解放区

2014年02月07日(金) 迷走中。

3月に、娘と弟と3人で海外旅行に行く計画を立てていたのだが、これがなぜか上手くいかない。問題自体が暗礁に乗り上げてしまった。

そもそもは、娘に海外を経験させたかったのだ。てめえは散々海外に行っているが、娘を連れていく機会が残念ながらなかった。中学を卒業して高校生になるまでの春休みの間に、是非連れて行きたかったのだ。高校生になったら、学校の行事や部活や友人(や恋人?)とのスケジュールが優先になると思われるしね。


海外を経験するというのは、自分にとってとんでもない経験だった。言葉も違えば社会の常識も異なり、空気の匂いも違う。これはとんでもないカルチャーショックであった。

初めての海外旅行は、小学校六年生の時の台湾だった。祖父の里帰りについて行ったのだが、これが凄かった。食べ物も違うし、もちろん言葉も違う。小学生なので英語も知らなかったのだが、この時代の台湾人は、まだ日本語がぺらぺらの人が高齢者を中心に多かった。

この時は約1カ月滞在した。祖父の弟の家に居候。家自体はアパートのような作りになっていて、1階と2階が普通の家のようになっており、3階以上を貸し出しているようだった。この1階と2階も結構広く、我々がしばらく滞在しても全く問題のない広さであった。

夕食後に、後片付けをして家族みんなで麻雀を始めるとか、いろんなカルチャーショックがあった。実は麻雀の出来る小学生だったので、興味本位で参加してみたのだが、牌の数もルールも日本と違うことに衝撃を受けた。

ある時「日本食が恋しいだろう」と言われて日本料理屋に連れて行かれた。実のところは、中華料理が大好きなので全くと言っていいほど恋しくなかったのだが、気を使ってくれたようで嬉しかった。

着いた日本料理屋は、怪しさ満点だった。壁いっぱいに「鰻」「味噌汁」「刺身」など、ほぼ思いつく限りの日本料理の名前を入れた暖簾がぐるりと一面に貼られていた。

好きなものを食べていいよ、と言われたので、てめえは迷わず「鰻」を注文した。そう、日本でもめったに食べなかった「鰻」。てめえはほくほくに焼かれた鰻のかば焼きを想像し、一人興奮した。

しばらくして、料理がやって来た。てめえの前に運んでこられたのは、なぜか「鍋」である。他にも注文していたのだが、はて鍋なんて頼んだっけ? と思ったが、まあいいやと中身を見た。なんか魚? を筒切り? にしたものがごろんと鍋の中に沈んでいた。

とりあえず頂こうかな、と思い、それを取り皿にとって頂いた。一口食べてみたが、なんだか生臭い上に骨だらけで食べにくいことこの上ない。いったいこの料理は何だろうと思い尋ねてみると、隣にいた祖父の弟はにっこり笑ってこう言った。

「君の頼んだ鰻や」

ええっ! 「なんということでしょう」というナレーションはさすがにその時代流れることはなかったが、本当にそう言う感じ。ということは、かば焼きとのご対面はないんだな。てめえの人生の中で、初めてで最後の「鰻の鍋」だった。


いや、そう言う話ではなかった。現実逃避もここに極まれりですね。

話ははじめに戻るが、問題はパスポートであった。弟はパスポート保持。てめえのはとっくに切れていた。そして娘はパスポートを持っていなかった。

そんなわけでてめえはさっさと取り直したが、娘がなかなか時間をとれず。ようやっとパスポートをとって来たので、やっと航空券の手配をしようと(パスポートナンバーがないと、そもそもチケット予約すらできない)思った矢先。なんと弟のパスポートの有効期限が今年4月ということが判明した。ええっ! まじで!

有効期限まで確認していなかったてめえがアホだと言えばアホなのだが、実は台湾に入国するためには3カ月以上の有効期間が必要なのだ。

しかも、現物は今持っていないらしい。母親一家が家を追い出された件で、相手と裁判を起こしているのだが、その関係で弁護士に預けているらしい。ほんまに間の悪いことは重なるものだ。

というわけで、今後の対応として。

1.パスポートを更新する。

台湾に行くのなら、これが一番現実的だが、実はすでにチケットが取りにくいのですね。連休しか行けないので、夜中発の夜中帰りとかの変なチケットしか残っていないのだ。これ以上後にすると、変なチケットすらなくなってしまう。

更新したうえで、行きやすい国に変更するのもありだけど。例えば連休中にもかかわらずチケットが余りまくっている中国とか。しかし今の時期、日本人が旅行するのはデンジャラスな香りがする。

2.有効期限の制限のない国に変更する。

スペインとか。笑 弾丸ツアーになるな。サクラダファミリアだけ見て帰ってくるとか、ネタにはなりそうだけど。笑 しかしこちらも同じ問題(連休という繁忙期)でチケットがないのですね。

周辺国だと香港は、1か月以上の残りがあればOKらしい。というわけで香港かな。香港もチケットないんだけどね。昨日確認したところでは、上海乗り換えだとまだ残っているが、移動がほぼ一日がかりになる。

一番の問題は、有効期限が厳密に判明していないのですね。預けてあるので。今日中に確認すると言っていたが、果たして弁護士事務所は開いているのだろうか? そして有効期限が一カ月を切っていた場合は。もうパスポート更新して中国しかないのでは。てめえはそれでもいいけど、母親などが反対するだろうな。



2014年02月06日(木) 詐欺師について。

生搾りのりんごを箱買いした。期間限定なので楽しみに飲んだが、まるでジュースですな。いくらでも飲めそうなのだが、二箱買ったのでしばらくは楽しめるだろう。


てめえがまじめに勉強する気になったのは、高校を出てプラスチック工場でしこしこと働いていた時だった。

それまでは、恥ずかしいことに人生について何一つ真面目に考えていなかった。ただ日々の快楽だけを求めて生きていた。学校の勉強も、数学以外は大嫌いだった。ので、高校を卒業した時は本当に清々したのをよく覚えている。

高校を卒業して、プラスチック工場で働き始めた。当時はまだ週休2日制度は行き渡っておらず、月曜日から土曜日までよく働いた。働き始めた頃は、毎日学校に行かなくても良いというただそれだけが幸せだった。しかも、働いた分だけ給料も頂ける。仕事はつらかったが、自分よりも年上の人たちに囲まれて過ごし、なんだか大人になれたような気がした18の春だった。


なんか違うのではないだろうか? と思い始めたのは夏に差し掛かる頃だったと思う。なんだかよくわからない違和感が常に自分の中に澱のように溜まって行ったのだ。朝早く起きて自転車で職場に行き、夜は真っ暗になっても働く。昼休みと3時の休憩時間以外は、ひたすら機械の前での単純作業に追われていた。

機械の扉を閉めると金型にあつく熱したプラスチックが注ぎ込まれ、それを冷却水で冷やし製品が出来る。てめえはそれをひたすら検品し段ボールの箱に詰めていく。

短い休憩時間には阪神タイガースの成績を憂い、週末の競馬予想に花を咲かせる。そしてどうでもいいゴシップで気を紛らわせる。まあそこら辺は底辺高校にいた時と何ら変わることのない日常ではあったが、てめえには違和感が溜まって行ったのだ。「これでいいのか?」と。

これでいいのか? このまま自分の時間を切り売りして過ごし、気が付けば物好きな女と一緒になり。そもそも物好きな女などいるのか? そして朝早くに家を出て夜遅くに油まみれになって帰ってくる父ちゃんになる。それはそれで一つの形だけれども。

何かに騙されていないだろうか?

そう、てめえがずっと感じてきた「違和感」は、そこだったのだ。そのことに気が付き、てめえは慄然とした。社長に騙されているわけでも工場長に騙されているわけでもなく、会社に騙されているわけでもない。もっと大きな何か、いわば「社会のシステム」というか、そういった社会そのものに騙されているのではないか? と悟ったのだ。


じゃあ何がてめえを騙し、陥れようとしているのか。どこかに詐欺師がいるのか。それを考えたが、答えを得るには自分はアホすぎた。今思うと誰も騙そうとしていなかったのだが、それを理解するにはあまりに脳みそが足りなさすぎたのだ。


とにかく勉強しなければならない。てめえは生まれて初めて心の底からそう思った。知識がないと、何かに騙されていても自分はきっと気が付かないだろう。

てめえはしばらくして工場を辞めた。かなりまじめに働いていたので周囲からは驚かれたが、「やっぱり大学に行って勉強します」と正直に話をしたらみんなに喜ばれた。みなさんお父さんお母さんの気持ちで応援してくれたのだ。

工場を辞めてからはトイレに入っている間も食事の時も勉強した。自分にはあまりに時間がなかった。風呂に入る時には、問題を暗記して、風呂に入って考えた。とにかく寝る時間以外は全て勉強にあてた。一度悟りを開いた人間は強い。

そんなわけで、予備校にも通わずひたすら独学を通し、翌年の春にてめえは無事大学生になった。



さて、何が言いたいのかというと、知識がなければ人間は容易く「何かに」騙される、ということだ。自分は悟りを開いたのでその点はよく理解しているつもりだ。そして人は、時には知識のない人を騙そうとするし、知識がなければ容易に騙されることがある。


ようやく本題に入るが、昨日のニュースにあった、音楽のゴーストライター話の件である。

てめえは音楽が好きなので、彼のことはどこかで知っていた。ただし、初めてその存在を知った時から「かなり胡散臭い」と思っていたのだ。自分が知識のない人間だったら、いとも容易く騙されたのだろうと思う。また、本題からは外れるが彼の持つ「卑屈さ」も、てめえは理解できる。

初めて彼の話を聞いた時の印象は「この話が本当だったら、本当にかわいそうな話だが、はたしてほんまか?」であった。


その一。「被爆二世」を語っている時点で胡散臭さ満点である。なぜなら、「被爆者の子には、放射線の影響は全くない」というのが医学界の常識だからだ。そういった研究がしっかり存在している。被爆二世は、被曝と全く関係ない人と比べて、あらゆる疾患の有病率が全く同じであった(厳密に言うと、有意差はなかった)。ということは、放射線は被爆者のDNAを傷つけないということである。これはこれで医学上の意義があるが、それはまた別の話になるのでここでは述べない。

なので被爆二世は医学上特別扱いされることもないし、そもそもそのことをあえて暴露する必要がない。メリットもない。

それをあえて押し出すという時点で、正直胡散臭さ満点である。


その二。「激しい頭痛とめまいと耳鳴を生じ、難聴に至る病気」は、ない。少なくとも典型的には存在しない。

最も近い症状の病気とすれば「メニエール病」だが、これは耳の病気なので頭痛は単なる随伴症状である。また、耳の機能が完全に破壊されれば症状は消失する。

したがって、難聴になれば、耳が聞こえなくなれば症状は軽減するはずである。だから、メニエール病の治療の選択肢の中に「耳を破壊する」という治療法があるのだ。

腎臓からたんぱく質が大量に漏れていく「ネフローゼ症候群」という病気もあるが、これも腎機能が廃絶されればたんぱくは漏れなくなるので「治癒」する。これと同じである。

そもそも後天的に難聴になること自体あまりないし、あってもそのほとんどは薬剤性である。てめえが診てきた難聴の多くは薬剤性、もっとはっきり書けば「ストレプトマイシンによる難聴」である。また、本物のメニエール病も実際はほとんど存在しない。自分で「私はメニエール病」という人はよく来るが、本物はほとんどいない。その多くはBPPV(良性発作性頭位めまい症)である。


この二点でてめえは胡散臭さを感じたのだ。

今回のニュースを聴いた時も「ああやっぱり詐欺師だったか」とはっきりと思った。おそらく耳が聞こえないのも嘘なんだろう。

そこまでして認められたかった、その「卑屈さ」は、私にはよく理解できる。ただし現状はあまりにもてめえと彼とは差ができた。

もしかすると、難聴を訴えていた「彼」は、かつての私自身だったかもしれない。工場の中で悟りを開くのが遅ければ。そして教育の機会を得ることがなく、誰かに何かを認められたいと思ったならば。繰り返すニュースを見ながら、てめえはそう思った。



2014年02月05日(水) 第二章。

城陽市に「俺のラーメン あっぱれ屋」というラーメン屋がある。

本当に他に何もないようなド田舎の山の中にポツンと幻のように存在しているラーメン屋なのだ。営業時間が昼間のみで日曜休みという、やる気のまるで感じられない営業形態かつとんでもない立地にもかかわらず、連日行列が絶えない。

食べに行った人のレビューも絶賛の嵐で、かの食べログでもラーメン屋全国一位になったこともある。京都だけでみると、たしか5年連続1位だ。

「正直ほんまに旨いんかいな、その特異な営業形態のために旨く感じているだけなのじゃないのか」などとてめえも懐疑的だったのだが、一度食べに行って、あまりの旨さに衝撃を受けた。一時間以上行列したが、それだけの価値はあるだろうと思う。スープも麺も非凡だったが、てめえが感動したのはしっかり仕事された「具」であった。詳細を書くとそれだけでいくらでも書けてしまうので、ここには記さない。

その「あっぱれ屋」が、2月3日から「第二章」として「塩とんこつ魚介ラーメン専門店」として生まれ変わったそうだ。てめえはこのニュースを聞いて本当に驚愕した。今までの名声をかなぐり捨てて、新たな挑戦を始められるということ。これは本当にすごいと思う。そして、やはりあっぱれ屋が並の店ではないことを確信した。



どうでもいいが、去年の年末だったか偶然にてめえの過去の日記を発見してしまった。自分的には「黒歴史」そのもの(特に前半は)だが、今思うと貴重な記録でもあったと思う。

そして、その中でてめえは「これはビンボー学生のサクセスストーリーである」と記していた。そして、確かにそれはある程度達成されたと思う。

てめえはビンボー学生ではなくなり、今は食べたいものを食べられる、読みたい本をいつでも買えるという幸せがある。物欲はあまりないのでこれで良いのだ。


そんなてめえは、ここにサクセスストーリー第二章を記すことを宣言します。読んでいる人はほとんどいないけど。まあ何を書くというわけではないのだが、どこかに書いておかないと達成できないような気がする。今までちまちまと書いてきた駄文と、好きな歌詞の自分なりの訳文が何がしかのトレーニングになってくれると信じている。

「まだ本気を出していないだけ」などと恥ずかしいことを言わないように、しばらく生みの苦しみと喜びを感じてみたい。



2014年02月04日(火) かにかくに

初日。

いつものように職場に向かった火曜日の朝。

てめえの仕事は月曜日と火曜日に苛酷な仕事が集中しており、ために火曜日の朝はとても調子が悪い。実のところは、こっちで仕事をするようになってすぐは火曜日の方が過酷であり、しかも火曜日は一日の仕事を終えた後そのまま当直に突入していたので、火曜日の朝は学校嫌いな子供のようにお腹が痛くなり下痢を繰り返していた。

今はどちらかというと月曜日の方が過酷なのだが、火曜日がしんどいことは変わりがない。というわけで、気力を振り絞って職場に向かった。


この日は初めての患者さんが来ていた。初めての方にはとても気を使う。まずは前医からの手紙を舐めるように読み、問題点を抽出するところから始める。

今回の新患は、若いころから糖尿病を患わっており、その影響で腎臓が悪くなってしまった。インスリン注射などで前医で長く治療してきたが、よりよい治療を求め当院に転院してきたとのことだった。ということは先方の期待値も高めであるということで、てめえの中にちょっと緊張が走る。

それ以外に、肺に持病があるとの記載があった。こちらは別に呼吸器の専門医に診てもらっていたが、近く大学病院で診てもらうことになっていると記されていた。肺の状態はかなり悪く、常に酸素吸入が必要なので在宅酸素療法までされていた。紹介状を舐めるように読んだが、この方は年齢的には40代前半であり、その苛酷な人生を思いてめえは気分が重くなった。


一通りの情報を頭の中に入れて、てめえは患者のもとに向かった。なんだがすでに顔色が悪く、呼吸も荒い。まずは一通りのあいさつを済ませて、てめえは尋ねた。

「どうしましたか? なんだか顔色が悪そうですが」
「…娘に風邪をうつされたと思うんですね。夜から咳が止まらなくて息も苦しくてね」
「しんどいのはいつからですか?」
「昨日の晩からですわ。それまではいつも通りだったんですけどね」
「夜は咳で眠れなかったのではないですか?」
「そうですね。一睡もしてませんし、横になるとしんどいのでずっと座ってましたわ」

と言いながら、彼は苦しそうに痰絡みの咳をした。

今までの話からすると、最後の話はまんま「起坐呼吸」である。基本的に心不全の時の症状であり、原疾患のことも考えてめえは心不全を疑った。ただし、娘さんから風邪をうつされて、もともと悪かった肺の状態がさらに悪化した可能性も否定しきれない。自宅では毎分2Lの酸素吸入を行っているとのことだったが、てめえが診察に行った時には、すでに看護師の判断で4Lにまで酸素量は増やされていた。


「じゃあ、ちょっと診てみましょうね」

と、てめえは沖縄時代と変わらない言葉で診察を始めた。

心不全なら、隆々と浮き上がった頚静脈や、あるいは著明な下肢の浮腫が見られるはずなので、目で頚部を観察しながら両足に手を伸ばす。座った状態で頚静脈が浮き上がっていたら明らかに異常であるが、その症状はなかった。また、下肢に浮腫はあったが著明ではなかった。

ということは心不全ではないのか。頭を下げて頚静脈を観察するともっと多くのことが分かるが、あまりに苦しそうだったので、より苦しい症状を誘発する体位をとるのはやめた。


次に聴診器を取り出し、膜の部分を掌で包んで温める。朝一番の聴診器は冷えていることが多く、いきなり冷たい聴診器を直接肌にあてることは避けたいところである。

そして聴診器をあてた。まずは心音を聴く。心不全に特徴的な心音は聞こえなかった。その後に肺の音を聴くが、ここでも心不全に特徴的な音も、肺炎に特徴的な音も聞こえなかった。

この時点での、てめえの結論は「心不全は否定できないが、どちらかというともらった風邪が肺の疾患を悪化させている」であった。正直、これは困ったことになったと思った。というのは、前者は治療可能であるが、後者の場合はあまりよくない結論になることが多いからだ。

ここまで一瞬で考えて、にっこりとてめえはさっきの結論と反対のことを口にした。

「心不全の可能性があります。まずは心不全の治療をしましょう。ただし、娘さんにもらった風邪で肺の疾患が悪化している可能性もあります。心不全の治療に反応しなければ、そちらの可能性も考えましょうか」

わかりました、宜しくお願いしますと彼も笑った。


さっそく看護師に指示を出し、てめえは別の患者の診察に向かった。


他患の診察を終えて、彼のもとに向かった。どうですか? と尋ねてみた。ちょっとは良くなったような気がする、という彼の言葉とは裏腹に、顔色は全く改善していない。心不全であれば治療にそろそろ反応する時間でもあった。反応していれば、吸入している酸素量は減ってくるはずだ。

これは、心不全ではないな…。

とすると、この状態であれば入院が必要である。あと少し様子を見て、改善がなければベッドの手配をしないといけないなとてめえは考えた。


午前中の診察を終えて、再度彼のもとに向かった。残念なことに、やはり症状の改善はなかった。

心不全と考えて治療したけれども、治療に反応していない。ということは、肺の状態が悪化しているということになります。いずれにせよ今の状態では家に帰れないので、入院しましょうとてめえは言った。彼は静かに頷いた。


午後からは入院が可能な病院の勤務だったので、さっそくベッドを手配する。とても状態が悪いので、集中治療室を開けておいてほしいとてめえはお願いし、一足先に病院に向かうことにした。申し訳ないけど、先に病院で待ってますね、とてめえは彼に告げ、病院へ向かった。

病院に着いてからしばらくして、看護師同乗の上、彼は当院に搬送されてきた。まずは朝の診療所で出来なかった検査を行う。心不全はもうこの時点ではほぼ否定的だったので、肺の検査を集中的に入れた。検査をした結果、肺の状態は思った以上に悪化していた。


救急室からすぐに集中治療室に移動し、肺病に対する治療を開始した。正直、ここまでの時間のロスはほとんどなかった。午後に病院での勤務であり、そのまま治療を継続できたということが大きかったと思う。これが全く別の病院であれば、おそらく一から検査や病歴聴取を行い、治療開始はさらに遅れていただろう。


その日は彼に対する処置で一日が終わった。てめえが帰宅する時間になっても、彼の病は治療に全く反応していなかった。


二日目。

水曜日は、いつもはのんびり仕事が出来ることが多いのだが、この日は朝出勤した時から彼のベッドサイドから離れることが出来なかった。そう、状況は前日よりさらに悪化していたのだ。吸入する酸素量は、徐々に増やされて6Lになっていた。

どうですか、と、てめえは答えの分かり切った質問をした。うん、しんどいわ、と彼は力弱く笑った。その吐く息は荒く、寝返りを打つだけで呼吸が乱れていた。

その日も別の治療を加えてみたが、改善する兆しはなかった。病勢はますます強くなっている。正直、もう打つ手はなかった。

情報化の進んだ現代において、病院間での治療の差は今やほとんどない。最新の治療法はたちまち世界中に広まるし、インターネットを使うと一瞬で最新の情報にアクセスできる。逆に言うと、旧態依然の治療をしていると、それはたちまち患者側に批判されてしまうし、治療が上手く行かずに裁判に持ち込まれると負ける。患者側もその気になれば情報にアクセスできるのだ。

あとは、評価の定まっていない治療法を試すか? しかしそれは「バクチ」にしか過ぎない。我々が心掛けなければいけないのは"first, do not harm"である。患者の得る利益を超えた害悪が予想されるのであれば、それは避けなければいけない。不要な薬は出してはいけないし、切ってはいけないところを切り刻んでもいけないのだ。


昼前に、彼の妻がやってきた。一生懸命に治療していただいているのはよくわかるのだが、状態も改善しない。近くの大学病院に転院して治療を行うことはできないか? と相談された。

彼の妻の気持ちもよくわかる。しかし、大量の酸素吸入を行っており、寝返りを打つだけで呼吸が乱れるような状態の人を搬送すること自体が危険であると、てめえは説明した。せめて少しは改善してから動かした方が良い。そう言いながら、今までの状態を考えると改善を期待すること自体が難しいのではないかという考えもちらりと頭をかすめた。

ただし、治療はまだ始めたばかりである。あと数日は経過を見てはどうだろうか? それでも改善なければ、一か八かになるが大学に運びます。そうてめえは言った。

「…分かりました」と、少し納得しない顔で彼女は頷いた。


結局この日も彼のそばを離れることはできなかった。その中で、彼といろいろ話をした。




続きはまた今度。



2014年02月03日(月) ホテル・カリフォルニア

On a dark desert highway,
Cool wind in my hair,
Warm smell of “colitas”
Rising up through the air,
Up ahead in the distance
I saw a shimmering light,
My head grew heavy and my sight grew dim,
I had to stop for the night.

闇の中、砂漠のハイウェイを走ると、冷たい風が髪を撫でる。
マリファナの柔らかい臭いが私を包み、闇の中を立ち上る。
ふと前の方を見ると、彼方に光が揺らめくのが見えた。
閃輝暗点が現れ、偏頭痛が私を襲う。
今晩はこの辺で休むことにしよう。


There she stood in the doorway,
I heard the mission bell
And I was thinkin’ to myself :
“This could be heaven and this could be hell”
Then she lit up a candle,
And she showed me the way,
There were voices down the corridor,
I thought I heard them say

彼女は玄関に佇んでいた。
教会の鐘の音が幻のように聞こえ、私はつい自問自答した
「ここは天国だろうか、もしや地獄ではないか?」
彼女は蝋燭に火を灯し、私を導いた。
たちまち廊下に声が響き渡り
私はその声を聞いた


Welcome to the Hotel California,
Such a lovely place,
(Such a lovely place)
Such a lovely face
Plenty of room at the Hotel California,
Any time of year,
(Any time of year)
You can find it here

ようこそホテルカリフォルニアへ
とっても素敵なところで
見た目も素敵でしょ
ホテルカリフォルニアにはたくさんの部屋があり
年中通して、ここでは素敵なものが見つかるでしょう。


Her mind is Tiffany-twisted,
She got the Mercedes Bends,
She got a lot of pretty, pretty boys
she calls friends
How they dance in the courtyard,
Sweet summer sweat
Some dance to remember,
Some dance to forget

彼女の心はティファニーのように捻れ
メルセデスベンツも手に入れた
可愛い少年をたくさん侍らせている
友人たちを呼び
中庭で、甘美な夏日の汗を滴らせ踊るのだ
あるものは忘れないために踊り
あるものは忘れるために踊る。


So I called up the Captain
“Please bring me my wine”
He said, “We haven’t had that spirit here
Since nineteen sixty-nine”
And still those voices are calling from far away,
Wake you up in the middle of the night
Just to hear them say:

私は給仕長を呼びつけた。
「私のワインを持ってきてくれ」
「残念ながら、1969年以降その酒は置いていないのです」
遠くからのその声が余韻を残す。
夜中に目が覚めて
彼らの言葉が聞こえた。


Welcome to the Hotel California,
Such a lovely place,
(Such a lovely place)
Such a lovely face
They’re livin’ it up at the Hotel California,
What a nice surprise,
(What a nice surprise)
Bring your alibis


ようこそホテルカリフォルニアへ
とっても素敵なところで
見た目も素敵でしょ
彼らもホテルカリフォルニアに住んでいて
びっくりしたでしょ
アリバイを差し上げましょう


Mirrors on the ceiling,
The pink champagne on ice, and she said:
“We are all just prisoners here,
Of our own device”
And in the master’s chambers
They gathered for the feast,
They stabbed it with their steely knives,
But they just can’t kill the beast





Last thing I remember, I was running for the door,
I had to find the passage back to the place I was before,
“Relax,” said the night man, “We are programmed to receive,
You can check out anytime you like… but you can never leave”




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