むかし、ある大きな川の畔にカエルとサソリがいました。
サソリは、そのゆったりと流れる大きな川の向こう側に、一度でいいから行ってみたいと思っていました。彼の背からは向こう岸すら眺めることのできない川の向こう側を、たった一度でいいから見てみたい。違う世界をこの目で見てみたい。そう願っていました。
そこでサソリは、近くにいたカエルに相談しました。おれ、一度でいいから川の向こうを見てみたいんだ。だから、たった一度でいい。一度でいいから君の背中に乗せて、川を渡ってくれないか? 君は自由に泳げるだろう? おれは泳げないんだよ。
いやだよ、とカエルは言いました。だって、君を背中に乗せたら、君は僕のことを刺すだろう?
そんなこと、するわけないじゃないか。とサソリは笑い飛ばしました。だって、君を刺したらおれも一緒に溺れてしまうだろう?
それも理屈だな、とカエルは納得して、サソリを背に乗せ川を渡り始めました。川は小さく波打ちながらゆったりと流れており、川底近くでは小さな魚が群れをなして泳ぎ、上空からの穏やかな風は水面を撫でていました。
川を半分くらいまで渡った頃でしょうか、カエルは突然背中に焼けるような痛みを感じました。痛みはたちまち全身を貫き、背を振り返る間もなく四肢の端までが痺れ始めました。
耐えがたい眠りに落ちる時のような意識の混濁を感じながら、カエルは溺れないように手足を大の字に大きく広げ、わずかに残った力を振り絞ってサソリに言いました。
サソリ君、君は僕のことを刺さないって言ったよね? ほら、このままじゃ僕も君も死んでしまうよ。君の言った通り、このまま僕たちは溺れてしまうじゃないか!
サソリは言いました。
"I can't help it. It's my nature"
仕方がない。これはおれの性(さが)なんだ。
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クライングゲームはてめえの大好きな映画の一つで、てめえには珍しく「恋愛映画」である。あまりに好きだったので、劇場公開中に幾度となく足繁く劇場に通った。この素晴らしさを感受性の高い若者に伝えたいと思い、てめえは数回目に当時中学生だった妹を連れて劇場に行った。
妹を連れていったその時まで全く知らなかったのだが、実はこの映画は「R-15」であった。つまり、15歳以下はダメ。確かに大人なラブシーンもあるが、それはそれとしてとても美しい映像だった。まあ、要はR15指定を食らったのは「大人の事情」である(性器を露出するシーンがあり、無修正だったため。実は激しいラブシーンは全くと言っていいほどない上に、性器を露出するシーンはストーリー上とても大事な場面であった。詳細はネタばれなので書かないが)。
妹は確か中1くらいで、しかも年齢より幼くみえたので、妹の容姿を見た窓口のお姉さんは妹の分の切符を売ってくれなかった。
てめえは猛抗議した。てめえは何度もこの映画を観に来ており、とても感動したので妹にも観てほしいと思った。むしろ多感なこの年の子にこそ観てもらうべき映画なのではないか?
てめえの抗議にうんざりされたのか、あるいは共感されたのか。最終的には妹の入場は許され、妹と二人で映画を観た。妹はとても感動していたぜ。
予告編。はっきり言って、編集がクソ。
そしてまた恐ろしいことに、今やyoutubeで全編が観れる。字幕ないけど。「カエルとサソリの話」は23:50くらいから。
2014年04月27日(日) |
たまには本当に日記でも。 |
朝、7時3分にセットした携帯電話のアラームで目を覚ます。「なんで中途半端な7時3分やねん」という声が四方八方から聞こえてきそうであるが、これはてめえが素数好きということ以外の理由は全くない。ちなみに寝過した時のためにアラームの第二弾も設定しているが、もちろん素数で構成された「7時17分」である。
アラームで目を覚ますと、眠い目を擦って台所に降り、父の朝食を整える。てめえは朝食は摂らない主義で、厳密には「二日酔いが酷い時は五苓散を二服」「そうでなければ野菜ジュースあるいはトマトジュースにエゴマ油+オリーブオイル少々」と決めている。起きていきなり固形物を取るのは、胃だけではなく膵臓にも負担をかけるからね。そう、てめえは一応美容と健康のことを考えてるのだぜ。
だったら親父の健康も考えろと言われそうだが、もう生活習慣が出来上がっていて、そこに全く疑念を抱かずこれ以上変更のしようがない人に関してはconflictする意味がないと思っている。
事実、かなり以前に、しかも今のように呆ける前に、親父に「朝食を抜く意義」について話をしたことがあったが、全く話にならなかった。あらかじめ刷り込まれている観念と言うのは難しいもので、「洗脳」を解くことの難しさを感じる。まあ、何が正しいのかは歴史が証明してくれるだろうけどね。
ちょうど朝食を整え終わるころにヘルパーさんがやって来る。「すんませんがあとはよろしくお願いします」とてめえはヘルパーさんに食事の介助をお願いし、デイケアに提出する日記を書き(と言っても排便したかどうかと、過ごした一日の内容を書くだけ)、ヘルパーさんが持ってくる書類にハンコを押す。ハンコを押すと「すんません、後はお願いします」とヘルパーさんに後を託し、エゴマ油がたっぷり入ったそして香り付けの西院のオリーブオイル専門店で購入したオリーブオイルをちみっと垂らした野菜ジュースを一気に飲み込み、平日は出勤準備を、休日は二度寝を決め込む。
のだが、今日は二度寝せずに久しぶりに中庭に手を入れることにした。「いってらっしゃい」と親父を見送った後、使い古した剪定鋏と鋸を取りだし、中庭の木々の散髪をすることにした。
てめえの剪定は植木屋時代の親方譲りである。つまり、小さい枝をちまちまと切るのではなく、バランスを考えた上で、不要な、かつ出来るだけ大きな枝を探して落とす。結構勇気のいる方法ではあるが、てめえは何の責任も問われない街路樹でうんざりするほど実践した。
そんなわけで、剪定を始めた。まずは、良く考えたらこの木がないほうが美しいのでは、という木を根元から切り落とすことにした。
本気で根元から切り落とそうと思うとかなりの大事になるので、てめえは上の方から順次鋸で切り落としていった。今までありがとね、と呟きつつ。
しかしこれは良い気分転換になった。色々煮詰まってたしね。
一本をまるっと切り落とした後は、他の木々を剪定した。たちまち中庭が切り落とした樹々の枝で溢れたが、これらは鋸や剪定鋏で細かく切ってゴミ袋に詰めた。
あとは裏庭も宿題として残っているんやけど、蚊が多い季節になる前に何とかしましょうね。
その後は親父が帰ってくるまでひたすら執筆。いやあうまくいかないわ。書いては消し、書いては消しの無為な時間をただ浪費しているだけのような気がする。6月末までにとりあえず一本をと考えていたが、ちょっと無理かもしれないと果てしない気持ちになり。最終的に満足することはあるのだろうかと自答する。ううむ夜は長いぜ。
2014年04月26日(土) |
傾向と対策について。 |
てめえは本番に強いということを密かに自慢しているが、これは単に運が良い、あるいは実力がある、と言うこととはイコールではない。てめえにも、これまでの人生で確立したそれなりのやり方があり、それに従うことで自信を持って本番に臨めるからである。
てめえが初めて試験に挑んだのは高校受験の時だった。試験勉強のやり方を全く知らなかったので、クソ真面目に盲目的に全分野をただ勉強し、結果として第一志望に見事に玉砕した。
高校に進学した時は大学に進学する気もなかったのだが、プラスチック工場で悟りを啓いた結果、てめえはまじめに大学受験に挑むこととなった。
さて、同じ過ちを繰り返すのは賢明ではないので、てめえはまず、どうすれば「うまくいくのか」を考えた。なんで高校受験はうまくいかなかったのか? 限られた時間で成功するにはどうしたらいいのか?
普通なら、その思考を「学校」に丸投げして、なけなしの予算をつぎ込んで予備校に通っただろう。しかし予備校に行ってそれだけのリターンがあるのだろうか?
それすらもよくわからなかった。そもそもてめえは「学校」というものに期待をしていなかったし、したがって予備校に過大な期待を持つ人たちのことを理解できなかった。ので、まずは成功した人の話を参考にしようと思いついた。
そんなわけで、夏くらいから仕事帰りに本屋さんで立ち読みを始めた。プラスチック工場の薄給では欲しい本を全て買うわけにはいかなかったし、立ち読みは苦ではなかった。
とりあえず、「大学受験記」みたいな本を片っ端から読んだ。その系統の本は、今でもたくさん出ている。いや、今ならネット上にそれ以上の情報がごろごろ転がっている。しかしその時代にはネットもなく、ひたすら仕事で疲れた体を引きずって本屋に通った。
その結果、面白いことが分かった。
普通の大学に合格した人の勉強法は非常にオーソドックスであった。よくつかわれている参考書や問題集を何冊も勉強し、寝る間も惜しんで勉強し、そして塾や予備校に通っている。
しかし、いわゆる難関と言われる大学に合格する人はそうではなかった。使っている問題集はせいぜい1-2冊で寝る時間は削らず、そして予備校に通う人は少数であった。
後者はそれだけ頭が良かった、もとが良いからそんなに勉強しなくても合格したんだろうと普通は考えると思うが、てめえは違った。「全てが理にかなっている」と思ったのだ。
もう一つ、後者の合格記には共通点があった。「傾向と対策をしっかりしている」ということ。つまり、受験する学校は早くに決めていて、その学校に合格するための勉強をしていた。逆に前者はがむしゃらに勉強して、その時点での偏差値をもとに学校を決めていた。これだと、勉強する範囲は前者の方がはるかに多くなる。
てめえは時間がなかったので、後者の戦術をとることにした。つまり受験する学校は絞る。ていうか、経済的な問題で事実上受験できる学校は限られていた。
なんだか面倒くさくなってきたので、この辺で一気にまとめる。
1.受験する学校(あるいは試験)を決める。
2.その学校(あるいは試験)の過去問を少なくとも10年分解いて、傾向を知る。
「実力試し」のために、過去問は最後まで取っておく人がいるが、これは愚の骨頂である。合格するためのヒントは過去問に最も豊富に含まれている。
3.傾向を知った後は、対策を練る。
てめえの受験した学校は、数学ではほぼ出る分野が決まっており、理科は簡単で英語は英文和訳と和文英訳のみであった。
つまり、数学は勉強する分野が決まっており、理科は難問を解く必要がなく、英語は穴埋めや発音問題が出ることはない。英文和訳は、知らない単語があっても誤魔化すテクニックが必要だし、和文英訳は、てめえの知っている単語レベルまで日本語をかみ砕いて英文にすればよい。
4.対策が決まれば、後はひたすらそれに沿ったトレーニングをする。
てめえが立てた対策に予備校が応えてくれるとは全く思えなかったので、予備校や塾に通うのはやめた。お金は働いてためた分が少しはあったが、それ以上に通学に通う時間がもったいなかった。
5.「成功する」というイメージトレーニングを行う。
てめえもてめえの通っていた学校もまったく実績のない状態だったので、本当にそれでうまくいくのか不安でたまらなかった。しかし、考えに考えた戦略と戦術である。もう信じきるしかない。
そんなわけで、不安になったときに「大学生になった自分」を夢想した。それだけではなく、勉強の休憩時間には、実際の受験の日に時間配分をどうするのか、などをひたすらシミュレーションした。
6.「合格する」ということは、合格最低点を1点でも上回ればよい。
500点満点の試験で300点で合格できるとしたら、少なくとも1割増しの330点取れるようにトレーニングすればよい。なにも満点を取る必要は全くない。極端な話、301点でも合格である。ただし毎年試験の難易度などのぶれはあるため、1割増しを目標とした。そのため、各教科ごとの目標点を設定した。
その結果、センター試験も二次試験も目標通り(というか、結果的には目標以上であった)の点数を取ることができ、てめえは晴れて大学生になった。結局、まともに使用した問題集も、教科ごとにせいぜい1-2冊だった。結局、一つの本の中に書いてあることをしっかりと理解すればそれ以上は不要だということを理解した。
要は「傾向と対策」「成功するというイメージトレーニング」である。試験でなくても、学会発表などでもイメージトレーニングすることによって失敗することはない。他にも応用はいくらでも効くと思う。
大学受験での成功に味をしめたてめえは、その後の試験も同じやり方でことごとく突破することができた。医師国家試験に関しては、ほぼ過去問しか勉強しなかった。そして、今後もたいがいの試験には落ちないだろうと思う。
ウーマン(Woman)は、1980年に発表されたジョン・レノンの楽曲である。アルバム『ダブル・ファンタジー』に収録されている。ジョンの死後にシングル・カットされた。ビルボード誌では、1981年3月21日に、週間ランキング最高位の第2位を獲得。ビルボード誌1981年年間ランキングでは第16位。全英では週間チャート第1位を記録した。
冒頭で聞かれるジョンの囁き "For The Other Half Of The Sky." (「空のもう半分のために」)は、「世の女性陣に向けて歌いましょう」といった呼びかけである。毛沢東の詩を引用しているとされる。(Wikipediaより引用)
(For the other half of the sky...)
Woman, I can hardly express My mixed emotions at my thoughtlessness After all I'm forever in your debt
愛するひとよ、なんて言っていいのかわからない 気持ちはぐるぐる渦巻いて、考えもまとまらない 結局、いつもあなたに負けっぱなしなんだね
And woman, I will try to express My inner feelings and thankfulness For showing me the meaning of success
愛するひとよ、なんとか言葉にしてみたい この湧き上がる気持ちと、感謝の言葉を 「うまくいく」ってことの意味を教えてくれたよね
Ooh, well, well Doo, doo, doo, doo, doo Ooh, well, well Doo, doo, doo, doo, doo
Woman, I know you understand The little child inside of the man Please remember my life is in your hands
愛するひとよ、わかってると思うけど 男なんて小さな子供のときのまま てめえの人生なんて、あなたの掌の上で踊っているだけ
And woman, hold me close to your heart However distant don't keep us apart After all it is written in the stars
愛するひとよ、あなたの心のそばにいさせてほしい どれだけ離れていても ずっと一緒なんだよね 結局、全ては星の中に描かれているの
Ooh, well, well Doo, doo, doo, doo, doo Ooh, well, well Doo, doo, doo, doo, doo Well
Woman, please let me explain I never meant to cause you sorrow or pain So let me tell you again and again and again
愛するひとよ、言わせてほしい つらい思いはさせたくない だから何度でも言いたいの 何度でも、何度でも。
I love you, yeah, yeah Now and forever I love you, yeah, yeah Now and forever I love you, yeah, yeah Now and forever I love you, yeah, yeah Now and forever
愛してる。これからもずっと。
「ラーメンって、もともと北の方の異民族の食べ物なんですよ」
と、てめえの中国人の後輩は言った。先週末の飲み会。彼はなぜか一人ぽつんと飲んでいたので、てめえはテーブルを移った。
「僕はね。ラーメンが好きなんですよね。それも日本のラーメン。豚骨がたまらない」 「おお、中国には豚骨はないのか!」
と、酔ったてめえはいつものように適当なことを言った。
ないですよー、北の方の、牛を食べる民族の食べ物なので、基本的に牛肉の出汁ですね、と彼は言った。
「いずれにしても、漢民族の食べ物じゃないんですよね」
と、漢民族の彼は言った。「異民族」と言う言い方が漢民族っぽいなと思ったが、漢民族の面白いところは、元にしろ清にしろ、異民族の支配を認めたことがあるということ。いわば、アメリカがフランス人や日本人の大統領を認めるのと同じ(ではないけどね。もっと威力がある)。この辺が中国の奥深さだと思う。
そんなわけで、あらためてラーメンのルーツについて勉強してみた。
麺料理については本当にいろんな由来があるので、ここでは麺は捏ねて引っ張って延ばす「拉麺」のみについて扱うこととする。
もともとは、中央アジア全般で食べられていたラグマンが由来とされている。中央アジアはイスラム教の人が多く、したがって自然と用いられるのは「牛」だった。イスラム教に豚は禁忌だからな。
ラグマンは延ばした麺を和えて食べる和え麺だったが、これが中国で牛肉のスープを得て、牛肉麺となった。これが蘭州拉麺である。
以降、中国全土そして台湾にも上陸したと思われる。
ここで不思議なのは、日本における豚骨の出汁。どこからそうなったのか? 中国から沖縄に持ち込まれた時点で、「豚+カツオ出汁」になっていた理由は?
というわけで、麺料理についてはいろいろ知りたいことがある。嗚呼、てめえはいつの日か引退したら、ラーメンの由来を調べる旅に出たいぜ。そして世界中の麺料理を食べてみたいと思う。
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