解放区

2014年04月09日(水) おぼちゃん会見とか:と言いつつその話はほぼありません。

今日は朝から救急。てめえが救急当番のときはやたらと忙しく、しかも重症ばかり来るので看護婦さんからはいつもうんざりされている。

「○○先生の時だけこんなに重症が多いのは異常! 一回お祓いしてもらった方がいいのでは」

と愚痴る看護婦さんを、ベテランの看護婦さんが一喝した。

「アホか! ええか、あんたはまだ経験が足りないから信じられへんかもしれんけど、患者さんも医者を選んでるんや。きちんと診てくれる医者の担当する時間は忙しくなって当然や! 神様はちゃんと見てるんやで・・・」


まあそこまで言われれば文句も言わずに働くしかないのだが、さすがに何かに憑かれているのではないかと不安になり、無神論者のはずのてめえは滋賀にあるお祓いで有名な某神社にお祓いに行った。もちろん、その後も効果は全く感じずてめえの担当時間はなぜか忙しい。

そんなわけで、今日もひたすら忙しく働いた。あっという間に当院のベッドは埋まり、とうとう他院に入院をお願いしなければならない状態になった。

その患者さんは当院かかりつけの方で、今朝からの発熱で来院された。呼吸がわずかに早く、これは呼吸器感染、おそらく肺炎かと考えられた。

すぐに撮ったレントゲンでは、右上肺に肺炎像があった。

あきさみよー。これ、結核の可能性があるやんけ。結核は、肺の上の方から生じる。そして、高齢者がなりやすい普通の肺炎は、重力の関係上肺の下の方から生じることが多い。


実は、結核の診断は非常に難しい。最終的には結核菌の検出になるのだが、これは検査を出してから3週間以上かかる。それまで待つわけにはいかないので、他の方法で「らしい」のかどうかを考えなければならない。

というわけで、レントゲンだけではなくCTを撮った。空洞ができていれば結核「らしい」ということになる。空洞がなくても結核は否定できない。

CTでは空洞は認めなかった。てめえが診るには典型的な細菌性肺炎だった。


さて、これが当院の入院であれば「あとは入院して様子を見ましょう」ということになるのだが、他院に依頼する場合は非常に気を使うのだ。肺炎だと言って入院依頼をして、結果的に結核だったら大問題になる。

念のために呼吸器科のドクターを捕まえて読影をお願いした。彼の見立てもてめえと同じで、結核の可能性は低いのではないかということであった。


さて、診断は付いた。後は入院を受け入れてくれる病院を探すだけ。

さっそく家族の希望も受けて、受け入れ可能な病院を探す。いつも思うのだが、これ医者の仕事だろうか。

一つ目の病院に電話をかける。救急担当医に電話をつないでもらったら、なんと出たのはてめえの後輩であった。彼は電話が繋がるなりこう言った。

「ええと、超重症でなければオッケーっすよ」

おい、こっちは患者の病状とか一切言ってないぞ! と、てめえは思わず叫んでしまった。言いながら、経鼻で酸素2Lやし重症ではないわ、とてめえはさりげなく妥協した。


なんだか緩い感じだったが、しっかり受け入れしていただけるとのことで一安心。彼もまともな医師なのでさらに安心。さっそく搬送のためにいろんな手続きを行いてめえは救急車に乗った。


搬送先で待っていた後輩は、使い捨てのゴム手袋を嵌めながら
「いつもありがとうございます」
と、てめえに深々と頭を下げた。こちらこそよろしくお願いします、当院のかかりつけの方なので、ベッドが空き次第当院で受け入れますので、とてめえも深々と頭を下げた。


帰りのタクシーで、ほっと一息ニュースを見る。ちょうど小保方さんの会見が始まった時間だったようだが、この話はまた今度。



2014年04月08日(火) 健康に関する「本当の正常値」

久しぶりにスカッとするニュースを見た。

人間ドック学会が、「健康に関する本当の正常値」を大幅に変更するという。年齢によっても異なるが、ざっくりと言うと、血圧は160くらいまでは正常。悪玉コレステロールも180くらいまでOKというもの。これまで正常値は、どんどんと値が引き下げられていたのだが、今回初めて逆の方向にベクトルが動いた。


正直このニュースには驚いた。というのは、正常値がどんどんと狭められているその原因の一端は「製薬会社」にあるからである。


たとえば、血圧の正常値が140から135に下がる。というか、下げる。理由付けはなんとでもできる。「血圧が140の人よりも、135の人の方が脳出血のリスクを抑えることができた」などである。そういったデータはいくらでも「作る」ことが可能である。脳出血のリスクが下がった、などと聞くと普通はビビってしまうところだが、そもそものリスクが非常に小さい場合はどうだろうか。例えば(これは脳出血の話ではありません。あくまでも例えばです)、100万人に1人が100万人に0.8人に減った。これってほとんど誤差範囲やんけ。

しかし、血圧の上限を140から135に引き下げることで、治療対象になる患者数は増える。誰が喜ぶのか? 患者? 医師? No。答えは製薬会社である。

リスクが100万人に1人が100万人に0.8人に減ったとして、助かる患者は1000万人に二人。医師は薬を出さなければ訴訟になるリスクもあり、疑問がありつつも面倒くさい処方箋の発行を行う。そして製薬会社は数100億レベルの増収をゲットする。日本の人口にして20人ちょいを救うために、数100億。いや、確かに人命は地球よりも重いが、数100億あれば別の使い道で、よりたくさんを救うことができるだろ? 

でも、リスクを言われると患者側としてはまあビビる。低いにこしたことはないと薬を飲み始める。しかしちょっと待とうや、その前にすることはあるだろ?

しかし株式会社は薬を一つでも多く売らないといけないわけですよ。これ以上はもう書きませんけど。


というわけで、てめえは血圧の薬は150以下で処方することはなかった。薬には副作用もあるし、そんなに簡単に処方する人の気持ちが理解できない。しつこいが、その前にやることあるだろ? 減塩とか減塩とか減塩とか、運動とか。


今回学会のお墨付きを頂いたので、血圧が160まで薬を出さないことができる。ていうか、160以下の血圧を放置してとんでもないことになる人なんていないし、見たこともない。聞いたこともない。ものすごい不安が強い人で、副作用が出ようがなにしようが血圧が下がればもうどうでもいいわ、と言う人には出すけどね。

でもね、減塩とか減塩とか(中略)運動とかを出来ない人は、結局一緒ですよ。薬飲んでも下がらないし、さらに薬が増える。他の疾患、例えば糖尿病などの生活習慣病リスクはそのまま。


話はそれるが尿酸の治療もそうで、尿酸高値を放置して、尿酸結石に苦しむ可能性は実は1%以下。薬の副作用の可能性は2-3%なので、尿酸値が高いだけで薬を出すのはデメリットしかない。もちろん痛風発作や尿酸結石を繰り返すようなリスクの高い人は、薬を飲んだ方がメリットがある。

しかしそんなことよりも、日々の食生活を見直そうよ。加工食品は避ける。そしてなるべく自炊しよう。自分で料理作らないと、結局理解できないのですよ。塩分は控えめに。スナック菓子や揚げパン含め、揚げ物は食べない。アルコールは適量に(人に言えた立場では全くないぜぇ。ワイルドだろ?)。タバコはやめよう(てめえは禁煙に成功しました)。EPAやDHAなどの良い油を取ろう。

そんなわけで、てめえの外来には濃い人ばかりが残る。簡単に薬だけ欲しい人や、日々の生活の見直しができないひとはさっさとドロップアウトされる。それでいいわ。その代わり、毎回濃い話ばかりで外来の後はぐったりだぜ。ワイルドだろ?


しかしLDL(悪玉コレステロール)の正常値の変更だけはちょっと受け入れがたいな。180はまずいだろ。


#追記。

まあ実はこれ誰が得するのかというと(こういう大人な考えはあまり好きではないのだが)医療費を削減したい人々なんですよね。医療費を削減するという考えは基本的に賛成なのだけど、行き過ぎて予防医学にならなければ逆に医療費が増える可能性もあるわけで。

例えば上で挙げたLDLに関しては、180まで治療しないとなると薬代は間違いなく激減するが、脳梗塞や心筋梗塞も間違いなく激増する。前者の薬代よりも後者の治療費の方が多かったら意味ないよな。

まあ、実はコレステロール以外にリスクのないLDL180は(特に女性の場合)、経験上意外に大丈夫かもしれんと思う。脳梗塞などが激増する層は糖尿病や高血圧などを持っている人になるので、実は医療費を削減したい人々は、そういった生活習慣病の人にはさっさと(以下自己規制)とか考えているのかもしれんが、それはそれで薄気味悪い話。

しかし血圧は160まで大丈夫、というのは経験上受け入れられるけど、LDL180はないわ。これ自体が極端な意見とまでは思わないが、いろんな意見を吟味して自分なりに納得するやり方を続けるしかないと思う。



2014年04月07日(月) 親父の語学熱。

てめえの親父は、春になると語学が勉強したくなるようだ。これは昔からで、いつも4月になると、英語だの中国語だのハングルだののラジオ講座のテキストを買いこんでは、せっせとラジオを聴いていた。

しかしどうしても仕事の都合などで聴きそびれるときがある。そんな時は再放送を聴ければよいのだがそれもうまく時間が合わないことが多く、仕方がないのでラジオを録音することになる。

録音したら時間を作って順番に聴いていけばいいのに、なかなかそういうわけにもいかずに5月に入るころには録音したテープだけがどんどん溜まっていく。

6月になるともう録音することもなくなり、年間購入を決め込んだテキストだけが溜まっていく。毎年の風物詩であった。

そしてまた春になると彼はやる気を見せる。まあ好きにしてくださいって感じ? そして結局英語も中国語も全然ものにならなかった。


そんな彼が「よーし今年は英語を勉強するぞ!」と言いだしたのが去年の春。まあ気持ちはわからんでもないが、短期記憶障害のある彼が英語を勉強することにどれだけの意義があるのだろうか。途方に暮れて母や妹に相談したが「べ、勉強? 短期記憶できないのに? まあ自分ではそこの部分が理解できないだろうし好きにさせたら? 脳みそのリハビリにもなるかもしれないし」などと笑い転げた。

笑えないのはてめえの方で、まあ気の済むようにしてもらおうと英語を勉強してもらうことにした。

「ほな、テキスト買いに行かないと!」とノリノリ(死語)の親父。本屋に連れて行ってくれと言いだしたのだが、彼を本屋に連れていくのはあまりにデンジャラスなので再び途方に暮れた。


仕方がないので、いくつか見繕ってテキストを購入。さっそくノリノリ(死語)で予習を始める父。あまりに楽しそうなので、思わず幸せな気分になってしまいテキストを年間購読してやったぜ。ワイルドだろ?

ラジオも古かったので新しいのを購入した。すると「録音したいのでテープを買ってくれ」とのご希望あり。いやあなた、録音する必要ある? 本放送も再放送も好き放題聴けまっせ。それでも頭に入らなかったら…(以下省略)と言いたくなるのをぐっとこらえて「おっけー」とてめえはテープを買う旅に出ました。


しかし今どきカセットテープ。予想通り量販店には置いておらず、いくつか店を回って途方に暮れた。時代はMDを超えてiPhoneの時代でっせ。はーどでぃすくにろくおんじゃなくってろくがするじだい。おお思わず平仮名になってしまったぜ。


そんなてめえに朗報を届けてくれたのは100円均一の店だった。たまたま入った100均の店に、たまたま置いてあったカセットテープ。その場所が光り輝いて見えたのは果たしててめえだけだろうか。


そんなわけでカセットテープを2本購入。去年の話なので、しめて210円。量販店には置いていなかったそのテープを、てめえは大事に持って帰った。


さてそんな親父。さっそく録音して、音読するする。ある日帰宅するとノリノリ(死語)の親父の横で困惑するヘルパーさんがいた。すみません、言ってきかないものですから、とてめえはなぜか言い訳した。


さていつもの如く、5月には2本のテープがいっぱいになり、6月には音読の声も消えた。親父の部屋には年間購読しているテキストが積み上げられていった。




時は流れて昨日の話。いつものように、呆けた親父と二人散歩をしていた。春の陽気に包まれ、油断すると暴走する父を宥めながら人気の少ない道を選んで散歩をする。

突然彼は立ち止り、言った。

「英語勉強したいねん!」

な、なんだってー! あほかーざけんなよ(以下自己規制)と叫びたい気分をてめえは良く抑えた。

ええとあのう、去年も同じことをおっしゃりましたっけ?

あれ? そうか? 勉強してへんで!

そう、勉強はしていない。ただし勉強しようとはしただろう? とてめえは言いかけた。

「やし、テキスト買いに本屋に行きたいねん!」


あっきさみよー。今年も年間購読した方が良いのか? もうええわ。



2014年04月05日(土) 徒然なるままに

うーん、思うように書けない。「とりあえず一本書く」というのが本当に大事だと思う。並行して2本考えているのだが、何とか書き進んでも数行で立ち止まる。そして前に書いた文章との整合性をチェックする。思うがままに書き連ねるなんて天才の業でしかありえないということがよくわかるわ。徒然なるままに書き連ねるのは。

しかし何でそこまでして書こうと思うのだろうか。ということを思う。結局は自分の存在についての問題なのだろうと思う。今の仕事を続けていれば収入的にも問題はなく、それなりのステイタスもあり十分な人生は歩めるはず。なぜそこから外れようとしているのかということは、正直理解されないような気がする。まあええわ。



マー君のMLB初日。やっぱり気になってしまい、仕事前のわずかな時間だったがテレビでチェックしてしまった。てめえはカナダの国歌を聴いたあたりで時間切れになって出勤したが、そもそもトロントの球場を見た時点で涙が止まらなかった。あの懐かしいロジャーズセンター。そこでマー君が初めてMLBの舞台に立つ。外野にはイチローがおり。ほんまに夢みたいだった。自分がトロントにいたころからは全く想像がつかないぜ。





「鴨川ホルモー」

学生時代を強く思い出す。京大生以外には理解されそうもないこの作品が世間に受け入れられたということは、ある程度学生時代の共通の思い出につながるものがあるのだろう。でも京大生だったら100%以上楽しめる作品だと思う。久しぶりに観なおしたが、既視感に溢れてヤバかった。



2014年04月04日(金) カブトムシ

毎日午後からは組織学の実習である。

組織学とは何をするのかというと、人間のいろんな器官の組織のプレパラートをひたすら見て、それをスケッチしていくのである(ちなみに今日は男性生殖器であった)。したがって、実習中はひたすら孤独である。

と、言うほどのものでもないのだが、ふと実習しながら音楽を聴くのもいいのではないかと思い、今日はMDウォークマンを持参して実習に臨んだ。

家から適当にMDを持ち出してきて、それを聴きながら実習していたのだが、これがすこぶる調子がいい。気持ちよくスケッチを続けていると、イヤフォンからaikoの「カブトムシ」が流れた。

どうもこの曲を聞くと一年前に過ごした風景を思い出してしまう。

この一年間で、てめえの周りの風景はずいぶんと変化した。一年前、てめえは学生ではなく植木屋のしがないアルバイトであり、日々持ち歩いていたのも携帯電話ではなく、もはや絶滅しかけているポケベルであった。

植木屋の仕事は過酷であった。まあ、楽な仕事ってのもそうそうないとは思う。剪定となると、高さが優に10mを超えるであろう木にも登って、命綱だけを頼りに枝を落としていく。そうして、雑然とした木が見事に整えられていくのだ。

てめえらのような下っ端は、ひたすら落ちてきた枝を拾ってトラックに積んでいく。枝といっても、大きなものはもうそれだけで「木」である。

一応ヘルメットをかぶってはいるのだが、当たると衝撃で腰が砕けそうになる。大きくて運べないときは、すぐにのこぎりで運べる大きさに切ってやるのだ。ぐずぐずしているとすぐに親方の怒号が飛ぶので、枝を切ると両手いっぱいに抱えてすぐにトラックへと走らなければならない。

汗は滝のように噴き出て、降りそそぐ木の粉は体中にまとわりついてくる。持参する2リットルの麦茶はすぐになくなってしまう。毎日がこれの繰り返しであった。


そんなある日、いつものように現場に行くと
「おい、木、登ってみるか」
と親方に言い渡された。

驚いたが、この世界では親方の言葉は絶対である。
返事を聞く前に、親方はてめえに新品ののこぎりと命綱を渡した。
いいのかバイトにそんなことさせて?
しかし親方の命令は絶対なのだ。
そうしててめえは剪定技術を学ぶ事になった。


てめえが親方に選ばれた理由は、おそらくバイトのくせに、まるで職人であるがごとく足袋を履き、手甲を絞めていたからであろう。まず形から入るのは基本だが、それが親方に認めてもらえたということだったようだ。

とにかく、まずは木に登らなければ始まらないので、慣れない手つきではしごを木に立て掛けた。

登ってみると、上から感じる高さは思っていたよりも全然高かった。おまけに登ったときに加わった力で、木全体が少しゆらゆらと揺れている。で、頼り甲斐のありそうな枝に足をのせたが、体重をかけたら折れそうだ。

ここでびびったらおしまいである。
思い切って上のほうにある枝をつかみ、体重をかけた。
そうしている間、親方が下からてめえをじっと見ていた。

さて、どの枝を落とせばいいのだろう。
これがまるで分からない。
登る前に親方から簡単なレクチャーを受け、大体の目安をつけて登ったつもりだったのだが、実際に中から見てみるとどの枝を切るつもりだったのかまるで分からないのである。

「はよ切ってまえ!」
下から親方の怒号が飛ぶ。

それからは無我夢中であった。
気がつくと隣に親方が登ってきており、怒鳴られながら剪定をした。
ぼろくそに怒鳴られたのは理不尽だと思ったが、職人になれたような嬉しさがそれに勝った。



植木屋では、いろんなことがあった。

最初に剪定をしたプラタナスの枝は、とても素直にのこぎりを受け入れてくれた。

楠は、枝を切ったときになんとも言えないいい香りがして、本気で惚れてしまった。

イチョウを剪定したときは、こっそり銀杏をポケットに詰め込んであとで異臭に悩まされた。

現場には、親方とは別に他の会社から来ている現場監督がいるのだが、監督には真剣に
「おまえバイト辞めて職人目指さへんか?」
と誘われた。彼はてめえが学生アルバイトだとは知らなかったらしい。
大変光栄であると思ったが、てめえが目指しているのは別の道なので丁重に断った。

隣の木で剪定をしていた職人の載っていた枝が作業中に根元から折れて、重傷を負われたこともあった。慌てて飛ぶように木から下りてその人のところに駆けつけたが、親方から
「もうすぐ救急車がくる。おまえは自分の仕事をしろ」
と言われた。再び木に登りながら震えていた。
もしかしたらてめえが剪定していたかもしれないのだ。
その方は腰の骨が砕けたらしいが、数ヶ月後に無事植木屋に戻ってきた。

他の造園会社に職人として派遣されたこともあった。
親方に、いいのですか? と聞いたら、頑張ってこいと励まされた。
その現場では、一人前の職人として礼を尽くされた。
まさか「実はバイトです」なんて言えるわけがない。
この場を借りて謝っておこう。

すみません。実はしがないバイトでした。

ただ、要求された仕事だけは、きちんとこなしたつもりである。
その会社には、それからもたびたび手伝いに行った。

そのような植木屋の日々を送っていたとき
よくラジオから流れていたのが「カブトムシ」だった。
休憩しているときや昼飯を食べているとき。
また剪定の合間にコンビニでトイレを借りたときなど。
そういった風景が、この曲を聞くたびに昨日のことのようによみがえってくる。

朝になると、今日こそ辞めてやると思い
昼には次の木をどう剪定しようかと考えを巡らし
夕方には仕事を無事終えた充実感でいっぱいだった。

親方は何を思っておれに剪定技術を教え込んだのかは知らないが
「プロ意識」だけは確実に学んだように思う。
それが何であるかは、うまくは説明できないのであるが。

今年の春にあった平等院の庭園工事を最後に、てめえは植木屋を辞めてまた学生に戻った。
いろんな植木屋から選ばれた平等院工事のメンバーの末席に加えて頂いたのは、てめえの一生の誇りである。



 < 過去  INDEX  未来 >


い・よんひー [MAIL]

My追加