2014年02月14日(金) |
プルシェンコ/弱者と卑屈さについて |
まだ真っ暗な早朝に目が覚めてしまった。
今何時だろう、と寝ぼけた頭で時間を確認しようと思い、ぼんやりとあいぽんを起動する。時間を確認するついでに、いつものようにニュースを確認する。
まだ半分以上眠っている頭で「プルシェンコ、棄権」というニュースのタイトルを見て、てめえはなぜだか涙が止まらなくなってしまった。やっぱり駄目だったんだね。そして、彼はこれで引退するだろうというつよい確信を持った。限界はとっくに超えていた。ソビエトシステム最後の傑作と言われた彼は、最後までソ連的だったと思う。お疲れさまでした。
プルシェンコの五輪参加自体が奇跡に近かったということに関しては、こちらが良くまとまっていると思う。
先日書いていた「ドゥマンギテ」をアマゾンで衝動買いした。昨日CDが届いたのでさっそく聴いてみたが、表題作以外は正直よくある沖縄ポップだった。うーん残念。表題作の出来が良すぎたから特にそう思う。その路線でいけば他との違いを強調できるのに。残念。
しつこく詐欺師の話。てめえがこれほど許せないのは、弱者を騙ったというその一点に尽きると思う。聴力障害の2級は「全聾」で、難聴ではなく聴力の全廃状態なので、聞こえるようになるということ自体がありえない。視力を失った全盲の人が光を取り戻すことがありえないのと同様に。
そして「卑屈さ」について考える。卑屈さについて考え始めると限りなく果てしなくなるので、これまではほとんどしてこなかったのだが、今後は向き合う必要があるのだろうなと思う。
てめえは家庭の事情で、小学2年生の時から新聞配達をしていた。新聞配達自体は全く苦にならなかったし、それなりにいい経験だったのだが、唯一嫌だったのが、配達途中に同級生に遭遇してしまうことだった。
そう言うことがないように真っ暗なうちに起きて配達を始めるのだが、朝からジョギングしている子に会ったりすることもあったし、天気の悪い日は配達に時間がかかってしまい、活動を始めた同級生に会ってしまうこともあった。
今思えば堂々としていればよかったのかもしれないが、小学生当時はなかなかそういうわけにもいかなかった。そして同級生に会うたびに、とても卑屈な気分になったものだ。
小学校高学年になると、夕方からはラーメン屋の手伝いをさせられることになり、さらに卑屈さに磨きがかかった。大人の世界を垣間見ることになったのは良い経験だったが、同級生が食事しに来た時が悲しかった。あちらとこちらの差を痛感し、なんとも卑屈な気分になった。
中学生になり、学校にも行かずに引っ越し屋のバイトをすることになった。もちろん、中学生と正直に言えばどこも雇ってくれないので高校生ということで仕事をしたのだ。バイトを斡旋したのが実の父親というのがこれまた悲しい話だが、この時は仕方がなかったのだ。
引っ越しバイトも割が良かったし、体を動かすことが嫌いではなかったので楽しく働いていた(もちろん、当時でも法律違反ですよ)のだが、その時も同年代の子供がいる家庭の引っ越しの仕事をするのが嫌だった。
同じくらいの年の子供の荷物を「お嬢様の荷物はこちらでよろしいですか?」などと言いながら運ぶ自分に嫌気がさした。もちろん、同じ中学生なのに荷物を運んでもらう側と、年齢を偽りながら貧乏が故に働かなければならないその身分の差にうんざりしたということもある。
弱者であるということは、人間を卑屈にする。そしてマイナスからはマイナスしか生まれない。「それではダメなのだ」ということに、十代の最後で自分で気が付いた自分は偉いと思うし、自分で気が付いたから故に、卑屈さを克服できたのだろうと今になって思うのだ。
だからこそ、弱者を騙る人間は許せないし、加えて騙されないということの大切さも強く感じるのだ。
2014年02月12日(水) |
牛肉麺/ラピアクタ/ヒートテック |
旅情報を集め始めたら止まらなくなってしまった。
思い返すと、台湾旅行は4回目。過去3回で観光名所はほとんど回ってしまったので、その点に関してはあまり興味はない。娘が「千と千尋のところに行きたい」と言っているのでそこは行くことにして、後は白紙。子どもたちの希望を聞いてそこに行こうと思う。
てめえ的には今回は美味しいものが食べられれば良いので、レストラン情報を探しているのだが、気が付くと麺料理ばかりを検索。笑
子どもたちは麺ばかりだといくらなんでもかわいそうなので、普通のレストランにも行こうと思うが、こんな時にミシュランとかあると便利だなあと思ってしまう。台湾版はないんですけどね。まあ無難なところで青葉くらいにしておこうかなあと思う。もちろん鼎泰豐は行きますよ。子どもが喜ぶので。
「インフルエンザの点滴があると聞いたのですが」とやってこられる方が多い。てめえの施設にはもちろん置いていない。てめえは実は薬の採用担当もしているのだが、採用に反対しましたので置いてません。
患者さんに理由を聞かれたら「新薬は思いがけない副作用もあるので、評価が定まるまでは採用しないのが当院のポリシーです」と言っている。これは本当だが、それ以前に抗インフルエンザ薬そのものの必要性の問題がある。
前にも書いたが、インフルエンザなんて寝てたら治るのだ。薬を飲んで、利益があるのは重症化する可能性のある乳児や高齢者、癌患者、免疫抑制状態の患者くらいで、普通の小児〜成人は寝てたら治る。薬を飲んだからと言って治癒率に差はない。これは世界の常識で、誰にでも抗インフルエンザ薬を処方している国なんて日本くらいだ。
そう、差はないのだ。ということは、副作用が出るだけ有害ということであり、てめえは仮にインフルエンザにかかっても薬は飲まない。麻黄湯は飲むけどね。家族にも処方しない。
ということも、以前は丁寧に説明していたのだが、それでもみんな薬欲しがるのでもう黙って出すことにした。そらそうや、薬ええわなんていう人はそもそも病院に来ない。副作用はあると言うことをお話して、それはきっちりカルテに書いて。
なのに「点滴もあるんだって」なんてCM打たれたらたまらんですよ。
そもそも不要な薬なのに、点滴が好きな日本人にはドストライクで、製薬会社はそこにつけこんだのだろうなと思う。尾木さんが出演していたCMは、医師からの苦情が殺到したので放送をやめたそうだ。そらそうや。しかしこのニュースを聞いて、日本にはまだ良心的な医師がそれなりにいるのだなあと思った。
「どうしても仕事休めないので、薬ください」って、気持ちわかりますけどそれならワクチン打ちましょうね。
罹って約5日間家で寝込むのが嫌ならば、数分で終わるワクチンを打ちましょう。てめえは毎年打ってますぜ。家族みんなにも強要しているが、これだけは今後も強要し続けるな。
あまりにクソ寒いので、以前にこっそり購入したヒートテックを出してきた。てめえの場合、いったん屋内に入ると体がぽかぽかになることと、あのぴっちりした感じがどうにも受け入れられず、1回履いただけで止めてしまっていたのだが、最近は年のせいか屋内でもぽかぽかにならず冷えたままなのだ。なのでようやっとあきらめて、タンスの奥から引っ張り出してきた。
意を決して再度履いてみたがいわゆる「パッチ」ですやん。ああてめえもおっさんになりましたね。しかしぴっちり感は苦にならず、むしろ暖かい。これは買い増しかな…笑。
2014年02月11日(火) |
台湾行き決定/ドウマンギテ/毛遊び |
弟のパスポートの有効期限はなんと7月だった。というわけで、残存期間が3カ月必要とされる台湾に行くことに支障はなくなったため、当初の予定通り台湾に行くことにした。
普通のチケットはもはやとれず、ピーチ航空でしか取れないことを知っていたので、さっそくピーチ航空で3人分のチケットを確保した。
人生で初めての格安航空会社の利用だが、行きは平日なので一人当たり片道10000円以下ということにまずびっくり。帰りは日曜日なので結構いい値段がしたが、これもまたわかりやすくて良い。次にオプションを選ぶとどんどん値段が上がって行くことにもびっくり。
荷物の量で追加料金、座席指定をすると追加料金。機内食も追加料金がかかるが、正直機内食はビジネス以上か、あるいはめったに経験しない路線(あまり行ったことのない国で、いったい何が出てくるの? 的な楽しみがある場合)じゃないとあまり意味がないと思っているので、これはなくて良い。今は空弁当も充実しているし、そもそも台湾に着いたら夜市でがっつり頂く予定。
今日はチケット以外の手配。ホテルをとり、美味しそうなレストランを探したり。いつもこうして旅の前に「旅のしおり」を作って、旅行前にみんなに配布するのが好き。
たまたまテレビを見ていたら、「きいやま商店」というバンドの「ドウマンギテ」という曲が演奏されていて、これがとてもよかった。ちなみに曲もタイトルの意味だが、沖縄語で驚くことを「ドゥマンギル」という。このきいやま商店さんは八重山の方らしく、八重山訛りで「ドゥマンギテ」と言うらしい。
ラテン系のリズムがなかなか素晴らしかったのだが、歌詞が八重山の言葉なので全く分からない。
そんなわけで、検索。便利な時代になりましたなぁ。
http://blog.goo.ne.jp/amon-ex/e/b09a6812ed929107b90e1a02e895bcb0
上記によると、なんと「毛遊び」をテーマにした歌で、正直てめえは「どぅまんぎった」。沖縄人にとっては爆笑する内容なのだろう。
wikipediaではかなりオブラートに包んだ書き方をしているが、要は若者たちの酒池肉林阿鼻叫喚な楽しみであった(ある)らしい。
今はさらにオブラートに包んで「ビーチパーリー(beach party)」と言うらしいが、県外出身のてめえには「都市伝説」であった。ほんまにそんなことしてるのかな。
2014年02月09日(日) |
雑感とBrain damage |
東京にはとんでもない雪が降ったらしい。
これはとんでもない知事選挙をすることになってしまった、日本人への神の怒りのように思えてならない。舛添氏が当選するのは間違いなさそうだが、彼はスキャンダルに巻き込まれることなく任期を全うできるだろうか。そもそも、自民党に唾を吐いて出て行ったのにその自民党から支持を得て選挙に出るなんて、どっちも全く筋が通っていない。アホの塊だ。
かといって他に適当な候補者がいないのは、今回の選挙の投票率が低いことからも明らかだろう。
オリンピックはいつも、始まるまではあまり興味が湧かないが、いざ始まってしまうと夢中になってしまう。彼らの鍛え上げられた技と、その真摯な姿にいつも感動してしまうのですね。
今回上村愛子選手は残念な結果(それでも4位ってたいがいな成績ではあるが)になってしまったし、彼女には十分メダリストとしての資格はあると思うのだが、それ以上に彼女の「やりきった感」に非常に共感することが出来た。全てをやりきったその笑顔は素晴らしかった。
ミスをしての銀メダルと、全く思い通りに滑っての4位は全く価値が違うのだろう。てめえはもちろん、仮に競技者であったなら後者を望むと思う。自分の中で納得しているかどうかが一番重要だからだ。
詐欺師について、追加。
どうやら共犯の方が今のタイミングで告白したのは、バイオリン弾きの少女と関連しているらしい。
詐欺師は、到底受け入れることのできない要求を少女に求めて決裂したそうだ。普通に考えるならば、10代の少女に要求する「到底受け入れることのできない要求」とは性的なもので、それをすぐに止めさせるという動機なのであれば、共犯者のこのタイミングでの告白は全く理解できる。
それをはっきりと言っていないのは、共犯者なりの少女に対する配慮であろうと思う。「高橋選手がこの曲を用いる前に告白しておきたかった」というのは、おそらく彼なりの「嘘」なのだろう。正直この共犯者は凄い人格者な気がするし、そんな人格者を利用した詐欺師には怒りしかない。
そして、一番の犠牲者は高橋選手だな。彼には是非こんな下らない騒動を乗り越えてほしいと思うし、彼には可能だと信じている。
The lunatic is on the grass The lunatic is on the grass Remembering games and daisy chains and laughs Got to keep the loonies on the path
狂人が芝生の上で踊ってる 狂人が芝生の上で踊ってる 奴らは企んでいるし繋がろうとしているし笑っている 奴らを小道に繋いでおかないと
The lunatic is in the hall The lunatics are in my hall The paper holds their folded faces to the floor And every day the paper boy brings more
狂人が玄関にいる 狂人たちがうちの玄関にいる 新聞に載る彼らのくしゃくしゃになった顔が床に散らばる そして毎日新聞配達の少年がさらに新聞を配達してくるんだ
And if the dam breaks open many years too soon And if there is no room upon the hill And if your head explodes with dark forbodings too I'll see you on the dark side of the moon
もしもダムが思ったよりも早く決壊したとしたら もしも丘の上に自分の場所がなかったなら もしもあなたの頭が嫌な予感でこっぱみじんに砕けたら その時は僕はあなたと月の裏で会おう
The lunatic is in my head The lunatic is in my head You raise the blade, you make the change You rearrange me 'till I'm sane
狂人が頭の中にいる 狂人が頭の中にいる あなたはナイフを上に向け、変化を促す 私が正気である限り
You lock the door And throw away the key There's someone in my head But it's not me
あなたはドアを閉め 鍵を放り投げる 誰かがてめえの頭の中にいるけれども それは決して私自身ではないのだ
And if the cloud bursts, thunder in your ear You shout and no one seems to hear And if the band you're in starts playing different tunes I'll see you on the dark side of the moon
もしも雲が爆発し、雷鳴が轟いても あなたは叫ぶけど誰にも聞こえていない あなたのバンドが全然違う旋律を奏ではじめたら その時は僕はあなたと月の裏で会おう
訳:てめえ。こんなことしてて日本語力がつくのか怪しいが…。
2014年02月08日(土) |
初めての台湾旅行の思い出。 |
てめえが初めての海外旅行で台湾を訪れたのは、小学校六年生の2月だった。祖父の帰郷に付き合ったのだが、祖父は年齢的にもこれが最後の訪台だと考えていたようで、長男の長男である孫のてめえをどうしてもいっしょに連れて帰りたかったようだ。
そもそも当時は海外旅行に行くこと自体があまり一般的ではなかった。てめえの小学校時代、長期休みに海外旅行に行く友人なんて全くいなかった。てめえも、自分が海外に行くなんて夢にも思っていなかった。確か、パスポートも一回きりのものと5年有効のものがあったが、一回きりのパスポートの方が一般的だったと記憶している。なんせ仕事の関係でもない限り、5年に1回以上海外に行くことはなかったのだと思う。
祖父が台湾に帰るのは、てめえの父が大学生の時以来だったので、それ自体が十数年ぶりだった。
「台湾にはな、切れる爪切りがないからな。日本製の爪切りが喜ばれるんや」
と祖父はせっせと土産用の爪切りを購入していた。十数年前ならいざ知らず、さすがに今はそんなことはないのでは、と小学生のてめえは思ったが、嬉しそうに買い物をする祖父にそんなことを言うのは野暮だと思った。
最後の帰国だから、と、祖父は旧正月の帰国を望んだ。しかもラーメン屋も閉じた後だったので、一ヶ月くらいゆっくりしたいとの希望があった。
問題はてめえである。小学6年生の1月から2月、卒業式を目前に控えた状態で一カ月も休みをとることに、学校側は難色を示した。
とはいえ、最終的には「個人というか家庭の事情」が優先されるわけで、結局祖父母と私の3人で台湾を訪問することになった。
これはてめえにとって全くの未知の体験だった。飛行機に乗るのも初めてだし、そもそも国内旅行ですらあまり経験がなかったのだ。
何よりも、小学生にとっては友人たちと離れて大人だけの世界で過ごすということが何よりも怖かった。もうこのまま、自分だけが違う世界に行ったまま帰ってこないのではないか。
しかも両親とこれだけ離れると言う経験もなかった。まあそのあたりのことは正直どうでも良い。
出発の日のことはあまりよく覚えていない。現在と異なり関空はなく、伊丹から旅立った。
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