを出す。
ここに、日本とトップチームとの差を感じた。日本の選手はなんだかんだ行っても緩いのだ。甘えのないプレーをしていたのは、てめえが観る限り本田と長友、そして内田。いずれ海外のトップクラブに属しており、命をかけるような試合をしてきたからだろうと思う。
アジアの代表枠が削られるかもしれないという話もあるが、てめえは全面的に大賛成である。今回の大会でアジアのチームは1勝も出来なかった。こんな恥ずかしい話はないが、試合内容を観ても、残念ながら日本以外は観るところがなかった。
スピーカーを衝動買いした。これに関しては後日また詳しく書きたいが、このスピーカーは人生最大級の衝撃を受けた。いやあ良い買い物をした。
ワインセラーを衝動買いした。てめえはお酒専用冷蔵庫を持っているが、そろそろ容量もヤバくなってきたこと。勢いに任せてブルゴーニュやバローロなど買い漁ってしまったので、これはまともなセラーがないとまずいんじゃないだろうかと思ったこと。そんなわけでセラーを購入したが、インテリアとしてもなかなか良いぜ。今後はセラーと冷蔵庫の二本立てになる訳で、さらにアル中まっしぐら。もうそれでいいわ。
娘は今日は登校したらしい。帰宅したら、疲れて眠ったって。無理しなくて良いぜ。
祖母の件。病状は落ち着いているのだが、叔母はどうも、すべててめえに丸投げしたいようだ。正直てめえとしてもその方が良いので丸受けするが、やり取りをしていて、てめえの周りにはまともな大人がいなかったということに気が付いた。
実の母親が大変なことになっているのに何もする気がない娘。そしてもし亡くなったとしても、てめえ一族以外参列する気のない親族。なんだこれは。
昔はそう言うものだと思っていたが、てめえも大人になり、これは異常だとさすがに気が付いた。可哀想なばあちゃん。これ以上こじれたらてめえの病院に移して、真っ当な最後を送らせてあげたい。しかし葬式にはてめえの兄弟以外には参列ないだろうな。こんな変な一族の中で、よくぞてめえのようなまともな人間が育ったものだと感心するわ。ほんまに皮肉じゃなくて。
2014年06月26日(木) |
第二次自炊ブーム。加賀棒茶 |
加賀棒茶なるものをもらったので飲んでみたら、これがとんでもなく旨かった。あまりの旨さに仰天して、さっそくネットで調べてみたら、なんと昭和天皇に献上するために開発された茶らしい。そりゃあ旨いだろう。
そんなことも知らずに水出しにしてぐびぐび飲んでいたが、値段を調べてまた仰天。しかしそれだけの価値はあると思うので、今後は自腹で買うぜ。
木曜日は比較的余裕のある勤務になっているので、この曜日が好き。今日は早めに仕事が片付いたので、机の上にたまった書類をどんどん片付けてやったぜ。なんせ、油断すると山のように書類がたまっていくからね。
会議の資料や勉強会の案内など、もう不要になった書類を、シュレッダー行きとそうでないものに分ける。必要な書類は持ち帰ってpdf化する。
てめえの家にある本はあらかた自炊したのだが、仕事用の本はさすがに裁断するのが忍びなくて大事にとってあった。
ところが再度、自炊魂に火がついてしまった。きっかけはMacを購入したことで、iBooksに試しに自炊した本を入れてみると、これがとても便利だったのだ。
とすると、医学書が入っているのが一番良いはず。そんなわけで、何冊か自炊してみたらこれが便利。ちょっとした時間に自炊した本を読むことが出来る。出先でも可能だし、これは書いていいのか迷うところだが会議中にもこっそり読める。笑
最も威力を発揮するのはレクチャー資料などを作る時で、いままではパソコンの前に何冊もの医学書を並べていちいち参照しながら作っていたものが、今やパソコンの中で全てが足りてしまう。
しかもしかも、Macに付いているSpotlightがこれまた便利で、てめえの調べたいことを入力するとたちまちそれが載っている本をすべて検索してくれるのだ。例えば、「腎不全の治療」などと入れたら、腎不全の治療を扱っている本をiBooksから探してくれる。
いやあとんでもない時代になったものだ。そんなわけで、てめえは今密かに医学書を持ち帰って、時間を作っては自炊している。雑誌関係は既に全て自炊が終わっており、後は医学書だけ。これらがなくなったらてめえの机には何もなくなってしまうぜ。ワイルドだろ。
物書きの方は、本業が忙しかったり実生活でいろいろあったりして、現在完全に停滞している。まあ、ゆっくりやりましょうね。可能であれば読むだけの立場の方が幸せだとは思う。
2012年から2013年にかけて毎日新聞に連載されていた「リアル30S」という連載が非常に面白かった。現在の30代が持つ問題や悩みを掘り下げるというもので、てめえも30代の端くれとして非常に興味深かった。連載をまとめたものが本になっているのを見つけてしまったので、さっそく購入しようと思う。
てめえの年代の人間はそれなりに特殊なのだと思う。まあ、言ってしまえばどの世代も特殊ではあるかもしれないが、特に第二次ベビーブームの世代は本当に時代に翻弄された世代ではないだろうか。
最も同世代の人口が多く、少人数教育とはほど遠い大教室で、小学校から高校までひたすら詰め込み教育を受けた。高校のときなんてほぼ50人学級だった。従って競争は過酷で、てめえが初めに入った大学の学部の入試の倍率は48倍であった。これはてめえの母校の倍率の最高記録で、間違いなく今後も破られることはないだろう。
この世代の特徴は、中学校〜高校生時代にバブルが弾けていたということと、大学生くらいの時期にインターネットが普及したということに尽きると思う。
社会に出る頃にはすでにバブルが弾けたあとであり、前の世代のような美味しい思いをすることもなく、就職や進学には困難しかなかった。就職にあたっては採用を控えられることも多く(最も人口が多いにも関らず!)、なんとかありついた職にしがみつくしかなかった。
就職できず、とりあえず派遣社員として働き始めた人もいる。ちょうどてめえらの世代から、人材派遣会社が進出してきた。容赦のない派遣切りもあり、鬱病も増加。などなど社会に対する不安しかなかった。てめえはそう言う例には当てはまらないが、友人たちにはそういう例がたくさんいる。
あの町工場の屋根を見つめながら「何かに騙されている気がする」とてめえが蒙を啓かなかったら、そしてガリ勉しなかったら。ガリ勉の結果奇跡的に48倍を突破しなかったら。同じようになっていたかもしれない。
そうして職を得ても給料も低く、結婚したとしても共働きが基本である。「亭主関白」や「専業主婦」なんて、やりたくても出来ない。というわけで、家事は自然と分担することになる。逆に言うと、食事も作れない男性は話にならない。なんとか結婚にこぎつけても生活が破綻する。
てめえの職場の同僚も、子供が風邪を引いたと言ってはあっさり仕事を休む男性がいるが、とても良い傾向だと思う。その分てめえらに仕事の負担が増えるがそれくらいはどうってことはないし、それを自然に許容しているうちの職場はとても働きやすいと思う。
そして共働きなのに家事負担を専ら女性に求めるのはいただけない。というのが、てめえらの世代の平均的な意見ではないだろうか。というより、現実的に難しい。これはてめえらより下の世代も同じだと思う。自分で出来ることは自分でする。結構地に足の着いた世代とも言えるかもしれない。そういえば「イクメン」などという言葉が生まれたのもてめえら以降ではないか。
ちょっと話は違うが、同様の理由で、家族の介護を嫁に求める傾向も改善してほしいと思う。これもまた仕事上いろんな悲劇を見てきた。夫の親と嫁って基本的に赤の他人だぜ。てめえの親の面倒も見れない男は子供以下だろ。それが男の甲斐性やろ。自分が見ることが出来ないのなら他の兄弟など血縁者に頼るか、あるいはプロを雇いましょうね。
逆に言うと、バブル以前に社会人になった男性の中には、家事が出来ないことをむしろ誇っている人もいる。とても可哀想だと思うし、世代の断裂を感じる。なぜなら、そんな人がバブル後にどんな人生を歩んだのか、てめえは今の仕事の立場からたくさん見てきたからだ。
バブル後の社会人とは違い良い仕事についてはいるが、バブル後にはむしろお荷物扱いされ、給料も激減。仕事がないからと家にいても、「仕事が出来るから」(本人が出来る訳ではなく、仕事だけしていても許された時代だっただけ)と家のことを顧みなかった分何も出来ないので妻や子からダメだしされるが、プライドだけ無駄に高いので逆切れして結果的に独居になり、色々と荒れて医療のお世話になる。自分のまいた種なのか、あるいは彼も時代に翻弄されたのか。てめえは、時代に甘やかされたのだろうと思っている。
と言うとてめえの世代はデメリットばかりにも聞こえるが、そうではない。毎日新聞の連載ではデメリットというか、上記のようなこの世代の悲劇を多く扱っていたし、てめえも共感できるところが多かったのだが、メリットはあまり扱っていなかった気がする。
てめえの考えるメリットは、インターネットの普及をこの目で見てきたということだと思っている。
てめえの世代より前は、社会人になってからインターネットが普及した。従って、「便利なもの」という認識はあるかもしれないが、頭が柔らかいうちに出会っていないのでそのメリットを未だに享受できていない人が多い。
てめえの世代より後は、もう気が付いたときにはインターネットがあった。「便利なもの」というよりは、当たり前にある情報ツールという認識だと思う。これはこれで良いことだが、インターネットがなかった時代は知らない。
てめえの世代は、ネット前と後を知っている。これは大きなメリットだと思う。子供の頃は携帯電話すらなく、もちろんtwitterやFacebookなどのSNSもなかった。メールもなかった。友達と遊ぶと言ったら原っぱで暗くなるまで遊ぶことだった。女の子の家に電話する時は、時間を決めて電話したものだ。呼び出し音が鳴り、本人が出るまでは息を潜めていた。罷り間違って、特に父親が電話に出た時は凍り付いたものだ。まあ、どうでも良いが。
てめえの場合。小学校でPC-9801に出会い、学校でベーシックのプログラムを学んだ。今は亡きAおよびBドライブの意味を知っている最後の世代ではないだろうか。ていうか、てめえより前の世代で知っている人はパソコンおたくである。OSが入っているのがCドライブであることの理由を知っている人は実は少ない。
大学生のときにWin95が出た。その後、リアルタイムでITの進化を観てきた訳だ。従って、ネットのメリットもデメリットもよく知っているし、どう生かすかということも最も知っている世代なのではないか。
まあ、どうでもよいわ。よくないが、てめえの娘が高校でも登校拒否になったという話に比べればどうでも良い。父ちゃんとしてはSNS関連の問題があったのではと勝手に推測しているが、どうなんだろう。違うような気もするが、コミュニケーション関連の問題なんだろうなとは思う。そんなものがなかった時代は良かったと思うし、てめえはSNSには手を出さない。
|