京都で学会があるということで、同級生が集まりプチ同窓会となった。もちろん万難を排して参加する。
昔と同じ顔触れで、飲み会をする店こそ上等にはなったが、話の中身は学生時代と同じ下らない話ばかりで久しぶりに会話を堪能した。みんな偉くなっているはずなのに全然偉くもなく。こういう仲間は極めて大切だと感じる。
場所的には京都駅に近いところが会場だったが、なんとなく夜の風に吹かれて歩いているうちにタクシーに乗りそびれてしまい、家の近くまで歩いて帰ってしまった。さすがに疲れてしまったので近くのラーメン屋に入って一人で飲み直し、タクシーで帰った。とても幸せな夜だった。
4月からは勤務体制が大幅に変わり、いろんな施設にお手伝いに行くことが多くなった。ので、午前と午後の勤務先が同じなのは月に1-2回だけで、あとはひたすらいろんな所を飛び回っている。
というわけで、余裕があるときは移動中に昼食をとる。もちろんラーメンが多いんだな。早いし安いし麺食いだし。
「にぼ次朗」という店がある。正式には違う名前なのだがにぼ次朗の方が通りがよいのでこの名称で続けることにする。
名前の示す通り、最近関西にも進出してきたいわゆる「二郎系」なのだが、大きな違いは出汁が煮干しでとられていることだ。
興味はあったのだが、以前に二郎系の店に行って大変な思いをしたのでなんとなく二の足を踏んでいた。
だが、あらかた興味のあるラーメン屋は回ってしまったので、今回挑戦することにしたわけだな。
さてそのにぼ次朗。麺が300gまでは同じ値段なので、貧乏症のてめえは思わず300gで注文。ていうか券売機のボタンを押した。初めてなのでトッピングコールはせずにどノーマルで試してみる。ニンニクトッピングはないが、そりゃあそうだろう。ニンニク入れたら煮干しがパーになるからな。
やってきたそれは、麺の量や野菜などは予想通り暴力的な量であったが、スープはあっさりと澄んでおり、煮干しの香りがこれまた半端ない。麺もお約束の極太麺。なぜか山の上には数匹の煮干しが鎮座している。
普通の煮干しなのかと構えたが、素揚げしているようでぱりぱりと香ばしくいただけた。スープもあっさりしているためか麺がするすると進み、あっという間に完食。
感想だが、スープは煮干し+鶏と思われる。とにかく煮干し臭が凄い。これは好き嫌いが分かれるだろうと思う。正直上品さはないが、ジャンク度は高くなくこれはこれでてめえ的にはありだろうなと感じた。
そんなわけでさっそく再訪。今度は「森次朗」という油そばを注文。もちろん脊髄反射で300gの森三朗で、今回は野菜マシ、ニンニクありで。これが予想以上に脂ぎったジャンクな一品で、まあ美味しくいただいたが食後さっそく腹を壊した。森次朗はもうええわ。
他にもカツオだしや煮干し+とんこつもあるので、今度はそれを試すぜぇ。もちろん300gで。ワイルドだろ?
2012年05月10日(木) |
スタンプラリー/神社検定 |
もとは京都検定を受験した時にさかのぼるのだが、1点差で不合格となった最大の原因は神社仏閣であった。とにかく地元民のくせに何も知らない。いや、地元民だから知らないのだろう。
例えば金閣寺。遠方の親戚がやってきたときに案内したくらいである。場所はよく知っているのだが中は入ったことはなく、実際入ってみたが人も多く金閣寺自体は趣味も悪く「へぇ」で終了。
清水寺。大学卒業間際になって初めて訪れた。これまた場所はよく知っており、中に入ったことはないのに駐車場のアルバイトは経験あり。京都を離れるので行っておこうかとようやく訪れた。観光客が多かった。胎内めぐりが意外とよかった。京都検定の勉強をするまで、平安京以前からある数少ない寺であることを知らず。
広隆寺。清水寺と同様平安京以前からある数少ない寺である。国宝や重文もたくさんあり、以前住んでいた家からは徒歩5分であったがついに訪れることはなく。朝夕と通勤時に前を通っていたにもかかわらず。
などなど。なんだかこれは非常にまずい気がしてきたので、神社や寺の勉強をすることにしてみた。
と言っても単に神社仏閣を訪れるだけでは物足りないので、記念にもなるので御朱印を集めることにした。「スタンプラリー」である。
さてどこからはじめようかとさんざん考えたが、京都の一宮でありてめえが生まれたときの氏神様である上賀茂神社からスタートすることにした。オリジナル御朱印帳もあるようだし。
そんなわけで、御朱印帳を片手に神社巡りを開始したところ、なんと今年から神社検定が始まるとのことだったので受けてみることにした。こういうのは日本人として知っておくべきことなんだろうと思う今日この頃。
原発ゼロになったが、街の光は煌々と点いたままだしテレビでも見る価値もない下らない番組を延々と垂れ流している。
本来であれば、電力のあり方などをいろいろ議論するいい機会になったはずだがアホな政府は議論もせずに問題を放置し、電力会社は何をトチ狂ったか原発の再稼働をちらつかせる。アホすぎて涙が出るわ。このまま何も議論せずに夏に停電したらいくら何でも暴動が起きてほしいが、ないだろうな。もはや国全体が思考停止している。
まあいろいろありますけどなあ。
連休に入った途端に体調を崩した。まあ胃腸炎だと思うのだが嘔気と下痢が止まらない。持病である血便もひどくなった。正直ふらふらで、トイレとベッドの往復状態だったのだが、心配した母と妹が鮨を持って家に来てくれた。父は喜んだが胃腸の弱っているてめえに鮨はどうかと思うぞ。まあ好物なもので美味しくいただいたが。鮨食って死んだら本望やな。もしやこれは、家族が用意してくれた花道か。
精神科医療の問題点はいろいろと指摘されていて、てめえは学生の時は「またマスコミは小さな問題を大きくしよって」などと考えていたが、実際に働き始めるとその異常さに気付くことになってしまった。
精神科医療の一番の問題点は、治療の標準化が非常に難しいということにあると思う。内科であれば、例えば糖尿病の治療は血糖値を下げることだし、その為の標準的な治療法もあり、結果の評価も血糖値を測定することにより客観的な評価が可能である。他の医師と違う治療をしていると同僚の医師や患者からたちまち批判されるわけだ。
精神科の治療はそういうわけにはいかない。まず客観的な評価が難しいし、標準的な治療も望めない。こうして適当な治療が幅を利かせる上に、それを批判するすべもなく、治療は精神科医個々の良心にかかっているということになる。
だからせめて単剤で治療しましょうというのは最低限の良心だったのではないのか。てめえはそう思う。
実際に治療現場にいて驚いたことは、精神科のDrは実に変わった方が多いということだ。単に変人だといいのだろうが、どちらかというと患者として治療が必要な人が明らかにいる。また自分の専門分野なのに全く勉強していない人もいる。内科以下ってどういうことやねんと言いたい。
また、内科の立場から言わせてもらうと、身体疾患を全く見れない方が多い。少しでも発熱するとすぐに丸投げ。いや、まだ丸投げの方がましだ。なんとかてめえの施設で頑張られるが、適切ではない抗生剤を使用した挙句、敗血症となって送ってくるのだけは勘弁してほしい。
しかし、内科の患者が精神問題を抱えても、全く診てくれない。そもそも精神科の救急をほとんどしていないので、精神科救急は内科が診ているわけだ。夜中に精神異常をきたされて運び込まれ、数少ない夜勤の看護婦さんを数人がかりで朝までみても、朝になっても引き取ってくれないってどういうことか。
最近精神科医療についての批判的な記事などを目にするようになったが、さもありなんと思う。闇に葬られている突然死や心不全はいっぱいいると思うぞ。
http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=53137
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