2014年04月20日(日) |
セウォル号の事故について。 |
今日のはいろいろ思うところがあり長くなりました。
てめえは沖縄に在住していた期間中、主に奄美に行くときに幾度となく船を使って移動した。故郷に墓参りに帰る時、あるいは奄美大島に赴任した友人のところに遊びに行くときなどに利用したのだ。那覇まで戻って飛行機で移動するよりは本部港から船で移動する方が便利だったからだ。バイクも載せられるしね。
それが「なみのうえ」号だったわけで、何度もお世話になったのでその内部の詳細までよく覚えている。
その「なみのうえ」号が日本での現役を終えて、韓国に売り飛ばされ「セウォル」号として就航していたという事実を、今回初めて知った。
てめえもよく知った船であるが、外装も変えられ改造されたその姿に往年の姿はなかったので、初めは全く気が付かなかった。
てめえはいつも移動に際しては、バイクと一緒に移動していた。バイクで船に乗り込み、絶対に動かないように固定してもらってから客室に案内されていた。固定方法は独特で、船員に代々伝わる特殊な結び方で固定されていた。これは絶対に解けないのだ。
外力では絶対に解けないが、あるコツで簡単にほどける。そんな結び方を彼らはたくさん知っていた。
てめえは救急隊の方と一緒に仕事をしたことがある。沖縄の救急隊は海での救助も担当しているので、船における特殊な結び方を知っている。てめえは何種類か教えてもらった。
「これ、絶対解けない結び方やし覚えてね。でも、海の男たちはもっと秘伝の結び方があるらしいさぁ」と、彼らは笑った。
なんでそんな事を書くのかと言うと、きちんと荷物を固定していれば、こんなことにならなかったのだろうと思っていること。今回の事故では、おそらく荷物の固定が適当だったのだろうと思う。それで旋回した時に荷物が解け、遠心力がかかった結果転倒したのだろうと思っている。
「急旋回で荷物がほどけた」と言っている人がいるらしいが、てめえも知っている結び方では絶対に解けない。
ということは、その結び方を知らなかったのか、その結び方をしていなかったの二択である。バイクや車やその他の荷物をきっちり固定できるように船が作られていたことは、何度となくバイクと共になみのうえ号に乗ったてめえは知っている。
今回の事故に関してはあまりに突っ込みどころが多すぎてあきれるばかりだが、残念ながらこれがかの国の実情なのだろうと思った。こんな危ない国には二度と行かないことをあらためて固く決意したぜ。
ていうか一回目に行った時からその気持ちは変わらないぜ。てめえはいろんな国を旅行したが、二度と行きたくないと思った国はただ一つだけ。てめえが最も嫌いな「卑屈さ」を纏っている国。
そしててめえのルーツの一つである、かつ温厚な民族性の台湾人がほぼ唯一嫌っている国。そう、はっきり書くが台湾人は韓国人が大嫌いである。理由は今日は述べない。グーグル先生に聞けば回答はごろごろ転がっている。
どうでもよいがベトナム人も韓国人が大嫌いだが、これは台湾以上の深刻な理由があり、ベトナムは韓国に「謝罪と賠償」を求めても良いと思う。ていうか個人的には求めてほしい。
なぜそんなことをしないか。ベトナムがなぜアメリカにも韓国にも戦時賠償を求めないかは、韓国民は良く考えた方が良いと思うぞ。
さてセウォル号に戻る。
1.乗員が乗客を見捨てて真っ先に避難した。
救護を放り投げて乗員が逃亡。これがどれだけひどいことか、てめえは本当に空いた口が塞がらない。乗員の義務って何なのか。真っ先に逃げ出したキャプテンが異常に言われているがそれだけの問題ではないと思う。修学旅行中の高校生を誘導することなく、キャプテンを含む乗組員は真っ先に逃げた。
船長だけが逃げたのなら個人的問題かもしれんが、乗組員みんなが逃げていれば、これは集団としての問題と考えざるを得ない。
乗組員は、最後まで乗客を誘導した一人が亡くなった以外は全員助かっている。救命率29/30。対して、乗客は行方不明者を入れると救命率は約30%で、これはタイタニック号事件に匹敵する。
タイタニック号事件が起きたのは1912年で、100年以上も前。しかも夜中で、大西洋のど真ん中。時代を考えてもこれだけ悲惨な事件になったことは理解できるが、それから100年以上たった21世紀の今日、しかも朝の9時に、領海内で起きた事故でタイタニックに匹敵するってどういうことでしょうか?
しかも、タイタニックでは乗員もかなり亡くなっているはずだが、今回はほとんど生き残った。これは海の男として最低だよな。
まあこれ以上は言わないわ。明らかな人災であるということ、それが個人的な問題ではなさそうというということだけ指摘しておく。
2.大統領が視察
「お前はこんなところに来る以上の仕事があるだろ!」という罵声が被害者家族から飛んだそうだが、全く同意する。大震災の時に原発に視察に飛んだ管直人を思い出したわ。原発が爆発したのはその後だったよな。現場にとっては迷惑以上の何物でもない。
3.日本の支援を無視
領海内の事故だから難しい問題があるのだろうということは理解するが、それ以上に感情的になっているとしか思えない。
困るのは誰なのか、もう一度考えてみたらどうだろうか。といっても感情的になった方には逆効果でしょうね。自国民の生命よりもプライドの方が上なんですね。
ほかにも突っ込みどころはあるが、もういいです。てめえ的には、よく知っている「なみのうえ」号が変な風に改造されて荷物もちゃんと固定されず、変な操縦をされてあっけなく沈んだことが最も悲しい。
あと、被害者の多くが子供だったということも悲しすぎる。子供には国籍関係なく責任はない。しかし子供を見捨てて真っ先に大人が逃げるって、ああそうなんですね。
追記
三豊百貨店崩壊事件
三豊百貨店(サムプンひゃっかてん)は、大韓民国のソウル特別市瑞草区にかつて存在した百貨店。 1989年に開店。6年後の1995年6月29日17時57分(KST、日本時間同)、営業中に突然、5階建ての建物の両端の一部を残し、跡形もなく崩壊。死者502名・負傷者937名という世界的にも例のない大惨事を起こした。
聖水大橋崩落事故
聖水大橋(ソンスおおはし)は、大韓民国ソウル特別市城東区聖水洞と同市江南区狎鴎亭をつなぐ漢江に架かる橋。1977年4月に着工し、1979年10月に完成した。
しかし、わずか15年後の1994年10月21日に橋の中央部分およそ50メートルが突然崩壊。通行中の乗用車や漢星運輸(韓国語版)所属の16番市内バスなどが巻き込まれ、32人が死亡、17人が重軽傷を負った。
原因は施工段階での手抜き工事で、建設会社と市側の監督責任者が刑事訴追された。また、当時のソウル市長李元鐘が、当時の大統領金泳三によって更迭されている(後に忠清北道知事になり、2006年まで職務を行っていた)。
追記その2
どうやら原因はまさかの「過積載」。まさに想像の斜め上状態で、さすがにてめえもこのエントリーを書いた時点で「荷物量の問題」であるとは想像できなかった。
荷物を適量積んでいたという暗黙の前提で考えた結果が「きちんと固定していなかったのでは?」だった。過積載だったら、そりゃあバランス崩しやすいわな。
記事自体がいつ消えるかわからないので、引用させていただく。ちょっといろいろ考えさせられた。
どうしてこういうことになったのだろうか? もともと施設にいた方や、自宅で介護されていたとしたら、おそらく捜索願が出ているはずなので、身元も判明しているだろう。そもそもそういう場合、持ち物にはおむつも含めて必ず名前を書いているはず。
徘徊する方々は意外とすげえ遠くまで行っていることがあり、都府県を二つ三つ越えることも稀ではないが、もちろんそれくらいまで範囲を広げての捜索はしているだろう。
とすると考えられることは?
家族が介護放棄した?
もともと独居で、外出したまま帰れなくなった?
あるいは介護していた人が何らかの急病や事故などに遭遇した?
いずれにしても、このようなケースは今後も出てくると思う。しかし行政がその気になれば身元はわかると思うけどな。
<認知症男性>身元不明のまま仮名で2年 大阪の路上で保護
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140419-00000006-mai-soci
2年前に大阪市の路上で警察に保護されたが、名前や住所など身元が全く不明のまま、仮の名前が付けられ介護施設で暮らす重い認知症の男性がいることが分かった。男性は自分の名前が分からず、該当する行方不明者届もない。専門家は「高齢化が進み、今後このような人が増えていくのでは」と危惧している。
大阪市は男性に対し、保護された場所にちなんだ名字に「太郎」という仮の氏名を付けた。福祉の保護を受ける手続きなどで必要なためだ。容姿などから70歳と推定して仮の生年月日も決めた。現在推定72歳になったが、入所する同市内の介護施設の職員には「実際はもう少し若いかもしれない」との見方もある。
記者は4月上旬、介護施設を訪ねた。「お元気ですか」と声をかけると、太郎さんは「ああ」とうなずき笑顔を見せた。判断能力が不十分な人を守る成年後見人に、市長申し立てで選任された山内鉄夫司法書士らによると、太郎さんの要介護度は3。言葉を発するのが難しくトイレも介助が必要だが、足腰は丈夫でひとりで歩くことができる。
2012年3月11日午前8時前、日曜の朝だった。同市西部にある住宅街の歩道でしゃがんでいたところを警察に保護された。水色のダウンジャケットにグレーのスエットズボン、黒の運動靴。身なりに汚れはなかった。お金や所持品はなく、名前を尋ねても「分からん」と答えた。
保護された際にはズボンの下に介護用の紙パンツをはいており、保護前に介護を受けていた可能性がある。介護施設の職員も「介護なしで生活ができるレベルではなかった」と話す。
その日のうちに大阪市による緊急一時保護の手続きが取られ、太郎さんは市内の保護施設に入所した。規定の保護期間(14日間)を過ぎても身元が分からず、同年3月末から現在の介護施設に入った。
介護施設は通常、本人の経歴や病歴、家族構成などを踏まえてケアにあたる。例えば夕方に歩き回る人がいれば「子供の夕食を作るため家に帰ろうとしているのか」と理由を推測し、不安を取り除くよう努める。だが、太郎さんには保護前の情報がない。山内さんによると、30ほどの施設が入所を断り、受け入れ先は容易に見つからなかった。
太郎さんは特殊なケースなのか。認知症介護研究・研修東京センターの永田久美子研究部長は「超高齢社会では人ごとでなく、同様のケースが身近で増えることは確実だ。これまでも太郎さんのような存在と対面しているが、実態把握も対応も進んでいない。一刻も早く本名を取り戻し家に戻れるように、国や自治体が本格的に対策に乗り出すべき時期だ」と話している。【銭場裕司、山田泰蔵】
とてもとてもとても大好きな漫画。購入してからだいぶと経つが、折に触れ大切に読んだ。おそらく、何百回も。
Kindleストアで電子書籍になっていることを最近知り、すぐに購入した。これで、死ぬまでてめえのkindleちゃんの中に入り続けることになる。そして、iPhoneでも読むことができる。
最近、この物語を読む度に涙が止まらない。そして、死ぬまでそうだと思う。
大人になってから、涙なんて出なかった。担当の患者さんが亡くなっても、悔しくて悔しくて残念で、でも涙は出なかった。いつしかそれを受け入れることが仕事になっていった。そうでないとこの仕事を続けていくことは難しい。そして淡々と死亡診断書を書く。人が亡くなることは大変なことだが、受け入れないと先に進めない。
社会人になって初めて涙が出たのは、大学の同級生かつ同僚が自ら命を絶った時。あの時、葬式の場で、てめえは周りを憚らず号泣した。自分でもそんなことになるとは思わなかった。
彼が埋葬されたとき、墓の前で再度涙が出た。それが二度目。
三度目の涙は、患者さんが亡くなった時。ずっと診ていた人で、最後は癌の末期だった。身寄りが全くなく、本人には癌の末期であることは伝えていたが少し理解の乏しい人で、本当に理解されているのかわからなかった。
そういった場合、通常は家族に詳しく説明するのだが、その家族が彼にはいなかった。
「急変した時どうするの? 方針決めてもらわないと困るんですけど」と、ナースはひたすらてめえを責めた。でも彼は、自分が死ぬ時どうしたいか? ということを理解してくれないだろうということは分かっていた。急変時の対応を彼女たちが急ぐのは、自分の仕事を減らしたいからである。てめえは全てを自分で受け入れることを決めた。
何かあったら休日でも深夜でも自分に連絡してほしいとてめえは言った。それきり、ナースからの催促はなくなった。
ある日の午前3時頃、てめえの携帯が鳴った。来るべき時が来たのだろうな、とてめえは電話を取った。
すぐに病院に向かう。彼の意識は朦朧としていて、来るべき時は近いのだろうということがすぐに理解できた。
意識が混濁していた彼は、てめえの到着と共に目を開けた。その時の彼の顔は、一瞬正気に戻っていた。
「おれ、死ぬんか?」
死ぬんか。人間の最後の疑問を思いっきりぶつけられたような気がして、てめえは一瞬うろたえた。
「ええ、お迎えが近いようですよ。」
何とか言葉を発しててめえは彼の手を握った。そう言ったきり、再度彼の意識は混濁した。
それからしばらくして、彼は息を引き取った。あらゆる延命治療は、てめえの判断で行わなかった。今後彼の親族を名乗る人が現れて、治療を放棄したと訴えられても飲み込む覚悟をして。
てめえはいつものように死亡診断書を淡々と書いた。もう朝は明けようとしていた。
全ての書類仕事を終えて、個室に移された彼の部屋に行った。顔の上に掛けられた布を取ると、まるで眠っているように安らかな彼の顔があり、てめえは思わずその場で号泣してしまった。
てめえが患者さんのことで涙したのはこれが初めてで、たぶん最後だと思う。
2014年04月16日(水) |
STAP細胞について、その後というかもうほぼ最後。 |
昨日は飲みすぎた。
今朝は体が言うことを聞かず、アルコールを抜くには炭水化物だと珍しく朝飯を食べたが体が受け付けず、しかしなんとか朝ごはんを食べたので、今度は逆に午前中体がだるかった上に一日中下痢したわ。体は何かを一生懸命排出しようとしていたのだろうな。やっぱ朝飯は食うもんじゃないな。今後は二日酔いの朝は、野菜ジュース+五苓散(+黄連解毒湯)で対応しよ。
今日の笹井氏の会見をまとめて見たが、なかなか面白かった。小保方さんの会見は、正直笑うポイントがたくさんあったがこの人の会見は本当に真摯だと思った。正直、器が違いすぎる。
マスコミ的には「STAP細胞は、ありますぅ!」と叫んでほしかったのだろうが、この人は絶対に言わないな。しかし、言い方は悪いが「品格のある会見」だった。小保方さんは完全に一般国民に訴える作戦だったが、彼は逆に科学者として会見していた。あの会見内容は、一般国民にはまったく理解できないだろうとおもうが、それでいい。
そして、STAP現象があると考えないと理解できないことがある、と言った彼からは二つのことを感じた。
一つ目は、科学者としての本音。おそらく彼は、初めて小保方さんからこのアイデアを聞いた時、本当に興奮で体が震えたのだろう。それはてめえにも理解できる。この「死ぬくらいのストレスを与えると万能細胞になる」というアイデアに衝撃を受けるのは、おそらく医師としての本能だと思う。というのは、医師であれば納得できる哲学を含んでいるからである。そしててめえもそうだった。
二つ目は、小保方さんへの思い。彼はこの期に及んで、彼女を擁護しようとしている。それは保身でも何でもない。おそらく彼は、彼女の実験内容に関してはもうほぼ信用していないだろう。だが、彼は彼女のことを擁護した。そしてこれは「不適切な関係」とは無関係であるという印象を持った。
てめえは本当に幸いなことに、大学に進学したことで、ありえないくらい優秀な人々と出会う機会があった。そして彼ら彼女らと接していて感じたことは、本当に優秀な人たちは「非常に情が深い」のだ。とにかく友人や家族を本当に大切にする。そして、友人が窮地に立ったら全てを投げ打ってでも助けに行く。
彼ら彼女らは絶対に人を陥れない。「絶対に間違っていること」以外は、本当に情のままに動く。意外なようだがこれは真実である。
今回の笹井さんの会見からは、そういった擁護を感じた。今回の会見を見ていたが、彼は非常に頭が切れる。受け答えを見ていたらそれが良くわかった。さすが京大医学部。
そんなありえないくらい頭の良い彼は、一つ一つ検証していく中で「小保方さんがとんでもないことをした」ということはすぐに認識しただろう。そして、そういうことをする人は、おそらく今まで彼の人生の中で出会ったことはないはずだ。
しかし彼はばっさりと彼女を切らなかった。一瞬でも、夢を共有した仲間だから。こういう優秀な人は、仲間認定をすると死ぬまで守ろうとする。ただし、それは相手が裏切らないという前提のもとである。小保方さんの出方によって、今後彼がスタンスを変えることはあるかもしれない。
しかし、TCRの再構成がなかったということが覆らない限り、てめえはSTAP細胞はないと思う。そして理研がこっそりと再構成がなかったという告白をしたのは、おそらく笹井氏が書いたシナリオだろうな。とすると、彼は、今日熱弁していたSTAP現象はなかったと理解しているはず。ただし、今後証明できるかもしれないという考えを、彼は持っていると思う。
しかし相変わらずマスコミはアホの塊やな。「あなた自身に功名心があったのでは?」って、お前誰に質問してるねん。初めてnatureに論文を載せる人ちゃうで。natureには10回も論文掲載されており、今年上原賞まで受賞した人が功名心で論文書くと思うのか、本当に腹が立った。笹井氏は一つも表情を変えずにまじめに答えていたのは本当に素晴らしいと思った。てめえなら席を蹴飛ばしそうだが。いやそもそも研究しませんから。
あと、昨日オボちゃんがひっそりとプレスリリース出してたことを知った。「私はSTAP細胞を作って、当時同じラボの上司だった若山氏に渡した。その後STAP幹細胞を作ってマウスを作ったのは彼の仕事なので、渡した後のことは全く知らない」だって! てめえは腰を抜かしただけではなく、彼女に狂気を感じたぞ。その渡した細胞は若山氏の渡したマウスと違ったのに? ということは、若山氏が捏造した、という可能性を暗に言っているわけだ。こないだの会見でも狂気は感じていたが、この言い分はすごい。彼女は笹井氏とは異なり「情」なんて全くないようです。
しかしSTAP幹細胞を若山氏が作って、論文を笹井氏が書いた、しかも元々のアイデアがハーバードのヴァカンティだったとしたら、彼女の役割は何? 不適切なデータを作っただけしか残らないが、じゃあなんで筆頭著者になったのかという大きな疑問だけが、今日は残った。
今年のふるさと納税はどこにしようかなと考え中。昨年に引き続き阿南町は決めている。ここのコメはまあまあ旨かったぜ。
てめえが外来でちみっと「朝食抜き運動」をした時、当然ながら質問の嵐にあった。そんなわけでよくある疑問に答えてみようと思う。
・三食ちゃんと食べないと力が出ない。
単なる思い込みです。私は朝食べていませんがギンギンに仕事しています。
・三食食べる子と朝食を抜く子で、学校の成績に差が出たという報告があったよ?
正直な話、子供は消費するエネルギーが多いだけではなく、大人にはない「成長」というファクターがあるので三食をがっつり食べても良いと思います。もちろん二食でもよいです。
さて、それは置いといて、正直この比較にはバイアスがかかりまくっています。統計学の落とし穴ですね。三食食べることが当然とされる社会において、朝食を提供できない家庭には正直問題があることが多いと思います。この報告の結果は「そういう家庭の子は成績が低い」という結果しか得られません。
「朝食を抜くと成績が落ちる」かどうかは、同質の集団(この場合、普通に三食摂っている家庭が良いでしょう)を用意して、従来通り三食食べる群と、朝食だけ抜く群に分けて結果を見るのが最低限必要です。そして、もしかすると朝食を抜いた群の方が成績が良い可能性があります。
・食事の回数を減らすのは納得できるとして、なぜそれが朝なの? 朝しっかり食べないと仕事になりませんが。
「朝は全身の細胞がギンギンにエネルギー充填されている」と昨日説明しましたが、ちょっと補足しましょう。
そもそも、食事をするということの生理学的意義を考えてみましょう。食事をすると、消化のために、全身の血液は消化管にシフトします。その分他の臓器や筋肉や脳への血流は減少します。血糖値は上昇し、各種ホルモンも分泌され、体は栄養を吸収するために「お休みモード」に入るのです。なので、食後は生理的に眠くなります。
これが食後の状態で、したがって、仕事前にはむしろ食事してはいけません。スポーツ選手が競技前に食事しないのは、食事することで筋肉への血流が減少し、自分のパフォーマンスが落ちるからです。食事のタイミングは、夜がベストで朝が最悪なのです。昼食の意義は、朝使ったエネルギーを補うだけと考えた方が良いです。そう考えると、「昼と夜の二食」という結論になります。
|