解放区

2011年11月29日(火) 最近読んだ本

今回初めてAmazonと結託してみた。


「私はなぜ麻原彰晃の娘に生まれてしまったのか」

後味の悪い読後感。大変な環境の中で正気を保つことは大変なことだと思うし、麻原が逮捕された時の5歳という年齢のために正気を保てたのだろう。これ以上であれば姉たちのようにある程度価値観は出来上がっているだろうし、これ以下であれば全く理解できなかっただろう。
本人は、自分の言いたいことを書いて発表したかったのだろう。ただ年齢の割に成熟が見られないのは単に環境のせいか。こういった人物に既視感があるのはなぜだろうか。元幹部のことについては書かされている感で溢れていた。これは編集者が望んだのだろう。

続いて「A3」も読んでいるが、こちらは素直に入ってくる。

地下鉄サリン事件が起きた時、てめえは理学部の1年生だった。学食の2階で勉強しながら、備え付けのテレビから垂れ流されているワイドショーが聞こえていたことを思い出す。


  



「世界でもっとも阿呆な旅」

海外篇は面白く読んだが国内篇はいまいち。どのように行くか、とか、現地の人とのギャップが読み物として面白いのだろうと思った。個人的にはオーストリアの「Fucking村」にもぜひ行ってほしかった。





「きららの仕事」

全16巻大人買いして一気に読破。初めの方はいまいちだったし、途中からのバトル形式もなんだかなという感じ。キン肉マンやドラゴンボールなどもそうだが、ネタがなくなれば戦うしかないのか。ただし原作者の早川さんが大変な鮨好きであり、出てくる鮨や技などがあり得ない設定ではないのが救い。

もともと早川さんの「日本一江戸前鮨がわかる本」「鮨水谷の快楽」に感動して購入した。前者は江戸前鮨の歴史なども詳しく書かれており、大変感銘を受けた。後者はミシュラン三ツ星を獲得した鮨水谷の寿司を一か月ごとに12か月紹介したもので、まあ鮨とはこんなにも深いものかのかと感動した。一度は本格的な江戸前鮨を食べてみたい。鮨への思いに関してはまた別の機会にでも。


    



2011年11月28日(月) Not the farther

とんでもないものを見つけてしまった。

http://www.youtube.com/watch?v=N5aP9as3Wb4

ピーピーなり過ぎワロタ。さらに上を行く

http://www.youtube.com/watch?v=Y6Bmkt3QVMo&feature=related

二人とも彼ら以外てどないやねんほんまに。



2011年11月27日(日) 父の部屋にテレビを設置することについて

大阪市長選挙は、予想通りというかなんというか、午後8時きっかりに選挙速報が出た。至極まっとうな結果だ。橋下さん期待してますよ。


父の部屋にテレビを導入しようかと考えている。今までなくても何とかなっていたのでいまさら感は拭えないが、あったら彼の生活バリエーションも増えるだろう。

現在テレビはリビングに1つのみで、父の部屋はその隣に位置している。昨年の夏に一度電気屋に来てもらったが「壁に穴開けてケーブル通すしかないですね」と言われた。見積もり今度出します、と言ったきり今日まで見積もりが来ていないので、今後も来ないだろう。だんだんどうでもよくなり、父もテレビのない生活に文句もないのでそのままにしてきた。

もともとテレビが好きな人だったわけではない。テレビを見るといえばプロ野球の阪神戦とニュースくらいだった。

読書が好きな人でもあったが、短期記憶が障害された今は読書をしても、数ページで内容を忘れてしまうので、いつまでも本の冒頭を読み続けることになる。ので、うんざりしてしまい本は読まなくなった。

新聞は毎日読んでいる。以前は2紙とっていたのだが、これまた同じ所ばかり読み続けるので一つは解約した。1紙になったがそれでもずっと新聞ばかり読んでいる。

朝起きて、てめえの用意した朝食を食べ、デイケアに出かける。夕方に帰ってきて、新聞を読み、てめえの作った夕食を食べ、新聞を読み、寝る。やることがないせいか、夕食後秒殺で就寝する。

風呂はデイケアで入っているし、別にいいのだが、もう少しバリエーションのある生活をしたほうがよいのではないか。大きなお世話かもしれないがテレビくらいあったほうがよいのではないか。以前はここに「散歩」という項目も入っていたのだが、短期記憶のない人が町をうろつくことを考えるとやめたほうがよいと判断した。ので、ヘルパーさんやてめえと見張りがつく状態でのみ散歩している。

さてテレビをどう設置するか。壁ぶち抜き以外の方法はないのかどうかいろいろ調べてみた。

初めはワンセグぐらいでいいのではないかと考えていたが、画面も小さいし老眼の彼にはつらいだろうと考え直した。光テレビも考えたが、費用が大きすぎる。というわけで、いろいろ試行錯誤して、室内アンテナを設置することとした。これに安めの液晶テレビをつけてもまあ予算範囲内ということで、もう少しいろいろ調べてみるがさらに良い案がなければこれでいこうかと考えている。しかしネットって便利だな。ネット時代以前であれば、迷わず壁をぶち抜いていただろう。


昨日は昼から仕込んだおでんと、前日のあまりの高野豆腐、焼いたピーマンと油揚げをおかかで和えたもの、ジャガイモのローズマリー炒め、サツマイモのレモン煮。妹と母が刺身持参で参戦したので、ありがたくいただいた。おでんはむしろ味のしみた今日が楽しみ。今後てめえの食生活は、徐々に動物性たんぱくが減っていくだろう。



2011年11月26日(土) 菜の花やすぐきについて

寒い。陳腐な表現だが街中が冷蔵庫の中のようだ。体の芯まで寒さが沁み渡り、背骨がぎしぎし軋む。

菜の花が店頭に並んでいた。一般的な旬は2月くらいだそうだが、京都の菜の花は今くらいが旬らしい。というわけで、あまり安くはなかったが早速購入し芥子和えにしていただいた。香菜もあったのでもちろん手に入れて豚肉とシイタケの炒め物に使った。てめえ愛用のフライパンは香菜の香りがしみ込んでいていつもエスニックな香りがする。残りの香菜はキャベツと大豆のサブジに使った。あとは、さわらのアラが安かったので醤油とみりんで炊いた。味噌漬けにして数日後に楽しもうかとも思ったが、それはまた今度の機会にしよう。

そろそろすぐきが上賀茂で収穫される季節になった。もうしばらくすれば、漬物にできないくらいの小さなすぐき菜が一瞬だけ店頭に並び、しばらくしてすぐきの漬物が出てくるだろう。寒い中での小さな楽しみ。小さなすぐき菜は、去年もいろいろ試してみたがこれも芥子和えが一番よく合うようだ。酒に合うというのもあると思うが。

いよいよ大阪のダブル選挙の投票日。橋下氏の勝ちであればおそらく圧勝で、午後8時過ぎにテレビに速報が流れるだろう。てめえとしては橋下氏の大阪市政を見てみたい気がする。

父の部屋用にネットオークションでセラミックヒーターを落札した。呆けた父の部屋に石油やガスの暖房はあまりにデンジャラスなのでセラミックヒーター。父の部屋はなぜかとても暖かく、今まで小さなヒーターで余裕だったが、越冬は厳しいだろう。去年彼は入院していたので、越冬ははじめて。セラミックヒーターが届けば、今まで彼が使っていた小さなものは台所に持っていく予定。台所寒すぎる。



2011年11月23日(水) 死亡診断書と医師法20条について つづき

先日、てめえの外来日の朝に、その日来院されるはずだった患者の家族から電話がかかってきた。なかなか起きてこないので起こしに行ったら反応なく、体が冷たくなっていると。かなり動転されている様子だったし、それだけではよくわからないので、救急車を呼んでうちの病院に来院してくださいとお話した。

最終来院日は2日前だった。体中に爆弾を抱えている方だったが、最近は比較的元気に過ごされていた。ただ、何が起きてもおかしくない方ではあった。

こちらは来院されると思い、いろいろ準備して待っていたが、なかなか来られなかった。しびれを切らしていると、警察から電話がかかってきた。救急要請された後、その方は別の病院に運び込まれ、死亡が確認されたと。ついては、当院で死亡診断書が書けませんか、との電話だった。

当院には救急受け入れの電話もなかったので、救急隊の判断で他院に運び込まれたようだ。正直、話もややこしくなるので非常に困るのだ。以前の例をたちまち思い出してしまった。日中だったので断る理由もなく、当院に受け入れ要請があればすぐに引き受けるつもりでいろんな部署にも連絡していたのに。

今度はてめえが担当医のケースでもあり、勉強しなおしたことで死後診察を行えば死亡診断書を書けることを知っていたので「先方の病院から許可もらえれば、当院で死亡診断書を書きます」と返事した。

また医師法20条の件で揉めるんだろうな、と思いながら先方の病院に電話したところ、救急担当の医師は意外なほどあっさりと「全く問題ありません。何卒よろしくお願いします」と言った。先方の話しぶりからは、面倒くささというよりは、よく勉強されている印象を受けた。

「午前中は診察がありますので、午後から伺いますが、よろしいでしょうか」
「了解しました。それまで霊安室に安置してお待ちしています」

この時点で診察時間をかなりおしていたがなんとか午前中の診察を終え、てめえは先方の病院に行き、死後診察を行った。といっても、死亡確認しただけだった。すでに死後硬直が始まっていた。ご本人は、まるで眠っているような安らかな顔だった。外傷もなく、原疾患による死亡と考えられた。たくさん抱えていた爆弾のどれかが、眠っている間に突然爆発してしまったのだろう。おそらく本人はほとんど苦しんでいないと思われた。

昨日まではいつも通りで、明日病院に行くからと準備をして、夜もいつもどおりに眠ったんです。まさかこんなことになるなんて。こんなことって、あるのでしょうか。何も言わずに逝ってしまった・・・。そう奥さんは無念そうにてめえに言った。


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