2014年05月18日(日) |
Macbook airが到着! の話はまた今度。 |
祖母の容態は落ち着いてきたが、入院してからずっと傾眠傾向が続く。発熱も落ち着いたし、ずっと投与されていた酸素も外れた。しかし呼びかけても反応は鈍く、ずっと眠ったままである。もともと脳梗塞も患っており、ほぼ寝たきり状態ではあった。まあ"natural course"というやつですね。言い換えると「老衰」ですね。
これで食事がとれれば、退院も可能だろう。しかしこれだけ眠り姫状態が続いていれば、その望みは非常に厳しそうだ。てめえは同様の患者さんを山盛り診てきた。
この後だが、状態が落ち着けば、ST(言語聴覚士)の嚥下評価から、必要あれば嚥下造影検査を行い、嚥下機能に問題がなければ食事が開始となる。しかしこれだけ覚醒が鈍ければ食事どころではないだろう。
嚥下の問題、あるいは覚醒の問題で食事がとれない場合はどうなるか。選択肢は3つである。
1.胃瘻造設を行う。
食べられないから胃に穴をあけて栄養を注ぎ込もうという作戦である。これは有効な場合もあるが、多くは有効どころか悲惨な結末を迎えることが多い。
有効な場合というのは限られている。てめえの考える胃瘻の適応は、しっかり覚醒していて自分の意志で胃瘻を希望されており、かつ自分で栄養を注入できる人である。
てめえの医師人生の中で、この適応に合致する人はたった一人だった。若い女性で、喉の癌があった。摘出術ではなく放射線治療を希望された結果、その副作用として嚥下障害が生じ、食物を飲み込めなくなったために胃瘻を作った。
と書くと非常に簡単なようだが、そこに至るまでにいろんなドラマがあった。飲み込めないということを受け入れられない彼女。ほかの方法もいろいろ試したがだめだった。この方は他にも問題が山積していて、その全てを解決するのに2年の入院を要した。
胃瘻も作り、自分で注入する練習も行い、他の問題も一つ一つ解決して退院の日を迎えた。2年入院を許可したというのは非常に異例のことであった。通常は3ヶ月を超えると病院に入る収入が激減するように制度が設計されているため、3ヶ月を超える入院は通常許可されず、3ヶ月を超える場合は他院への転院をお願いすることになる。しかしこの方は病状的に問題が多く、とても他の病院に依頼できる状態ではなかった。
2年の入院を経て、無事退院となった。退院前に、本当に自宅でやっていけるのか、試験外泊も行った。「家に帰るまでの間に何かあれば怖い」という、彼女と彼女の家族の希望で、てめえも家まで付き添った。外泊時に家まで付き添ったのは今のところ、これがただ一例である。
退院時にも付き添った。もしかすると、すぐに病状が悪化して再入院になるかもしれない。「もし何かあったら、優先的に受け入れするのですぐに連絡を下さいね」とてめえは言い残して病院に戻った。できることはすべてやったという自負はあった。
どんどんと話がずれるが続ける。それから数年、彼女が再入院することはなかった。自宅で元気にされているとの話を聞いた。おしゃれ好きな彼女は、退院して真っ先に美容院に行ったそうだ。生活を楽しまれている様を聞いて、胃瘻を作ってもよかったと思った。
あまり詳細は書かないが、そんな彼女も別の問題が生じて入院となり、残念なことにその問題を解決することなく他院で亡くなられたそうだ。今年のGW中の出来事だった。
話を戻すが、そうでない人に胃瘻を山盛り作ってきた。結果は悲惨なものだった。悲惨なことになるのはよく知っているので自分からは全くお勧めしなかったが、ご家族が強く希望されることが多かった。欧米ではむしろ、宗教的な観点から胃瘻には否定的である。これは文化の違いとしか言いようがないが、そういう意味では宗教はいい役割を果たしていると思う。
覚醒もできず、自分で嚥下できないかたに胃瘻を作ると、ほぼ全員が栄養剤を胃から食道に逆流され、誤嚥性肺炎を繰り返された。その度に、つらい思いをされただろうと思う。そんなわけで、自分には絶対に胃瘻造設はさせない。
2.中心静脈栄養を行う
医学的には選択肢としてあり得ないのだが、「胃瘻はイヤ」だが「そのまま見捨てたくない」というご家族の希望を汲んで選択することもある。しかしこれも悲惨な結末を迎えることが多い、というよりは悲惨な結末しかないので全く選択したくない。「胃瘻」にはしぶしぶてめえも同意してきたが、中心静脈は絶対に選ばない。
3.そのまま看取る。
これが最も自然だろうと思う。数年前まではこの選択肢しかなかったし、これからもそれで良いと思う。そしててめえはこれを選びたい。
父が倒れてから、代わって祖母をみてきた叔母とも今日話をしてきた。上記の話をしたが、まったく同じ考えだったので安心した。
さて、問題は「その後」である。叔母は良い言い方をすると「楽観的な人」で、父に喪主をしてほしい、いろいろ仕切ってほしいと考えているようだが、現実的には能力的に不可能である。というわけで、てめえは実の娘である叔母がそういった準備をするものだと勝手に思っていた。
ところが、どうも要領を得ない。そして、どうやら叔母はてめえに仕切ってもらいたいようなのだ。そのことに、今日初めて気が付いた。なんか違和感があったが、そういうことだったのか。孫が喪主って実際にほとんど聞いたことないけど。
よくわからんが、長男の長男としててめえは腹を括ることにしました。葬儀から納骨まで、わからんことばっかり。金銭的なことも含めてまあなんとかしよう。金銭的な点については、既に腹を括っていたけど。
しかし、生まれた順番だけで規定されるのはちょっとどうかと思うぞ。しかも現代では長男であるメリットはほとんどなく、デメリットしかない気がする。まあええわ。最後のばあちゃん孝行になるやろうか。て、まだ生きているのにそんな話をするのはちょっとやめておこうと思う。
そんなわけで、macbook airが届いたことと、実際に使ってみたその押し寄せるような感動についてがっつり書こうかと思っていたが、祖母の話で力尽きてしまった。残念だ。ちなみにこの文章は、もちろんmacからである。やっほー。
2014年05月17日(土) |
iTunes match/Jealous guy |
iTunes matchに申し込みをした。申し込み? って言うていいんかどうかわからんけど、契約をした。
てめえのiTunesに入っていた曲は約5000曲だった。そのうち約半分がマッチして、残り半分がクラウドに入った。
正直、このサービスは神である。さっそくてめえのiTunesを入れていないPCにiTunesを入れたら、すぐにてめえの5000曲に及ぶライブラリーが空から降って来た。
おそらく、最も威力を発揮するのはappleが開発したMac book airだと思う。明日届くとのことで、届いたらしばらくセッティングでほかのことが全く手に付かなくなるだろう。
I was dreamin' of the past And my heart was beating fast I began to lose control I began to lose control
昔のことを考えていたんだ 胸の高まりが止まらなかった もうどうにでもなれって気持ちになったのさ いろんなことがどうでもよくなったんだ
I didn't mean to hurt you I'm sorry that I made you cry Oh no, I didn't want to hurt you I'm just a jealous guy
あなたを傷つけるつもりじゃなかった 泣かせるつもりはなかったんだ あなたを傷つけるつもりじゃなかったんだ てめえはただ、嫉妬深いだけなんだ
I was feeling insecure You might not love me anymore I was shivering inside I was shivering inside
てめえは不安定だったんだ もう愛されていないんじゃないかって ただ怯えて震えていた ただ怯えて震えていた
Oh, I didn't mean to hurt you I'm sorry that I made you cry Oh no, I didn't want to hurt you I'm just a jealous guy
I didn't mean to hurt you I'm sorry that I made you cry Oh no, I didn't want to hurt you I'm just a jealous guy
I was trying to catch your eyes Thought that you was trying to hide I was swallowing my pain I was swallowing my pain
あなたの気を引きたかった あなたを失ってしまいそうだったから しんどさを我慢していたんだ しんどさを我慢していたんだ
I didn't mean to hurt you I'm sorry that I made you cry Oh no, I didn't want to hurt you I'm just a jealous guy, watch out I'm just a jealous guy, look out, babe I'm just a jealous guy
2014年05月16日(金) |
Mac book air/有機農法 |
前から欲しかったMac book airを衝動買いした。
前からずっと欲しかったのだが、夜中にネットサーフィンしててすげえ欲しくなり、おもわずぽちっとしてしまった。もちろん、全く後悔していないぜ。やっほー。
てめえは自宅にデスクトップが1台、ノートが1台、職場にノートが1台と計3台のPCを所有している。加えてタブレットも1台あり、iPhoneもあるので、ネット環境に関しては正直やりたい放題。ちなみにPCは全てDELLである。
昔はデータを共有できなかったので、デスクトップ1台で色々と管理していたのだが、今はクラウドサービスもあり、どの端末で作業していても、別の端末で続きができる。すげえ時代になったものだと思う。
さて。Mac book airを買った。使い道としては主に仕事で、と言うことになると職場に置きっぱなしにしてあるDELLが不要になるわけだ。
そんなわけで、このPCを妹にあげることにした。妹もDELLのPCを愛用していたのだが、残念なことにクラッシュしてしまったのだ。
そんなわけで、PCに入っているあらゆる個人データを消去し、妹には明らかに不要な医学系のプログラムをアンインストールした。OSはVistaだがまだよく動くし、いらないプログラムを消したことで動きも軽くなったので、まだ働いてくれるだろう。
先日後輩を指導していた時のこと。「結局、医学って健康指導に尽きる」と言うことを彼が言いだしたので、結構盛り上がってしまった。
「それでね、さんざん考えたのですが、健康のためにはやっぱ有機野菜かと思って。大○を守る会というところと契約したんですよ」と、彼は言った。
そうか。やっぱりそう思うんだよな。有機栽培が良いというのは誰にでもわかりやすいのだけど、それが健康と結び付くのだろうか。
というのは、有機栽培に関するてめえの二つの疑問があるからである。これが解決されれば、てめえは喜んで有機栽培された野菜を買うだろう。
一つ目。飼料の問題。そもそもその飼料はどこから来たのか? それが動物の糞尿であれば、大きな問題がある。というのは、飼われている多くの動物には、病気を予防するためにあらかじめ抗生物質が投与されていることがあるからだ。
抗生物質は、本来「予防」ではなく「治療」に使われる。例えば、我々は感染症予防のために毎日抗生物質を内服するか? しないわな。仮にしたらどうなるか? 副作用が出る危険性はもちろんある以上に、体内で耐性菌を育てるということになりはしないか。もちろんなるだろう。抗生剤の効かない細菌を体内で育ててしまう以上に、毎日糞便に代謝され損ねた抗生剤が多量に含まれる。
耐性菌と、抗生剤を含んだ「有機肥料」で育った野菜、食べたいですか。
二つ目。「永田農法」というものがある。トマトが有名だが、要は原産地に近い環境で育てると最も栄養価が高くなる、というものである。
トマトの原産地はアンデスである。アンデスは高地にあり、雨もほとんど降らない。結構厳しい環境である。
そこで、永田はアンデスと同じような環境でトマトを育ててみた。日本は高温多湿なので、水分を絶つためにビニールハウスでトマトを栽培した。土壌は敢えて痩せさせて、萎れてきたら少しだけの化学肥料を与えた。
その結果出来たトマトは、非常に旨く、かつ栄養価が非常に高かった。つまり栄養としての効果を求めるだけであれば、化学肥料を少量だけ使った永田農法の方が良かったのだ。しかも抗生剤の問題も全くない。
そんなわけで、てめえは「有機栽培」と聞くとむしろ上記の問題を考えてしまうのだ。まあ後輩にはそんなことは言わなかったけど。そして、世の中には耳触りのいい言葉を並べて人を騙す人もたくさんいる。
そんなことを言うと、結局自分で作らないとあかんようになるんやけどな。
なので、てめえとしては、どこまで本当なのかどうか怪しいものよりは、より確実なものを選びたい。つまり、ホンマに健康的なのかどうかわからん有機栽培よりは、明らかに健康に効果のあるω3系とか。
そんなわけで、後輩には「有機栽培もええけど、もしかするとさらに健康に関連するかもしれない脂質に目を向けてみてはどうだろうか」とω3系について熱く語った。彼は「蒙が啓いた。嫁と相談して、エゴマ油買います」と言った。
2014年05月14日(水) |
沖縄に癒される。その2 |
本搾りのライムを箱買いした。笑
南風原(はえばる)で仕事をしていた時の話。出張の予定があり、その日のうちには飛行機で東京に向かわなければなかったのだが、仕事が一向に終わらなかったのだ。
なんとか仕事を終えて、職場の前でタクシーを拾った。空港まで、お願いしましょうね、と言ったてめえに、タクシーの運転手は親しげに話しかけてきた。
ゆっくりと運転しながら会話を楽しむ運転手に少しいらいらしながら、でもここは沖縄だしな、などとてめえはあきらめた。幸い渋滞はなかったので、ゆっくり運転してもまだ時間に余裕があるように思えた。
のんびりと話しかけてきていた運転手は、突然「お客さん、やんばる(沖縄北部)の人ね?」と言った。イントネーションがやんばるやっさー、と彼は言った。
5年間沖縄に住んで、なんとてめえは喋り方までやんばるの人になったのだ、そもそもやんばる面(じらー)やいびーん、と深い感慨を覚えたのを思い出した。
というわけで(でもないが)、最近「じゅん選手」にがっぽりはまってしまった。この人面白過ぎだが、沖縄の人以外には全く理解されないだろうと思う。
方言講座と言いながら、沖縄の言葉を少しでも理解していない人には全く分からないと思われる。しかしてめえのように少しでも齧っている人は爆笑必至。
方言講座その2。
このコントは正直深い。「戦争が終わったことを知らなかったのか?」と言う問いは正直唐突だが、「(戦争が終わったのに)なんでアメリカのヘリが(沖縄の空を)飛んでるのか?」という言葉は正直心に突き刺さった。
南の島で働き始めた、その年だったと思う。近くの島から急病での緊急搬送が入った。幸い日中だったので、フェリーで搬送するとのこと。これが夜間だと自衛隊のヘリコプターを依頼することになる。
てめえも自衛隊のヘリコプターに乗り込んだことがあるが、なかなか酷い体験だった。よく映画などで、ベトナム戦争などのヘリコプターシーンを見ることがある。とんでもない爆音と振動で会話などは到底無理、しかしスピードは素晴らしい。そりゃあそうで、基本的には患者搬送のための乗り物ではなく、屈強な兵士を乗せて戦場に向かうための乗り物なのだから。
ヘリに乗せた患者の体はぶるぶると振動し、気が付くと点滴の針が血管から外れていた。てめえはヘリの中で血管内再留置を試みたが、あれは絶対に無理。
まあそんなことはどうでもよい。
しばらくして、島の医者の紹介状と共に患者が到着した。紹介状の最後には「この方はウチナーグチ(沖縄言葉)しかしゃべれません。大変申し訳ありませんが、何卒宜しくお願いします」と書いてあった。
さすがにそれは言い過ぎやろ。この平成の世の中で、標準語が理解できない人が日本にいるはずがない。そう思ったてめえは甘かった。そう、理解できない人が日本にいたのだ。
その患者さんにはいくら病状を尋ねてもまったく埒が明かず、てめえはベテランの看護婦さんに通訳をお願いした。いつもてめえとは全く違和感のない標準語で話をしていたその看護婦さんは、少し恥ずかしそうに、しかしとても美しい沖縄の言葉で患者さんと会話をした。
沖縄の言葉を聞くと、その言葉しか話せず京都で死んだ祖母と、驚いたり怒ったときに言語が変わる母を思い出す。そして、そのイントネーションを聞くとまるで母の胎内にいたときのように安堵するのだ。
日本人が作って沖縄人が応えた名曲。夏川りみの歌声はどこまでも美しいと思う。
元の歌。この歌詞をしっかり読み砕いて、てめえはまた涙が止まらなかった。
今日はだらだら書く。
「沖縄戦」はよく知られている通り悲惨だった。今でも沖縄には、戦争の爪跡がたくさん残っている。しかしそこに住む人々は、それを全て忘れたかのように日々笑って暮らす。
しかし、忘れているわけではないのだ。ただどうしようもなかった。そして、加害者は明らかにアメリカである。日本ではない。そして戦争が終わった後も、加害者であるアメリカに占領され凌辱され続けた。沖縄が日本に戻ったのは1972年のことである。
明治維新以降、日本は三つの国と地域を日本に編入した(これはよく誤解されているが、植民地ではなく編入である)。
1879年(明治12年)、琉球王国は沖縄県として日本に編入された。 1895年(明治28年)、清は日清戦争に負けたことにより、台湾を日本に割譲した。 1910年(明治43年)、大韓帝国は日本との併合を選んだ。日本が戦争で無理やり植民地にしたわけではなく(日本は韓国と戦争したことはない)、韓国の首相自ら併合に調印した。
この三地域は、第二次世界大戦後に対照的な「その後」を歩む。ちなみにこの中で、形式的にでも望んで日本になったのは「大韓帝国」のみである。
戦争中に被害を受けた地域は、この中では沖縄だけである。朝鮮も台湾も戦禍に巻き込まれることはなかった。しかも両国とも戦争が終わる直前まで徴兵制はなかった。つまり、戦争が終わるまで両国とも平和だったのだ。日本が空襲を受けているその時も、両国ともに平和だった。
沖縄はそうではなく、むしろ戦争の最も悲惨な被害を受けた。沖縄戦によって、その人口の1/3は戦死した。てめえも彼の地で働いていたときに、家族歴に「戦死」が多かったことを忘れない。しつこいが、台湾と朝鮮はその地で戦死した人はほとんどいない。
戦争が終わり、三地域は対照的な「その後」を歩んだ。
「沖縄」は、アメリカ占領下になった。アメリカは、インフラ整備を行い教育制度を整えた日本とは異なり、沖縄に何もしなかった。というより、ほぼ略奪しかせず、本当の「植民地」扱いをした。なので、今でも沖縄人はアメリカが大嫌いであり、占領時代に最も反米であった沖縄大衆党や共産党が未だに強い。アメリカは、沖縄を「琉球」として独立させるつもりだったという話もある。しかし沖縄の人々は日本に戻ることを選択した。日本が祖国だという選択をしたのだ。
「朝鮮」は、日本ではなくなった。ただし元の国はない(てめえが望んで日本と合併した)のでほぼ無政府状態になり、結果として南北に分かれた。てめえから望んで日本に加えてもらい、日本にインフラ整備をしてもらい、戦争の時に徴兵もされず戦禍に巻き込まれることもなかったこの国が、日本を嫌う理由が一つも理解できない。理解できない理由がわからない人は沖縄を参照しなさい。沖縄戦のような悲惨な戦場が彼の地にあったのか? むしろてめえは、この三地域の中で唯一反日である理由が知りたいと思う。(てめえが思うに、単にプライドが高かっただけなのだろう)
「台湾」は中華民国に戻った。ただしその「中華民国」はすぐに共産党との内戦に敗れ、南京にあった政府が台北に逃げた。国民党政府は、日本が整備したインフラを破壊し教育をズタズタにした。結果として、元から台湾に住んでいる人々は、中国人が嫌いで日本人が好きである。至極まっとうな思考回路である。
沖縄には、今も悲惨な戦跡がたくさん残っている。しかしそんな戦跡は朝鮮や台湾にはない。もっとも悲惨な歴史を刻んだ沖縄が日本に残り、そうでない二国は反日国家と親日国家に分かれた。いろんな事情があるとは思うが、歴史がその後を証明してくれるだろうと思う。
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