<お抱え絵師>京都の寺が公募で復活 25歳が襖絵政策 毎日新聞 3月12日(月)13時57分配信
1404年創建の妙心寺塔頭(たっちゅう)・退蔵院(京都市右京区)で、京都造形芸術大大学院出身の村林由貴さん(25)が約1年前から住み込みで襖(ふすま)絵の制作に取り組んでいる。室町期から江戸期にかけ有力な大名や寺社などに雇われた「お抱え絵師」方式を退蔵院が復活させ、公募で選ばれた。3年がかりで方丈(国重要文化財)の襖絵64面を描く計画だ。
同寺は水墨画の傑作「瓢鮎(ひょうねん)図」(国宝)の所蔵でも知られる。方丈には、桃山や江戸時代に活躍した狩野了慶による襖絵が収められていたが、傷みが進んで現在は取り外して保管している。新たな襖絵の制作を検討するなかで、「高名な画家に発注して高額で買うのではなく、文化財を創り出す若い人材を育てたい」と、現代では絶えた「お抱え絵師」を着想した。昨年1月に公募すると約30人から問い合わせがあった。作品審査や面接を重ね、鉛筆画やアクリル画などの分野で活動してきた村林さんの技術と意欲を買った。
村林さんは昨年4月から同寺で暮らす。作品への対価はないが、食事や画材に加えて給料も受け取る。一方、掃除や行事の準備など寺の仕事や、早朝の座禅修行も行っており、松山大耕副住職は「禅の心を理解したうえで制作してほしい。かつての寺院は芸術家を育てた。再びそのモデルケースになれば」と期待を寄せる。
村林さんは、水墨画を描いた経験や仏教の知識はほとんどなかったが、寺院を回って襖絵を見学するなど勉強を重ねた。先達の作品を目の当たりにし、「筆を持つと手が震えた」時期もあったが、「昔と同じ絵を描いても仕方ない」という松山副住職の言葉に背中を押され、2月から本格的に絵筆を握った。
現在は別の塔頭に収める襖絵を描いている。今後、方丈の襖絵の下絵を描き、認められれば13年秋の完成を目指して制作に入る。村林さんは「チャンスをもらえてありがたい。見る人の心に語りかけるような作品にしたい」と話している。【田辺佑介】
◇お抱え絵師
大名や寺社など有力者の庇護(ひご)を受けて障壁画などを手がけた絵師で、御用絵師ともいう。代表例の狩野派は、室町幕府の将軍、足利義政に重用された狩野正信を祖とし、織田信長や豊臣秀吉など時の権力者の下、日本の美術に多大な影響を及ぼした。
退蔵院 襖絵プロジェクト
久し振りに新聞記事に感動したので転載。琵琶湖疏水事業を手がけた田辺朔郎も20代での抜擢だった。京都という街では、時にこう言ったことが行われてきている。こういった歴史のある保守的と思われる寺で、若い人を抜擢するのが素晴らしい。街にそういうパワーがないと1000年の都として存在することはなかったのだろうと思う。完成した暁には是非観に行きたいと思う。
母の病状は思った以上に早く回復を見せた。早ければ今週中にも退院の見込みらしい。まあ今回はめでたく回復できて本当に良かったが、考え直せば今後は何が起きてもおかしくないということだな。もう両親もいい年になったということだ。
急にいろいろと忙しくなったので、なかなか自分の時間が取れない。確定拠出年金の件も資料を取り寄せたがいまいちピンとこない。
いったん暖かくなってすごしやすくなったと喜んでいたが、また寒さがぶり返し今朝は季節外れの雪が舞っていた。本当に勘弁してほしい。来年の冬対策を今から考えておこうと思う。古い家を購入したせいかどこからか冷たい空気が入り込んでくる。予算の問題もあるので、まずはガラスの入れ替えかな。
ちょっとしたきっかけで漢方を勉強するようになったのだが、実際に使ってみると思った以上の効果があったため今どっぷりとはまってしまった。自分も京都に帰ってきてから毎年花粉症に悩まされているのだが、今年は早めから小青龍湯を飲むようにしたら今までと比べ症状が楽なようである。このまましばらく続けてみようと思う。初めはあの独特の酸っぱさにうんざりしたが慣れればないとさみしいような気もする今日この頃。
2012年03月02日(金) |
母の病状/確定拠出年金 |
嫌な予感しかしなかった母の病状だが、ここの所落ち着いてきた。食事もとれるようになってきたようで一安心。とりあえず最悪の事態は避けられた様子。今日ははじめて検査値も改善していた。
南の島で働いていた時は、毎日があり得ないくらいの激務だったが給料もそれなりによかった。かといってまたあの生活に戻ることはあり得ない。
給料は良かったが、自炊する時間もなかったためほぼ毎日外食していた。仕事が終わった深夜に後輩を連れて食事に行くことも多かったので、給料の多くは外食費に消えた。今思うと、少しでもその費用を資産運用にしていれば、と思う。していれば、給料が激減した今の暮らしももっと楽になっていただろう。
日本の教育に大きくかけていることは二つあると思う。financialな教育と医学的な教育である。これについて詳しくはまた別の機会にまとめようと思う。
考えてみれば不思議な話で、高校まで経済の勉強を全くしないのにもかかわらず経済学部に進学する人がいる。医学部もそうだが、生物選択者はある程度の勉強はしている。高校までの教育と大学でのそれに解離を感じるのはてめえだけだろうか。
経済について全く勉強しないので、資産運用については自分で勉強するしかないわけだ。日本人の多くは資産運用のほとんどを預金にしているのも理解できる。
てめえはいろいろ勉強してみたがよくわからず、実際にいろいろ試してみることとした。まずは株式をいろいろ買ってみた。最低単元分しか購入しなかったが、おかげでいろいろと勉強になった。買ったものは持ち続けているが、新しく買い増す予定は今のところない。ある程度の資金がないと意味がないことがよくわかった。
現在のところ、続けているのは積立投信のみである。これが一番リスクに対するリターンが多いと思われる。投信もいろいろ買ったがやっぱりインデックスファンドが一番良い。日本のは終わっているし今後も悲惨な方向しか考えられないので、海外インデックスが一番良いだろうと思う。これに関しては今後も粛々と積み立てていく。
今日出勤前にたまたまネットで(本当にたまたま)確定拠出年金を知った。ある程度financialなことについては勉強していたつもりだったが全く存在を知らなかった。今後も粛々と投信を積み立てていくのなら、確定拠出年金で積み立てていく方がはるかに良い。というわけで、さっそくいくつか資料を取り寄せることにした。
間違いだらけの401k運用指図
はっきり言って確定拠出年金の運用に関しては投信以外に選択肢はないと思うのだが、預金を選ぶ人がいることに驚いた。いる、だけではなくそれが主流というか多数派ということに驚く。長期的な運用であればインデックスファンド積立投信が最強であることは少しでも勉強すればわかることだと思っていたが。てめえの大切なお金を運用するのだから少なくともドルコスト平均法を理解しなさい。ていうか「ウォール街のランダム・ウォーカー」嫁。
母が緊急入院した。前の週まではぴんぴんしていたのだが、ここ数日で体調を崩した様子。それでも普通に仕事していたのだが、たまたま予定されていた健診であり得ないほどぶっとんだ数値が出たためそのまま緊急入院となった。
ちょうど仕事が終わって帰り支度していた時に連絡が入ったので、そのまま病院に向かった。いろんな事情がありその病院での入院ではなく、他の病院へと紹介となったのだが、待合室に座っていた母は意外と元気そうだった。
診察室に案内されて検査結果を聞いたがマジでシャレにならない状態だった。そうなってしまった原因は今のところ不明で、てめえもいくつか病気が思い当たるのだが確定するにはいろんな検査が必要となる。
本人は「もうこれまで。私は死ぬのに違いない」とやたら悲観的だったので思わず笑い飛ばしてしまったが、やはり生みの親でもありてめえの目が笑っていなかったことはすぐに理解された気がする。
入院してから連日検査を行っていただいているが、日々悪化している。原因の方もいまだ不明。なので本格的な治療はまだ開始されず。なんだか嫌な予感しかしないのだが。
ようやく暖かくなってきた。これほどに春が待ち遠しかったことはない。自分も齢を取ったものだと思う。
今日も仕事上とても残念なことがあった。ほんまに心が折れそうだが、今は勤務体制がかなり軽減されているおかげかもう少し踏ん張れそうだ。
「権利をはき違えている人たち」はそんなに多いわけではないが、実感としては地域差はある気がする。
初めに勤務したところは、本物の田舎だったので権利意識もくそもなかった。それはそれで困ることもあったが、おおらかなところだった。
次に勤務したところは一転してまあ高級住宅街というか、知的エリートの多い場所で、例えばあらかじめネットなどで情報をいろいろ入れてから来る人も多かった。一定の知的レベルの方々はとても意思疎通がしやすかったのだが、中には残念な方もおられた。「権利をはき違えている人たち」を初めて意識した。
次に勤務したところは、知的エリートとその真逆の人たちという両極端な方々がいる場所で、今度は前者は問題にならず、後者の人たちに問題が多かった。世の中にはいろいろあるものだと思う今日この頃。
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