解放区

2012年02月27日(月) 母入院。

母が緊急入院した。前の週まではぴんぴんしていたのだが、ここ数日で体調を崩した様子。それでも普通に仕事していたのだが、たまたま予定されていた健診であり得ないほどぶっとんだ数値が出たためそのまま緊急入院となった。

ちょうど仕事が終わって帰り支度していた時に連絡が入ったので、そのまま病院に向かった。いろんな事情がありその病院での入院ではなく、他の病院へと紹介となったのだが、待合室に座っていた母は意外と元気そうだった。

診察室に案内されて検査結果を聞いたがマジでシャレにならない状態だった。そうなってしまった原因は今のところ不明で、てめえもいくつか病気が思い当たるのだが確定するにはいろんな検査が必要となる。

本人は「もうこれまで。私は死ぬのに違いない」とやたら悲観的だったので思わず笑い飛ばしてしまったが、やはり生みの親でもありてめえの目が笑っていなかったことはすぐに理解された気がする。

入院してから連日検査を行っていただいているが、日々悪化している。原因の方もいまだ不明。なので本格的な治療はまだ開始されず。なんだか嫌な予感しかしないのだが。



2012年02月20日(月)

ようやく暖かくなってきた。これほどに春が待ち遠しかったことはない。自分も齢を取ったものだと思う。

今日も仕事上とても残念なことがあった。ほんまに心が折れそうだが、今は勤務体制がかなり軽減されているおかげかもう少し踏ん張れそうだ。

「権利をはき違えている人たち」はそんなに多いわけではないが、実感としては地域差はある気がする。

初めに勤務したところは、本物の田舎だったので権利意識もくそもなかった。それはそれで困ることもあったが、おおらかなところだった。

次に勤務したところは一転してまあ高級住宅街というか、知的エリートの多い場所で、例えばあらかじめネットなどで情報をいろいろ入れてから来る人も多かった。一定の知的レベルの方々はとても意思疎通がしやすかったのだが、中には残念な方もおられた。「権利をはき違えている人たち」を初めて意識した。

次に勤務したところは、知的エリートとその真逆の人たちという両極端な方々がいる場所で、今度は前者は問題にならず、後者の人たちに問題が多かった。世の中にはいろいろあるものだと思う今日この頃。



2012年02月17日(金) 飲み会。世界中の子どもたちに。

父の食事を用意して後は寝るだけの状態にして、珍しく飲み会に。以前指導させてもらった方と。久しぶりにビールあほほど飲んだ。元気そうでなにより。今後のますますのご活躍をお祈りしていますぜ。

さんざん酔っぱらって外に出たら京の町に雪が積もっていた。タクシーで帰宅し、爆睡。しばらく酒を飲まなかったせいかよくまわる。もうしばらくアルコールはええわ。

春のボーナスの使い道だが、スピーカーと残りは募金することにした。
世の中の不公平さが少しでも平らになりますように。
世界中のこどもたちが元気に育ちますように。

ラオスのこども

世界の子どもにワクチンを 日本委員会



2012年02月16日(木) 元義父の通夜

というわけで、かつてお世話になった「元義父」の通夜に行ってきた。かつて「兄さん」と呼んでいた元義兄も、元義弟君も全然変わっていなかった。一通り挨拶をして、直前まで元気にされていたのは、逆に本人にとって良かったと思いますよ、とてめえは言った。


確定申告済ませた。書類は一式封筒に入れていったが、封筒はいらなかった。来年はクリアファイルに入れて持っていこう。わずかだが還付金が発生するので、小さな春のボーナスにしよう。料理する時に台所で音楽を聴くときのスピーカーを買おうと考えている。もちろんbluetooth対応にするつもり。iphone側で操作できるので便利この上ないが、本当に便利な世の中になったものだと思う。

子供の頃には、21世紀の予想図と言えば、車が宙を飛ぶイメージだった。漫画の世界だが、そのころに電話が個人で携帯できて音楽が聞けて、しかも無線でスピーカーに音を飛ばすなんてまったく想定外だったわけで。

IT前後をある程度の年齢になってから経験しているのは30代以降で、20代はもう気が付いたころからインターネットや携帯電話があったわけで。40代以上は社会に出てからIT化に出会っているわけで。自宅の電話で友人と遊ぶ約束をしていてそれがポケベルに代わって、ポケベルでショートメッセージを打てるようになって携帯電話が出現して、というのを思春期から経験しているのはある意味貴重な年代だと思う。

最近、今30代くらいの世代に思いを馳せることが多い。上記のようにIT前後を知っている世代。バブルの後を生きてきて、美味しい思いを全くせず何をするにもしんどい思いをした世代。スポーツでも日本の枠を出て世界に羽ばたきだしたのはこの世代だ。野球ではイチローや松井、サッカーでは中田など。

「30代」のパズル

リアル30’s:働いてる?


今日は暖かい一日だった。新しい仕事にも少しずつ慣れてきた。まあなるようにしかならんと思うわけで。てなわけでもうすぐ春やん。



2012年02月10日(金) 亡くなられたことや胃瘻とか

以前に親しくしていただいていた方が亡くなったとの連絡があった。昨日までは元気だったが、今日風呂場で亡くなっていたのを発見されたらしい。直近まで元気にしていただけに家族としてはやりきれないというか納得いかないのだろうが、「ぽっくり逝った」ということで本人としては良かったのだろうと思う。長く患って真綿で首を絞めるように悪くなっていくのだけは、てめえでも嫌だ。そんな人をたくさん見てきた。

石原氏が胃瘻についてエイリアン発言をして波紋を広げているが、どうして政治家は意味の分からない比喩をしようとするのだろうか、と思う。きっと救いがたいほどにアレなのだろう。

そんなてめえも胃瘻に関してはネガティブであるが、それにしても石原発言はどうだろうか。

結局問題は、自分の意志もはっきりしないような寝たきりの人が胃瘻で生かされていることを批判したかったのだろう。それに関しては全く同意できる。「真綿で首を絞める」よりも残酷だと思っているからである。

胃瘻の適応に関しては、自分の意志で「胃瘻を作ってほしい」と表示できる人だけにすべきだと考えている。現在は、ほとんど家族の意志で胃瘻造設されている。極めて不自然な状態となっている。

てめえは、自分のことに関しては、口から食事がとれなくなれば生物として終わりだと思っているので、どんな状態になろうが(きわめて一部の例外を除けば)自分に胃瘻を造設することだけはやめてほしいと思っている。

しかしてめえもたくさん胃瘻患者を作ってしまった。その多くは、自分の意思が表示できない方で、家族がなにがしかの希望を持って強く胃瘻造設を希望されたケースであり、次に多かった理由は、胃瘻造設しないと施設が受け入れしてくれないからだった。自ら希望された方はたった一人だった。

家族が希望されるケースに関しては、現状の認識に問題のある場合が多かった。例えば、胃瘻を作れば元気になって食事がとれるという誤解。もちろんそういう方もいることはいるが、稀であり、ほとんどは亡くなるまで栄養は胃瘻に依存する。もう一つは、誤嚥が減るという誤解。減らないということは証明されているのに。

胃瘻を作らないと施設に入れないというのはいわば常識だが、それはそれで大きな問題だろう。

いずれにせよ問題は医学的な適応を超えてもはや胃瘻が存在していることにある。いまから適応を見直すことは容易ではないと思われるが、せめて不要な胃瘻造設はしないようにしたい。


確定申告の書類を修正した。父の国民健康保険が控除されるとは知らなかった。これで還付金が少し増える。


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