解放区

2014年06月24日(火) 配当金と優待到着。「高タンパク(特に魚)が脳卒中リスク軽減」だと。

てめえが株を持っている会社の株主総会の案内が次々と来ていたが、もちろんその多くは東京でしかも平日に行われるために参加できない。



そうこうしているうちに株主総会の決議が次々と届いて、てめえの口座に配当金が次々と入ってきた。配当金が入るのは嬉しいが、それ以上に嬉しかったのが寿スピリッツから届いた株主優待のお菓子。てめえはこの会社の株を200株持っているので、4000円相当のお菓子が届いた。ちなみに配当金は、税金を取られた後で6375円。合わせて1万円くらいのプレゼント。



もう少し書いてみる。てめえがこの会社の株を買ったとき、手数料込みで一株あたり1171.79円で取得している。今日の株価は2409円なので、今売り飛ばしたら247,442円のプラス。でも、もちろん売らねえぜ。笑 毎年1万円相当のプレゼントがあること、今後も株価が上昇する可能性があるから。

しかし4000円相当のお菓子は結構な量だった。しばらくはお菓子に困らないな。笑



高タンパク食で脳卒中が減少(原文はここ



米国神経学会(AAN)は、高タンパク質食が脳卒中リスクを下げることを示した研究を紹介した。6月11日配信のNeurology誌(オンライン版)に掲載。

 この研究は、タンパク質摂取量と脳卒中リスクに関して入手可能な全ての研究7件(被験者総数25万4489人、平均追跡期間14年)を対象にしたメタ解析。タンパク質が最も多い食事を取る者は、タンパク質摂取量が最も少ない者に比べ脳卒中を発症する可能性が20%少なかった。タンパク質摂取量を1日20g増やすと、脳卒中のリスクは26%低下した。脳卒中リスクを低下させる効果は、植物タンパクよりも動物タンパクで大きかった。

 研究者によると、タンパク質が持つ血圧降下作用が、脳卒中リスク低下に何らかの役割を果たしているとのこと。また、赤身肉は脳卒中リスク上昇と関連するが、魚の摂取は脳卒中リスク低下と関連するため、赤身肉よりも魚からタンパク質を取れば、脳卒中リスクの低下が期待できる。「全ての人のタンパク質摂取量を20g増やせば、脳卒中による死亡を世界で年間140万人減らせる」と述べている。

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引用以上。

植物タンパクよりも動物タンパクでリスクが少なかったというのは検証が必要だと思う。動物タンパクってざっくりまとめるのではなくて、肉と魚をはじめから分ける必要があるのでは。ちゃんと分けると、リスクはおそらく肉>植物タンパク>魚になるのじゃないかと思う。加えて、魚でリスクが低下したのはタンパクの問題ではなくてfish oilの問題では? と思う。そんなわけで、やっぱω3最強。あと、いずれにせよ炭水化物は摂取しない方が良いだろう。てめえは昼だけで良いと思っている。



2014年06月23日(月) 慰霊の日。

今日は沖縄戦が事実上終結した日。沖縄県でのみ公休日になっており、もちろん学校も病院も休み。そんな日に、普通に働いていることに違和感を感じるのは、社会人になってからこの日が特別な日であったからだろうと思う。

明治以降に日本になった地域に興味があったのは、てめえがそれらの地域の血を濃く継いでいるからだろうと思う。順に琉球、台湾、樺太、そして朝鮮。アイヌは便宜上ここに含めない。

これらの地域は、太平洋戦争のときに「日本」として戦った。「一億総火の玉」とはよく言ったものだが、この一億はこれらの地域を含めた人口である。つまり、日本としては全く差別化していなかった。

にも関らず、これらの地域は終戦間際まで徴兵もかけずに徹底的に保護した。日本は、徹底的に守ろうとしたのだ。

これらの地域の中で、地上戦を経験したのは沖縄だけである。台湾出身の祖父も言っていたが、他の地域は平和そのものだった。空襲の恐怖もなく、赤紙もこない。つまり戦争を身近に感じることは全くなかった。祖父なんて、あまりに平和すぎて、一旗揚げようと日本に出稼ぎにやってきたくらいだ。つまり、戦争を身近に経験したのは沖縄だけである。

沖縄に上陸したアメリカ軍に対して、沖縄の人々は徹底的に戦った。徴兵されていないにも関らず日本軍に協力し、果敢に戦った。看護要員として参加した「ひめゆり部隊」はあまりに有名だが、それ以外の沖縄人も果敢に戦った。そりゃあそうで、自分たちの住む土地が蹂躙されているのだ。日本軍に協力したのはそれだけではない。自分たちの土地を命をかけて守ろうとする日本人に、自然と協力することになったのだ。

沖縄戦では、当時の沖縄県民の約25%が命を落としたと言われている。てめえも沖縄で仕事をしていたときに、家族歴に「戦死」が多いことに絶句した。

そんな沖縄戦も、日本軍は摩文仁に追いつめられて終了した。それが、今日6月23日。

沖縄戦を最後まで戦った海軍軍人の太田実は、自決する直前に海軍宛に電報を打った。いつ読んでも涙が止まらない。


沖縄県民ノ実情ニ関シテハ県知事ヨリ報告セラルベキモ県ニハ既ニ通信力ナク三二軍司令部又通信ノ余力ナシト認メラルルニ付本職県知事ノ依頼ヲ受ケタルニ非ザレドモ現状ヲ看過スルニ忍ビズ之ニ代ツテ緊急御通知申上グ
沖縄島ニ敵攻略ヲ開始以来陸海軍方面防衛戦闘ニ専念シ県民ニ関シテハ殆ド顧ミルニ暇ナカリキ
然レドモ本職ノ知レル範囲ニ於テハ県民ハ青壮年ノ全部ヲ防衛召集ニ捧ゲ残ル老幼婦女子ノミガ相次グ砲爆撃ニ家屋ト家財ノ全部ヲ焼却セラレ僅ニ身ヲ以テ軍ノ作戦ニ差支ナキ場所ノ小防空壕ニ避難尚砲爆撃ノガレ□中風雨ニ曝サレツツ乏シキ生活ニ甘ンジアリタリ
而モ若キ婦人ハ卒先軍ニ身ヲ捧ゲ看護婦烹炊婦ハ元ヨリ砲弾運ビ挺身切込隊スラ申出ルモノアリ
所詮敵来リナバ老人子供ハ殺サルベク婦女子ハ後方ニ運ビ去ラレテ毒牙ニ供セラルベシトテ親子生別レ娘ヲ軍衛門ニ捨ツル親アリ
看護婦ニ至リテハ軍移動ニ際シ衛生兵既ニ出発シ身寄無キ重傷者ヲ助ケテ敢テ真面目ニシテ一時ノ感情ニ馳セラレタルモノトハ思ハレズ
更ニ軍ニ於テ作戦ノ大転換アルヤ夜ノ中ニ遥ニ遠隔地方ノ住居地区ヲ指定セラレ輸送力皆無ノ者黙々トシテ雨中ヲ移動スルアリ
是ヲ要スルニ陸海軍部隊沖縄ニ進駐以来終止一貫勤労奉仕物資節約ヲ強要セラレツツ(一部ハ兎角ノ悪評ナキニシモアラザルモ)只々日本人トシテノ御奉公ノ護ヲ胸ニ抱キツツ遂ニ□□□□与ヘ□コトナクシテ本戦闘ノ末期ト沖縄島ハ実情形□一木一草焦土ト化セン
糧食六月一杯ヲ支フルノミナリト謂フ
沖縄県民斯ク戦ヘリ
県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ



電報の現代語訳
沖縄県民の実情に関して、権限上は県知事が報告すべき事項であるが、県はすでに通信手段を失っており、第32軍司令部もまたそのような余裕はないと思われる。県知事から海軍司令部宛に依頼があったわけではないが、現状をこのまま見過ごすことはとてもできないので、知事に代わって緊急にお知らせ申し上げる。
沖縄本島に敵が攻撃を開始して以降、陸海軍は防衛戦に専念し、県民のことに関してはほとんど顧みることができなかった。にも関わらず、私が知る限り、県民は青年・壮年が全員残らず防衛召集に進んで応募した。残された老人・子供・女は頼る者がなくなったため自分達だけで、しかも相次ぐ敵の砲爆撃に家屋と財産を全て焼かれてしまってただ着の身着のままで、軍の作戦の邪魔にならないような場所の狭い防空壕に避難し、辛うじて砲爆撃を避けつつも風雨に曝さらされながら窮乏した生活に甘んじ続けている。
しかも若い女性は率先して軍に身を捧げ、看護婦や炊事婦はもちろん、砲弾運び、挺身斬り込み隊にすら申し出る者までいる。
どうせ敵が来たら、老人子供は殺されるだろうし、女は敵の領土に連れ去られて毒牙にかけられるのだろうからと、生きながらに離別を決意し、娘を軍営の門のところに捨てる親もある。
看護婦に至っては、軍の移動の際に衛生兵が置き去りにした頼れる者のない重傷者の看護を続けている。その様子は非常に真面目で、とても一時の感情に駆られただけとは思えない。
さらに、軍の作戦が大きく変わると、その夜の内に遥かに遠く離れた地域へ移転することを命じられ、輸送手段を持たない人達は文句も言わず雨の中を歩いて移動している。
つまるところ、陸海軍の部隊が沖縄に進駐して以来、終始一貫して勤労奉仕や物資節約を強要されたにもかかわらず、(一部に悪評が無いわけではないが、)ただひたすら日本人としてのご奉公の念を胸に抱きつつ、遂に‥‥(判読不能)与えることがないまま、沖縄島はこの戦闘の結末と運命を共にして草木の一本も残らないほどの焦土と化そうとしている。
食糧はもう6月一杯しかもたない状況であるという。

沖縄県民はこのように戦い抜いた。
県民に対し、後程、特別のご配慮を頂きたくお願いする。


「天皇陛下万歳」ではなく
「沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」
と書き残して自決したこの誇り高き軍人の遺志を、果たして今の日本は継いでいるのだろうか。と慰霊の日に思う。

皮肉にも、最も過酷な運命を背負った沖縄は、その後アメリカ占領を経て日本に帰属した。徹底的に保護されたあげく戦場にもならなかった台湾と朝鮮は独立したが、親日と反日に分かれた。なんでだろうね。



2014年06月20日(金) 日本対ギリシアとか麦飯とか。

ある雨の降らない梅雨の日に突然お告げが降りて、麦飯を試してみた。本当に突然のお告げで、てめえはまさかハマることになるとは夢にも思わなかったのだ。

いわゆる「臭い飯」である。今時の麦飯はどんなものなのか。とりあえず、何でも売っていそうな大きな店に行ってみた。

まあ、麦もいろいろあるね。しかし特別に安い訳ではない。むしろ上等な麦は米より高い。適当に見繕って購入してみた。

そして米2合に麦1合の割合で、てめえ愛用の鍋で炊いてみた。麦の方が米よりもよく水分を吸うそうだが、よくわからんのでいつもの水加減で炊いてみた。固ければ、次回調整すれば良い。

しかしこの麦飯が旨かったのだ。てめえの好みにやや固めに炊き上げた麦飯は、噛みしめるごとにぷちっと小さな抵抗を示して喉の奥に消えて行く。香りも独特なので「臭い飯」とはよく言ったもので、しかしこれは好きな人には好きなのじゃないだろうか。

そんなわけで、夢中でもりもり食べた。噛みしめる楽しさ。しかしよく噛むのでたくさんは食べられない。しかもカロリーは米よりも低い。

というわけで、てめえは白米がだめだったのだと言うことがよくわかった。玄米も麦飯も好き。しかし白米は甘すぎる上に、独特の匂いがダメ。そして、てめえは糖尿病になることはなさそうだ。これが好きで白米をもりもり食べる人が糖尿病になるのだろうな。

昨日は久しぶりにカレーを作ってみて、麦飯に合わせてみた。これが旨い! 玄米もカレーに合うが麦飯もなかなかではないか。しかも香りがダメな人でもカレーだとさほど気にならないだろう。

とても気に入ってしまったので、大麦を12kg大人買いしたぜ。ワイルドだろ。ついでと言っては何だが黒米も1kg買ってしまったぜ。慣れたら麦と混ぜて炊いてみる。これも楽しみ。

さて、なんでこんなことをしているのかというと、少量の炭水化物を摂るとアルコールなしでも食事を楽しめると言うことがわかったからである。ということは、今後アルコールなしの夜が増えるかもしれない。夜の炭水化物は体に悪いのは間違いないが、アルコールとどっちが悪いのだろうか? ちょっと程よく試してみたい。というわけで、サッカーの話はもうええわ。



2014年06月17日(火) ドクターヘリ

梅雨だというのに京都では全く雨が降る気配がない。雲行きは怪しいことも多いが、結局降らない。バイク乗りにとっては最も憂鬱な季節なので雨が降らないのは歓迎だが、農家の方々にとってはそれどころじゃないだろうなと思う。


てめえが医師になって2年目だった。今もそうだが、卒後研修必修になってから(つまり、てめえより後の年代)は2年目で「地域医療研修」がある。もちろん、てめえより前の年代にはない。

てめえの地域医療研修は離島だった。人口1000人ちょっとの、医師一人の離島。自分一人で何でもやらなければならない。そういう日が来ることはわかっていたので、1年目は全科をひたすらどん欲に勉強した。特に救急関連を、もう嫌になるほどに経験させていただいた。

内科や外科、小児科の処置はもちろんのこと、眼科や耳鼻科の救急も出来なければならない。なんせ、島にはたった一人の医師である。「専門じゃないので専門科に行ってね」とはいえない場所。


そんな離島研修はひたすら楽しかった。二つの離島に行った。それぞれの特徴もあり、ほとんどは内科管理、たまに小児科や外科処置もあり、中には眼に入った異物の除去や耳に入った虫を取り除く処置もあったが、日々は平穏だった。何でも出来なければならないとビビっていた自分がかわいく思えるほど、何もない日々が過ぎた。

そんなある日。診療を終える夕方近くに診療所に連絡が入った。「うちのおばあが畑仕事中に倒れて意識がないので診てほしい」と。

この電話の情報で、脳出血だろうなと考えた。脳梗塞かもしれないし、単なる熱中症かもしれない。あとは本人を診ないとわからない。

しばらくして家族が診療所に患者を運んできた。バビンスキー反射陽性、片側の反射も亢進しており、脳出血と矛盾しない。梗塞かもしれないが、これ以上はCTをとらないとわからない。CTのない時代には、両者まとめて「脳卒中」と片付けていたことを思い出す。

もちろんCTをとれる施設はこんな小さな島の中にはないので、本島に搬送する必要がある。日中であればフェリーでの搬送もあり得るが、夕方でありフェリーもなく、しかも結構緊急状態。こんな場合は自衛隊にお願いすることになってるのだ。

早速自衛隊のヘリを要請した。さすが軍人、詳しい話も聞かずにすぐに島に来てくれることとなった。

電話を切ってしばらくして、患者をヘリポートに搬送して自衛隊の到着を待った。遠くからヘリの音がする。それがどんどん近付いてくる。ようやくヘリが見えたかと思ったら、あっという間に近付いて爆音とともにヘリポートにヘリが降り立った。

ヘリが垂直に降りてくるとともに、爆風がてめえらを襲う。なんとか患者さんを爆風から守り、ようやくストレッチャーごと患者をヘリに乗せた。

ヘリの中には自衛隊員が数人乗っていた。みな一言も口をきかない。そりゃそうで、ヘリの中は爆音が凄くて会話なんて不可能。そもそも患者を搬送するためのヘリではなく、軍人を運ぶためのヘリである。てめえも所定の位置に座ると、きつくベルトを締められた。

島のヘリポートを飛び立ったヘリは、あっという間に那覇空港に着いた。空港内ではすでに救急車が待機しており、すぐに救急車に乗り換えて病院へと向かった。

問題はここからで、渋滞で有名な那覇市内は救急車といえどもラッシュ時に重なっており、徐行しながら病院に向かった。離島から空港に達するよりも、空港からすぐの病院への時間の方が長かった。

無事病院に患者を送り届けた。すぐにCTを撮った結果、てめえの見立て通り脳出血だった。



2014年06月16日(月) いろいろと。

明日の研修医向けレクチャーの資料作りが終わらない。週末でなんとかメドを付けたつもりだったが、研修医から受けるであろう質問を想定するとまだ足りず、修正を余儀なくされている状態。

まあ、あとはアドリブでも何とかなると思うが、間違ったことを教えるのはさすがにまずいと思うのでもう少し頑張ろう。とも思うが、今日も忙しい一日だったし家のこともしたりとかしてもう限界。残りは明日早起きしてなんとかするぜ。自分の知識のアップデートにもなるので苦痛ではないしね。ていうか、こういうことをしていると、やっぱり自分は医学と医学教育が好きなんだなあとしみじみする。


今日の外来は、長いことフォローしているある患者さんがやってきた。この方はてめえが京都に帰ってきてから引き継いだ患者さんで、てめえの外来の中でも付き合いは長い。

生まれた時からいろんな障害と病気を持っておられる方で、他科とも併診となっている。てめえも引き継いだ時はその既往歴の長さに驚いた記憶がある。60代独身女性で独居。しかしそれだけ病を持っておられるにも関らず、ご本人はいつも明るく人生を楽しまれている。

その患者さんから相談を受けたのは、この春だったか。「友人に誘われて人生初めての海外旅行に行きたいのだが、病状的に可能だと思うか?」とのこと。

てめえはもちろん、双手を挙げて賛成した。リスクを挙げて反対するのは簡単だが、それは彼女の人生に何の足しにもならないのだ。

むしろ、人生に目標を持ってもらった方が治療の動機付けになるのだ。目標を持ってもらうことで、自分で病状を好ましいようにコントロールしようとするようになる。そう、てめえは医者の仕事なんて、いかに動機付けするかだと思っている。いったん本人をその気にさせることが出来れば、病状のコントロールは容易になるのだ。いくら説教したり薬を増やしたりしても、本人による動機付けに勝るものはない。

それでも不安が強い彼女のために、何かあったときに海外の医療機関に提示する紹介状のようなものを英語で作成した。それは単なる紹介状ではなく、生い立ちから今まで受けた医療や病名まで詳細にわたるもので、文書にするとすげえ量になった。仕事の合間に作ったということもあり、作成するのに1か月以上はかかった。しかも通常の紹介状にはなり得ないので無償である。その文書を作りながら、彼女の過酷な人生を図らずも振り返ることになってしまった。そして、何事もなく、そしててめえの作った文書が使われることなく無事旅行を終えられることを祈った。

そんな彼女は、今日満面の笑みで外来に現れた。そしててめえに、いかに楽しい旅行だったかを語った。てめえも時間を忘れて彼女の話を聞いた。次々と重ねられて行くカルテを横目に見ながら。

「結局あの文書は使わなかったのですね」とてめえは尋ねた。「ええ、使いませんでした」と彼女は笑った。これを機にまた海外旅行行ってね。


その後の外来も順調で、今日は早めに終わったので、午後への仕事の移動中に「煮干し生醤油らーめん」を食べた。うーむ、ここのらーめんはいつも何か一枚足りない気がするぜ。旨かったけど驚きのない予想通りの一杯だった。


今日はドイツ対ポルトガル。時間が合えば絶対に見たい一戦だが、無理です。寝ます。ううむ残念だ。にわかサッカーファンには、せっかくの機会なので日本戦だけではなく他の素晴らしい対戦を観なさいと言いたいてめえは立派におっさんですね。

日本戦のあと、日本のサポーターはきれいに掃除してからスタジアムを後にしたそうだ。日本人にとっては全く意外性のないニュースだが、世界的には驚愕らしい。そりゃあそうだろうなと思うわ。こういうニュースを聞くと、てめえは「美しい国」日本の日本人であってよかったと思う。


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