解放区

2014年05月01日(木) 吃炒飯了? その2

前回の続き。

さて今日も疲れ果ててしまった。あまりに疲れすぎてドッグフードで晩酌してしまった前回を反省し、今日はどこか帰り道にある店で適当に食べて帰ろうか。

そう考えながらとぼとぼと歩いていると、ぽつりと営業している一軒の中華料理屋が目に入った。いかにも場末の店と言った風情で、疲れ果てた労働者が飲んだり食べたりするのがぴったりな店に思え、気が付くとてめえは吸い込まれるようにその店の暖簾をくぐっていた。

店の中は意外と込み合っており、思った通り客はほぼ労働者と思しき男性だった。てめえは僅かに空いたカウンターの椅子に座った。

テーブルでは家族連れも食事を楽しみながら寛いでいたりして、きっとご近所さんから愛されている店なのだろうなと思う。今まで全く気が付かなかったことがとても残念に思えてくるくらい、不思議とこの店のカウンターは落ち着く。

さっそく餃子とビールを注文する。すぐに運ばれてきたビールで、一人乾杯した。旨い! よく冷えたビールが五臓六腑に沁み渡り、てめえのたまった疲れを心地よくほぐしていく。

あっという間に餃子も焼き上がった。さっそく一口頬張ると、パリッと焼けた皮の中から肉汁がほとばしった。熱っ。慌ててビールで流し込むが、これがまた最高の組み合わせ。

餃子とビールという黄金の組み合わせで疲れがほぐれ、ようやく食欲が湧いてきた。追加で炒飯を注文する。あいよ、と注文を受けたご主人は、さっそくよく熱された中華鍋にごま油を垂らして調理を始めた。目の前のカウンターに、ごま油のよい香りが漂う。

目の前で、リズミカルにご飯が炒められていく。小刻みに鍋が降られていく様はまるでセックスしている時のようだ。

しかしそのセックスも早いこと。あっという間にぱらっと炒められた炒飯がカウンターに並んだ。さっそく一口頂くが、ぱらりと炒められており旨い。味は濃すぎず、よく噛みしめるごとに旨いのだ。てめえはセックスの余韻をゆっくりと楽しむかのように炒飯を咀嚼する。ああ、じんわりと旨いぞ。

なんだか炭水化物満点の食事になってしまったが、脳が糖分を欲していたのだろう。なんだか意味のわからん妄想が湧いてくる元気も出てきたことだし、帰って風呂入って寝て明日も頑張ろう、とてめえは満腹になった腹をさすりつつ帰路についた。



2014年04月30日(水) 吃炒飯了?

今日はひどく疲れてしまった。

仕事で予想もしなかった事態が起こって後始末に追われ、気が付けばもうこんな時間だ。さすがにこんな時間になると自宅に帰ってから自分で料理する気力もない。

かと言ってコンビニで手頃な弁当を買う気にもならない。ちょっと前に、同じように疲れ切ったある日の出来事を思い出す。



あの日は今日よりも疲れていた。本当に精根尽き果てていた。ようやく仕事を終えて、その後どうやって職場から出てきたのかすら覚えていない。

気が付くと自宅近くのコンビニに居た。帰る道の途中にある飲食店に立ち寄って軽く食べて帰る、という選択肢すら思い浮かばなかった。そして、どうやってその自宅近くのコンビニまでたどり着いたのか全く覚えていない。

家に帰ったら、食べるものはないが飲むものはある。このまま飲んだくれるというのも悪くないが、肴も用意せずに空きっ腹にそのままアルコールを流し込むのはよくないだろうということくらいはさすがに理解していた。

コンビニの棚を一通り物色するが、いまいち食欲を刺激するものは見当たらない。冷え切った弁当はいくらチンしようが食欲を湧かせることはないだろうし、びろんびろんに伸び切った麺類を買う気もしない。

そんなことを考える余裕もないくらいに、徐々に意識も朦朧としてきた。疲れすぎたのだな。

そう、もう何も考えたくなかった。

とりあえず、何も考えずに適当に肴になりそうな缶詰をかごに放り込み、レジで会計を済ませた。後は帰ってから、一人この缶詰で今日の一日を乾杯しよう。そしてただ深く泥のように眠ろうと思った。


家に帰り、さっそく缶詰を開ける。ようやくやって来た至福の時だ。まずは家にあった缶ビールを開け、一人で空に向かって乾杯した。

ビールを一気に飲み干す。旨い! まるで砂漠に降る雨のように、乾ききった体に水分とアルコールが沁み渡る。至福の瞬間だ。

次いで缶詰を一口。さらなる至福の時が訪れるはずだった。そしててめえは旨いっ! と叫ぶはずだったが、あれ? 全く味がない。さっそくビールで舌が馬鹿になったか? 

恐る恐るもう一口。やっぱり全く味がない。どうした、てめえはあまりに疲れすぎているのか。

まあいいやと思い、味のない缶詰で晩酌をした。なんだか味気がなかったが、それ以上に食事ができているということに喜びを感じた。

そろそろ食べ終わる頃だった。てめえは初めて缶詰の表記に気が付いた。コンビニで出会ってから食べ終わるこの瞬間まで、全く気が付かなかった。

そう、缶詰にはしっかりと「犬用」と書かれていた。

(当然フィクションです、そして続く)



2014年04月29日(火) あるラーメン屋の風景。

あれはそろそろ残暑も落ち着き始めて、ようやく食欲も出てきて熱いラーメンを食べようとする意欲がわずかながら出てきた日だったと記憶している。

てめえは暑さに極端に弱く、夏になるとたちまち食欲が失せる。

灼熱の太陽の下で働いていた植木屋時代は、夏になんとか喉を通るのはとろろそばだけだった。あの時は、昼食時になると現場近くの蕎麦屋に駆け込んではとろろそばをなんとか喉に流し込み、滝のように溢れる汗を補うためにただひたすら麦茶を飲んだ。今でも、夏の日に屋外で仕事をしている人を見ると思わず頭が垂れる。


暑さも幾分か和らいできたその日、てめえはとあるラーメン屋の暖簾をくぐった。午前中の仕事に忙殺され、午後の勤務先に向かう僅かな時間に、ファストフードであるラーメンはとても都合が良かった。

きれいに清められたカウンターに座り、てめえはその店のおすすめラーメンの一つを注文した。先客は一人だけで、てめえとは少し離れたところに座って、すでに提供されているラーメンを一人で啜っておられた。

食べながら、写真を一枚ぱちりと撮られる。この写真は、自分のブログにでも載せられるのだろうか。あるいは単なる趣味で記録を残されているのか。

てめえは食事の時は食べることに集中したいので、食べながら写真を撮るという行為を全く理解できないのだ。もちろん、食べる前に、きれいに盛り付けされた料理を、記憶にだけではなく記録に残しておきたいという気持ちはよくわかる。しかし、食べながら写真を撮るという行為に関しては全く理解できないし、そういった意味でやや奇妙な印象がてめえの中に残った。

しかしまあその辺は好き好きである。商品の代金を払った上で、店主の了解を得ているのであればまあ好きにすればよい。

すこし奇妙な印象はあったが、そういったどうでもいいことを考えている間にすぐにてめえのラーメンが運ばれてきて、それきりてめえは彼への関心を失った。

あっさり清湯系のラーメンを売りにしている店で、この日はこってり濁っているスープの麺を注文したのだが、残念なことに動物系の臭いが少し気になった。やっぱり臭みのない清湯系の方がこの店はいいんだろうな、などと考えていたその時だった。先客が箸を置いてゆっくりと立ち上がった。通常は食事が終わった合図である。思わず彼の方を見たら、驚いたことに丼の中の麺はほぼ残っていた。確かに食べることよりも撮影などに集中されていたのだが、それはないだろう。

彼が立ち上がった瞬間、店主が足早に彼のところへ歩み寄った。もしや「おいこら、写真ばっかり撮りやがって麺をこれだけ残すなんて太え野郎だ!」とお怒りになり、職人と客とのバトルが始まるのではないかとてめえは恐れ慄いたが、てめえの思いとは裏腹に店主は意外な行動に出た。

「お味は、いかがでしたか」
と、てめえが驚くほどの恐縮ぶりを見せたのだ。

「いや、いつも通り旨かったです」
と、その彼は返した。じゃあなんで残すねんお前は、とてめえがてめえの麺をすすりながら心の中で思った時、彼はこう続けた。

「すんません、次があるので残してしまって…」
「いやいいですよ。…あ、お代は結構です」
と言う店主のひそひそ声を聞いて、てめえは思わず椅子から転げ落ちそうになった。なんだこの会話?

彼が代金を払わずに店から出て行ってしばらくは、その意味を考えることに忙しくて、残念ながらその後の麺の味は全く分からなかった。


世間知らずのてめえは、麺を全部食べ終わり、彼と違ってきっちり自分の食べた分を支払い、釈然としないままバイクに跨ってから、ようやく気が付いた。

おおそうか。そういうことか。

てめえがまだ子供であるということに気が付いた、ある残暑の厳しい昼下がりだった。



2014年04月28日(月) カエルとサソリ。

むかし、ある大きな川の畔にカエルとサソリがいました。

サソリは、そのゆったりと流れる大きな川の向こう側に、一度でいいから行ってみたいと思っていました。彼の背からは向こう岸すら眺めることのできない川の向こう側を、たった一度でいいから見てみたい。違う世界をこの目で見てみたい。そう願っていました。

そこでサソリは、近くにいたカエルに相談しました。おれ、一度でいいから川の向こうを見てみたいんだ。だから、たった一度でいい。一度でいいから君の背中に乗せて、川を渡ってくれないか? 君は自由に泳げるだろう? おれは泳げないんだよ。

いやだよ、とカエルは言いました。だって、君を背中に乗せたら、君は僕のことを刺すだろう?

そんなこと、するわけないじゃないか。とサソリは笑い飛ばしました。だって、君を刺したらおれも一緒に溺れてしまうだろう?

それも理屈だな、とカエルは納得して、サソリを背に乗せ川を渡り始めました。川は小さく波打ちながらゆったりと流れており、川底近くでは小さな魚が群れをなして泳ぎ、上空からの穏やかな風は水面を撫でていました。


川を半分くらいまで渡った頃でしょうか、カエルは突然背中に焼けるような痛みを感じました。痛みはたちまち全身を貫き、背を振り返る間もなく四肢の端までが痺れ始めました。

耐えがたい眠りに落ちる時のような意識の混濁を感じながら、カエルは溺れないように手足を大の字に大きく広げ、わずかに残った力を振り絞ってサソリに言いました。

サソリ君、君は僕のことを刺さないって言ったよね? ほら、このままじゃ僕も君も死んでしまうよ。君の言った通り、このまま僕たちは溺れてしまうじゃないか!

サソリは言いました。


"I can't help it. It's my nature"


仕方がない。これはおれの性(さが)なんだ。



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クライングゲームはてめえの大好きな映画の一つで、てめえには珍しく「恋愛映画」である。あまりに好きだったので、劇場公開中に幾度となく足繁く劇場に通った。この素晴らしさを感受性の高い若者に伝えたいと思い、てめえは数回目に当時中学生だった妹を連れて劇場に行った。

妹を連れていったその時まで全く知らなかったのだが、実はこの映画は「R-15」であった。つまり、15歳以下はダメ。確かに大人なラブシーンもあるが、それはそれとしてとても美しい映像だった。まあ、要はR15指定を食らったのは「大人の事情」である(性器を露出するシーンがあり、無修正だったため。実は激しいラブシーンは全くと言っていいほどない上に、性器を露出するシーンはストーリー上とても大事な場面であった。詳細はネタばれなので書かないが)。

妹は確か中1くらいで、しかも年齢より幼くみえたので、妹の容姿を見た窓口のお姉さんは妹の分の切符を売ってくれなかった。

てめえは猛抗議した。てめえは何度もこの映画を観に来ており、とても感動したので妹にも観てほしいと思った。むしろ多感なこの年の子にこそ観てもらうべき映画なのではないか?

てめえの抗議にうんざりされたのか、あるいは共感されたのか。最終的には妹の入場は許され、妹と二人で映画を観た。妹はとても感動していたぜ。





予告編。はっきり言って、編集がクソ。



そしてまた恐ろしいことに、今やyoutubeで全編が観れる。字幕ないけど。「カエルとサソリの話」は23:50くらいから。



2014年04月27日(日) たまには本当に日記でも。

朝、7時3分にセットした携帯電話のアラームで目を覚ます。「なんで中途半端な7時3分やねん」という声が四方八方から聞こえてきそうであるが、これはてめえが素数好きということ以外の理由は全くない。ちなみに寝過した時のためにアラームの第二弾も設定しているが、もちろん素数で構成された「7時17分」である。

アラームで目を覚ますと、眠い目を擦って台所に降り、父の朝食を整える。てめえは朝食は摂らない主義で、厳密には「二日酔いが酷い時は五苓散を二服」「そうでなければ野菜ジュースあるいはトマトジュースにエゴマ油+オリーブオイル少々」と決めている。起きていきなり固形物を取るのは、胃だけではなく膵臓にも負担をかけるからね。そう、てめえは一応美容と健康のことを考えてるのだぜ。

だったら親父の健康も考えろと言われそうだが、もう生活習慣が出来上がっていて、そこに全く疑念を抱かずこれ以上変更のしようがない人に関してはconflictする意味がないと思っている。

事実、かなり以前に、しかも今のように呆ける前に、親父に「朝食を抜く意義」について話をしたことがあったが、全く話にならなかった。あらかじめ刷り込まれている観念と言うのは難しいもので、「洗脳」を解くことの難しさを感じる。まあ、何が正しいのかは歴史が証明してくれるだろうけどね。

ちょうど朝食を整え終わるころにヘルパーさんがやって来る。「すんませんがあとはよろしくお願いします」とてめえはヘルパーさんに食事の介助をお願いし、デイケアに提出する日記を書き(と言っても排便したかどうかと、過ごした一日の内容を書くだけ)、ヘルパーさんが持ってくる書類にハンコを押す。ハンコを押すと「すんません、後はお願いします」とヘルパーさんに後を託し、エゴマ油がたっぷり入ったそして香り付けの西院のオリーブオイル専門店で購入したオリーブオイルをちみっと垂らした野菜ジュースを一気に飲み込み、平日は出勤準備を、休日は二度寝を決め込む。


のだが、今日は二度寝せずに久しぶりに中庭に手を入れることにした。「いってらっしゃい」と親父を見送った後、使い古した剪定鋏と鋸を取りだし、中庭の木々の散髪をすることにした。

てめえの剪定は植木屋時代の親方譲りである。つまり、小さい枝をちまちまと切るのではなく、バランスを考えた上で、不要な、かつ出来るだけ大きな枝を探して落とす。結構勇気のいる方法ではあるが、てめえは何の責任も問われない街路樹でうんざりするほど実践した。

そんなわけで、剪定を始めた。まずは、良く考えたらこの木がないほうが美しいのでは、という木を根元から切り落とすことにした。

本気で根元から切り落とそうと思うとかなりの大事になるので、てめえは上の方から順次鋸で切り落としていった。今までありがとね、と呟きつつ。

しかしこれは良い気分転換になった。色々煮詰まってたしね。

一本をまるっと切り落とした後は、他の木々を剪定した。たちまち中庭が切り落とした樹々の枝で溢れたが、これらは鋸や剪定鋏で細かく切ってゴミ袋に詰めた。


あとは裏庭も宿題として残っているんやけど、蚊が多い季節になる前に何とかしましょうね。


その後は親父が帰ってくるまでひたすら執筆。いやあうまくいかないわ。書いては消し、書いては消しの無為な時間をただ浪費しているだけのような気がする。6月末までにとりあえず一本をと考えていたが、ちょっと無理かもしれないと果てしない気持ちになり。最終的に満足することはあるのだろうかと自答する。ううむ夜は長いぜ。


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