解放区

2012年01月22日(日) 友人と飲み会

大学時代の友人たちと飲み会をした。久しぶりに楽しい時間を過ごしたわけだが、驚いたことがあった。それは、彼らの中には大学院生がおり、そうでないものもてめえを除いて皆大学院への進学を予定していたことだ。

もともととても優秀な方々なので、今までの経験をもとに大学院に進んで研究を行い、さらに世界へ貢献されるだろう。それはそれで素晴らしいことなのだが、話を聞いていた感じではそんな積極的な理由ではないらしい。どうやら「臨床に疲れた」ので一休み、といった印象を受けた。

てめえは大学院に進む気は全くないが、その理由を挙げてみる。まず第一に、研究する気がない。これでほとんど詰んでいる。研究に没頭するのは優秀な人たちでよい。凡人はただ時間を浪費するだけであるし、そもそも研究好きでないとやってられない。一体どれだけの研究が、最終的に人々の役に立っているのだろうか。もちろん裾野が広くないと良い研究は生まれないが、大変申し訳ないがてめえは研究に没頭する気は全くない。テーマすら思いつかない。

医学系の研究というと、基礎医学と臨床医学に分かれる。前者は医学の土台を調べるもので、基本的には全く臨床から離れる。医学部でない理系のラボと基本的には同じである。後者は臨床を行いながらの研究となる。多くの人が進むのはこっちである。

大学院に入学するのはとても簡単で、基本的に手を挙げるだけでよい。特にその大学の卒業生であればまず落ちることはない。なぜならば、(てめえの出身校の場合)募集定員が学部生より多いからである。

入学したら学生なので授業料を払う。といっても、大した授業があるわけではない。多くの教室では、大学院のはじめの1-2年は病棟での仕事をすることになる。学生なので恐ろしいことにただである。さらに恐ろしいことに外来を持たされることもある。しかも当然だが大学病院の。

これでは食べていけないので、休日や夜間にアルバイトをすることになる。もちろんコンビニバイトをするわけではなく、当直や外来のバイトをする。夜中に病院を受診すると、日中には見たこともない、その病院のこともよく理解していない医師が出てくることがあるがあれはバイトの大学院生である。

結構悲惨な生活ではあるが、それをわかっていても大学院生になるものが減らないのは、それほど日常勤務がつらいからだと思っている。要は一時期のモラトリアムを得るために大学院に行く。大学院生活にはまって立派な研究者になるものもいるし、研究では食っていけないことをあらためて理解して過酷な現場に戻ってくる者もいるということだ。

仕事に疲れたのであれば、仕事を減らしてはどうか、とてめえは至極当たり前の提案をした。が、みなさん真面目なのかやっている以上は全力を尽くすのだろう、てめえの提案を受け入れる友人はいなかった。てめえがおかしいのだろうか。よくわからんが、世間一般的な考えとしてはてめえの方が近いと思うがいかがでしょうか。



2012年01月19日(木) 最近読んだ本

「心にナイフをしのばせて」

1969年春に横浜の高校で起きた、同級生による殺害・首切り事件。被害者の家族の視点から描いたノンフィクションである。被害者の母は事件後寝たきりになり記憶も失い、妹も人格が変わり、父はじっと一人で耐えた。加害者は少年に入った後は少年法に守られてその後を追うことが難しかったが、著者により、少年院を退院した後大学に入り、現在は弁護士として活躍されていることが判明する。

最後まで一気に読んでしまったが、本当に事実とは奇なるものだと感じた。加害者家族は被害者家族に賠償金も払わず、加害者本人も払う気がなさそうだった。

「更生」とはなんなのだろうかと思う。少年法の理念に照らせば、この加害者は見事に更生した例になるだろう。だがなんだろうこの割り切れなさは。この本を読んだ多くの人もこの割り切れなさを抱えざるを得なかったようで、amazonのレビューにはいろんな意見が書かれている。

では、どうすればよかったのか? 少年院を退院した後はそれこそひっそりと世間の片隅で出家でもして生きていればいいのか。

もしくは、罪に見合った刑罰がなされていないからか。懲役15年くらって出た後に弁護士になれば誰も文句言わないのか?

いろいろ考えているが、まったく答えが出ない。




「A3」

ようやく読み終えた。読む前と後で、かなり教祖に対する意識が変わってしまった。それまでは「教祖の皮をかぶった俗物」と考えていたが、そんな単純な人物ではなかったようだ。

かくれんBOXにお湯入れて 3分たったらはい出来上がり
私はケッサク宗教家 メロンが大好き教祖様



てめえが学生の時に作った恥ずかしい曲である。歌い出しだけ覚えていてあとは忘れてしまったが、正直上記のような認識だったわけだ。

裁判の様子を新聞で読んでいても、とてもじゃないが最終解脱者とは思えないものだった。そもそも第6サティアンの隠れ部屋に隠れていただけでも解脱者ではないとわかるわけだ。ただしこれらの報道はどこまで正しいのだろうかとふと思う。

彼は監獄の中で本当に最終解脱してしまったのかもしれない。解脱するということは、この俗なる世界からアナザーワールドに導かれることだと勝手に解釈しているだが、まさしく彼はアナザーワールドの住人になってしまった。概して宗教家とはそんなものかもしれんが。彼とか彼とかも、現代社会に生きていれば間違いなく統合失調症と診断され治療されていただろうし、治療されていたら宗教家ではなかったはずだ。


もう少しまじめな話をしてみよう。医学的には、明らかに放置していけない病態ではないだろうかと思う。鑑定を行った医師はクズである。最終的には吊るされることになるのだろうが、それまでのプロセスはどうでもいいのか。

奇しくもマンジュシュリー・ミトラ村井氏を殺害した徐氏のブログでは、拘禁反応ではないかと書かれていた。きっと通ってきたものにしかわからないものがあるのだろう。

いろいろ思ったことがあるが、全くまとめられず今日はこの辺で。




2012年01月18日(水) 友人のこととか仕事のこととか。

以前に自殺未遂した友人から恐ろしく久しぶりにメールが来た。なんとこの度結婚を考えているそうな。まあ人生の墓場に望んで片足を突っ込むのはその人の勝手というか好き好きだが、そんなあなたはついこないだモバゲーで出会った女性に振られて自殺未遂してなかったか。一体それがいつのことだったかいなと考えた。こんなときに日記はとても便利で、辿ってみると彼が大騒ぎしていたのは昨年の10月だった。まあどうでもええわ。

正直なところ、良い人を見つけて落ち着いていただくのが一番いいのだが、下手すると結婚が「終わりの始まり」になる可能性も秘めているわけだな。まあてめえも相手の人もどんな方か全く知らんわけだ。そんなこんなをなんぞてめえに相談したいそうで、てめえも多少の興味はあるので一度話を聞きに行ってこようと思う。


仕事にうんざりしてしばらく経つ。どうしてこうなったのかは、いつか落ち着いてからまとめようと思う。とにかく廃人になる前に廃業しようと思い立ち、職場にもその旨話していたのだが、このご時世でもちろん引き留めにあい、信じられないくらいに便宜を図っていただき、なんとなく辞められなくなりずるずると仕事を続けている。仕事量は驚くほど減った。5時には家に帰れるなんて、数年前には全く考えたこともなかった。そんな仕事ではないと固く信じていた。

そんなところに別の職場での大きな仕事の話が入ってきた。だからやめたいって言っているはずなのに、などと思いながら(もう言わなくなってしまった)、いろんな経緯やいろんな人の想いなどを思い出してまた断れず。なんてこった。

どうでもいいが給料も激減した。時間外が全くなくなったためで、年収で200-300万は減ったな。仕事量が減ったのは年度途中からなので、このままいけば来年はさらに給料が減るだろう。そのかわりストレスや肉体的精神的負担も激減した。どちらがいいのかって、そりゃあ今の状態の方がいいに決まっているでしょう。当直なんてお金払ってでもやりたくないと思っていたし、今もその気持ちは変わらない。



2012年01月17日(火) サマータイムブルース

bluetoothイヤホンを購入した。てめえが音楽を聴くときと言えばバイク運転しながらのことが多いので、ヘルメットと干渉しないようなものを探して結局これにした。

使い勝手はと言えば、思っていた以上に音質も良く、音も途切れない。ためしに家でiPhoneを机の上に置きっぱなしにしてうろうろしてみたが、全く途切れなかった。これは素晴らしい。どんどん新しい技術がてめえの周りにやってきている今日この頃。

そんなわけで、最近のお気に入りは清志郎の「サマータイムブルース」。イヤホンで聴いていると、女性コーラスが耳元で囁いているようだ。スピーカーで聴いているときは全く気にならなかったのだが、このコーラスを歌っているのは誰なのだろうと気になって調べてみたら、高井麻巳子だったので驚いた。




原発がとても危険だなんてことは、ずっと昔からわかっていたことだ。当たり前すぎる。どんなものでも完璧なものはないが、万が一何かが起きた時に取り返しのつかないものほど危ないものはない。チェルノブイリでそれがわかっていたはずなのに、それでも原発を受け入れる自治体があったわけだ。それ以前に建てていたとしても、チェルノブイリの時点で自治体は操業停止を申し入れるべきだった。

原発を受け入れた自治体には、大量のお金がわたっている。京都府の日本海側の自治体にも原発を作るという話があり、かなり関電がお金をばらまいた(その自治体に住む友人たちによると、相当なものだったようだ)が、最終的には反対が多く原発はできなかった。当時も今もとても正しい判断だった。

言い方は悪いかもしれないが、そういうわけで福島の原発付近の自治体の方々に関しては自己責任ではないかと思っている。東電は保険代わりにたくさんのお金をばらまいた。自治体は危険性よりもbenefitをとった。原発はあり得ないと考えられた条件が起こってしまいメルトダウンした。周辺の街はだれも住めなくなった。チェルノブイリを教訓とできなかったし、原発の運用を続ける限り同様の事故が起こる可能性はあるだろう。

てめえの街に原発ができるという話がもしも出たとしたら(福島以前でも)、てめえは全力で阻止する方向に働いただろう。それでも多数意見でてめえの街に原発が作られたなら、てめえはその街に住むことをあきらめただろう。そこには大きな絶望しかない。たとえ持家があったとしても未練はなかっただろう。



2012年01月16日(月) iPhoneにはまる

iPhoneにはまってしまった。仕事用のアプリや読み物系のアプリを次々に入れた。なんて便利なのだろうか。もはや以前の携帯電話に戻ることは不可能だ。

以前に何らかのキャンペーンで、auショップでBiblio leafをゲットした。父の携帯電話の機種変更の時だったと思う。電子ブックに興味があったし、キンドルとか購入しようかな、などとちらっと考えていたときでもあったので、お試しに使ってみることとした。たしかに質感は「本」だった。電子インクでの読み物は本と変わらず目も疲れない。

ただし欠点はたくさんあった。まず、これは決定的だと思ったがコンテンツが圧倒的に少ない。まあそれは予想されていたので青空文庫だけ楽しめればいいやと思っていたが、青空文庫も全部利用できるわけではなかった。大きさも結構とるので、次第に読まなくなっていた。また、当たり前だが暗いところでは読めない。これは本と一緒だな。

ところでiPhoneに戻るが、こっちでも青空文庫が読めるアプリを入れた。これがとても使い勝手がよく、片手でサクサク読める。意外に目も疲れない。さらに決定的なのは、暗いところでも読めることだ。

布団に入って電気消してから、なんだか眠れないまま読むのには圧倒的にiPhoneの方がよい。Biblio leafでは本と同じなので電気をつけなければいけない。内容が同じであれば、暗闇でも読めて片手でサクサク読めるiPhoneに余裕で軍配が上がる。

iPhoneすごいわ。電池の減りが早すぎるのさえなんとかできれば本当に最高。


というわけで(どういうわけだ)、てめえの家もWifi飛ばすことにした。無線LAN内臓のノートパソコン持っていたがネット環境にないことに不満を抱かず、DSも持っていたが上記と同じで今まで来たが、まさかiPhoneで無線LAN構築することになるとは思わなかった。なんてこった。


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