高校生の時の友人に「シュウ」君という友人がいた。
まだ何も考えていなかった高校生時代。高校生らしく放蕩を決め込み遊び呆けていた私とは違い、シュウ君は真面目に勉学に励む、しかも敬虔なクリスチャンであった。ために日曜日はガールフレンドと遊びに行くこともなく欠かさず教会に礼拝に通い、日頃も暇があれば聖書を静かに読んでいた。今思うと、そんな彼とどうして友人になったのか全く思いだせない。
私も若かった。高校1年の冬、どうでもいい話を友人たちとしていた時のことだった。話はクリスマスの話になった。高校生に限った話ではないが、空っぽな若者にとっては「クリスマス=恋人と過ごす日」という観念があった。今もあると思うのだが、そう言った話で盛り上がっている時だった。全く話に入ってこないシュウ君に、私は話を振った。
「クリスマスですか? もちろん家族と一緒に教会に行きます」
そう言った彼にみなドン引きしていたが、そりゃあそうだねえと私は感心した。敬虔なクリスチャンには極めて愚問だったのだ。そう言えば、彼はいつもだれと話す時も敬語だった。
高校2年生の時に、彼はアメリカに留学した。高校1年の時点で英検1級を取得し、英語もペラペラであった彼の夢は国連の職員になることだった。その第一歩として、彼はアメリカに旅立ったのだ。英検どころか進級の単位が足りずに高校2年生にはお情けで仮進級させていただいた私は、優秀な友人の留学を単純に喜んだ。やっぱりどう記憶を捻っても、全く接点のなさそうな彼とどうやって友人になったのか全く思いだせない。
彼がアメリカに旅立ってから数ヶ月後のとある夜だった。たまたま自宅で一人ぼけっと音楽を聴いていた時だったと記憶している。私の自宅の電話が鳴った。何も考えずに受話器を取り上げると、NTTの電話交換手が出た。
「アメリカからコレクトコールが入っています。シュウさんという方ですが、おつなぎしてもよろしいでしょうか?」
はいどうぞ、と、私は後先を考えずに言ってしまった。ていうか、シュウ君、急にどうしたのだろう。しかも海外からのコレクトコールということに驚いた。などと考えていると、「ではおつなぎします」と海外と電話がつなげられた。
「おう久しぶりやな、元気? どないしてるんや」
と、私は育ち丸出しの関西弁を出してしまった。
「いやあ急にすみませんね。こっちは朝でね、ホストファミリーがちょうど出かけた今の時間しか電話できないし、しかもコレクトコールで申し訳ない」
と、久しぶりの彼はいつも通りの敬語で言った。
それからいろんな話をした。ホストファミリーは熱心な共和党員で、アメリカに来て初めて共和党と民主党の違いを理解したこと、学校での勉強のこと、日本語で会話するのは本当に久しぶりであること、などなど。別段急な話ではなかった。なぜ私を選んで電話をかけてきてくれたのかよくわからないが、たぶん阿呆な相手と阿呆な話を久しぶりにしたかったのだろうと思う。
それからコレクトコールであることもすっかり忘れて思わず語り合ってしまった。会話の途中で親が帰宅したが、たまにある友人との馬鹿話をしているとでも思ったのだろう、長電話をしている私を気にもせずに先に寝てしまった。
どれくらい話したのかよく覚えていない。いつまでも名残惜しそうにしていた印象があったので、私も下らない話をした。いい加減日本の夜も更けたので、私は「そろそろ寝るわ」と話を切り上げた。「そう言えば日本は夜ですね。私はそろそろ勉強します」と、彼は電話を切った。
その電話のことも忘れかけていた次の月に、「とんでもない電話代の請求が来ているのだが心当たりはないか」と親に呼ばれた。心当たりはもちろん「シュウ君」なので一部始終を話したところ、親もシュウ君のことはよく知っていたので親と私で二人で笑って済んだ。結構とんでもない額だったので「次回」があればどうしようかと思ったが、気がすんだのかシュウ君からのコレクトコールはこの一回のみだった。
私が高校3年生に再びお情けで進学させていただいた頃に彼は帰国した。残念なことにアメリカでの取得単位は認められず、彼は一つ下の学年のクラスに編入された。
時は流れて高校3年生の秋。シュウ君は、知らん間に私のクラスメートの女の子に密かに恋をしていた。彼からはっきりそう聞いたわけではないが、高校生なんて気持ちがそのまま態度に出るのでみんな分かっていたのだ。
ので、極めて余計な御世話だとは思ったが、比較的私と仲も良かった彼女も呼んで3人で遊ぶことにした。だが、実際に何をしたのかはあまり覚えていない。今のように遊ぶところがたくさんあったわけでもなく、また3人ともお金がなかったので、とりあえず私の家に集まって下らない話をたくさんしたような気がする。
夕方になり、高校生は自宅に帰る時間になった。私の家を出て、3人で川べりの道を歩いた。川に映る夕焼けがきれいだった。川のそばでは、いろんな種類の虫たちがその鳴き声を競っていた。私はキューピッドの役を演じるつもりだったのだが、果たしてその役割をちゃんと演じられただろうか? 少なくともこの日には解答は出なさそうだった。
彼女は私の意図にうすうす気が付いていたのだと思う。家にいる時は楽しそうに話をしていたが、帰り道ではずっと下を向いたまま黙って歩いていた。あの頃はみんな若かったのだ。夕闇も、そして電車の駅もそこまで迫っていた。
私も「うまく行かなかったか・・・」と、とぼとぼ歩いていたのだ。そう思っていた瞬間、突然私の手をシュウ君が引いた。驚いて彼の方を見ると、見たことのないくらいの満面の笑みを浮かべ、彼は言った。
「ねぇ、手をつないで歩きませんか? ほら夕焼けもきれいだし」
突然のことで私は混乱した。
「はぁ? 申し訳ないが俺は男と手と手をつないで歩く趣味はないねん、勘弁してくれや」
私の言葉をさっくりと無視し、彼は彼女の方を向いてにっこりと微笑んだ。
「ね、3人で手をつなぎましょう」
彼女は拒否まではしていないが、明らかに困惑していた。
「いやお前、意味わからん。彼女もほら困っているやん。そもそも男と手をつないで歩く趣味はないって・・・」
そこまで私が言った時、彼は遮るように言った。
「愛しています! そう、愛しているのです。・・・二人とも愛しています。」
予想だにしなかった告白に私も彼女も言葉を失った。こんなところで突然の「バイ」発言? ごめんな俺はそんな趣味はないねん、と、私は叫びかけたが、彼女の方がもっと動揺していたはずだ。
「あっごめんなさい、誤解しないでほしいのですが、この「愛」は「キリスト教的な愛」なのです。例えば付き合いたいとか一つになりたいとかそんな欲望ではなく、人間として人間に対する最高の気持ちなのです、うーん誤解されそうやけど、わかるやろうか?」と彼は言った。
その時はもちろん全然分からなかった、けれども、なんとなく彼も言いたいことは伝わったような気がした。立派なおっさんになった今は恋愛を超えた、単に宗教的ではない「愛」は理解しているつもりだ。
最も分かりやすいのは家族に対する愛だろうと思う。そこにはエゴも何もなく、性的な欲求もない。ただ見返りもない「愛」だけがただ存在している。「シュウ」君は、10代の頃に家族でもない人間にそう思うまでの境地に達していたのだ。
それから18歳の3人は、ぎこちなく手をつないで川べりの道を歩いた。そして、手をつないで歩きながら、家で話していたような下らない話をたくさんした。私が野郎と手をつないで歩いたのは、親子親戚関係および仕事関係を除くとおそらくこれが最初で最後だと思う。夕焼けは川底に消え、代わりにうっすらと水面に浮かんだ月がきれいだった。
ちなみに、シュウ君の恋はその後実ることはなかった。その年の冬に、シュウ君の家でパーティーをして彼は見事に玉砕した。今となってはとてもよい思い出だが、あの時の「愛している」発言は死ぬまで忘れないと思うし、私も人をしっかり愛せる人間になりたいと思う。
2014年01月04日(土) |
市職員が勤務中にマンション管理、収入数千万円に |
突っ込みどころ満載のニュースを発見してしまった。
市職員が勤務中にマンション管理、収入数千万円に
兵庫県宝塚市は28日、勤務先のパソコンから1万5000通以上の私的なメールを送り、マンション経営をしていたなどとして、管財課の男性副課長(51)を停職6カ月の懲戒処分とし、係長に降格した。副課長は同日付で依願退職した。
市によると、全国に計10棟342戸のマンションを所有し、年間数千万円の収入を得ていた。
副課長は平成24年4月〜25年6月、業務にしか使えないパソコンから特定の女性やマンション管理会社に計1万5000通以上の私的なメールを送信。自身や妻が取締役を務める会社の名義などでマンションを所有し、25年7月には太陽光発電プラントへの投資を目的とした会社を設立し、代表取締役に就任していた。
今年5月、パソコンの前を離れようとしない態度を不審に思った上司が人事課に相談して発覚した。 (引用、終わり)
「公務員の副業禁止」とか以前の問題で、これこそ「公務員クオリティ」。副業は成功していたようなのでそれなりの能力はあったのだろうが、まず仕事と両立していたというのが凄い。公務員の仕事なんてその程度だという証左。
また、「業務にしか使えないパソコン」を「私的に使用」ってなんだそれは。普通は不可能だぞ。これもまた「公務員クオリティ」。
また、発覚が「パソコンの前を離れようとしない」というのも意味不明。税務はてめえの職員の税金を把握していなかったのか。いろいろ突っ込みどころが多すぎて泣けてくるわ。
愛している。本当に、心の底から愛している。
愛おしい娘が今度高校受験。忙しいだろうなと思ってあえて連絡をとっていなかったのだが、娘の方から「遊びに行く」と連絡をもらった。何があったのか、なかったのかよくわからんがこちらは有頂天。そんなわけでご馳走を作って迎えた。
2泊していったが、全く勉強するそぶりはなく。いやいいんですよ勉強なんて。しかし本当に可愛い。今が一番美しい時期ではないだろうか。
久しぶりにいろいろ話をした。将来考えていることなど。なかなか自分なりの道を考えているようで、父ちゃんはなんでも無条件に応援しますよ。なんてったって心の底から愛していますので。
2013年10月25日(金) |
クソのような出来事。 |
この日は朝から救急当番だった。正直救急当番は大嫌い。「救急医療」自体は嫌いではなくむしろ好きで、それなりの技量をもっている自負はあるが、問題はそれ以外の部分なわけだ。そしてこの日は「それ以外の部分」が顕著に出た。
朝から救急室や病棟からのコールを受けて忙しく働いていたのだが、ちょうど救急車が入って診察を終えた瞬間にてめえのPHSが鳴った。
「病棟で急変した患者がいて、当院では対応できず他院での処置が必要。受け入れ先は見つけたが他にもいろいろあり手が離せないので、搬送だけ行って欲しい」とのこと。救急患者の対応中であることを説明したのだが、他に人手がいないと。搬送中に代わりに救急をする人は確保したとまで言われたので、ホイホイと引き受けてしまった。
同乗するだけならサルでも出来るので、検査の指示を出してすぐに病室に向かった。カルテはあらかじめ読んで行ったのだが、聞いていたよりも状況はひどかった。
「こりゃあうちでは無理だな」
できれば一刻も早く手術する必要がある。というわけで、出来るだけ早く搬送できるようにいろいろ手配した。その間もPHSは断続的に鳴り続けたが「重症がいて搬送に行くので無理、手があいているDrを呼んで」と断る。
すぐに搬送の準備が出来て、車に乗った。サイレンを鳴らし搬送先に向かう。搬送の時はよくわかるのだが、車は意外と協力的なのだが、歩行者や自転車は全く協力的でない人がいる。そのたびに急ブレーキで、患者さんの体が揺れる。
搬送先に滑り込む。出てきたDrはいきなり名乗りもせず「状況は?」と。「○○歳女性で、本日の午前2時に来院され…」と型通りのプレゼンテーションを始めたが「は? 2時間前からの症状と聞いたけど。話が違う! お前は電話してきた者か?」といきなり喧嘩腰になった。
ええか、2時間前からと聞いたから受けた。2時からやったら緊急手術が必要や! こっちの都合もあるんや! と正直理不尽としか思えない罵りを受けるが、こちらは「手術が必要なので転院」と聞いているのでこっちも話が合わない。「なんで転院が必要なのか」ということを、このおっさんはどう理解して話を受けたのだろうか?
その後もずっと針のむしろ状態。忙しそうに手術室に電話され、その合間にも絶え間なく罵る。搬送してきた救急隊員までが「このDrはついてきただけで、何もそこまで言う必要ないんちゃいます?」と言ってくれたが変わりなし。彼の怒りは収まらず、てめえはただ病院を代表して謝った。
こういう事があるから嫌。正直、なんでもできる病院でなければ救急はしてはならないと思う。それを無理しているから「たらいまわし」になるのだ。「なんでも受ける病院」と「救急をしてはならない病院」を明確に分けた方が良い。少なくとも沖縄はそうだったよ。
2013年10月21日(月) |
いろいろありましたけどなぁ。 |
・沖縄に友人の結婚式へ
沖縄時代の友人が結婚するという事で、弾丸沖縄ツアーを敢行した。タイトなスケジュールだったが、どーんと沖縄に行って宴に参加し、翌朝帰るというまあ最低なスケジュール。
しかし、おかげで懐かしい人にたくさん会う事が出来た。最後はあまりに名残惜しくて。今にでも沖縄に飛んで帰りたい自分がいることに気が付いた。沖縄で一緒に働いた戦友達よ(あえて戦友と呼ばせて頂きます)。てめえはあなた方全員を心の底から愛しています。本当に愛している。
・親父入院
そんな沖縄行きも、親父をショートステイに預けたから可能になったのだ。しかし沖縄から帰る那覇空港で、フライトを待つてめえのもとに「親父が発熱してぐったりしているので、これ以上ショートステイは無理」との連絡が入った。なんてこった。すぐにほうぼう手配して、なんとか病院を受診できるようにして、タイムアップになり機内の人へ。
伊丹に着いてすぐに連絡を取ったら、なんと受診するなり入院となったということ。なんだかほっとする一面、どういう事なのかという事も気になり、そのまま病院へ。本人はぐったりしていたが、入院しているので安心して帰宅した。
まあいろいろあって、なんとか元気になり今日退院した。元気になった親父は「また仕事がしたい」だの「料理も作ってみたい」だの好き放題言っていたが、申し訳ありませんが無理です。てめえは早めに仕事を切り上げて(その分あり得ない激務だったが)退院手続きをしたが、本当に今日は疲れました。これだけ困憊したのはほんまに久しぶり。
|