2014年02月24日(月) |
京都の公立高校受験。 |
高校を卒業してから、当たり前だが高校の受験制度なんて全く興味がなかった。のだが、今回てめえの娘が受験すると言うことでちょっとどうなっているのかを調べてみたらなんとも複雑怪奇な事になっていた。正直まともに理解できるまでかなりの時間を要したぞ。
ちなみにてめえの時は総合選抜だった。つまり、学校ではなく「公立高校」を受験する。定員の一部は希望が通るが、その一部の優秀な生徒以外は、学区全体で合格を決定した後適当に定員ごとに学区内の高校に振り分けられるのだ。つまり、どの高校に通うようになるのかは、合格発表の日まで分からない。
合格発表の日には、番号の後ろに高校名が書いてあった。ほぼ合格する試験だったので、どの高校に通うことになるのかが一番の興味であった。そんなわけで、行きたい高校に合格したら大喜びし、全く興味のない高校に合格したら、合格したにもかかわらず号泣する子もいた。
このやり方だと、高校自体に不合格になる生徒の数は圧倒的に少なくなるが、高校自体を選べない。
そんなわけで、公立高校の人気は年々降下の一途を辿り、優秀な子はみな私立学校に進学した。京都市内では特にその傾向が顕著だったようだが、てめえの育った田舎ではそもそもあまり選択肢はなかった。
これではまずいと思ったのだろう、その後公立高校はどんどん制度改革をすすめたようだ。まずは京都市立高校が差別化を図り、これが見事に成功した。てめえが高校生の頃は地元の子ばかりが通う普通の高校だった堀川高校は、今やとんでもない進学校になっている。
現在の制度を調べてみたが、もう正直わけがわからない。また今年から制度が大幅に変わったようだ。
細かいことは置いといて、簡単にまとめると、大きく普通科と商業科などの専門科に分かれる。
受験機会は3回で、前期・中期・後期に分かれる。
前期では、通常(これまた学校ごとに細かく違っているのがややこしい)は、普通科は定員の30%を選択する。専門科は100%なので、専門科はほぼ一発勝負と言えそうだ。普通科は、一校を選んで学校ごとに受験する。
中期では、普通科は定員の70%を選択。ここでは第一希望と第二希望が出せるようだ。
後期は、正直定員割れの学校の再募集となっているようだ。
ごく簡単にまとめると上記のようになる。予想通りと言うか、公立高校を志望する子はほぼみな前期に出願しており、結構とんでもない倍率になっている。ここで合格するのはかなり成績が良くないと難しそうだ。実際は第二希望まで出せる中期が本当の試験になると思われる。
そんなわけで、本日は前期の合格発表。不合格でもまあ本番は中期やで! と激励するつもりだったが、予想外に無事合格したらしい。おめでとうね。本番に強いところは父ちゃんに似たのかな。そうだとすると素直に嬉しいぜ。
あまりに嬉しくて、仕事の帰りにめったに買わない泡なぞ買ってしまった。実は今年から、夜の10時までは飲酒せずに勉強したり読書したり文章を書いたりすると言う誓いを密かに立てていたのだが、今日は誓いを忘れて今から飲んでやるぜ。やっほー。
そろそろオリンピックも終わりに近付いてしまった。始まるまでは全くとは言わないまでもそれなりに興味はないのだが、実際に始まってしまうとやはり釘付けになってしまうのですね。
今回最も興味深かったのは、スケボーの回転、及び大回転。大回転で竹内さんが銀メダルをとったのはもちろん素晴らしかったが、予選から見続けて、てめえはビックワイルドさんとその嫁さんに夢中になってしまった。
もともとアメリカで生まれ育ったワイルド氏。そんな彼は、ロシアの選手である嫁さんを愛してしまい、国籍を放棄してまで彼女に殉じた。
「地元ロシアのワイルド!」という実況が、とても空しく響く。彼はロシア人になって間もないと言うのに。
大回転では、彼は圧倒的な早さで金メダルを得た。決勝戦では、1回目で大きなミスをしたが、2回目で神がかった早さで逆転し、メダルを得た。女性の部では嫁さんも銅メダル。観てて涙が出たのは歳のせいでしょうね。
そして回転。彼は準決勝1回目で再度あり得ないミスをしてとんでもない差が出た。これは奇跡でも生じないと挽回は難しいのではないか、というてめえの素人な予想を嘲笑うかのように、彼はあっさりとその差を挽回し二つ目の金メダルを得た。
観ていて強く思った。アメリカでは何物でもなかった彼。ロシアでその実力が花開いたと言うのは簡単だと思うが、彼はおそらく妻の待つゴールに、誰よりも早く着きたかったのだ。愛する妻の待つ場所へ、一刻も早く着きたかった。
アメリカ国籍を放棄して、ロシア人の「ワイルド」としてまで参加したオリンピックで、彼は国のためでもなく名誉のためでもなく、愛する妻の待つゴールへ他の誰よりも早く着きたかったのだ。そう強く感じた。
どうでも良いが、てめえはスポーツ観戦が大好き。自分は大したことは出来ないのにもかかわらず。
小学生の時に、サッカーをしていたことがある。キック力もなくフィジカルも強くなかったてめえは、なぜかゴールキーパーをさせられることが多かった。こてはある意味天職で、楽しく練習していたのだが、練習はあまりにも過酷だった。当時は練習中に水も飲ませてもらえず、ミスをするとあり得ない罰ゲームが待っていた。てめえはそう言った理不尽な練習に耐えきれず途中でやめてしまった。
その少年サッカーからJリーガーも出たし、高校サッカーで活躍する選手もたくさん出たのだが、その時の選択は全く後悔していない。我慢できた奴はそれなりだったのだろうが、あれは未だに理解できないし、したくない。
野球もちょっとかじった、というか、日本の少年であれば普通は野球を齧ったことのない少年はいないはず。
てめえはなぜか投手をさせられた。速い球を投げることはできたのだが、残念なことにメンタルがだめだった。打たれると途端にストライクが入らなくなる。てめえの野球人生は短かった。
時は流れて高校生になった。てめえの通っていたクソ学校は体育系のコースもあったため、やたらと体育系の授業が充実していた。
例えば冬の体育であるが、連日の長距離走に加えて、週一回3kmのタイムトライアルがあり、その結果は学年ごとに20位まで、タイムとクラス、所属クラブを明記され学校の入口に張り出された。
そんなてめえは長距離走が実は得意であった。クラブ活動は全くしていなかったが、体力作りのためと言うわけではないが健康と美容のために毎日走り込みをしていたのだ。
そんなわけで、毎週のタイムトライアル。てめえは3kmは9分台で走れたので、学年でいつも10位以内に入っており、ために毎回入口に名前が張り出されていた。てめえは「帰宅部」だったので、てめえのところだけ所属クラブが空白であった。ちなみにてめえより上の連中の所属部は、多くがサッカー部で、稀にラグビー部。陸上部は一人もいなかった。
2年生の時に、陸上部からリクルートがあった。素直ではないてめえは「ええ! てめえより早い人がいないのに入部してなんかいいことがあるのか?」と入部を拒否した。帰宅部のくせに陸上部よりも早いことをかっこいいと思っていた節もある、そんな恥ずかしい若い日々。
今思うと、帰宅部をするよりも、陸上部で青春を燃やしても良かったような気がするが、全て後の祭りである。しかし陸上部も陸上部で、あっさりと説得を辞めたのはてめえに全くその気がないと思われたのだろう。ていうか本当は誘いたくなかったのだろうな。
3年冬のマラソン大会。てめえの学校はアホ校でスポーツ馬鹿の集う学校だったので、校内マラソン大会は25kmで争われた。もしかすると28kmだったかもしれない。どちらにしても校内マラソンの距離ではない。ちなみに女子は21kmであった。こんなことしているから志願者が減るのだと思うのはてめえだけだろうか。
そんなマラソン大会で、プラスティック工場で働くことになるてめえはまじめに走った結果、見事入賞してメダルを頂いた。20km地点くらいで、ばてばての陸上部やサッカー部をざくざくと抜いたのが気持ち良かったが、まあどうでよいわ。
驚いたのは、ゴール地点にヤンキー(死語)の女がたくさん待っていたこと。文化祭でブルーハーツを熱唱したのが悪かったのか。笑。黄色い歓声は君たちか。「おめでとー」「大丈夫?」とゴールと共に囲まれたが、てめえは余力を残してゴールしたので「全然大丈夫! ありがとう!」などとお茶を濁した。
運動会を見ているとそう言ったことを思い出す。てめえも全力で陸上に励んだ方が良かったのだろうか、などとも思うが、全力で取り組んでもものになっていなかっただろうなと思う。
映画「リンダリンダリンダ」を観た。いやあ、若いっていいね。高校生の頃なんて恥ずかしいだけだし戻りたいとは全く思わないけど、いつまでも懐かしい。若気の至りもすべて含めて。
てめえが高校三年生の時。てめえの学校はとびっきりのアホ学校だった(今はさらに磨きがかかっている)にもかかわらず、三年生は「受験に差し障るから」という極めて下らない理由で文化祭は不参加だった。
正直な話、文化祭なんて下らないと思っていたのだが、上記の理由で参加しないというのには全く納得できなかった。そもそも受験する人数がどれだけいるっちゅうねんアホ校。だいたい、アホな学校こそそう言った余計な事をしたがる嫌いがあると思う。いわゆる進学校は、そういう行事も全力で楽しむよ。そういうアホ校の必死さはちょっと残念だし、自分の子供には同じ思いをさせたくないのでアホ校に入ってほしくないのはこれ本音。
同様の理由で修学旅行は1年生で行われたが、こちらもアホらしくててめえは参加せず、積み立てていた旅費が帰って来た母は「まあ好きにしなさい」と言いつつ少し喜んだ。もちろん母を喜ばすために不参加したわけでは決してない。修学旅行に参加しなかったのは、それがスキー旅行だったからということも関係していたが、それはまた別の話。
そんなわけで、てめえは文化祭に個人参加することになった。てめえの友人も同様の理由で個人参加した。彼は何人か友人を集めて自分で脚本を書き、たいそう面白い演劇を演じた。そんな彼は、その後そのメンバーで劇団を立ち上げたりとかその他いろいろあって今は売れない映画監督をしている。
てめえは他の人を集める才覚もなく、一人で参加することにした。簡単なオーディションもあったような気もするが、容易に通ったところを見ると形だけだったのだろう。
文化祭の当日。てめえはこの日のため(と言うのは嘘で、実はたまたま別の賭けに敗れて頭を丸めた笑)にきれいに髪を剃り上げ、愛用のK.Yairiのギターを持って学校に向かった。
それまではどちらかと言うと長髪で、長い髪を頭のてっぺんで結んで「パイナップルヘッド!」などと若気の至りでは済まないくらいのアホな事をしていたてめえが頭をつるんつるんに剃ったのを見てクラスメートたちはみな等しく驚いていたが、そんなことはどうでも良い。
三年生は文化祭に不参加ではあるが、なぜか登校して教室での待機となっていた。アホ校なので当然勉強しているものなど居らず、みんな退屈そうにマンガを読んだりしていた。どう見ても人生の無駄遣いだった。
クラスで一人だけ個人参加を決めたてめえにクラスメートは冷たかった。まあそんなこともどうでも良い。
実は「クラスで文化祭に参加しようや、内容は何でもいいやん。受験のために不参加ってアホすぎるやろ」という声をささやかながら上げてはみたのだが、さすがアホ校。今思うと単なるうざい奴だったのだろう、クラス会で散々罵倒された揚句、賛成2・反対45の圧倒的大差で否決された。ちなみにてめえ以外の賛成票が誰だったのかは知らないし、今後も知ることはないだろうと思う。
時間になり、てめえはステージに上った。どうせ誰も来ねえだろう、それもパンクロックらしくていいや、なんて思っていたのだが、実際はあり得ないくらいの観客がステージ前に集まっており、てめえの登場と共に一斉に歓声を上がった。
ステージ前に入りきらなかった高校生は渡り廊下にも溢れ、てめえがステージに上がった瞬間にたちまち渡り廊下にウエーブが生まれ、てめえの下の名前を呼ぶ黄色い歓声が上がった。これは本当に本当の話。学校では個性的過ぎたのか全く孤立していてクソ面白くなかったてめえの高校生活の最後に奇跡が起きたのだ。ちなみにその後奇跡が持続しなかったのはこれまた別の話。
ステージを始める前にふと空を見上げた。澄み渡った秋の空は、どこまでも青かった。
てめえは一呼吸して「A」のコードを押さえ、一気にギターの弦を弾いた。
2014年02月20日(木) |
久しぶりに株日記とか。 |
20歳になるまでに、共産主義に夢を見ない人は愚かである。 20歳を過ぎても、共産主義に夢を見ている人は愚かである。
という、誰が言ったか知らない名言がある。とするとてめえの周りは愚か者ばかりですね。笑 そんなわけで日常生活では株の話など出来ず。こっそり空き時間にあいぽんで取引しているが、本当に便利な時代になったと思う。
株価は最近乱高下が続くが、てめえはただ静観するのみ。キヤノンが安くなったら買い増す。
キヤノン。いくらなんでも安すぎでしょう。今日も53円下げて3087円。一株当たりの配当が130円で、この会社は配当指向性が高いので、今の業績が続く限り130円以下の配当は考えられない。有利子負債もほとんどなく、むしろ利益剰余金がたんまりあるので仮に赤が出たとしても配当を削るとも考えられない。
しかも、キヤノンが赤を出すなんて考えられない。いくらスマホで写真が撮れると言っても、一眼レフを持っているような層はキヤノンやニコンなどのカメラを今までと変わらず買うだろう。
ちょっと計算してみる。今日の株価で計算すると、配当が130円として年利4.2%に相当する。4.2%ですよ奥さん。銀行にほぼゼロ金利で預けているくらいならキヤノン買ったらどうですか?
しかも昨日、キヤノンは自社株買いを発表した。つまり、てめえでてめえの株を買うということだ。これが材料視されて昨日は株価が上昇したが、今日は元に戻ってしまった。何でみんな買わないのか不思議だ。
てめえは先日、キヤノンが2900円近くまで下げた時に全力で買いに行ったが、ちょっとした手違いで買えなかった。今思っても残念だが、今後さらに相場が悪化してまた下げるようなら全力で買いに行くつもり。
相場が下がるとあたふたする人が多いが、基本的に「買って持っているだけ、あとは配当と株主優待を楽しむ」てめえは、むしろ下げたときの方がわくわくする。だって、安くで買えるのに。株価が下がったからと言って、それが相場に連動しているだけやったら配当は下がらんで。短期的な思惑で売り買いしている人の動きに惑わされたらあかんな。
森さん、失言と言うレベルではなくもうこの人、日本国の害でしかないと思う。さっさと引っこんでほしい。
今日は午後から学生の相手。この学生さんは彼が入学当時からの付き合いがあり、今までは飲みに行ったりしたことはあったがてめえが働いているところを見てもらうのは初めて。「アツいですね!」と言う有り難い感想を頂いたが、そうだろうか。単に遊んでいる時と仕事している時のギャップだと思うよ。しかし母校の話を聞かせてもらったのは面白かった。久しぶりにパワーを頂いたような気がするぜ。
2014年02月19日(水) |
ファングーラオ午後10時 |
ベトナム・ホーチミン市にあるファングーラオ通り近くの安宿に部屋をとった私は、とりあえず腹を満たすために外に出た。そう言えば、格安航空会社のチケットを握りしめて日本を発ってから、全く何も口にしていなかったのだ。
外に出ると亜熱帯特有の臭気を含んだ生暖かい空気が体に纏う。さっきも同じ道を通ってこの宿に来たはずなのだが、いくら安宿と言っても申し訳程度の空調もあり、いったんシャワーを浴びてさっぱりした身にはほとんど時間が経っていないとはいえこの生暖かい空気は懐かしく感じられた。宿の前で雄一と落ち合い、二人で歩き始めた。
通りを歩く。通りの歩道の端に、何人かの老人がぽつりぽつりと座っていた。よく見ると、彼らのほとんどは体の一部が欠けていた。両側の大腿から先が欠損している者、片方の腕が肩関節部分から欠損している者。
共通しているのはみな一様に汚れた衣を体に着け、自分の座っている場所の前に、無造作に汚れた帽子を逆さまに置いていることだった。
「彼らはベトナム戦争で戦った傷痍軍人やねん」
と、雄一がひとり言のように呟いた。彼とはタンソンニャット空港のバス乗り場で知り合ったばかりだったが、バスを待つ間に少し話をしてみて、私は彼とはウマが合いそうだと勝手に感じていた。私は初めてのベトナムだったが、彼はベトナムが好きで休暇の度にベトナムに来ているらしい。彼の生まれ育った大阪にも似た猥雑なサイゴンが好きなのだと、彼は知り合ったばかりの空港で私にはにかみながら言った。
「国の政策として、傷痍軍人は保護されているはずやねんけどな。もしかしたらアメリカについた南ベトナム軍の軍人は、全く保護がないのかもしれんな。そうか、きっとそうやわ。今までこんな簡単な事にも気が付かへんかったわ」
と、彼は私の方を見ずに、再びひとり言のように呟いた。
傷痍軍人の横では、米軍兵がベトナムに残して言ったというZIPPOを売る少年がいた。ホンマかいな、そんな前のものが残っているはずはないんや、でもそう言って売った方が間違いなく売れるからな、ところであっち側にあるあの屋台どうや、ビールもあるみたいやしあっこに入ろうや、と彼は言った。
屋台と言っても小さなガスコンロが一つ二つあるだけの店で、歩道から車道にはみ出すような形でプラスチックのテーブルと椅子が無造作に並べられているだけだった。店の前にはいろんな種類の貝が並べられており、その貝を茹でているだけの店のようだった。
空いた椅子に座り、ガスコンロでせっせと貝を茹でている主人に、ビアプリーズと雄一は叫んだ。ずっとコンロに乗った鍋で貝の茹で具合を見極めるのに忙しそうだった主人は、一瞬だけこちらを向き、虫歯だらけの歯を見せてにっと笑った。
ついでに皿の上に乗った貝を適当に選び、主人に渡す。注文を終えた私たちは、すぐに運ばれてきたビールで乾杯した。ビールの中にはやや大ぶりな氷がいくつか沈んでいた。
「ストリートには冷蔵庫あらへんからな。これ、ベトナムの水道の水やで、腹壊さんように気ぃ付けや」 と雄一は笑った。気をつけるのなら飲まないに越したことはないが、そう言う話ではないよな、と私は笑って中途半端に冷えた、生ぬるいビールを一気に喉に流し込んだ。
ベトナムでの初日の夜が始まった。
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