以前に書いた「燃えたパン屋」が復活した。さっそくパンを求めに行ったが、速攻で売り切れていた。再開を待ち望んでいた人がこんなにたくさんいたわけですね。また出直すことにしよう。
プチメックも金土日営業その他休みというわがままな店で今日は休みだし、他のパン屋に行く気も起きず、家で父の朝食用の食パンを焼いてオリーブオイルをたっぷり浸していただいた。
海老芋という芋がある。海老のような外観をしている里芋のような芋なのだが、これがまたねっとりとしていて大変美味い。お値段がそれなりにすることが唯一の欠点だ。だが美味いので、安くで売っている時を見計らって購入し、鰹出汁で炊くのが楽しみだ。
数日前に海老芋を購入していたので、一昨日は下ゆでをしてから味噌味の鍋に放り込み、昨日は鰹出汁で炊いた。いずれもとてもおいしかった。昨日はそれに加えて、縞ホッケの干物を焼き、キャベツとカイワレ大根とミックスビーンズに塩とオリーブオイルだけのシンプルなサラダ。てめえはオリーブオイルとごま油を多用するので、両方とも大量に買いだめしている。ちなみにオリーブオイルはこれで、ごま油はこれ。両方とも美味すぎて何の変哲もない料理がとたんに豪勢な味になる。食事のうまみ成分の多くは油が占めているので、良い油を使うのがよいだろう。肉や野菜は安物でよい。
海老芋は、棒だらと炊いた「いも棒」が有名だが、てめえは一度も食べたことがない。エセ京都人であることがばれてしまう。まあ味を知りたければ平野屋に食べに行けばいいのだろうがええお値段しはるしねぇ。
味も知らないのでつくるのもどうかなあ、と思っていた。棒だらもええ値段しはるし。京都では正月料理なのだそうで、この時期になると店先には海老芋と棒だらが山積みされているわけだ。去年はもんもんと考え続けた挙句、やっぱり一度は作ってみようぜ京都料理だし! と一大決心をし、正月明けに材料を買いに行ったが、なんと正月を過ぎるとどの店からも棒だらが消えていた。なんてこった。正月過ぎたら誰も買わないわけね。なんとなくやる気をそがれてしまい、今年も店先に棒だらが並んでいるが買う気が起きないのだ。
普段通りに仕事をしていると、とある看護婦さんが患者さんに「今日限りで辞めます」と挨拶しているのを聞いて仰天した。全く知らなかったからだ。てめえのところにも挨拶に来られた。子供さんが病気を持っておられ、仕事を辞めて子供さんの世話をするとのことだった。家族のことが一番です。しかし仕事のできる方だったのでてめえだけではなくみんなが困るだろう。
挨拶に来られた時にお菓子をいただいた。本来であればこちらが「今までお世話になりました」とお菓子を持っていく立場なのだろうが、ありがたくいただくこととした。
患者さんからも、お菓子や場合によってはお金をもらうことがある。この仕事を始めた当初は頑なにもらうことを拒んでいたが、その後の残念そうな表情を見ていてなんだか気持ちまで拒否したような気になってしまい、今ではありがたくいただくことにしている。
お菓子は同僚たちとわけあい、お金はてめえの手持ちからいくらかを加えてすべて寄付することにしている。いただいたお金は浄財として社会に還元できればよい。怪しげな団体に渡るのも悲しいし、なによりこれからの社会は子供たちを大切にすることで成り立つと思っているので、寄付先はすべて"Save the children Japan"にしている。
貧困な大人にはいろんな事情があるのだろうが、貧困な子供には本人の事情などまるでない。てめえも貧困な子供だった。だからというわけでもないが、貧困な子供たちに手を差し伸べるのがよいと思うのだ。
てめえは仕事を始めて給料をもらうようになってから、同様の考えで"Save the children Japan"に毎月の定期的な寄付をすることにして、それは今も継続している。これは、学生の時にベトナムに行き、ベトナムの無医村の状況をつぶさに見てきたときに密かに決めたことだ。
この団体は、定期的にレポートを送ってきてくれる。それを読むのも一つの楽しみ。
寄付を行うことには利点もある。まず、確定申告の際に寄付金控除ができることだ(もちろん全額ではなく上限も決まっている)。まともな使い方をされていない税金を払うより、その分がきちんと仕事をしているNPOに行った方がよいに決まっている。
もう一つは、クレジットカードでの支払いができるのでマイルを貯めることができる。
というわけで、今後も寄付を続けていこうと考えている。
2011年12月19日(月) |
北朝鮮の指導者が死亡 |
金正日氏が亡くなったそうだ。朝、列車の中で心筋梗塞という話にはやけにリアルさがある。きっと本当の話なのだろう。作り話にしてはあまりに加工されていないし、作り話にしてはタイミング的にも「誰得」感が大きい。
三代目が跡目を継承するみたいだが、あまりにも若すぎる。国家の崩壊はこれで加速するだろう。
三代目が賢明な人間であれば、しばらくは沈黙を守るだろう。少なくとも3年は「喪に服す」と言って、表舞台に出てこないだろう。
まだ若かった堤義明氏が西武グループを引き継いだとき、10年は新しいことをしないと決めたそうだ。父からの指示とも言われている。その間にグループの隅々までを掌握し、10年たってから、満を持して動き出した。
正日氏も同様の指示を息子に出している可能性があるが、死ぬまで働いていた人なのでおそらくそういった指示は出してないだろう。あとは三代目がそこに気づくかどうかだが、どうだろう。
二代目の正日氏は、権力を掌握してから3年は喪に服すといって沈黙を守った。初代の死後3年を超えて初めて、総書記に上る。彼は初代の生前からある程度の権力を掌握していたため3年の沈黙だったが、三代目はまったく権力の掌握をしていない。
周りの人間が陰謀をめぐらしたり、彼自身が暗愚であれば、3年以内に何らかの動きを見せるだろう。そうなれば、あとは勝手に国家体制は崩壊するだろう。
可能性としては、崩壊に向かう可能性が高いだろう。そうなれば中国は体制を守るため(王朝を守るためではなく、現在の体制崩壊を防ぐため)干渉をおこなうだろう。もろに影響を受けるのは韓国で、日本は韓国の手助けをせざるをえなくなるだろう。そのときに日本国民の支持があるかどうか? 日本が手助けをしなければ南北ともに崩壊するだろう。
アメリカは韓国に対して経済的な手助けをするとは思えない。ただ軍隊は駐留させているので、戦争になれば動くだろう。
そのためにも、本来であれば韓国はある程度譲歩してでも日本と友好的にしておくべきだが、その点では先日の日韓首脳会談はお粗末だった(結果的にだが)。この時点で金正日氏はすでに死亡していたわけだが、その情報を韓国が掴んでいたならば、あれほどまでに従軍慰安婦問題に固執することはなかっただろう。あれで日本政府の心証を著しく悪くしている(もっとも民主党政権はそんなに心証を害していない可能性はある)。正日氏の死亡を知って一番驚きかつ唇を噛んだのは韓国の大統領だろう。
日韓首脳会談時の京都は今までになく厳戒態勢だった。御所で国際会議だの何かあるときは御所周辺の警備が厳重になるのだが、今回はてめえの家の近くの辻まで警備に当たる警官がいた。別に悪いことなど何もしてはいないが、曲がり角を曲がると警官がいるのはほんまに心臓に悪いのでやめてほしい。
寒い。寒すぎる。そろそろ限界を感じてきた。
昔は寒くても平気だった。寒さが急にひどくなったということはないので、同じ寒さなのに耐えられなくなってきたということだろう。昔は若かったから、代謝も活発だったから寒くても平気だった。もう年だな。
何がつらいと言って、移動がつらい。てめえは二輪の免許しか持っていないので、通勤や買い物はバイクになる。これが寒い。
あまりに寒いので、とうとうヒートテックのパッチを買ってしまった。さっそく試してみたがそれでも寒く、かつ不快感が強くやめた。
今後もこの寒さに耐えられるとは思えないので、いつかまた南の島に戻ってやる。車の免許も考え中だが…。あれだけ四輪を否定してきたがそろそろ厳しいな。問題は金ですわ。いやあ寒い。
「なか房」というラーメン屋が京都市の北の方にある。麺は太麺と細麺から選ぶことができ、スープもこってりとあっさりがある。チャーシューは非常に珍しく皮付きでとても美味い。非常に良い仕事をしているラーメン屋なわけだ。
店はおっちゃん一人で切り盛りされている。噂によるとおばちゃんもいるとのことだが、てめえが訪れた時はいつもおっちゃん一人だった。バイトもおらず、昼の忙しい時間帯にはかなりてんぱっている。
ラーメンは並が一杯550円。だった。だった、というのは、去年の秋くらいから「ラーメン400円キャンペーン」を始めたからだ。ひと月限定だったはずのそのキャンペーンは翌月も継続され、気が付くと400円で定着していた。どんな価格破壊やねん。味も劣化せず非常にありがたかった。並ばかり食べていた。
今年の9月に「並も中盛りも大盛りもすべて500円」に突然変わった。もちろんてめえは大盛りばかり食べた。ばかりは言い過ぎやな9月は1回しか行ってないし。
10月になか房を訪れると「営業時間変更のお知らせ:10月より営業時間は午後6時から12時になります」との張り紙があった。もともとは11時30分から午後12時までだった。てめえは「とうとうおっちゃんの体力の限界が来たのだ」と勝手に思った。夜に食べに行くことができないてめえは、これでなか房に食べにくる機会はほとんどなくなったなと一人さびしく思いを馳せた。
10月も中旬のころだったか。風の噂で「なか房2号店が伏見稲荷に出店したらしい」と聞いた。おっちゃん一人でやっていて弟子どころかバイトもいなかったなか房が2号店とはこれまた面妖な。いったい誰が店を開いたのだろうか。噂の「おばちゃん」は実は弟子だったのか。
ネットで調べるとすぐに真相が判明した。なんと伏見稲荷にある2号店は昼間だけの営業で、「おっちゃん」が営業していたのだ。
これはすごい。一人で2号店を出店。どうやら昼前から16時くらいまで伏見稲荷の店をバイトも雇わず一人で切り盛りし、店を閉めて1号店にやってきて18時から24時まで店を開ける。正直まったく意味が分からない。両方とも賃貸だろうし賃料も倍かかる。1号店だって昼間も常連も多くけっこう賑わっていたのに、あえて新しい地で店を開くメリットはあるのだろうか。夕方はスープなど一式担いで移動か。
場所も結構離れている。Google mapでは9.2km離れていた。東京でいえば池袋と浅草くらいの距離だ。
謎すぎてよくわからない。おっちゃんに直接聞いてみたいが昼間に伏見稲荷に行くのは無理があるし夜は訪問できない。なんてこった。
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