城陽市に「俺のラーメン あっぱれ屋」というラーメン屋がある。
本当に他に何もないようなド田舎の山の中にポツンと幻のように存在しているラーメン屋なのだ。営業時間が昼間のみで日曜休みという、やる気のまるで感じられない営業形態かつとんでもない立地にもかかわらず、連日行列が絶えない。
食べに行った人のレビューも絶賛の嵐で、かの食べログでもラーメン屋全国一位になったこともある。京都だけでみると、たしか5年連続1位だ。
「正直ほんまに旨いんかいな、その特異な営業形態のために旨く感じているだけなのじゃないのか」などとてめえも懐疑的だったのだが、一度食べに行って、あまりの旨さに衝撃を受けた。一時間以上行列したが、それだけの価値はあるだろうと思う。スープも麺も非凡だったが、てめえが感動したのはしっかり仕事された「具」であった。詳細を書くとそれだけでいくらでも書けてしまうので、ここには記さない。
その「あっぱれ屋」が、2月3日から「第二章」として「塩とんこつ魚介ラーメン専門店」として生まれ変わったそうだ。てめえはこのニュースを聞いて本当に驚愕した。今までの名声をかなぐり捨てて、新たな挑戦を始められるということ。これは本当にすごいと思う。そして、やはりあっぱれ屋が並の店ではないことを確信した。
どうでもいいが、去年の年末だったか偶然にてめえの過去の日記を発見してしまった。自分的には「黒歴史」そのもの(特に前半は)だが、今思うと貴重な記録でもあったと思う。
そして、その中でてめえは「これはビンボー学生のサクセスストーリーである」と記していた。そして、確かにそれはある程度達成されたと思う。
てめえはビンボー学生ではなくなり、今は食べたいものを食べられる、読みたい本をいつでも買えるという幸せがある。物欲はあまりないのでこれで良いのだ。
そんなてめえは、ここにサクセスストーリー第二章を記すことを宣言します。読んでいる人はほとんどいないけど。まあ何を書くというわけではないのだが、どこかに書いておかないと達成できないような気がする。今までちまちまと書いてきた駄文と、好きな歌詞の自分なりの訳文が何がしかのトレーニングになってくれると信じている。
「まだ本気を出していないだけ」などと恥ずかしいことを言わないように、しばらく生みの苦しみと喜びを感じてみたい。
初日。
いつものように職場に向かった火曜日の朝。
てめえの仕事は月曜日と火曜日に苛酷な仕事が集中しており、ために火曜日の朝はとても調子が悪い。実のところは、こっちで仕事をするようになってすぐは火曜日の方が過酷であり、しかも火曜日は一日の仕事を終えた後そのまま当直に突入していたので、火曜日の朝は学校嫌いな子供のようにお腹が痛くなり下痢を繰り返していた。
今はどちらかというと月曜日の方が過酷なのだが、火曜日がしんどいことは変わりがない。というわけで、気力を振り絞って職場に向かった。
この日は初めての患者さんが来ていた。初めての方にはとても気を使う。まずは前医からの手紙を舐めるように読み、問題点を抽出するところから始める。
今回の新患は、若いころから糖尿病を患わっており、その影響で腎臓が悪くなってしまった。インスリン注射などで前医で長く治療してきたが、よりよい治療を求め当院に転院してきたとのことだった。ということは先方の期待値も高めであるということで、てめえの中にちょっと緊張が走る。
それ以外に、肺に持病があるとの記載があった。こちらは別に呼吸器の専門医に診てもらっていたが、近く大学病院で診てもらうことになっていると記されていた。肺の状態はかなり悪く、常に酸素吸入が必要なので在宅酸素療法までされていた。紹介状を舐めるように読んだが、この方は年齢的には40代前半であり、その苛酷な人生を思いてめえは気分が重くなった。
一通りの情報を頭の中に入れて、てめえは患者のもとに向かった。なんだがすでに顔色が悪く、呼吸も荒い。まずは一通りのあいさつを済ませて、てめえは尋ねた。
「どうしましたか? なんだか顔色が悪そうですが」 「…娘に風邪をうつされたと思うんですね。夜から咳が止まらなくて息も苦しくてね」 「しんどいのはいつからですか?」 「昨日の晩からですわ。それまではいつも通りだったんですけどね」 「夜は咳で眠れなかったのではないですか?」 「そうですね。一睡もしてませんし、横になるとしんどいのでずっと座ってましたわ」
と言いながら、彼は苦しそうに痰絡みの咳をした。
今までの話からすると、最後の話はまんま「起坐呼吸」である。基本的に心不全の時の症状であり、原疾患のことも考えてめえは心不全を疑った。ただし、娘さんから風邪をうつされて、もともと悪かった肺の状態がさらに悪化した可能性も否定しきれない。自宅では毎分2Lの酸素吸入を行っているとのことだったが、てめえが診察に行った時には、すでに看護師の判断で4Lにまで酸素量は増やされていた。
「じゃあ、ちょっと診てみましょうね」
と、てめえは沖縄時代と変わらない言葉で診察を始めた。
心不全なら、隆々と浮き上がった頚静脈や、あるいは著明な下肢の浮腫が見られるはずなので、目で頚部を観察しながら両足に手を伸ばす。座った状態で頚静脈が浮き上がっていたら明らかに異常であるが、その症状はなかった。また、下肢に浮腫はあったが著明ではなかった。
ということは心不全ではないのか。頭を下げて頚静脈を観察するともっと多くのことが分かるが、あまりに苦しそうだったので、より苦しい症状を誘発する体位をとるのはやめた。
次に聴診器を取り出し、膜の部分を掌で包んで温める。朝一番の聴診器は冷えていることが多く、いきなり冷たい聴診器を直接肌にあてることは避けたいところである。
そして聴診器をあてた。まずは心音を聴く。心不全に特徴的な心音は聞こえなかった。その後に肺の音を聴くが、ここでも心不全に特徴的な音も、肺炎に特徴的な音も聞こえなかった。
この時点での、てめえの結論は「心不全は否定できないが、どちらかというともらった風邪が肺の疾患を悪化させている」であった。正直、これは困ったことになったと思った。というのは、前者は治療可能であるが、後者の場合はあまりよくない結論になることが多いからだ。
ここまで一瞬で考えて、にっこりとてめえはさっきの結論と反対のことを口にした。
「心不全の可能性があります。まずは心不全の治療をしましょう。ただし、娘さんにもらった風邪で肺の疾患が悪化している可能性もあります。心不全の治療に反応しなければ、そちらの可能性も考えましょうか」
わかりました、宜しくお願いしますと彼も笑った。
さっそく看護師に指示を出し、てめえは別の患者の診察に向かった。
他患の診察を終えて、彼のもとに向かった。どうですか? と尋ねてみた。ちょっとは良くなったような気がする、という彼の言葉とは裏腹に、顔色は全く改善していない。心不全であれば治療にそろそろ反応する時間でもあった。反応していれば、吸入している酸素量は減ってくるはずだ。
これは、心不全ではないな…。
とすると、この状態であれば入院が必要である。あと少し様子を見て、改善がなければベッドの手配をしないといけないなとてめえは考えた。
午前中の診察を終えて、再度彼のもとに向かった。残念なことに、やはり症状の改善はなかった。
心不全と考えて治療したけれども、治療に反応していない。ということは、肺の状態が悪化しているということになります。いずれにせよ今の状態では家に帰れないので、入院しましょうとてめえは言った。彼は静かに頷いた。
午後からは入院が可能な病院の勤務だったので、さっそくベッドを手配する。とても状態が悪いので、集中治療室を開けておいてほしいとてめえはお願いし、一足先に病院に向かうことにした。申し訳ないけど、先に病院で待ってますね、とてめえは彼に告げ、病院へ向かった。
病院に着いてからしばらくして、看護師同乗の上、彼は当院に搬送されてきた。まずは朝の診療所で出来なかった検査を行う。心不全はもうこの時点ではほぼ否定的だったので、肺の検査を集中的に入れた。検査をした結果、肺の状態は思った以上に悪化していた。
救急室からすぐに集中治療室に移動し、肺病に対する治療を開始した。正直、ここまでの時間のロスはほとんどなかった。午後に病院での勤務であり、そのまま治療を継続できたということが大きかったと思う。これが全く別の病院であれば、おそらく一から検査や病歴聴取を行い、治療開始はさらに遅れていただろう。
その日は彼に対する処置で一日が終わった。てめえが帰宅する時間になっても、彼の病は治療に全く反応していなかった。
二日目。
水曜日は、いつもはのんびり仕事が出来ることが多いのだが、この日は朝出勤した時から彼のベッドサイドから離れることが出来なかった。そう、状況は前日よりさらに悪化していたのだ。吸入する酸素量は、徐々に増やされて6Lになっていた。
どうですか、と、てめえは答えの分かり切った質問をした。うん、しんどいわ、と彼は力弱く笑った。その吐く息は荒く、寝返りを打つだけで呼吸が乱れていた。
その日も別の治療を加えてみたが、改善する兆しはなかった。病勢はますます強くなっている。正直、もう打つ手はなかった。
情報化の進んだ現代において、病院間での治療の差は今やほとんどない。最新の治療法はたちまち世界中に広まるし、インターネットを使うと一瞬で最新の情報にアクセスできる。逆に言うと、旧態依然の治療をしていると、それはたちまち患者側に批判されてしまうし、治療が上手く行かずに裁判に持ち込まれると負ける。患者側もその気になれば情報にアクセスできるのだ。
あとは、評価の定まっていない治療法を試すか? しかしそれは「バクチ」にしか過ぎない。我々が心掛けなければいけないのは"first, do not harm"である。患者の得る利益を超えた害悪が予想されるのであれば、それは避けなければいけない。不要な薬は出してはいけないし、切ってはいけないところを切り刻んでもいけないのだ。
昼前に、彼の妻がやってきた。一生懸命に治療していただいているのはよくわかるのだが、状態も改善しない。近くの大学病院に転院して治療を行うことはできないか? と相談された。
彼の妻の気持ちもよくわかる。しかし、大量の酸素吸入を行っており、寝返りを打つだけで呼吸が乱れるような状態の人を搬送すること自体が危険であると、てめえは説明した。せめて少しは改善してから動かした方が良い。そう言いながら、今までの状態を考えると改善を期待すること自体が難しいのではないかという考えもちらりと頭をかすめた。
ただし、治療はまだ始めたばかりである。あと数日は経過を見てはどうだろうか? それでも改善なければ、一か八かになるが大学に運びます。そうてめえは言った。
「…分かりました」と、少し納得しない顔で彼女は頷いた。
結局この日も彼のそばを離れることはできなかった。その中で、彼といろいろ話をした。
続きはまた今度。
2014年02月03日(月) |
ホテル・カリフォルニア |
On a dark desert highway, Cool wind in my hair, Warm smell of “colitas” Rising up through the air, Up ahead in the distance I saw a shimmering light, My head grew heavy and my sight grew dim, I had to stop for the night.
闇の中、砂漠のハイウェイを走ると、冷たい風が髪を撫でる。 マリファナの柔らかい臭いが私を包み、闇の中を立ち上る。 ふと前の方を見ると、彼方に光が揺らめくのが見えた。 閃輝暗点が現れ、偏頭痛が私を襲う。 今晩はこの辺で休むことにしよう。
There she stood in the doorway, I heard the mission bell And I was thinkin’ to myself : “This could be heaven and this could be hell” Then she lit up a candle, And she showed me the way, There were voices down the corridor, I thought I heard them say
彼女は玄関に佇んでいた。 教会の鐘の音が幻のように聞こえ、私はつい自問自答した 「ここは天国だろうか、もしや地獄ではないか?」 彼女は蝋燭に火を灯し、私を導いた。 たちまち廊下に声が響き渡り 私はその声を聞いた
Welcome to the Hotel California, Such a lovely place, (Such a lovely place) Such a lovely face Plenty of room at the Hotel California, Any time of year, (Any time of year) You can find it here
ようこそホテルカリフォルニアへ とっても素敵なところで 見た目も素敵でしょ ホテルカリフォルニアにはたくさんの部屋があり 年中通して、ここでは素敵なものが見つかるでしょう。
Her mind is Tiffany-twisted, She got the Mercedes Bends, She got a lot of pretty, pretty boys she calls friends How they dance in the courtyard, Sweet summer sweat Some dance to remember, Some dance to forget
彼女の心はティファニーのように捻れ メルセデスベンツも手に入れた 可愛い少年をたくさん侍らせている 友人たちを呼び 中庭で、甘美な夏日の汗を滴らせ踊るのだ あるものは忘れないために踊り あるものは忘れるために踊る。
So I called up the Captain “Please bring me my wine” He said, “We haven’t had that spirit here Since nineteen sixty-nine” And still those voices are calling from far away, Wake you up in the middle of the night Just to hear them say:
私は給仕長を呼びつけた。 「私のワインを持ってきてくれ」 「残念ながら、1969年以降その酒は置いていないのです」 遠くからのその声が余韻を残す。 夜中に目が覚めて 彼らの言葉が聞こえた。
Welcome to the Hotel California, Such a lovely place, (Such a lovely place) Such a lovely face They’re livin’ it up at the Hotel California, What a nice surprise, (What a nice surprise) Bring your alibis
ようこそホテルカリフォルニアへ とっても素敵なところで 見た目も素敵でしょ 彼らもホテルカリフォルニアに住んでいて びっくりしたでしょ アリバイを差し上げましょう
Mirrors on the ceiling, The pink champagne on ice, and she said: “We are all just prisoners here, Of our own device” And in the master’s chambers They gathered for the feast, They stabbed it with their steely knives, But they just can’t kill the beast
Last thing I remember, I was running for the door, I had to find the passage back to the place I was before, “Relax,” said the night man, “We are programmed to receive, You can check out anytime you like… but you can never leave”
今日はとんでもないニュースを耳にして、久しぶりに魂が震えた。そんなわけで、この衝撃をここに書き残しておこうと思う。
今日はこのことは散々ニュースになっているのだが、どうも本質を外した報道しか見ない。 「30歳の日本人女性が大発見を!」 「iPSより簡単に万能細胞が出来る!」 報道の内容はだいたい見た範囲ではこの二つに集約できる。まあ、世間的にはそうなのだろう。
私も初めてニュースを聞いた時はピンと来ていなかったのだ。細胞が幼弱化しただけなのでは、とか(リンパ球を使用していると聞いたからというものあると思う)、追試験で否定されるのでは、などと考えていた。なぜならばあまりに単純な方法だからだ。最初Natureがrejectしたのも分かる気がする。「細胞生物学を愚弄している」とまでは言い過ぎだが、常識を外れすぎていると思うのも仕方ないだろう。ただし大発見とは概してそんなものである。
しかしよく考えれば、これは逆に常識では測ることのできない「生命」そのものの問題なのだ。そのことに気が付いた時、私は衝撃を受けた。
酸性ストレス下に細胞を置くと、ある条件のもとで万能細胞になる。かなり乱暴に例えると、人間に死ぬ一歩手前くらいのストレスを与えると万能化するのと同じである。殺してしまっては元も子もないが、確かに人間というものは、というより生命というものは、死にそうになると自分でも信じられない能力を発揮することがある。
そんなわけで、今後の課題は、なぜそうなるのかということだろう。「生命の、生きるという欲求」そのものの意味が解明されるかもしれない。
おまけだが、去年まで理研にいた西川氏のコメントを読んで、上記の懸念は吹っ飛び、私は「これは本物だ」という確信を得た。私は西川氏を知っているが、彼は発生学に魂を売った男である。その彼がこの研究に噛んでいるということ。
http://aasj.jp/news/watch/1069
今日はとんでもないニュースを聞いてしまった。科学は確実に進歩しているということを実感したということ。iPS細胞の話は哲学的な部分は全くないが、STAP細胞はむしろ哲学的な発想から出てきた研究であるということ。そしてその応用はおそらく無限であること。
今後はアホなマスコミが彼女を興味本位で追いまわすようなことだけは避けてもらいたいと思う。
このニュースを聞いて、私はバーバラ・マクリントックのことを思い出した。彼女も「動く遺伝子」トランスポゾンを発見したのだが、時代が早すぎた。忘れられたころに業績が再発見され、80歳を超えて彼女はノーベル医学賞を単独受賞した。
ノーベル医学賞を単独受賞した女性はおそらく彼女だけだと思うが、小保方さんが同様の名誉を得ることも不可能ではないだろうと思う。そして、これだけの情報化社会の発見で時代に取り残されなかったことも素晴らしいと思う。Natureは理解できずに葬ろうとしたが、世界中の多くの方の協力で日の目を見ることが出来たのは本当に素晴らしいと思う(原著のauthorにはハーバード時代の指導教授の名前もある)。
もう一つおまけだが、こう言った大発見は関西発なのが興味深い。STAP細胞もiPS細胞も関西から出た研究である(小保方さん自体は千葉県出身で早稲田卒)。世界的に活躍するのは関西人が多いのも興味深い。はっきり書いておくが、東大はいったい何をしているのだろうか。小保方さんは、早稲田にいたままだったらこれほどの研究が出来ただろうか。
野球で言えばMLBで名を残したのは野茂にしろ黒田にしろダルビッシュにしろ関西人である。田中マー君もそもそもは関西人である。イチローは愛知の人だが、その才能が花開いたのは神戸のオリックスに入団してからであった。サッカーでも本田にしろ長友にしろ香川にしろ西日本の人間ばかりが活躍している。なんでやろうね。
ちなみに私は「個性化」あるいは「個性尊重」の差だと考えている。関東は「ダメ出しの文化」で、関西は「面白がる文化」だと思うのだが、いかがでしょうか。もちろん、東大は前者で京大は後者。
今回の研究も、関西だからこそ周りの人間が面白がって形にしたのではないだろうか。これが関東だったら、周りの人間が面白がっただろうか。あるいは、「彼女の研究」として残っただろうか?
なあ、この曲を聴いたらどんな風景を思い浮かべる? と彼は私に聞いた。
俺はな、長い坂の上から零れ落ちてくる、さまざまな色に輝くビー玉を思い浮かべるんや。
なんやそれ、ベタやな。と私は笑った。ビー玉以外を使った風景を表現したいところやろ、と言った私は、その時も、そして今でも少しひねくれているのだろうと思う。
久しぶりにこの曲を聞いてみた私の瞼の裏には、今回は素直にビー玉の群れが浮かんだ。ただし、零れ落ちていくのではなく、重力に逆らって滑るように坂を上って行く、ビー玉の群れ。
坂の上から零れ落ちてくる、七色に煌くビー玉を思い浮かべたロマンチックな彼は、今日も祇園でステージに立っている。
「ビー玉坂」 PSY・S with 村松健
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