解放区

2014年05月05日(月) iTunes match/クーポンブック

知らん間に「iTunes match」のサービスが日本でも始まっていたらしい。正直言って、このサービスはすごい。なにがすごいか箇条書きしてみる。

1.てめえがiTunesに入れている曲を、全てクラウド管理してくれる。

iTunes storeで購入した曲だけではなく、てめえがCDなどから取り込んだ曲もすべて管理できる。しかも、てめえの持つデバイスにいつでもダウンロードできる。

要は、てめえのパソコンが突然クラッシュしても、新しく買いなおしたパソコンに何事もなかったかのようにiTunesの曲を再構成できる。クラッシュしなくても、新たに買ったパソコンとかiPodとかiPadとかiPhoneとかにもダウンロードできる。

25000曲までクラウド管理が可能と言うことだが、てめえのiTunesには一万曲もないので全然大丈夫。

2.手持ちの曲がiTunes storeで配信している曲なら、アップロードされずに高音質の音源に置き換えられる。

これはすごい。mp3とかも置き換えられるらしい。権利とか大丈夫なのか? と思うところだが、使用料にはそこらへんも含まれているらしい。


正直、ずっと待っていたサービスなので速攻申し込もうかと思ったが、同じことを考えている人がたくさんいるようで、現在繋がりにくい状態らしい。なので、もう少し待ってサービスを使おうと思う。とにかく凄い世の中になったものだと思う。



いま、「クーポンブック」なるものが売り出されているらしい。一冊1000円くらいで売られており、中には100店くらいの店のクーポンが含まれている。例えば800円のランチがそのクーポンを使うと500円で食べられる、といった具合である。この本を買った人にしてみると300円得したわけで、他の店も同様であれば4店で1200円得するわけで、クーポンを使用するだけで元が取れる。それ以上は使えば使うほど得になる。

一見店側は損しているだけのような気がする。しかしこのシステムは、単に「損して得取れ」だけではない巧妙なものなのだ。

てめえは接客業をいろいろしてきたのでわかるのだが、店側が喉から手が出るほど欲しいのは「常連客」である。常連客が多くなればなるほど商売が計算できるようになる。どうでもよいが、現在のてめえの稼業だけは常連客はいない方が良い。

常連客をどうしてゲットするか。それには、まず店に来てもらわないと話にならない。

そのために昔よく採用された(今もたまに見かけるが)方法は、オープンして数日、たとえば3日だけとか、赤字覚悟の安売りをすることである。そのためには店頭で告知するだけではなく、それなりに広告を打つ必要がある(今はネットもあるが、そもそもの知名度がないと誰もホームページは見ない)。

派手に広告を打っても、その効果は安売りする数日だけ。しかも基本的にはその地域だけの広告になるので、嗜好の合う、つまり今後常連になる可能性のある人というよりは、もの好きな近所の人で、しかも安売りに敏感な人だけがやって来る可能性が高い。


しかし、クーポンブックはこの辺の事情をすべてクリアする。ランチを800円から500円にすると、客としてはすげえ得した気分になるが、店側としては300円の負担。例え1000人がクーポンを使用して食事をしたとしても30万円。これは、広告費と考えたらありえない値段ではない。

しかも、広告費として投入したと考えればすげえ効率が良い。なんせ30万円の広告費で1000人が来店したわけだ。しかも、この人たちは、クーポンブックを買うと言うことで食べ歩きの好きな人たちであるというセレクションがかかっているし、しかも数ある店の中で自分の店に興味を持ってくれた人たち。

これは常連になる可能性がある客ということになる。非常に効率が良い。


てめえはそこに思い当って、この「クーポンブック」というのはなかなか頭の良いやり方だなと感心した。いやあ世の中にはまだまだ頭のいい人がいるなぁ。



2014年05月02日(金) 卑屈である、ということについて。

卑屈であるということについて。


てめえは卑屈さが大嫌いである。好きな人もあまりいないとは思うが、ここまで徹底して嫌いなのは、てめえがかつてそうだったからだと思う。そう、てめえはかつては極めて卑屈な人間だった。だから、ほとんど同族嫌悪に似たところはあると思う。

てめえの人生は、両親に翻弄され続けた人生だったと思う。

小学校の時、何を思ったか突然父親が仕事を辞めて選挙に立候補した。おそらく親父なりに社会を憂いていたのだろうと思う。てめえはまったくそのあたりの事情は知らないが、母は最後まで選挙に出ることには反対していた。そりゃあそうだろうと思う。男のロマンと女の事情が戦った結果、母の父への愛が勝って親父は選挙に出馬し、そしてみごとに上位で当選した。

しかし子供にとってはそこから地獄のような日々が待っていた。

選挙は終わった。しかし、若くて上位当選した親父はたちまち地域で話題となった。

「おい○○の息子やろお前」と、知らないクソガキに突然頭を叩かれる。てめえが振り返ると「おい、やり返す気か? おれを殴ったらてめえの父ちゃんは仕事なくなるぞ」と言われ、無抵抗のまま殴られた。クソ田舎はまあこんなもんである。

議論するのなら。脳みそでの勝負ならば、負ける自信はなかった。もちろん殴り合いでも負ける気はしなかったが、その手段は封印され、てめえは結果的にただ殴られるだけになった。肉体的にも、精神的にも。

親父が議会で教育委員会の役職に就いたことで、教師の態度も腫れものに触れるようなものになった。

そんなクソみたいな、親父に起因するエピソードは、両親の突然の離婚にて終結した。それまで議員として成功していた親父は「嫁に逃げられた議員」というレッテルを貼られて公人としての進路を絶たれ、次の選挙の出馬を断念した。

そして、てめえ的には別の地獄の日々が始まった。詳細は省く(過去のどっかにあります)が、いろいろあって父側に残らざるを得なかったてめえは、最終的に親父を捨てた。


母との生活は、経済的には最低だったが精神的には最高だった。母は貧乏でも笑いを忘れず、家族での楽しみを優先した。土日になれば家族で近くにレクリエーションに出た。弁当を作り、御所とかその辺の川べりとか、とにかく金のかからないところに家族みんなで出かけた。笑いの絶えない貧乏レクリエーションはとても楽しかった。心を満たすのはお金ではないということを心の底から実感した。

しかしそんな生活をしていても、ないものはなかったのだ。てめえは知らなかったが、母はいろんなところからお金を借りまくっていた。しかも、それだけではなかった。詳細はさすがに書かない。

ある時、妹たちが寝静まってからてめえは母に相談された、実は贅沢を何もしていないが家計は火の車だったということ、ヤバい筋からも生きるためにお金を借りたこと。実は一家心中も考えていたということ。でもなんとか頑張って働いてお金を作ったので返しに行きたいが、正直一人で行くのは怖いということ。ので、てめえもついてきてほしいと。

そうか。てめえは一人で納得した。そしててめえは我が家に横たわる闇を悟った。さすがにその金をどうやって作ったのかは聞けなかった。



それはその数日前の夕方だった。母は、何気なく「ちょっと散歩に行こうか」と、てめえを誘いだしたのだ。その言葉とは裏腹に、母の表情は曇っていた。散歩に行く人のものでは少なくともなかった。

自転車に乗って川べりの道を二人で走った。先行する母は振り向きもせず、ただペダルを漕いでいた。

ひたすらペダルを漕ぐ母の背中には、いつしか殺気が漂っていた。ああ、てめえはおそらく、このまま人気のないところで道連れになるのだろうなと覚悟した。しかし恐怖はなかった。親に殺されれば、それはそれで一つの理屈だろう。てめえを産んだ人に殺されるのはある意味もっとも幸せなことではないだろうかと思った。

母はきっと途中で考えが変わったのだろうと思う。何も言わずに川に架かる橋を渡り、反対方向を走って家に帰った。その間いっさいてめえの方を見なかった。



それから数日後、母と二人で祇園近くの一軒家に行った。「ここから先は私一人で行く。30分たっても出て来なかったら警察に連絡してほしい」と母はてめえに告げて、その家に入って行った。

何かあればすぐに飛び込んでいくつもりだった。てめえはこう見えても柔道の心得もある。そう、何かあれば。数日前に、妄想かもしれないが母に殺されかけたてめえは、人を殺す覚悟ができていた。そして母が家に入ったその後の数分間をよく耐えた。ただ、数分後には殺人マシーンと化した自分が想像できた。

幸いなことに、母は数分で出てきた。よくわからんが、借金の返済はうまくいったようだ。その家から出てきて母はてめえを呼び、二人でその家の主に深く頭を下げた。




なんで、うちだけこんなことになるのだろ。世の中は腐っている。苦労してい
ない人もたくさんいるし、こんなてめえのような世界を知らずに真っ直ぐに大人になっていく人がほとんどではないか。

てめえはそうして卑屈な人になっていった。努力は報われず、貧乏人の子は救われない。

家計を助けるために、ずっとアルバイト三昧だった。公立高校では禁止されていたアルバイトだったが、背に腹は代えられない。学校にばれたら学校を辞めるしかなかった。

高校一年のときの夏休みは、40日間休みなく倉庫のアルバイトをした。「おい、休み中は暇で死にそうやし、遊ぼうや」という同級生には殺意が湧いた。

40日間休みなく働き、20万円ほどの賃金を得た。当時の高校生にしてはとんでもない稼ぎだった。自分へのご褒美に安いギターを一台買って、残りは家計に入れた。

高校一年生の冬休みは、その後もお世話になる郵便局アルバイトをした。暖かい部屋の中で仕分け作業をする女性とは異なり、男性は寒い中かじかむ手をてめえの息で暖めながら、自転車を漕いでひたすら郵便物を配達をした。もちろん、得たお金は家計に消えた。

なんで、てめえだけこんなことになっているのだろ。同級生の連中は休みを満喫しているというのに。

そんなてめえはどんどん卑屈になっていった。残念なことに負の力を正に変えるほどの器は10代の人間にはなかったのだ。世の中はクソの塊で、苦労していないやつはクソして死ね。

そんなわけで自然とてめえはロックに走った。今思えば適切な鬱憤晴らし。卑屈さ満開のてめえ作の歌を、恥を忍んでさらしてみる。「ひと(親とか、その他)の金」がなかったてめえの妄想が爆発している。



「クソして死ね」words by てめえ music by 今祇園で歌ってる人。笑

ひとの金で着飾って 気取った大人が歩いてる
ひとの金でメシ食って 女口説いてクソしてる

バイトもせずに コンパでナンパ
勉強せずに 理想は高く

お前らみんな クソして死ね
お前らみんな クソして死ね


ひとの金で酒飲んで ゲロってアジって騒いでる
ひとの金で部屋借りて 男連れ込みしゃぶってる
ひとの金で免許取って 車の中で口説いてる
ひとの金でエロ本買って ティッシュ片手に自家発電

その電気で パンでも焼こう
コーヒー淹れて もう一発抜こう

お前らみんな 感電して死ね
お前らみんな 感電して死ね


ひとの金でお茶飲んで ウンチク垂れていばってる
ひとの金で学校行って 授業サボってクソしてる
ひとの金で旅行して 一夜限りのmake love
ひとの金でビデオ見て ティッシュ片手に自家発電

その電気で お風呂を沸かそう
○○○(自主規制)洗って もう一発抜こう

お前らみんな 感電して死ね
お前らみんな 感電して死ね

お前らみんな クソして死ね
お前らみんな クソして死ね



高校3年生の冬休み。てめえは毎年恒例となった郵便局バイトに応募し、漫画のようだが正月の一番くそ忙しい時に、道端に落ちていたバナナで転んだ。

高校2年、及び3年も同じ感じなので省略。学校に禁止されているアルバイトをせざるを得なかった高校生活。大学進学って何? それ美味しいの?


そんなてめえの卑屈さを癒してくれたのは、主に二つ。

一つ目。負のエネルギーを始めて正の方向に燃やし、てめえは奇跡的に大学受験に合格した。世の中の最底辺から、初めて表舞台に出ることができた。大学生活で出会った友人たちは本物のエリートで、卑屈さの欠片もない眩しい人たちだった。てめえは卑屈さを全く持っていない人たちに初めて会った。そして、卑屈さに囲まれたてめえの人生を初めて恥じた。

二つ目は、娘が生まれたこと。無垢な娘を見て、てめえが卑屈であったということの恥ずかしさと、娘にはこうなってほしくない、と言うことを強く感じた。

そしててめえは変わった。と思いたい。「今も卑屈さ全開やんけ!」と言われるかもしれないが、自分ではそうでないように気をつけているつもり。そして逆に、大人になっても卑屈であり続ける人には可哀想だと思わざるを得ないし、同族嫌悪的なものを感じる。ていうか、30超えたらさすがに克服しようや。出来ない人はそれまでだし、てめえもそうであった可能性は否定できない。


てめえの人生は、20歳くらいまではいくつも小説が書けるくらい悲惨だったが、その後は比較的ありがたい人生を送っている。そのせいか、たいがいのことは苦労とは思えず、自分としては平坦な人生を歩んだために20歳から全く齢を取っていない顔になった。「男の顔は履歴書である」と言うのとは裏腹に、てめえは残念なことに深みのない顔をしているらしい。逆に、20歳のころはすげえ老けてたぜ? ワイルドだろ?



2014年05月01日(木) 吃炒飯了? その2

前回の続き。

さて今日も疲れ果ててしまった。あまりに疲れすぎてドッグフードで晩酌してしまった前回を反省し、今日はどこか帰り道にある店で適当に食べて帰ろうか。

そう考えながらとぼとぼと歩いていると、ぽつりと営業している一軒の中華料理屋が目に入った。いかにも場末の店と言った風情で、疲れ果てた労働者が飲んだり食べたりするのがぴったりな店に思え、気が付くとてめえは吸い込まれるようにその店の暖簾をくぐっていた。

店の中は意外と込み合っており、思った通り客はほぼ労働者と思しき男性だった。てめえは僅かに空いたカウンターの椅子に座った。

テーブルでは家族連れも食事を楽しみながら寛いでいたりして、きっとご近所さんから愛されている店なのだろうなと思う。今まで全く気が付かなかったことがとても残念に思えてくるくらい、不思議とこの店のカウンターは落ち着く。

さっそく餃子とビールを注文する。すぐに運ばれてきたビールで、一人乾杯した。旨い! よく冷えたビールが五臓六腑に沁み渡り、てめえのたまった疲れを心地よくほぐしていく。

あっという間に餃子も焼き上がった。さっそく一口頬張ると、パリッと焼けた皮の中から肉汁がほとばしった。熱っ。慌ててビールで流し込むが、これがまた最高の組み合わせ。

餃子とビールという黄金の組み合わせで疲れがほぐれ、ようやく食欲が湧いてきた。追加で炒飯を注文する。あいよ、と注文を受けたご主人は、さっそくよく熱された中華鍋にごま油を垂らして調理を始めた。目の前のカウンターに、ごま油のよい香りが漂う。

目の前で、リズミカルにご飯が炒められていく。小刻みに鍋が降られていく様はまるでセックスしている時のようだ。

しかしそのセックスも早いこと。あっという間にぱらっと炒められた炒飯がカウンターに並んだ。さっそく一口頂くが、ぱらりと炒められており旨い。味は濃すぎず、よく噛みしめるごとに旨いのだ。てめえはセックスの余韻をゆっくりと楽しむかのように炒飯を咀嚼する。ああ、じんわりと旨いぞ。

なんだか炭水化物満点の食事になってしまったが、脳が糖分を欲していたのだろう。なんだか意味のわからん妄想が湧いてくる元気も出てきたことだし、帰って風呂入って寝て明日も頑張ろう、とてめえは満腹になった腹をさすりつつ帰路についた。



2014年04月30日(水) 吃炒飯了?

今日はひどく疲れてしまった。

仕事で予想もしなかった事態が起こって後始末に追われ、気が付けばもうこんな時間だ。さすがにこんな時間になると自宅に帰ってから自分で料理する気力もない。

かと言ってコンビニで手頃な弁当を買う気にもならない。ちょっと前に、同じように疲れ切ったある日の出来事を思い出す。



あの日は今日よりも疲れていた。本当に精根尽き果てていた。ようやく仕事を終えて、その後どうやって職場から出てきたのかすら覚えていない。

気が付くと自宅近くのコンビニに居た。帰る道の途中にある飲食店に立ち寄って軽く食べて帰る、という選択肢すら思い浮かばなかった。そして、どうやってその自宅近くのコンビニまでたどり着いたのか全く覚えていない。

家に帰ったら、食べるものはないが飲むものはある。このまま飲んだくれるというのも悪くないが、肴も用意せずに空きっ腹にそのままアルコールを流し込むのはよくないだろうということくらいはさすがに理解していた。

コンビニの棚を一通り物色するが、いまいち食欲を刺激するものは見当たらない。冷え切った弁当はいくらチンしようが食欲を湧かせることはないだろうし、びろんびろんに伸び切った麺類を買う気もしない。

そんなことを考える余裕もないくらいに、徐々に意識も朦朧としてきた。疲れすぎたのだな。

そう、もう何も考えたくなかった。

とりあえず、何も考えずに適当に肴になりそうな缶詰をかごに放り込み、レジで会計を済ませた。後は帰ってから、一人この缶詰で今日の一日を乾杯しよう。そしてただ深く泥のように眠ろうと思った。


家に帰り、さっそく缶詰を開ける。ようやくやって来た至福の時だ。まずは家にあった缶ビールを開け、一人で空に向かって乾杯した。

ビールを一気に飲み干す。旨い! まるで砂漠に降る雨のように、乾ききった体に水分とアルコールが沁み渡る。至福の瞬間だ。

次いで缶詰を一口。さらなる至福の時が訪れるはずだった。そしててめえは旨いっ! と叫ぶはずだったが、あれ? 全く味がない。さっそくビールで舌が馬鹿になったか? 

恐る恐るもう一口。やっぱり全く味がない。どうした、てめえはあまりに疲れすぎているのか。

まあいいやと思い、味のない缶詰で晩酌をした。なんだか味気がなかったが、それ以上に食事ができているということに喜びを感じた。

そろそろ食べ終わる頃だった。てめえは初めて缶詰の表記に気が付いた。コンビニで出会ってから食べ終わるこの瞬間まで、全く気が付かなかった。

そう、缶詰にはしっかりと「犬用」と書かれていた。

(当然フィクションです、そして続く)



2014年04月29日(火) あるラーメン屋の風景。

あれはそろそろ残暑も落ち着き始めて、ようやく食欲も出てきて熱いラーメンを食べようとする意欲がわずかながら出てきた日だったと記憶している。

てめえは暑さに極端に弱く、夏になるとたちまち食欲が失せる。

灼熱の太陽の下で働いていた植木屋時代は、夏になんとか喉を通るのはとろろそばだけだった。あの時は、昼食時になると現場近くの蕎麦屋に駆け込んではとろろそばをなんとか喉に流し込み、滝のように溢れる汗を補うためにただひたすら麦茶を飲んだ。今でも、夏の日に屋外で仕事をしている人を見ると思わず頭が垂れる。


暑さも幾分か和らいできたその日、てめえはとあるラーメン屋の暖簾をくぐった。午前中の仕事に忙殺され、午後の勤務先に向かう僅かな時間に、ファストフードであるラーメンはとても都合が良かった。

きれいに清められたカウンターに座り、てめえはその店のおすすめラーメンの一つを注文した。先客は一人だけで、てめえとは少し離れたところに座って、すでに提供されているラーメンを一人で啜っておられた。

食べながら、写真を一枚ぱちりと撮られる。この写真は、自分のブログにでも載せられるのだろうか。あるいは単なる趣味で記録を残されているのか。

てめえは食事の時は食べることに集中したいので、食べながら写真を撮るという行為を全く理解できないのだ。もちろん、食べる前に、きれいに盛り付けされた料理を、記憶にだけではなく記録に残しておきたいという気持ちはよくわかる。しかし、食べながら写真を撮るという行為に関しては全く理解できないし、そういった意味でやや奇妙な印象がてめえの中に残った。

しかしまあその辺は好き好きである。商品の代金を払った上で、店主の了解を得ているのであればまあ好きにすればよい。

すこし奇妙な印象はあったが、そういったどうでもいいことを考えている間にすぐにてめえのラーメンが運ばれてきて、それきりてめえは彼への関心を失った。

あっさり清湯系のラーメンを売りにしている店で、この日はこってり濁っているスープの麺を注文したのだが、残念なことに動物系の臭いが少し気になった。やっぱり臭みのない清湯系の方がこの店はいいんだろうな、などと考えていたその時だった。先客が箸を置いてゆっくりと立ち上がった。通常は食事が終わった合図である。思わず彼の方を見たら、驚いたことに丼の中の麺はほぼ残っていた。確かに食べることよりも撮影などに集中されていたのだが、それはないだろう。

彼が立ち上がった瞬間、店主が足早に彼のところへ歩み寄った。もしや「おいこら、写真ばっかり撮りやがって麺をこれだけ残すなんて太え野郎だ!」とお怒りになり、職人と客とのバトルが始まるのではないかとてめえは恐れ慄いたが、てめえの思いとは裏腹に店主は意外な行動に出た。

「お味は、いかがでしたか」
と、てめえが驚くほどの恐縮ぶりを見せたのだ。

「いや、いつも通り旨かったです」
と、その彼は返した。じゃあなんで残すねんお前は、とてめえがてめえの麺をすすりながら心の中で思った時、彼はこう続けた。

「すんません、次があるので残してしまって…」
「いやいいですよ。…あ、お代は結構です」
と言う店主のひそひそ声を聞いて、てめえは思わず椅子から転げ落ちそうになった。なんだこの会話?

彼が代金を払わずに店から出て行ってしばらくは、その意味を考えることに忙しくて、残念ながらその後の麺の味は全く分からなかった。


世間知らずのてめえは、麺を全部食べ終わり、彼と違ってきっちり自分の食べた分を支払い、釈然としないままバイクに跨ってから、ようやく気が付いた。

おおそうか。そういうことか。

てめえがまだ子供であるということに気が付いた、ある残暑の厳しい昼下がりだった。


 < 過去  INDEX  未来 >


い・よんひー [MAIL]

My追加