解放区

2014年02月11日(火) 台湾行き決定/ドウマンギテ/毛遊び

弟のパスポートの有効期限はなんと7月だった。というわけで、残存期間が3カ月必要とされる台湾に行くことに支障はなくなったため、当初の予定通り台湾に行くことにした。

普通のチケットはもはやとれず、ピーチ航空でしか取れないことを知っていたので、さっそくピーチ航空で3人分のチケットを確保した。

人生で初めての格安航空会社の利用だが、行きは平日なので一人当たり片道10000円以下ということにまずびっくり。帰りは日曜日なので結構いい値段がしたが、これもまたわかりやすくて良い。次にオプションを選ぶとどんどん値段が上がって行くことにもびっくり。

荷物の量で追加料金、座席指定をすると追加料金。機内食も追加料金がかかるが、正直機内食はビジネス以上か、あるいはめったに経験しない路線(あまり行ったことのない国で、いったい何が出てくるの? 的な楽しみがある場合)じゃないとあまり意味がないと思っているので、これはなくて良い。今は空弁当も充実しているし、そもそも台湾に着いたら夜市でがっつり頂く予定。

今日はチケット以外の手配。ホテルをとり、美味しそうなレストランを探したり。いつもこうして旅の前に「旅のしおり」を作って、旅行前にみんなに配布するのが好き。



たまたまテレビを見ていたら、「きいやま商店」というバンドの「ドウマンギテ」という曲が演奏されていて、これがとてもよかった。ちなみに曲もタイトルの意味だが、沖縄語で驚くことを「ドゥマンギル」という。このきいやま商店さんは八重山の方らしく、八重山訛りで「ドゥマンギテ」と言うらしい。




ラテン系のリズムがなかなか素晴らしかったのだが、歌詞が八重山の言葉なので全く分からない。

そんなわけで、検索。便利な時代になりましたなぁ。


http://blog.goo.ne.jp/amon-ex/e/b09a6812ed929107b90e1a02e895bcb0


上記によると、なんと「毛遊び」をテーマにした歌で、正直てめえは「どぅまんぎった」。沖縄人にとっては爆笑する内容なのだろう。

wikipediaではかなりオブラートに包んだ書き方をしているが、要は若者たちの酒池肉林阿鼻叫喚な楽しみであった(ある)らしい。

今はさらにオブラートに包んで「ビーチパーリー(beach party)」と言うらしいが、県外出身のてめえには「都市伝説」であった。ほんまにそんなことしてるのかな。



2014年02月09日(日) 雑感とBrain damage

東京にはとんでもない雪が降ったらしい。

これはとんでもない知事選挙をすることになってしまった、日本人への神の怒りのように思えてならない。舛添氏が当選するのは間違いなさそうだが、彼はスキャンダルに巻き込まれることなく任期を全うできるだろうか。そもそも、自民党に唾を吐いて出て行ったのにその自民党から支持を得て選挙に出るなんて、どっちも全く筋が通っていない。アホの塊だ。

かといって他に適当な候補者がいないのは、今回の選挙の投票率が低いことからも明らかだろう。



オリンピックはいつも、始まるまではあまり興味が湧かないが、いざ始まってしまうと夢中になってしまう。彼らの鍛え上げられた技と、その真摯な姿にいつも感動してしまうのですね。

今回上村愛子選手は残念な結果(それでも4位ってたいがいな成績ではあるが)になってしまったし、彼女には十分メダリストとしての資格はあると思うのだが、それ以上に彼女の「やりきった感」に非常に共感することが出来た。全てをやりきったその笑顔は素晴らしかった。

ミスをしての銀メダルと、全く思い通りに滑っての4位は全く価値が違うのだろう。てめえはもちろん、仮に競技者であったなら後者を望むと思う。自分の中で納得しているかどうかが一番重要だからだ。



詐欺師について、追加。

どうやら共犯の方が今のタイミングで告白したのは、バイオリン弾きの少女と関連しているらしい。

詐欺師は、到底受け入れることのできない要求を少女に求めて決裂したそうだ。普通に考えるならば、10代の少女に要求する「到底受け入れることのできない要求」とは性的なもので、それをすぐに止めさせるという動機なのであれば、共犯者のこのタイミングでの告白は全く理解できる。

それをはっきりと言っていないのは、共犯者なりの少女に対する配慮であろうと思う。「高橋選手がこの曲を用いる前に告白しておきたかった」というのは、おそらく彼なりの「嘘」なのだろう。正直この共犯者は凄い人格者な気がするし、そんな人格者を利用した詐欺師には怒りしかない。

そして、一番の犠牲者は高橋選手だな。彼には是非こんな下らない騒動を乗り越えてほしいと思うし、彼には可能だと信じている。




The lunatic is on the grass
The lunatic is on the grass
Remembering games and daisy chains and laughs
Got to keep the loonies on the path

狂人が芝生の上で踊ってる
狂人が芝生の上で踊ってる
奴らは企んでいるし繋がろうとしているし笑っている
奴らを小道に繋いでおかないと


The lunatic is in the hall
The lunatics are in my hall
The paper holds their folded faces to the floor
And every day the paper boy brings more

狂人が玄関にいる
狂人たちがうちの玄関にいる
新聞に載る彼らのくしゃくしゃになった顔が床に散らばる
そして毎日新聞配達の少年がさらに新聞を配達してくるんだ


And if the dam breaks open many years too soon
And if there is no room upon the hill
And if your head explodes with dark forbodings too
I'll see you on the dark side of the moon

もしもダムが思ったよりも早く決壊したとしたら
もしも丘の上に自分の場所がなかったなら
もしもあなたの頭が嫌な予感でこっぱみじんに砕けたら
その時は僕はあなたと月の裏で会おう



The lunatic is in my head
The lunatic is in my head
You raise the blade, you make the change
You rearrange me 'till I'm sane

狂人が頭の中にいる
狂人が頭の中にいる
あなたはナイフを上に向け、変化を促す
私が正気である限り


You lock the door
And throw away the key
There's someone in my head
But it's not me

あなたはドアを閉め
鍵を放り投げる
誰かがてめえの頭の中にいるけれども
それは決して私自身ではないのだ

And if the cloud bursts, thunder in your ear
You shout and no one seems to hear
And if the band you're in starts playing different tunes
I'll see you on the dark side of the moon

もしも雲が爆発し、雷鳴が轟いても
あなたは叫ぶけど誰にも聞こえていない
あなたのバンドが全然違う旋律を奏ではじめたら
その時は僕はあなたと月の裏で会おう


訳:てめえ。こんなことしてて日本語力がつくのか怪しいが…。



2014年02月08日(土) 初めての台湾旅行の思い出。

てめえが初めての海外旅行で台湾を訪れたのは、小学校六年生の2月だった。祖父の帰郷に付き合ったのだが、祖父は年齢的にもこれが最後の訪台だと考えていたようで、長男の長男である孫のてめえをどうしてもいっしょに連れて帰りたかったようだ。

そもそも当時は海外旅行に行くこと自体があまり一般的ではなかった。てめえの小学校時代、長期休みに海外旅行に行く友人なんて全くいなかった。てめえも、自分が海外に行くなんて夢にも思っていなかった。確か、パスポートも一回きりのものと5年有効のものがあったが、一回きりのパスポートの方が一般的だったと記憶している。なんせ仕事の関係でもない限り、5年に1回以上海外に行くことはなかったのだと思う。

祖父が台湾に帰るのは、てめえの父が大学生の時以来だったので、それ自体が十数年ぶりだった。

「台湾にはな、切れる爪切りがないからな。日本製の爪切りが喜ばれるんや」

と祖父はせっせと土産用の爪切りを購入していた。十数年前ならいざ知らず、さすがに今はそんなことはないのでは、と小学生のてめえは思ったが、嬉しそうに買い物をする祖父にそんなことを言うのは野暮だと思った。


最後の帰国だから、と、祖父は旧正月の帰国を望んだ。しかもラーメン屋も閉じた後だったので、一ヶ月くらいゆっくりしたいとの希望があった。

問題はてめえである。小学6年生の1月から2月、卒業式を目前に控えた状態で一カ月も休みをとることに、学校側は難色を示した。

とはいえ、最終的には「個人というか家庭の事情」が優先されるわけで、結局祖父母と私の3人で台湾を訪問することになった。

これはてめえにとって全くの未知の体験だった。飛行機に乗るのも初めてだし、そもそも国内旅行ですらあまり経験がなかったのだ。

何よりも、小学生にとっては友人たちと離れて大人だけの世界で過ごすということが何よりも怖かった。もうこのまま、自分だけが違う世界に行ったまま帰ってこないのではないか。

しかも両親とこれだけ離れると言う経験もなかった。まあそのあたりのことは正直どうでも良い。

出発の日のことはあまりよく覚えていない。現在と異なり関空はなく、伊丹から旅立った。



2014年02月07日(金) 迷走中。

3月に、娘と弟と3人で海外旅行に行く計画を立てていたのだが、これがなぜか上手くいかない。問題自体が暗礁に乗り上げてしまった。

そもそもは、娘に海外を経験させたかったのだ。てめえは散々海外に行っているが、娘を連れていく機会が残念ながらなかった。中学を卒業して高校生になるまでの春休みの間に、是非連れて行きたかったのだ。高校生になったら、学校の行事や部活や友人(や恋人?)とのスケジュールが優先になると思われるしね。


海外を経験するというのは、自分にとってとんでもない経験だった。言葉も違えば社会の常識も異なり、空気の匂いも違う。これはとんでもないカルチャーショックであった。

初めての海外旅行は、小学校六年生の時の台湾だった。祖父の里帰りについて行ったのだが、これが凄かった。食べ物も違うし、もちろん言葉も違う。小学生なので英語も知らなかったのだが、この時代の台湾人は、まだ日本語がぺらぺらの人が高齢者を中心に多かった。

この時は約1カ月滞在した。祖父の弟の家に居候。家自体はアパートのような作りになっていて、1階と2階が普通の家のようになっており、3階以上を貸し出しているようだった。この1階と2階も結構広く、我々がしばらく滞在しても全く問題のない広さであった。

夕食後に、後片付けをして家族みんなで麻雀を始めるとか、いろんなカルチャーショックがあった。実は麻雀の出来る小学生だったので、興味本位で参加してみたのだが、牌の数もルールも日本と違うことに衝撃を受けた。

ある時「日本食が恋しいだろう」と言われて日本料理屋に連れて行かれた。実のところは、中華料理が大好きなので全くと言っていいほど恋しくなかったのだが、気を使ってくれたようで嬉しかった。

着いた日本料理屋は、怪しさ満点だった。壁いっぱいに「鰻」「味噌汁」「刺身」など、ほぼ思いつく限りの日本料理の名前を入れた暖簾がぐるりと一面に貼られていた。

好きなものを食べていいよ、と言われたので、てめえは迷わず「鰻」を注文した。そう、日本でもめったに食べなかった「鰻」。てめえはほくほくに焼かれた鰻のかば焼きを想像し、一人興奮した。

しばらくして、料理がやって来た。てめえの前に運んでこられたのは、なぜか「鍋」である。他にも注文していたのだが、はて鍋なんて頼んだっけ? と思ったが、まあいいやと中身を見た。なんか魚? を筒切り? にしたものがごろんと鍋の中に沈んでいた。

とりあえず頂こうかな、と思い、それを取り皿にとって頂いた。一口食べてみたが、なんだか生臭い上に骨だらけで食べにくいことこの上ない。いったいこの料理は何だろうと思い尋ねてみると、隣にいた祖父の弟はにっこり笑ってこう言った。

「君の頼んだ鰻や」

ええっ! 「なんということでしょう」というナレーションはさすがにその時代流れることはなかったが、本当にそう言う感じ。ということは、かば焼きとのご対面はないんだな。てめえの人生の中で、初めてで最後の「鰻の鍋」だった。


いや、そう言う話ではなかった。現実逃避もここに極まれりですね。

話ははじめに戻るが、問題はパスポートであった。弟はパスポート保持。てめえのはとっくに切れていた。そして娘はパスポートを持っていなかった。

そんなわけでてめえはさっさと取り直したが、娘がなかなか時間をとれず。ようやっとパスポートをとって来たので、やっと航空券の手配をしようと(パスポートナンバーがないと、そもそもチケット予約すらできない)思った矢先。なんと弟のパスポートの有効期限が今年4月ということが判明した。ええっ! まじで!

有効期限まで確認していなかったてめえがアホだと言えばアホなのだが、実は台湾に入国するためには3カ月以上の有効期間が必要なのだ。

しかも、現物は今持っていないらしい。母親一家が家を追い出された件で、相手と裁判を起こしているのだが、その関係で弁護士に預けているらしい。ほんまに間の悪いことは重なるものだ。

というわけで、今後の対応として。

1.パスポートを更新する。

台湾に行くのなら、これが一番現実的だが、実はすでにチケットが取りにくいのですね。連休しか行けないので、夜中発の夜中帰りとかの変なチケットしか残っていないのだ。これ以上後にすると、変なチケットすらなくなってしまう。

更新したうえで、行きやすい国に変更するのもありだけど。例えば連休中にもかかわらずチケットが余りまくっている中国とか。しかし今の時期、日本人が旅行するのはデンジャラスな香りがする。

2.有効期限の制限のない国に変更する。

スペインとか。笑 弾丸ツアーになるな。サクラダファミリアだけ見て帰ってくるとか、ネタにはなりそうだけど。笑 しかしこちらも同じ問題(連休という繁忙期)でチケットがないのですね。

周辺国だと香港は、1か月以上の残りがあればOKらしい。というわけで香港かな。香港もチケットないんだけどね。昨日確認したところでは、上海乗り換えだとまだ残っているが、移動がほぼ一日がかりになる。

一番の問題は、有効期限が厳密に判明していないのですね。預けてあるので。今日中に確認すると言っていたが、果たして弁護士事務所は開いているのだろうか? そして有効期限が一カ月を切っていた場合は。もうパスポート更新して中国しかないのでは。てめえはそれでもいいけど、母親などが反対するだろうな。



2014年02月06日(木) 詐欺師について。

生搾りのりんごを箱買いした。期間限定なので楽しみに飲んだが、まるでジュースですな。いくらでも飲めそうなのだが、二箱買ったのでしばらくは楽しめるだろう。


てめえがまじめに勉強する気になったのは、高校を出てプラスチック工場でしこしこと働いていた時だった。

それまでは、恥ずかしいことに人生について何一つ真面目に考えていなかった。ただ日々の快楽だけを求めて生きていた。学校の勉強も、数学以外は大嫌いだった。ので、高校を卒業した時は本当に清々したのをよく覚えている。

高校を卒業して、プラスチック工場で働き始めた。当時はまだ週休2日制度は行き渡っておらず、月曜日から土曜日までよく働いた。働き始めた頃は、毎日学校に行かなくても良いというただそれだけが幸せだった。しかも、働いた分だけ給料も頂ける。仕事はつらかったが、自分よりも年上の人たちに囲まれて過ごし、なんだか大人になれたような気がした18の春だった。


なんか違うのではないだろうか? と思い始めたのは夏に差し掛かる頃だったと思う。なんだかよくわからない違和感が常に自分の中に澱のように溜まって行ったのだ。朝早く起きて自転車で職場に行き、夜は真っ暗になっても働く。昼休みと3時の休憩時間以外は、ひたすら機械の前での単純作業に追われていた。

機械の扉を閉めると金型にあつく熱したプラスチックが注ぎ込まれ、それを冷却水で冷やし製品が出来る。てめえはそれをひたすら検品し段ボールの箱に詰めていく。

短い休憩時間には阪神タイガースの成績を憂い、週末の競馬予想に花を咲かせる。そしてどうでもいいゴシップで気を紛らわせる。まあそこら辺は底辺高校にいた時と何ら変わることのない日常ではあったが、てめえには違和感が溜まって行ったのだ。「これでいいのか?」と。

これでいいのか? このまま自分の時間を切り売りして過ごし、気が付けば物好きな女と一緒になり。そもそも物好きな女などいるのか? そして朝早くに家を出て夜遅くに油まみれになって帰ってくる父ちゃんになる。それはそれで一つの形だけれども。

何かに騙されていないだろうか?

そう、てめえがずっと感じてきた「違和感」は、そこだったのだ。そのことに気が付き、てめえは慄然とした。社長に騙されているわけでも工場長に騙されているわけでもなく、会社に騙されているわけでもない。もっと大きな何か、いわば「社会のシステム」というか、そういった社会そのものに騙されているのではないか? と悟ったのだ。


じゃあ何がてめえを騙し、陥れようとしているのか。どこかに詐欺師がいるのか。それを考えたが、答えを得るには自分はアホすぎた。今思うと誰も騙そうとしていなかったのだが、それを理解するにはあまりに脳みそが足りなさすぎたのだ。


とにかく勉強しなければならない。てめえは生まれて初めて心の底からそう思った。知識がないと、何かに騙されていても自分はきっと気が付かないだろう。

てめえはしばらくして工場を辞めた。かなりまじめに働いていたので周囲からは驚かれたが、「やっぱり大学に行って勉強します」と正直に話をしたらみんなに喜ばれた。みなさんお父さんお母さんの気持ちで応援してくれたのだ。

工場を辞めてからはトイレに入っている間も食事の時も勉強した。自分にはあまりに時間がなかった。風呂に入る時には、問題を暗記して、風呂に入って考えた。とにかく寝る時間以外は全て勉強にあてた。一度悟りを開いた人間は強い。

そんなわけで、予備校にも通わずひたすら独学を通し、翌年の春にてめえは無事大学生になった。



さて、何が言いたいのかというと、知識がなければ人間は容易く「何かに」騙される、ということだ。自分は悟りを開いたのでその点はよく理解しているつもりだ。そして人は、時には知識のない人を騙そうとするし、知識がなければ容易に騙されることがある。


ようやく本題に入るが、昨日のニュースにあった、音楽のゴーストライター話の件である。

てめえは音楽が好きなので、彼のことはどこかで知っていた。ただし、初めてその存在を知った時から「かなり胡散臭い」と思っていたのだ。自分が知識のない人間だったら、いとも容易く騙されたのだろうと思う。また、本題からは外れるが彼の持つ「卑屈さ」も、てめえは理解できる。

初めて彼の話を聞いた時の印象は「この話が本当だったら、本当にかわいそうな話だが、はたしてほんまか?」であった。


その一。「被爆二世」を語っている時点で胡散臭さ満点である。なぜなら、「被爆者の子には、放射線の影響は全くない」というのが医学界の常識だからだ。そういった研究がしっかり存在している。被爆二世は、被曝と全く関係ない人と比べて、あらゆる疾患の有病率が全く同じであった(厳密に言うと、有意差はなかった)。ということは、放射線は被爆者のDNAを傷つけないということである。これはこれで医学上の意義があるが、それはまた別の話になるのでここでは述べない。

なので被爆二世は医学上特別扱いされることもないし、そもそもそのことをあえて暴露する必要がない。メリットもない。

それをあえて押し出すという時点で、正直胡散臭さ満点である。


その二。「激しい頭痛とめまいと耳鳴を生じ、難聴に至る病気」は、ない。少なくとも典型的には存在しない。

最も近い症状の病気とすれば「メニエール病」だが、これは耳の病気なので頭痛は単なる随伴症状である。また、耳の機能が完全に破壊されれば症状は消失する。

したがって、難聴になれば、耳が聞こえなくなれば症状は軽減するはずである。だから、メニエール病の治療の選択肢の中に「耳を破壊する」という治療法があるのだ。

腎臓からたんぱく質が大量に漏れていく「ネフローゼ症候群」という病気もあるが、これも腎機能が廃絶されればたんぱくは漏れなくなるので「治癒」する。これと同じである。

そもそも後天的に難聴になること自体あまりないし、あってもそのほとんどは薬剤性である。てめえが診てきた難聴の多くは薬剤性、もっとはっきり書けば「ストレプトマイシンによる難聴」である。また、本物のメニエール病も実際はほとんど存在しない。自分で「私はメニエール病」という人はよく来るが、本物はほとんどいない。その多くはBPPV(良性発作性頭位めまい症)である。


この二点でてめえは胡散臭さを感じたのだ。

今回のニュースを聴いた時も「ああやっぱり詐欺師だったか」とはっきりと思った。おそらく耳が聞こえないのも嘘なんだろう。

そこまでして認められたかった、その「卑屈さ」は、私にはよく理解できる。ただし現状はあまりにもてめえと彼とは差ができた。

もしかすると、難聴を訴えていた「彼」は、かつての私自身だったかもしれない。工場の中で悟りを開くのが遅ければ。そして教育の機会を得ることがなく、誰かに何かを認められたいと思ったならば。繰り返すニュースを見ながら、てめえはそう思った。


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