部屋の整理をしていたら「シドアンドナンシー」のDVDを見つけてしまい、再度見返している。本当にこの映画が好き。クソみたいなドロドロの映画だが、初めて見た時からてめえの心を捉えて離さないのだ。
人が生きて行く中ではきれいごとばかりではない。クソみたいなどろどろした心を、みな隠して生きている。
シドとナンシーはそんなドロドロを隠さずにまっすぐすぎるくらいまっすぐに生きて、そして20歳過ぎの若さで死んだ。本当に命が燃え尽きたのだろうと思う。そんなてめえは、40近くになって恥ずかしいことにまだ生き長らえている。
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二人で生きて行くのなら、きれいな道を歩きたいって思うかもしれないけれども 二人で生きて行くのなら、きれいではない道ばかり。 一人だとしんどいけれども、二人だと「泥んこ道」もまた楽しいかもね。 「シドアンドナンシー」ほどのドロドロでなくてもいいのだけれども。
楽しいことやしんどいこと。 良いことや悪いこと。 そんな全てを飲みこんで、泥んこ道を二人で。
泥んこ道に二人で ころがりおちた もう二度ともどれない 愛の世界に もぐりこんで もぐりこんで ずっと抱き合って ころげおちて ころげおちて 泥んこ道を二人で
あれはまだ、てめえが研修医1年目の時の出来事だった。
昔は医者になったら、自分の好きな科の勉強をすぐに始めていたものだが、今は昔と違い、はじめの2年間は各科をローテーションすることになっている。したがって(と言っていいものかどうかわからないが)昔の医師と今の医師は、平成16年卒業を境にして基礎的な素養がちょっと異なる。
医者になったばかりのてめえの医師人生は、小児科から始まった。なんちゃって小児科を2か月経験し、さんざん子供を泣かした後に救急の研修になった。救急は科に関係なくいろんな患者がやって来る。自分が経験したのは小児科だけだったので、子供の診察だけは自信があったが大人はさっぱりだった。
救急での研修をはじめてすぐの頃。腹痛を訴える大人の患者が救急を受診した。一通り話を聞いて、実際に診察も行ったが何の病気なのかさっぱり見当もつかなかった。そして何より、次に何の検査をしたらよいのかもわからない。
診察を終えて、患者さんがてめえの方をじっと見ている。腹痛の原因は何か、次に検査はあるのか、重症なのか軽症なのか、などを考えておられるのだろう、心配げにてめえの方をじっと見ていた。
診察を終えたてめえは、そんな患者さんと目が合った。「さっぱりわかりません」などと正直に言えるはずもなく、数秒の沈黙がその場を支配した。
「あのう…」 と、てめえはようやく絞り出すように言葉を出した。 「…はい」 患者さんは次に何を言うのだろうと構えている。さっぱりわかりません、とはやはり言えず。数秒間患者さんと見つめ合って、ようやくてめえは「ちょっと上の先生にも一緒に診てもらいます」とその場を誤魔化した。
いったん診察室から患者さんを出し、院内PHSで上級医に電話した。診察室に降りてきた上級医にカルテを見ながら一通りプレゼンテーションした後、上級医は「それで、お前の診断は?」と聞いてきた。「ええと、正直よくわかりません」と、上級医には素直に告白した。
てめえの拙いプレゼンテーションを聞きながら、汚い字で書かれたカルテ(当時は紙カルテだった)を眺めていた上級医は、カルテの最後に汚い字で「診断:腹痛」と書かれているのを見つけて、憚ることなく爆笑した。
「いいか、腹痛ってのは症状であって診断ではないぞ」
と、爆笑した後に真顔に戻った上級医にてめえはこってりと指導を受けた。
こってりと絞られまくった救急の後は麻酔科であった。ここで2ヶ月の間、朝から晩までひたすら麻酔をかけた。研修医はてめえ一人だったので、麻酔の準備から導入、麻酔中の管理などをすべて一人でやらされた。もちろん後ろには指導医が控えているのだが、ここでやりたい放題させていただいたのはとても貴重な体験だった。
他の病院では横で見ているだけの指導が多いと聞くが、てめえは毎日少なくとも3例以上の麻酔をさせられたおかげで、多分今でも緊急手術になれば、簡単な麻酔であればかけることが出来るだろう。全身麻酔も脊髄麻酔も山盛りしたし、最後の方では硬膜外もさせていただいた。
夜中も緊急手術があればすぐに呼ばれた。結局この2ヶ月は、ほぼ手術室で寝泊まりした。
麻酔科の次は産婦人科だった。産婦人科もたった一人の研修医だったので、全てのお産に呼ばれた。夜中であろうとも。帝王切開にも第二助手として全て参加させられた。しかも麻酔科の直後だったので、すべての帝王切開の麻酔までかけさせられた。麻酔を自分でかけて、その後手洗いして助手として手術に参加する。なんと濃い研修だったのだろうか。
おかげで2ヶ月の産婦人科研修の中で経腟出産は20例以上とり上げた。残念なことに死産にも立ち会った。最後の方は、産後の縫合も一人で行っていた。そんなわけで、今でも目の前で産婦が産気づいても怖がらずに最低限の対応は出来るだろう。
その後は内科。もともと希望していた科でもあり、楽しく勉強させてもらった。半年以上経ち、他の科も経験して、ようやく自信がつき始めていた。
そんなある夜の当直。この日も忙しく働いていたのだ。17時に当直を引き継いだ後は、ほぼ食事も休憩も取れない状態で仕事をしていた。
その患者が来院したのは、確か23時頃だったと記憶している。「胃が張って痛いんです」と書かれた問診表を手に、てめえは患者を呼び入れた。
若い女性だった。ご主人と診察室に入ってきたその女性のお腹は大きく張っていた。産婦人科を経た自分なので瞬時に理解したが、このお腹はほぼ臨月の大きさだ。妊婦なんて聞いてないぞ、と思いながら診察を始めた。
どこが痛みますか? とのてめえの質問に、その女性は「胃が痛いんです、昔から胃が弱くて」と疲れた様子で言った。こういった場合は、患者本人の訴えを信じてはいけない。本人が言う「胃痛」は、胃由来ではないことが多いからだ。
その後妊娠9ヶ月であること、当院ではないかかりつけの産婦人科医にかかっていることなどを聞き出した。
てめえは問診を急いでいた。なぜかというと、その患者にはどことない重症感が漂っていたからだ。胃の問題ならば、単なる胃炎ではなく胃潰瘍など、あるいは他の内臓疾患か。「本物の患者」は、どことない重症感を漂わせているものだ。それを理解できるかどうかが、医者の適性があるかどうかだとてめえは思っている。したがって、クモ膜下出血を見逃したというニュースを聞くたびに、あり得ないだろうと思うのだ。クモ膜下出血の患者さんは、すげえ重症感があるからだ。
「では、診察しましょうね」と、最低限の問診を終えたてめえは患者をベッドに寝かせた。腹部の診察は、通常聴診から始まり打診、触診に移る。学生でも知っている常識である。しかしてめえはその時、常識を守らずに聴診も省いて躊躇わずエコーのプローベを患者のお腹に当てた。そう、まず否定したいのは産科の病気。
躊躇わずに胎児の頭に当たる部分にエコーを当てた瞬間、見たことのない画像が見えた。あ、これ、ヤバい奴や…。たちまちてめえの顔は蒼白になったはずだ。
ここまで、患者を呼び入れてから3分もかかっていないはず。てめえはすぐに産婦人科当直に電話をかけた。
「はい産婦人科当直」 と、その日産婦人科の当直をしていた医師は、あからさまに眠そうな声で電話に出た。てめえは寝ていたのを起こされて不機嫌かも知らんが、忙しい内科は一睡もしてないのだぜ、という心の声をぐっと抑えた。
「すみません、他院にかかられている妊婦なのですが、腹痛で来院されて…」 そこまで聞いて、産婦人科医はてめえの言葉を遮った。 「だからって産婦人科呼ぶの? 内科の病気は否定したの? それで寝ているところ起こされるのっすかあ?」 と、産婦人科医は子供のように怒鳴った。だから人の話は最後まで聞けよ。じゃあこっちもプレゼンテーションの中身すっ飛ばして結論言おか。 「ええ、エコー当ててみたら胎盤に血腫があって、おそらく常位胎盤早期剥離と思われます」 「な、なんだってー! それほんまか? お前、間違いないんやろな。すぐに行くわ」 てめえも産婦人科をわずか2ヶ月とはいえ経ている自信はそれなりにあるぜ。なめんなよ。
すぐに飛び起きてきた産婦人科医は、自分でもエコーを確認して「間違いないな。すぐに手術や!」と早速手術の手配を始めた。
その後、無事赤ちゃんは帝王切開で生まれたことを聞いた。
久しぶりに購入した漫画「コウノドリ」を読んで、そんな日々があったことを思い出した今日この頃。
いやあ感動した。素晴らしいレースだった。
昨日の内容と矛盾するが、各馬の当日の出来を見て考え方が変わった。レッドリヴェールは体重減少もあり、出来もいまいちで残念ながら選択肢から消えた。イスラボニータは非常に仕上がりが良い。ワンアンドオンリーも凄い気合い。トウザワールドも悪くないが、ややおとなしめ。やる気があまり感じられない。まあ、良い言い方をすると「落ち着いている」となる。
やっぱり皐月賞のレースをyoutubeで見直して、最後に凄い足を使ったワンアンドオンリーが気になった。昨日は選択枝に入れていなかったが、急に選択枝に急上昇。
そんなわけで、直前で気が変わり、トウザワールドとワンアンドオンリーの単勝を買うことにした。
そして結果はワンアンドオンリーが最後凄い足を使って勝利。払い戻しは単勝560円。久しぶりに「いっけー、そのままー!」と叫んでしまった。
1万円分買っていれば、払い戻しは56000円。2万円買っていれば112000円。5万円分買っていれば280000円。10万円分買っていれば560000円。やっほー。いくら買ったかは言わない。JRA関係者が見ているとも限らないので。笑
気が付けば、明日は東京優駿、いわゆる「日本ダービー」であった。
てめえが競馬を始めたのは、小学生の頃だった。小学生は馬券を購入することができないので、いつも友人のお父さんに電話投票してもらっていた。ちなみにそのお父さんはJRAではなく「ヤのつく職業の人」から電話で買っていたのは秘密の話。
てめえの両親は非常にまじめな人間だったので、ギャンブルもタバコもせず、楽しみと言えばたまに晩酌するくらいの人たちだった。母親なんて律儀すぎて5人も子供を産んだ。そんなわけでてめえは結構厳格にしつけられたと思うが、昭和の家庭というのはそんなものだったのではないだろうか。
主に注意されたのは、「コーラ」と「テレビ番組」だった。なぜか両親はその両方をあからさまに敵視していた。前者は「体に悪い」という理屈だったと思う。後者は毎朝見る番組を決めさせられ、それが両親の気に食わないものであれば却下された。たとえば「ひょうきん族」は完全にアウト。
コーラは隠れて飲むほどの興味はなかったので、初めてコーラを口にしたのはずっとあとのことだった。まあ、今でもそんなに興味はない。むしろ健康について学んでからは全く興味がない。ただしラムとの相性は最高なので、飲む機会があるとすればラムコークくらいか。
しかし「酒」「タバコ」「ギャンブル」については注意されることなかった。まあ当たり前で、むしろ小学生に上記を注意する親がいればそれこそまずいだろう。
注意されなかったから、というわけででもないが、この三つにはブリブリにハマった。
お酒は小学校の時から嗜み、母が追い出された中学生以降は毎晩浴びるように飲むようになった。そんなわけで、てめえの飲酒歴はもう30年近い。酒を飲むことは生活の一つであり、アルコール臭はてめえの体臭の一つでもある。よほどのことがない限り今後もやめることはない。幸い肝機能を壊すこともなく膵臓もぴんぴんである。きっと良い飲み方をしているのだろう。
タバコはもう止めた。これはお酒とは違い、百害あって一利無しである。人に煙害を与えないように主にてめえ一人の時だけ吸っていたので、てめえが喫煙者であること言うことは意外に知られていなかった。これは止められてよかったと思う。
ギャンブルというか、競馬についてはもう仕方がない。そういう街で育ってしまったからだ。てめえのかつての実家は京都競馬場からほど近く、したがって週末に競馬を楽しむのは当たり前であった。てめえの親はさすがに競馬には全く興味がなかったが、競馬場に併設されている公園にはよく遊びに行ったものだ。広々としたその公園は、週末に限らず親子で遊ぶには最適だった。その公園をそっと抜け出して、てめえはターフを疾走する競走馬を見ては一人興奮した。柵の向こう側を駆け抜ける、500kgを超える馬体が地響きとともに駆け抜けて行く姿がとてもかっこ良かった。
競馬の思い出は尽きないので一気に端折ってしまう。そして明日は東京優駿。人生ならぬ馬生で、3歳のときにしか出走できない、最も重要なレースの一つである。3歳のサラブレッドは山盛りいるが、その中で最も優秀な馬の中から選ばれた18頭の優駿が、明日同期の中で最強であることを競うのだ。
日本ダービーは、馬券を買うか否かは別として、可能な限り観戦することにしている。そんなわけで出走表を見ていたのだけど、今年は結構面白そうだと思ったので馬券でも参加することになりそうだ。
さて、同期の中で最優秀馬を決めるレースなので、単勝に関してはさほど難しくない。なぜならば、こういったレースで優勝する馬は比較的限られているからだ。人間でも同様で、例えばオリンピックや世界選手権などで一番を決める競争は、だいたい結果を裏切らない。こういったレースで一番になるものは決まっているからだ。たまに「番狂わせ」もないこともないが、9割以上の確率でその資格のあるものが勝つ。
東京優駿でいえば、最近は2010年のエイシンフラッシュ以外はだいたい予想通りの面子が勝っている。この年のレースも超スローペースになったからの番狂わせであって、エイシンフラッシュ自体はその後も天皇賞を勝った以外はたいした成績を残していない。
そんなわけで、予想に移る。今回はよほどのことがない限り、以下の3頭のいずれかが勝つだろう。皐月賞を2番人気で勝ったイスラボニータ、皐月賞は1番人気であったにも関らず2着に敗れたトウザワールド、そして牝馬なのに出走してきたレッドリヴェールである。
イスラボニータはまず消す。ここでダービーを獲って二冠に輝く可能性はロマンとしては面白いが、そこまでの器だろうか? 父のフジキセキ産駒はほとんどマイラーであり、2400mのレースに耐えられるのか。そして、もしも彼が例えば10番人気であれば買うかもしれないが、おそらく一番人気に推されるだろう。そこまでの期待値があるのか。そんな訳で、馬券的な旨味はいっさいないので買わない。
トウザワールド。皐月賞は1番人気であったにも関らず敗れ去ってしまったこともあり、その雪辱を果たす気持ちは最も強いだろう。馬券的な旨味もあり、今回最も興味がある。
そして面白いのがレッドリヴェール。日本ダービーは基本的に牡馬のみのレースなのだが、牝馬として今回出走してきた。これは7年前のウオッカと同じパターンである。人間と同じで男女差はあるので、牝馬は牝馬だけのレースが存在するのだが、そこをあえて出走してきた。陣営にも勝算がなければそういった博打は打たないだろうし、なによりそこには大きなロマンがある。てめえとしても、ぜひ勝ってほしいと思うのだが、さてどうなるだろうか。
人間も同じと言ったら怒られるかもしれないが、女性はレースごとの出来不出来が激しい。牝馬も同じで、鉄板だと思ったレースで絶対勝つと思った馬が突然崩れることがある。そういった大穴が生まれ得ることがあるので牝馬戦は面白いのだが、そういった不調が出ないだろうか。
そんなわけで、てめえは買うとしたらトウザワールド。加えてロマン目的でレッドリヴェールも少し買うかもしれない。ただし最終的に買うか買わないかは当日のオッズを見てからだな。
2014年05月28日(水) |
母と実家に行き、祖母を見舞った。 |
書き物はまあぼちぼち。最近進行具合がぐっと落ちたが、実家のことや祖母のことなどに忙殺されているからだろう。時間はないわけではないが、集中できない。でも原稿用紙換算で90枚超えたぜ。ワイルドだろ。
今日は、一日仕事が休みという母に予定を合わせ、昼から休みをもらって母と一緒に実家に帰った。母の私物の最終確認と探し物、そして庭の樹を見るためである。
母が着の身着のまま突然実家を追い出されたのは、ちょうど27年前の春だった。準備をして出て行った訳ではなく、本当に昼まで普通に生活していたところを夕方に突然放り出されたので、今でも母の私物が少し残っている。もちろん、本当に大切なものは追い出されてから早い時期に持ち出した。
そんなわけで、最後に必要なものがないかの確認。まあ、予想通りなかった。
探し物も出なかった。まあ、これも予想通り。
最後に、庭の樹の確認。この家の庭の樹は、母が植えて育てたものである。そのあとも、てめえが時を見つけては剪定していたが、今回家を潰すにあたり、庭木も処分しなければならない。あまりに大きな樹は、もう仕方がないので植木屋に処分してもらうが、小さなものは母の家に持ち帰りたいという。
持ち帰る樹を選んでもらい、実家をあとにした。もう、来ることはないかもしれない。あと何度かは来るかもしれない。てめえが小学校2年生の時から、断続的に高校3年生まで過ごしたこの家には、正直よい思い出がほとんどない。
祖父母と同居しなければ、両親がそれまでのように住み続けていただろう。そのうち子供が独立し、母があの家の台所に立ち、父は好きなことをしていたかもしれない。そして独立した子供たちの帰ってくる場所になっていただろう。
しかし今は祖父も亡くなり、祖母も叔母の家に移り、父も呆けててめえと同居し、この家には誰も住まなくなってしまった。
「家は生き物」だと言う。人が住まなくなった家はあっという間に朽ち果てるが、てめえの実家も朽ち果ててはいないがもう死んだようになっている。たまに空気を通しに行っていたが、それももう不要になった。もう、誰も帰ってこない家になってしまった。
新築してから30年ちょっとなので、リフォームしたらまだまだ住めるだろう。しかしそういった点も含めてもうしかるべき人に依頼したので、あの家がどうなるのかはもうてめえの手を離れた。
母も淡々としたものだった。滞在時間はさほど長くなく、やるべきことを終えたらさっさとあとにした。
帰り道。祖母の話をしていて、母が突然「やっぱりお見舞い行っておいた方が良いやろか」と言い出した。今までは、やせ衰えた祖母をみたら申し訳なさすぎて鬱になる、などと言っていたのだが、久しぶりに実家に行って何か思うところがあったのだろうか。
「せや、今行っとかんと後悔するで」と、てめえは今までと同じことを言った。
そんな訳で、帰り道の途中に寄り道をして祖母の病院に行った。母と祖母が会うのは一体何年ぶりだろうか。おそらく、あの実家を追い出された27年前の春の日以来ではないだろうか。
祖母の病室に入って、母が祖母の側に行った。それはとても自然だった。そしてどこから出るのかわからないくらいの優しい声で母が「おばあちゃん」と呼びかけた。涙なんて一滴もない、むしろあらゆる悩みから解放されたような笑顔をそのときに母は見せた。
それまで眠っていた祖母はわずかに目を開けて、小さく肯いた。祖母には母の姿が見えているのだろうか? いつもはてめえが見舞った時も、呼びかけたときには目を開けることがあったが、すぐに目を瞑っていた。しかし今日は違った。祖母はずっと、母の方を見ていた。そして母が何か話しかけるごとに、小さく肯いていた。祖母は、母だと認識したのだろうか、あるいは看護婦さんなどと思ったのだろうか。
おばあちゃん、痩せたね、と、母は笑いながらいつまでも祖母の髪を優しく撫でていた。母が見舞うのはおそらくこれが最初で最後だろうが、二人の間にあった27年間のあれこれはすべてこの瞬間に解決したのではないだろうかと思った。
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