年末年始、父はずっと眠っていた。たまには起きるまで寝かしておこうと思い放置していたら、早くても昼過ぎ、さらに放置していたら夜まで眠っていた日もあった。声かけにも反応はなく、もしかしたら・・・と思わないでもなかったが、それはそれで運命なので放っておいたらトイレにだけは起きてきた。
マラソンが趣味の人なので「箱根駅伝やってるで」と先日購入したばかりのテレビをつけておいたが覚醒せず。やはり生活のリズムという点からも、無理やりにでも起こしておいた方がよいのだろうか。今回はだれも損していないのでまあいいかと思っているが。
年末からはいろんな店も正月モードになり、普段見ないような野菜などが売られていた。棒だらと海老芋については前にも書いたが、他にも頭芋や祝い大根、クワイ、筍の水煮、などなど。
どうしようか、と考えているうちに大晦日の日を迎えてしまい、夕方にスーパーに行ったところ棒だらや頭芋や海老芋などが特価で投げ売りされていたのであるだけ購入した。
さっそくいもぼうを作ってみた。初めてで、しかも食べたことすらなかったが、レシピサイトの通りに作ったところ意外と美味しくできた。まともに購入したらええ値段するので正月くらいの楽しみでちょうどいいのだろう。
正月近い街を歩いていると、街の餅屋に「餅は餅屋で!」とののぼりがはためいていた。正月に餅を食う習慣がなかったので横目で見ているだけだったが、大晦日の日に「やっぱ世間並の正月を送るためには餅がいるかも」と思い、餅屋に行った。家の近くの餅屋は、すでに近所の予約でいっぱいだった。来年は予約しておこう。2番目に近い餅屋はすでに売り切れていた。3番目の餅屋で餅をゲットした。しかし京都以外の都市でこんなに餅屋はあるのだろうか。
正月に、さっそく雑煮を作ってみた。てめえの育った家は雑煮を食べない家だったので、どう作っていいものか悩んだ末、作ったことも食べたこともない京都風の白みそではなく関東風の醤油味にしてみた。普段よく作っている煮物風なわけだが、これが思っていた以上に美味かった。ので、三が日は毎日具や出汁を少しずつ変えて雑煮三昧。あっという間に餅を食べきってしまった。醤油と出汁と餅ってこんなに合うものだとは知らなかった。来年は京都風に白みそに挑戦してみよう。
いもぼうと雑煮で幸せな正月だった。食事以外は眠り続けた父からは感想はなかったが、まあええわ。
2011年12月25日(日) |
Happy Christmas |
クリスマスソングは巷に溢れているが、てめえが好きなのはこの曲だけ。オノヨーコとのコラボレーションの中で好きな曲もこの曲だけ。そう考えると奇跡のような曲だな。
初めは普通のクリスマスを祝う歌として始まるが、徐々に「戦争が終わった」というメッセージが入ってきて、最後には「戦争が終わった」の大合唱で終了する。
戦争が終わっていなければ、クリスマスは祝えない。新年もやってこないのだ。今もいろんな原因で戦争している国や地域がある。てめえらの国はもう長いこと戦争の惨禍に巻き込まれず、今年も平和な冬となった。
以前に書いた「燃えたパン屋」が復活した。さっそくパンを求めに行ったが、速攻で売り切れていた。再開を待ち望んでいた人がこんなにたくさんいたわけですね。また出直すことにしよう。
プチメックも金土日営業その他休みというわがままな店で今日は休みだし、他のパン屋に行く気も起きず、家で父の朝食用の食パンを焼いてオリーブオイルをたっぷり浸していただいた。
海老芋という芋がある。海老のような外観をしている里芋のような芋なのだが、これがまたねっとりとしていて大変美味い。お値段がそれなりにすることが唯一の欠点だ。だが美味いので、安くで売っている時を見計らって購入し、鰹出汁で炊くのが楽しみだ。
数日前に海老芋を購入していたので、一昨日は下ゆでをしてから味噌味の鍋に放り込み、昨日は鰹出汁で炊いた。いずれもとてもおいしかった。昨日はそれに加えて、縞ホッケの干物を焼き、キャベツとカイワレ大根とミックスビーンズに塩とオリーブオイルだけのシンプルなサラダ。てめえはオリーブオイルとごま油を多用するので、両方とも大量に買いだめしている。ちなみにオリーブオイルはこれで、ごま油はこれ。両方とも美味すぎて何の変哲もない料理がとたんに豪勢な味になる。食事のうまみ成分の多くは油が占めているので、良い油を使うのがよいだろう。肉や野菜は安物でよい。
海老芋は、棒だらと炊いた「いも棒」が有名だが、てめえは一度も食べたことがない。エセ京都人であることがばれてしまう。まあ味を知りたければ平野屋に食べに行けばいいのだろうがええお値段しはるしねぇ。
味も知らないのでつくるのもどうかなあ、と思っていた。棒だらもええ値段しはるし。京都では正月料理なのだそうで、この時期になると店先には海老芋と棒だらが山積みされているわけだ。去年はもんもんと考え続けた挙句、やっぱり一度は作ってみようぜ京都料理だし! と一大決心をし、正月明けに材料を買いに行ったが、なんと正月を過ぎるとどの店からも棒だらが消えていた。なんてこった。正月過ぎたら誰も買わないわけね。なんとなくやる気をそがれてしまい、今年も店先に棒だらが並んでいるが買う気が起きないのだ。
普段通りに仕事をしていると、とある看護婦さんが患者さんに「今日限りで辞めます」と挨拶しているのを聞いて仰天した。全く知らなかったからだ。てめえのところにも挨拶に来られた。子供さんが病気を持っておられ、仕事を辞めて子供さんの世話をするとのことだった。家族のことが一番です。しかし仕事のできる方だったのでてめえだけではなくみんなが困るだろう。
挨拶に来られた時にお菓子をいただいた。本来であればこちらが「今までお世話になりました」とお菓子を持っていく立場なのだろうが、ありがたくいただくこととした。
患者さんからも、お菓子や場合によってはお金をもらうことがある。この仕事を始めた当初は頑なにもらうことを拒んでいたが、その後の残念そうな表情を見ていてなんだか気持ちまで拒否したような気になってしまい、今ではありがたくいただくことにしている。
お菓子は同僚たちとわけあい、お金はてめえの手持ちからいくらかを加えてすべて寄付することにしている。いただいたお金は浄財として社会に還元できればよい。怪しげな団体に渡るのも悲しいし、なによりこれからの社会は子供たちを大切にすることで成り立つと思っているので、寄付先はすべて"Save the children Japan"にしている。
貧困な大人にはいろんな事情があるのだろうが、貧困な子供には本人の事情などまるでない。てめえも貧困な子供だった。だからというわけでもないが、貧困な子供たちに手を差し伸べるのがよいと思うのだ。
てめえは仕事を始めて給料をもらうようになってから、同様の考えで"Save the children Japan"に毎月の定期的な寄付をすることにして、それは今も継続している。これは、学生の時にベトナムに行き、ベトナムの無医村の状況をつぶさに見てきたときに密かに決めたことだ。
この団体は、定期的にレポートを送ってきてくれる。それを読むのも一つの楽しみ。
寄付を行うことには利点もある。まず、確定申告の際に寄付金控除ができることだ(もちろん全額ではなく上限も決まっている)。まともな使い方をされていない税金を払うより、その分がきちんと仕事をしているNPOに行った方がよいに決まっている。
もう一つは、クレジットカードでの支払いができるのでマイルを貯めることができる。
というわけで、今後も寄付を続けていこうと考えている。
2011年12月19日(月) |
北朝鮮の指導者が死亡 |
金正日氏が亡くなったそうだ。朝、列車の中で心筋梗塞という話にはやけにリアルさがある。きっと本当の話なのだろう。作り話にしてはあまりに加工されていないし、作り話にしてはタイミング的にも「誰得」感が大きい。
三代目が跡目を継承するみたいだが、あまりにも若すぎる。国家の崩壊はこれで加速するだろう。
三代目が賢明な人間であれば、しばらくは沈黙を守るだろう。少なくとも3年は「喪に服す」と言って、表舞台に出てこないだろう。
まだ若かった堤義明氏が西武グループを引き継いだとき、10年は新しいことをしないと決めたそうだ。父からの指示とも言われている。その間にグループの隅々までを掌握し、10年たってから、満を持して動き出した。
正日氏も同様の指示を息子に出している可能性があるが、死ぬまで働いていた人なのでおそらくそういった指示は出してないだろう。あとは三代目がそこに気づくかどうかだが、どうだろう。
二代目の正日氏は、権力を掌握してから3年は喪に服すといって沈黙を守った。初代の死後3年を超えて初めて、総書記に上る。彼は初代の生前からある程度の権力を掌握していたため3年の沈黙だったが、三代目はまったく権力の掌握をしていない。
周りの人間が陰謀をめぐらしたり、彼自身が暗愚であれば、3年以内に何らかの動きを見せるだろう。そうなれば、あとは勝手に国家体制は崩壊するだろう。
可能性としては、崩壊に向かう可能性が高いだろう。そうなれば中国は体制を守るため(王朝を守るためではなく、現在の体制崩壊を防ぐため)干渉をおこなうだろう。もろに影響を受けるのは韓国で、日本は韓国の手助けをせざるをえなくなるだろう。そのときに日本国民の支持があるかどうか? 日本が手助けをしなければ南北ともに崩壊するだろう。
アメリカは韓国に対して経済的な手助けをするとは思えない。ただ軍隊は駐留させているので、戦争になれば動くだろう。
そのためにも、本来であれば韓国はある程度譲歩してでも日本と友好的にしておくべきだが、その点では先日の日韓首脳会談はお粗末だった(結果的にだが)。この時点で金正日氏はすでに死亡していたわけだが、その情報を韓国が掴んでいたならば、あれほどまでに従軍慰安婦問題に固執することはなかっただろう。あれで日本政府の心証を著しく悪くしている(もっとも民主党政権はそんなに心証を害していない可能性はある)。正日氏の死亡を知って一番驚きかつ唇を噛んだのは韓国の大統領だろう。
日韓首脳会談時の京都は今までになく厳戒態勢だった。御所で国際会議だの何かあるときは御所周辺の警備が厳重になるのだが、今回はてめえの家の近くの辻まで警備に当たる警官がいた。別に悪いことなど何もしてはいないが、曲がり角を曲がると警官がいるのはほんまに心臓に悪いのでやめてほしい。
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