解放区

2012年01月24日(火) 断酒

正月休みが明けてから、ばったり酒を飲まなくなってしまった。こんなことはてめえが成人してから初めてだ。

大学生の時に一度、意識的に酒を抜いたことがあった。どうしてそんなことになったのかは忘れてしまったが、たちまち甘いものに目がなくなってしまったことは覚えている。ただし続いたのはほんの2-3日で、その後はそれまで通りの酒浸りにあっさり戻ってしまった。

てめえが常に飲酒するようになったのは中学1年生のころだった。母が家を追い出され、妹がそのあとを追いかけて子供はてめえ一人になってしまい、なんだかどうでもよくなっていろんなことに手を出した。他のことは続かなかった(続かなくてよかった)が飲酒だけは続いた理由は、単純に酔い加減がよかったことと、美味かったことにあると思う。

思えば最初に手を出したのは、台所に置いてあった祖母用の「赤玉」だった。ただしこれは甘いのですぐに飽きてしまった。そのころてめえは家業の手伝いとか中学生の分際で新聞配達のバイトなどをしていたので小金があったため、自分で自分の飲む分を買うことにした。

ビールは苦いしアルコール分も低く、また冷蔵庫での保管が必要となるので手を出さなかった。この苦味がよいと思えるようになるまでまだ年月がかかった。

日本酒は不味いうえに悪酔いするのでこれもまたすぐにやめた。なんでそんなことになるのだろうといろいろ調べて、それが日本酒に添加されている「醸造用アルコール」及び「糖類」に起因するものだと知るのはもう少し後のことである。それ以降てめえは純米酒しか飲まない。そもそも純米酒以外は日本酒と認めたくない。たとえそれが大吟醸であってもだ。アルコール添加したワインなど存在しないのと同じ理由である。

結局当時入れ込んだのは焼酎だった。当時は芋焼酎がとても安かったので、いつも芋焼酎ばかり飲んでいた。一部のマニアや金のないプロレタリアート以外は好んで芋焼酎を飲んでいなかったのだろう。気が付くと芋焼酎のブームが到来しいい値段で取引されるようになったが、てめえは今でも芋焼酎を飲むと、あの何とも言えない悲しい中学生時代を思い出す。


仕事を始めても、飲酒量は減るどころかストレスに比例して増加した。皆がよく飲む地域であったことに加え、あまり知られていないことだがかの南の島は日本本土と酒税制度が違うらしく安くで酒が手に入った(泡盛の新酒であれば1升1000円以下である)。当直の日以外は毎日よく飲んだ。当直明けは浴びるように飲んだ。


アルコール中毒患者が体調を崩す時は、「酒がのめなくなった」という訴えでやって来る。その場合、黄疸が出ていることも多く予後も悪い。てめえもそろそろ年貢の納め時なのかもしれないとふと思ったが、黄疸もなく手も震えない。今回は意識的に断酒したわけではなく、気が付くと飲まなくなっていた。なぜか欲しいとも思わないのが自分でも不気味だ。なんてこった。



2012年01月23日(月) 解放

今日でひとつ仕事の区切りがついた。とても解放された気分だ。例えて言うならば夏休みに入る前日の夜のような気分だ。

橋下大阪市長が知事を退任した次の日に、ツイッターで「普通の生活の寝起きって言うのがどれだけ最高のことなのか。痛感しました。」とつぶやいていたが非常によく理解できる。いつも職場からの緊急連絡を気にして携帯電話を枕元に置いて眠りにつき、少しの物音でもすぐに目を覚ます。という風に24時間緊張を強いられているわけだ。

心の底からリラックスできるのは、絶対に連絡が来ない休暇中、および学会出張中だけだった。皆が面白くもない学会にこぞって参加するのはこういう理由があるからだろうと思う。以前の勤務先では学会参加は自費だったが、それでも皆こぞって参加していた。

というわけで、今日は起きるまでぐっすりと眠る。



2012年01月22日(日) 友人と飲み会

大学時代の友人たちと飲み会をした。久しぶりに楽しい時間を過ごしたわけだが、驚いたことがあった。それは、彼らの中には大学院生がおり、そうでないものもてめえを除いて皆大学院への進学を予定していたことだ。

もともととても優秀な方々なので、今までの経験をもとに大学院に進んで研究を行い、さらに世界へ貢献されるだろう。それはそれで素晴らしいことなのだが、話を聞いていた感じではそんな積極的な理由ではないらしい。どうやら「臨床に疲れた」ので一休み、といった印象を受けた。

てめえは大学院に進む気は全くないが、その理由を挙げてみる。まず第一に、研究する気がない。これでほとんど詰んでいる。研究に没頭するのは優秀な人たちでよい。凡人はただ時間を浪費するだけであるし、そもそも研究好きでないとやってられない。一体どれだけの研究が、最終的に人々の役に立っているのだろうか。もちろん裾野が広くないと良い研究は生まれないが、大変申し訳ないがてめえは研究に没頭する気は全くない。テーマすら思いつかない。

医学系の研究というと、基礎医学と臨床医学に分かれる。前者は医学の土台を調べるもので、基本的には全く臨床から離れる。医学部でない理系のラボと基本的には同じである。後者は臨床を行いながらの研究となる。多くの人が進むのはこっちである。

大学院に入学するのはとても簡単で、基本的に手を挙げるだけでよい。特にその大学の卒業生であればまず落ちることはない。なぜならば、(てめえの出身校の場合)募集定員が学部生より多いからである。

入学したら学生なので授業料を払う。といっても、大した授業があるわけではない。多くの教室では、大学院のはじめの1-2年は病棟での仕事をすることになる。学生なので恐ろしいことにただである。さらに恐ろしいことに外来を持たされることもある。しかも当然だが大学病院の。

これでは食べていけないので、休日や夜間にアルバイトをすることになる。もちろんコンビニバイトをするわけではなく、当直や外来のバイトをする。夜中に病院を受診すると、日中には見たこともない、その病院のこともよく理解していない医師が出てくることがあるがあれはバイトの大学院生である。

結構悲惨な生活ではあるが、それをわかっていても大学院生になるものが減らないのは、それほど日常勤務がつらいからだと思っている。要は一時期のモラトリアムを得るために大学院に行く。大学院生活にはまって立派な研究者になるものもいるし、研究では食っていけないことをあらためて理解して過酷な現場に戻ってくる者もいるということだ。

仕事に疲れたのであれば、仕事を減らしてはどうか、とてめえは至極当たり前の提案をした。が、みなさん真面目なのかやっている以上は全力を尽くすのだろう、てめえの提案を受け入れる友人はいなかった。てめえがおかしいのだろうか。よくわからんが、世間一般的な考えとしてはてめえの方が近いと思うがいかがでしょうか。



2012年01月19日(木) 最近読んだ本

「心にナイフをしのばせて」

1969年春に横浜の高校で起きた、同級生による殺害・首切り事件。被害者の家族の視点から描いたノンフィクションである。被害者の母は事件後寝たきりになり記憶も失い、妹も人格が変わり、父はじっと一人で耐えた。加害者は少年に入った後は少年法に守られてその後を追うことが難しかったが、著者により、少年院を退院した後大学に入り、現在は弁護士として活躍されていることが判明する。

最後まで一気に読んでしまったが、本当に事実とは奇なるものだと感じた。加害者家族は被害者家族に賠償金も払わず、加害者本人も払う気がなさそうだった。

「更生」とはなんなのだろうかと思う。少年法の理念に照らせば、この加害者は見事に更生した例になるだろう。だがなんだろうこの割り切れなさは。この本を読んだ多くの人もこの割り切れなさを抱えざるを得なかったようで、amazonのレビューにはいろんな意見が書かれている。

では、どうすればよかったのか? 少年院を退院した後はそれこそひっそりと世間の片隅で出家でもして生きていればいいのか。

もしくは、罪に見合った刑罰がなされていないからか。懲役15年くらって出た後に弁護士になれば誰も文句言わないのか?

いろいろ考えているが、まったく答えが出ない。




「A3」

ようやく読み終えた。読む前と後で、かなり教祖に対する意識が変わってしまった。それまでは「教祖の皮をかぶった俗物」と考えていたが、そんな単純な人物ではなかったようだ。

かくれんBOXにお湯入れて 3分たったらはい出来上がり
私はケッサク宗教家 メロンが大好き教祖様



てめえが学生の時に作った恥ずかしい曲である。歌い出しだけ覚えていてあとは忘れてしまったが、正直上記のような認識だったわけだ。

裁判の様子を新聞で読んでいても、とてもじゃないが最終解脱者とは思えないものだった。そもそも第6サティアンの隠れ部屋に隠れていただけでも解脱者ではないとわかるわけだ。ただしこれらの報道はどこまで正しいのだろうかとふと思う。

彼は監獄の中で本当に最終解脱してしまったのかもしれない。解脱するということは、この俗なる世界からアナザーワールドに導かれることだと勝手に解釈しているだが、まさしく彼はアナザーワールドの住人になってしまった。概して宗教家とはそんなものかもしれんが。彼とか彼とかも、現代社会に生きていれば間違いなく統合失調症と診断され治療されていただろうし、治療されていたら宗教家ではなかったはずだ。


もう少しまじめな話をしてみよう。医学的には、明らかに放置していけない病態ではないだろうかと思う。鑑定を行った医師はクズである。最終的には吊るされることになるのだろうが、それまでのプロセスはどうでもいいのか。

奇しくもマンジュシュリー・ミトラ村井氏を殺害した徐氏のブログでは、拘禁反応ではないかと書かれていた。きっと通ってきたものにしかわからないものがあるのだろう。

いろいろ思ったことがあるが、全くまとめられず今日はこの辺で。




2012年01月18日(水) 友人のこととか仕事のこととか。

以前に自殺未遂した友人から恐ろしく久しぶりにメールが来た。なんとこの度結婚を考えているそうな。まあ人生の墓場に望んで片足を突っ込むのはその人の勝手というか好き好きだが、そんなあなたはついこないだモバゲーで出会った女性に振られて自殺未遂してなかったか。一体それがいつのことだったかいなと考えた。こんなときに日記はとても便利で、辿ってみると彼が大騒ぎしていたのは昨年の10月だった。まあどうでもええわ。

正直なところ、良い人を見つけて落ち着いていただくのが一番いいのだが、下手すると結婚が「終わりの始まり」になる可能性も秘めているわけだな。まあてめえも相手の人もどんな方か全く知らんわけだ。そんなこんなをなんぞてめえに相談したいそうで、てめえも多少の興味はあるので一度話を聞きに行ってこようと思う。


仕事にうんざりしてしばらく経つ。どうしてこうなったのかは、いつか落ち着いてからまとめようと思う。とにかく廃人になる前に廃業しようと思い立ち、職場にもその旨話していたのだが、このご時世でもちろん引き留めにあい、信じられないくらいに便宜を図っていただき、なんとなく辞められなくなりずるずると仕事を続けている。仕事量は驚くほど減った。5時には家に帰れるなんて、数年前には全く考えたこともなかった。そんな仕事ではないと固く信じていた。

そんなところに別の職場での大きな仕事の話が入ってきた。だからやめたいって言っているはずなのに、などと思いながら(もう言わなくなってしまった)、いろんな経緯やいろんな人の想いなどを思い出してまた断れず。なんてこった。

どうでもいいが給料も激減した。時間外が全くなくなったためで、年収で200-300万は減ったな。仕事量が減ったのは年度途中からなので、このままいけば来年はさらに給料が減るだろう。そのかわりストレスや肉体的精神的負担も激減した。どちらがいいのかって、そりゃあ今の状態の方がいいに決まっているでしょう。当直なんてお金払ってでもやりたくないと思っていたし、今もその気持ちは変わらない。


 < 過去  INDEX  未来 >


い・よんひー [MAIL]

My追加