http://www.dailymotion.com/video/xx2nkj_yyyy-3_shortfilms?search_algo=2#.UQp3aR3tT0M
普段こういったテレビドラマは見ることがないのだが、友里さんのところで知って思わず見てしまった。詳細は友里さんのところに書いてあるが、良くもここまで実在の人物を揶揄出来たものだと感動したぞ。
2013年01月28日(月) |
小学校の時の同級生。 |
週明け出勤したら、てめえの机の上に無造作に一枚のはがきが置いてあった。週明けのクソ忙しい朝なのでとりあえず差出人だけ確認して仕事に向かおうとはがきを手に取ったら、とても懐かしい名前が記されていた。小学校の時の友人であった。
どうでもいいクソ田舎のどこにでもあるような公立小学校だった。まあ小学生並みに楽しい日々だった。お受験で抜ける奴もおらず、みな同じ中学校に進学した。
彼とは小学3年から6年まで同じクラスだったと記憶している。ウマがあったのかよく一緒に遊んだ。よくお互いの家に泊まりに行った。彼はとても発育が良く、小学6年の時点で180cmくらいあったのではないか。運動神経も抜群で、小学校の間はずっとサッカー少年だった。体が大きかったためかサッカーも抜群に上手だった。お母さんもママさんバレーで活躍されており、さほど歳の変わらないお姉さんも同じく大きかった。残念ながら何度泊りに行ってもお父さんとお会いすることはなかったが、今思うと「隠れ母子家庭」だったのだろうと思う。
彼とは音楽の趣味が良く合った。お互い洋楽特にビートルズが好きで、彼はそれ以外にスティービィーワンダーが好きだった。中学校の時か高校に行ってからかは忘れたが、一緒にライブに行くこともあった。好きな女の子の話を延々と聞いたこともあった。
彼は中学に入りサッカーをやめ、野球少年になった。てめえの学校の野球部自体はしょうもない野球部だったが、スカウトされたのか自分で希望したのか、高校は野球名門校に進学した。1年後輩には誰でも知っているメジャーリーガーが在籍した野球部だった。残念なことに甲子園には行けなかったが、彼は小さな田舎町の同級生の誇りだった。
ちなみに彼と一緒に小学校のころサッカーをしていた連中は、その後もサッカーを続け、高校サッカーで国立競技場の決勝戦まで進出することになる。彼がサッカーを続けていればもしかしたらと、と妄想する。
野球に限界を感じたのか、彼は大学に入ると別のスポーツに転向し、大学卒業後に花開き日本一になった。てめえはもちろんテレビで観ていた。
彼と最後に会ったのは、彼が大学に進学したその年だったような記憶がある。てめえは高校を卒業してプラスチック工場で働く一労働者で、彼は大学生だった。しょうもない話で盛り上がったのしか覚えていない。
手紙はとてもきれいな字で、内容もとても丁重だった。昔のようにタメ口でいいのに、過ぎ去った日々を感じることになってしまった。
内容は、小学校卒業以来初めての同窓会を去年末にしたこと、みんながてめえの話で盛り上がったこと。来年は参加してほしいことなどだった。てめえの話で盛り上がったのは社交辞令だろうが、今年は万難を排してでも参加しようと思った。
2013年01月27日(日) |
久しぶりにのんびり。 |
先週は出張(ちょっと違うが)だったため振り替えた仕事などがあり、また出張前後もタイトなスケジュールだったため珍しくずっと仕事している状態だったため、この日は久し振りの完全オフ。存分に寝て充電完了。
こっちに帰ってきてからは冬の寒さにうんざりしていた。去年は防寒カーテンやなんやかんやと工夫してみたが全く寒さを防げず、「着る毛布」を室内着にしても寒さが肌に染み込み、これは二重窓や本格的なリフォームが必要かとうんざりしていたが、ガスファンヒーターの導入で意外と家じゅうがポッカポカになった。残念なことにガス代がとんでもないことになっているが正直仕方ないな。ほんまに命削る寒さやった。ガス最強。
1年目
学校で学んだことがほとんど役に立たず、看護婦さんからも馬鹿にされる日々が続く。患者さんを診察しても鑑別疾患も浮かばず、「風邪」や「インフルエンザ」や「胃腸炎」などのありふれた疾患の患者を診るとホッとする。良くわからない場合はすぐに上司に丸投げ。
2年目
ありふれた疾患はだいたい診れるようになり、少し珍しい疾患にも興味が出始める。外来をはじめて、入院患者とはまた異なる問題を知る。癌の末期や治療の甲斐なく亡くなられる方もちらほら出てくる。
3年目
一通りの疾患は経験し、逆に風邪やインフルエンザや胃腸炎などに食傷気味になる。さらにマニアックな世界を知るべく専門的な勉強を開始する。大きな手技もだいたい一人でできるようになる。
4年目
研修医の中では上級になり、1−2年目研修医の指導は一通りできるようになる。夜間当直も一人でこなせるようになる。内科認定医の試験を受ける。
5年目
まだ一人前ではないが、ほぼ一人で業務は回せるようになる。そろそろ表だって文句を言う看護婦さんがいなくなる。
6年目
外来・当直・病棟の業務に支障はなく、業務がルーチンになりはじめる。会議や医学書の翻訳など臨床以外の仕事が入り始める。また、新たな刺激を求めて大学院に進学する者もこの前後に多い。
これ以降は、一般病院であれば中堅どころとしてばりばり働くことになり、選んだ専門分野の専門医を目指す。大学院に進学した場合はアルバイトをこなしながら数年研究三昧の日々を送る。
2013年01月23日(水) |
症例検討:20代女性 |
20代女性。
子どものころからのびのびと食べたいものを食べて育ち、結果まるまると育った。保育園卒園前に、担任の先生から「肥満教室」に通うように言われる。小学4年生のときに学内相撲大会で優勝。
小さいころから喘息あり。吸入薬で治療してきた。それ以外は内科的既往歴なし。体の重みに耐えきれずに足首の骨を骨折したことあり。血圧正常、採血異常なし。酒はたまに飲むくらいで喫煙しない。食事は食べたいものを食べる。
昨年8月に、家庭の事情から兄と同居することとなった。兄の作る食事を食べたいだけ食べ続けた結果、2ヶ月で20kg減量。喘息発作もなくなり、現在薬はすべて中止している。
同居時に持って来た服はぶかぶかで着れなくなり、買い直すこととなった。
人間の健康は、食事内容で決まるものだと考えていたが、これほどまでの例は珍しいですね。さて検討を始めていきましょう。
1.朝食は中止。野菜ジュースを軽く飲む程度に変更した。 2.昼食は弁当。炭水化物を中心に、お米+適当なおかず。 3.夜は魚・豆腐主体。量に制限はなし。炭水化物は摂らない。 4.喘息対策として、ω3系の油脂を摂食的にメニューに入れた。逆に、ω6系はできるだけ摂らないように。 5.「酸化した油」は摂らないように、揚げ物は中止。炒め物もできるだけ減らして、煮物と蒸し物が中心。 6.タンパク質は魚と豆類で摂る。鶏と豚肉も使うが、煮るか蒸すかで使用。 7.加工食品は使用しない。野菜もできるだけ皮をむかない「ホールプラント」で使用。
運動量は特に変化なし。夕食も制限なし。これで減量にも成功し、喘息もなくなりました。めでたしめでたし。
ポイントは「加熱した油を取らないこと」「人間の自然なリズムを知ること」「できるだけ不自然なことはしないこと」ですね。では解説していきましょう。
1.ほとんどの人間は夕食をしっかり食べると思いますが、ここで得たカロリーはどこで消費するのでしょうか。夜の生活で消費? そんなに毎日頑張っているのですか? 夕食で得たエネルギーはほとんど消費されることなく、体の隅々に蓄えられるのです。たいていの方は夕食の後はゴロゴロして寝るでしょう。コレステロールなどの合成も夜中に活発に行われます。したがって、起床事は胃の中は空っぽですが体中の細胞はエネルギーに満ち溢れています。この状態で新たなエネルギーを注ぎ込む必要はありません。余分なエネルギーになり、さらにため込まれるだけです。したがって朝食は不必要です。
2.午前中労働をすると、夕食分からため込まれていたエネルギーが消費されます。中でもガソリンに相当する炭水化物が必要になりますので、昼食は炭水化物中心に食事を摂ります。ここで得たエネルギーは午後の労働に必要です。
3.夜は労働の必要はありませんので、ガソリンは要りません。炭水化物は吸収に当たり、完全に糖類に分解されてから吸収されますので、米を食べるときは常に「同量の糖分を食べている」と意識された方がよいでしょう。したがってたんぱく質中心のメニューとなります。たんぱく質もいろんなたんぱく質がありますが、できれば脂肪酸の関係からは魚及び豆類が最もよいでしょう。
4.喘息とは気管支の慢性炎症を来している病態です。炎症を起こす物質は、アラキドン酸由来です。ω6系の不飽和脂肪酸はアラキドン酸の原材料になりますので、できれば避けましょう。逆にω3をたくさん取ることで喘息の予防になります。
5−7.だんだんめんどくさくなってきました。またの機会にさせてください。
兄はストレスのきわめて多い職場で食事時間も不規則で、食べれるときにさっさと加工食品や弁当を食べるという生活をした結果、高尿酸血症・高脂血症・血圧もやや高め、血糖値も上昇しましたが、上記のような食事に変えた結果すべて改善しました。
ただし体重は変わりません。これはアルコール摂取が多いためだと考えられます。ただし肝機能は正常です。
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