解放区

2013年01月27日(日) 久しぶりにのんびり。

先週は出張(ちょっと違うが)だったため振り替えた仕事などがあり、また出張前後もタイトなスケジュールだったため珍しくずっと仕事している状態だったため、この日は久し振りの完全オフ。存分に寝て充電完了。

こっちに帰ってきてからは冬の寒さにうんざりしていた。去年は防寒カーテンやなんやかんやと工夫してみたが全く寒さを防げず、「着る毛布」を室内着にしても寒さが肌に染み込み、これは二重窓や本格的なリフォームが必要かとうんざりしていたが、ガスファンヒーターの導入で意外と家じゅうがポッカポカになった。残念なことにガス代がとんでもないことになっているが正直仕方ないな。ほんまに命削る寒さやった。ガス最強。



2013年01月24日(木) ある内科医師の道程

1年目

学校で学んだことがほとんど役に立たず、看護婦さんからも馬鹿にされる日々が続く。患者さんを診察しても鑑別疾患も浮かばず、「風邪」や「インフルエンザ」や「胃腸炎」などのありふれた疾患の患者を診るとホッとする。良くわからない場合はすぐに上司に丸投げ。

2年目

ありふれた疾患はだいたい診れるようになり、少し珍しい疾患にも興味が出始める。外来をはじめて、入院患者とはまた異なる問題を知る。癌の末期や治療の甲斐なく亡くなられる方もちらほら出てくる。

3年目

一通りの疾患は経験し、逆に風邪やインフルエンザや胃腸炎などに食傷気味になる。さらにマニアックな世界を知るべく専門的な勉強を開始する。大きな手技もだいたい一人でできるようになる。

4年目

研修医の中では上級になり、1−2年目研修医の指導は一通りできるようになる。夜間当直も一人でこなせるようになる。内科認定医の試験を受ける。

5年目

まだ一人前ではないが、ほぼ一人で業務は回せるようになる。そろそろ表だって文句を言う看護婦さんがいなくなる。

6年目

外来・当直・病棟の業務に支障はなく、業務がルーチンになりはじめる。会議や医学書の翻訳など臨床以外の仕事が入り始める。また、新たな刺激を求めて大学院に進学する者もこの前後に多い。

これ以降は、一般病院であれば中堅どころとしてばりばり働くことになり、選んだ専門分野の専門医を目指す。大学院に進学した場合はアルバイトをこなしながら数年研究三昧の日々を送る。



2013年01月23日(水) 症例検討:20代女性

20代女性。

子どものころからのびのびと食べたいものを食べて育ち、結果まるまると育った。保育園卒園前に、担任の先生から「肥満教室」に通うように言われる。小学4年生のときに学内相撲大会で優勝。

小さいころから喘息あり。吸入薬で治療してきた。それ以外は内科的既往歴なし。体の重みに耐えきれずに足首の骨を骨折したことあり。血圧正常、採血異常なし。酒はたまに飲むくらいで喫煙しない。食事は食べたいものを食べる。

昨年8月に、家庭の事情から兄と同居することとなった。兄の作る食事を食べたいだけ食べ続けた結果、2ヶ月で20kg減量。喘息発作もなくなり、現在薬はすべて中止している。

同居時に持って来た服はぶかぶかで着れなくなり、買い直すこととなった。


人間の健康は、食事内容で決まるものだと考えていたが、これほどまでの例は珍しいですね。さて検討を始めていきましょう。

1.朝食は中止。野菜ジュースを軽く飲む程度に変更した。
2.昼食は弁当。炭水化物を中心に、お米+適当なおかず。
3.夜は魚・豆腐主体。量に制限はなし。炭水化物は摂らない。
4.喘息対策として、ω3系の油脂を摂食的にメニューに入れた。逆に、ω6系はできるだけ摂らないように。
5.「酸化した油」は摂らないように、揚げ物は中止。炒め物もできるだけ減らして、煮物と蒸し物が中心。
6.タンパク質は魚と豆類で摂る。鶏と豚肉も使うが、煮るか蒸すかで使用。
7.加工食品は使用しない。野菜もできるだけ皮をむかない「ホールプラント」で使用。

運動量は特に変化なし。夕食も制限なし。これで減量にも成功し、喘息もなくなりました。めでたしめでたし。

ポイントは「加熱した油を取らないこと」「人間の自然なリズムを知ること」「できるだけ不自然なことはしないこと」ですね。では解説していきましょう。

1.ほとんどの人間は夕食をしっかり食べると思いますが、ここで得たカロリーはどこで消費するのでしょうか。夜の生活で消費? そんなに毎日頑張っているのですか? 夕食で得たエネルギーはほとんど消費されることなく、体の隅々に蓄えられるのです。たいていの方は夕食の後はゴロゴロして寝るでしょう。コレステロールなどの合成も夜中に活発に行われます。したがって、起床事は胃の中は空っぽですが体中の細胞はエネルギーに満ち溢れています。この状態で新たなエネルギーを注ぎ込む必要はありません。余分なエネルギーになり、さらにため込まれるだけです。したがって朝食は不必要です。

2.午前中労働をすると、夕食分からため込まれていたエネルギーが消費されます。中でもガソリンに相当する炭水化物が必要になりますので、昼食は炭水化物中心に食事を摂ります。ここで得たエネルギーは午後の労働に必要です。

3.夜は労働の必要はありませんので、ガソリンは要りません。炭水化物は吸収に当たり、完全に糖類に分解されてから吸収されますので、米を食べるときは常に「同量の糖分を食べている」と意識された方がよいでしょう。したがってたんぱく質中心のメニューとなります。たんぱく質もいろんなたんぱく質がありますが、できれば脂肪酸の関係からは魚及び豆類が最もよいでしょう。

4.喘息とは気管支の慢性炎症を来している病態です。炎症を起こす物質は、アラキドン酸由来です。ω6系の不飽和脂肪酸はアラキドン酸の原材料になりますので、できれば避けましょう。逆にω3をたくさん取ることで喘息の予防になります。

5−7.だんだんめんどくさくなってきました。またの機会にさせてください。


兄はストレスのきわめて多い職場で食事時間も不規則で、食べれるときにさっさと加工食品や弁当を食べるという生活をした結果、高尿酸血症・高脂血症・血圧もやや高め、血糖値も上昇しましたが、上記のような食事に変えた結果すべて改善しました。

ただし体重は変わりません。これはアルコール摂取が多いためだと考えられます。ただし肝機能は正常です。



2013年01月16日(水) またまた自炊とか父の友人とか。

先日、突然父の友人が訪ねてきた。今の住所に転居してから初めてのことだ。年賀状の住所を頼りに来まして、と彼は言った。

もともと父がかかわっていたイベントがあり、それが長年続いていることから記念品を作ったので持ってきたとのこと。父も大層喜んでおり、てめえも楽しそうに再会を喜ぶ二人を見てなんだか久し振りにほっこりした。

それで済めば良かったのだが、話を聞きつけた別の友人がまた訪ねてこられた。大変申し訳ないがちょっといろいろあり、なんだかややこしいことになりそうだ。

思わぬ副作用もあり。この日以来、まだらではあるが父の記憶力が復活した。今まではあっという間にいろんな出来事を忘れていたのだが、まだらではあるが昨日のことも覚えている。

友人の訪問があった後、父がてめえのところに新聞を持ってきた。「映画名作大全集」みたいな全集DVDが欲しいので買ってくれと。あまりそういうことを言う人ではなかったので、珍しいことを言うものだ、まあてめえも観たい映画がたくさん入っているので買うか、と考えた。この日は他にも色々と忙しかったので、また後日注文するかと思っていたのだが、翌日もその次の日も、「DVD注文してくれたか?」とてめえの言ったことを覚えていたので驚いた。

もちろん次の日には注文した。Amazonが当日配達をしているこの時代に1-2週間かかるとのことだったが、届いたら父の記憶からきれいさっぱり消えているということは避けてほしいな。


自炊が捗っている。年末の時点で1000冊は電子化したので今は1500冊くらいだろうか。kobo touchの容量も2GBから32GBに増量しており、これらの本がすべて入る。まるで本棚そのものを持ち歩いているのと同じだ。

スキャンしたpdfの原本はPCのHDだけではなく外付けHDにもコピーして残してあるが、てめえの家が火災にでもあったらいずれもアウトなので、クラウドに入れることにした。

いろいろ検討したがamazonにクラウドを使用することにした。結果的にはこれがとても良かった。

kindle fire HDは加工したpdfをきれいに読んでくれなかったのだが、原本はきれいに表示してくれた。そもそも原本は容量が大きいのでそのままkindleに入れるつもりはなかったのだが、意外なことにクラウドに入れたファイルはkindleにタイトル表示されており、必要なものだけダウンロードして読むことができた。これは便利。

すでに本棚二つが空になった。実はもう一つ空にしているのだが、こちらはそのまま小物入れとして活用。空いた本棚は母宅に差し上げるつもり。



2013年01月02日(水) 青いターバンの少女

もともと教養のない成り上がり者なので、絵画などの美術関係の趣味はまったくなかった。学校での「美術」は「1」をとったこともあるくらい出来が悪く、高校はお情けで何とか卒業させてもらったようなものだ。著名な絵を見ても、何がよいのか全く分からずに生きてきた。


大学生のころの話。生活のために家庭教師をしていたのだが、その時の教え子の一人が、もともと美術系だったがそっちをあきらめて進学するという子がいた。たいそうできる子で、高校のクラスは理系ではなかったが最終的には医学部に進み、今は医者をしている(はず。国家試験に合格したところまでは知っているがその後は知らん)。

せっかくなので美術の何がよいのか教えてもらおうと思い、受験が終わったら美術館に連れて行ってくれ、そして美術を教えてくれとお願いしていた。

んなわけで受験も無事終了し(徐々に思いだしてきたが、てめえは受験時に学校までついていき控室で最終チェックまでする熱血先生だったわ)、美術館に連れて行ってもらった。その教え子の自宅近くに美術館があった。すっかり忘れてしまったが、著名な画家の展覧会をしていたはずだ。

さすがにいつもと立場が逆転し、てめえは熱心にレクチャーを受けたが全く忘れてしまった。「この色は素晴らしい」「この線はこの人でないと書けない」などと熱心に解説してもらったが「へぇ」程度に終わってしまった。本当に興味がないらしい。むりやり教養をつけるのは無理だと感じた。

そんなてめえだったが、ある日一枚の絵画に邂逅した。フェルメールの「青いターバンの少女(真珠の耳飾りの少女)」だ。この出会いは衝撃だった。残念なことにどこで出会ったのかはすっかり忘れてしまった。

真っ黒な背景に浮かぶ青いターバン。この青さに心を奪われてしまった。「色」が素晴らしいということを、初めて知った。(ちなみにこの日以来、てめえのパソコンのデスクトップは青いターバンの少女である)

それから、フェルメールの絵が来日すれば万難を排して会いに行った。まるで恋に落ちた少年のようだ。

なんとか仕事の都合をつけて沖縄からはるばる会いに行った国立新美術館での「牛乳を注ぐ女」。絵を見るためだけの旅行は生まれて初めてだった。そして初めて生で観た「フェルメールブルー」に感動した。もちろん「青いターバンの少女」のコピーを購入し、額縁に入れて飾っている。

京都に帰ってきてから、娘と観に行った「レースを編む女」。人大杉で小学生の娘は絵を見ることができず、娘を両手で持ち上げたのが懐かしい。

「青いターバンの少女」は、いつかオランダまで会いに行こうと考えていたのだが、マウリッツハイス美術館の改装のために、なんと来日するということになった。これは万難を排しても会いに行かないと。

今回は東京と神戸での展覧会となった。東京まで行くのは難しいので神戸に会いに行くしかないが、以前と違って親父の件などなかなか都合が難しい。

そんなわけで、昨年は都合をつけることができずにあきらめかけていたのだが、急遽いろんな都合がつき、なんとか展覧会終了前の正月明けのこの日に会いに行くことができた。

さすがに1月2日は人がいないだろうと考えていたが、窓口からすごい人だった。入場券はネット購入していたのでてめえはすんなり入場できた。

今回はマウリッツハイス美術館の絵画がまるっと来日していたので、いろんな絵を楽しむことができた。

そしてようやく出会った。正直言葉にならなかった。てめえは長いことその部屋で佇んでいた。

またいつかオランダに会いに行こうと思う。


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