解放区

2011年11月27日(日) 父の部屋にテレビを設置することについて

大阪市長選挙は、予想通りというかなんというか、午後8時きっかりに選挙速報が出た。至極まっとうな結果だ。橋下さん期待してますよ。


父の部屋にテレビを導入しようかと考えている。今までなくても何とかなっていたのでいまさら感は拭えないが、あったら彼の生活バリエーションも増えるだろう。

現在テレビはリビングに1つのみで、父の部屋はその隣に位置している。昨年の夏に一度電気屋に来てもらったが「壁に穴開けてケーブル通すしかないですね」と言われた。見積もり今度出します、と言ったきり今日まで見積もりが来ていないので、今後も来ないだろう。だんだんどうでもよくなり、父もテレビのない生活に文句もないのでそのままにしてきた。

もともとテレビが好きな人だったわけではない。テレビを見るといえばプロ野球の阪神戦とニュースくらいだった。

読書が好きな人でもあったが、短期記憶が障害された今は読書をしても、数ページで内容を忘れてしまうので、いつまでも本の冒頭を読み続けることになる。ので、うんざりしてしまい本は読まなくなった。

新聞は毎日読んでいる。以前は2紙とっていたのだが、これまた同じ所ばかり読み続けるので一つは解約した。1紙になったがそれでもずっと新聞ばかり読んでいる。

朝起きて、てめえの用意した朝食を食べ、デイケアに出かける。夕方に帰ってきて、新聞を読み、てめえの作った夕食を食べ、新聞を読み、寝る。やることがないせいか、夕食後秒殺で就寝する。

風呂はデイケアで入っているし、別にいいのだが、もう少しバリエーションのある生活をしたほうがよいのではないか。大きなお世話かもしれないがテレビくらいあったほうがよいのではないか。以前はここに「散歩」という項目も入っていたのだが、短期記憶のない人が町をうろつくことを考えるとやめたほうがよいと判断した。ので、ヘルパーさんやてめえと見張りがつく状態でのみ散歩している。

さてテレビをどう設置するか。壁ぶち抜き以外の方法はないのかどうかいろいろ調べてみた。

初めはワンセグぐらいでいいのではないかと考えていたが、画面も小さいし老眼の彼にはつらいだろうと考え直した。光テレビも考えたが、費用が大きすぎる。というわけで、いろいろ試行錯誤して、室内アンテナを設置することとした。これに安めの液晶テレビをつけてもまあ予算範囲内ということで、もう少しいろいろ調べてみるがさらに良い案がなければこれでいこうかと考えている。しかしネットって便利だな。ネット時代以前であれば、迷わず壁をぶち抜いていただろう。


昨日は昼から仕込んだおでんと、前日のあまりの高野豆腐、焼いたピーマンと油揚げをおかかで和えたもの、ジャガイモのローズマリー炒め、サツマイモのレモン煮。妹と母が刺身持参で参戦したので、ありがたくいただいた。おでんはむしろ味のしみた今日が楽しみ。今後てめえの食生活は、徐々に動物性たんぱくが減っていくだろう。



2011年11月26日(土) 菜の花やすぐきについて

寒い。陳腐な表現だが街中が冷蔵庫の中のようだ。体の芯まで寒さが沁み渡り、背骨がぎしぎし軋む。

菜の花が店頭に並んでいた。一般的な旬は2月くらいだそうだが、京都の菜の花は今くらいが旬らしい。というわけで、あまり安くはなかったが早速購入し芥子和えにしていただいた。香菜もあったのでもちろん手に入れて豚肉とシイタケの炒め物に使った。てめえ愛用のフライパンは香菜の香りがしみ込んでいていつもエスニックな香りがする。残りの香菜はキャベツと大豆のサブジに使った。あとは、さわらのアラが安かったので醤油とみりんで炊いた。味噌漬けにして数日後に楽しもうかとも思ったが、それはまた今度の機会にしよう。

そろそろすぐきが上賀茂で収穫される季節になった。もうしばらくすれば、漬物にできないくらいの小さなすぐき菜が一瞬だけ店頭に並び、しばらくしてすぐきの漬物が出てくるだろう。寒い中での小さな楽しみ。小さなすぐき菜は、去年もいろいろ試してみたがこれも芥子和えが一番よく合うようだ。酒に合うというのもあると思うが。

いよいよ大阪のダブル選挙の投票日。橋下氏の勝ちであればおそらく圧勝で、午後8時過ぎにテレビに速報が流れるだろう。てめえとしては橋下氏の大阪市政を見てみたい気がする。

父の部屋用にネットオークションでセラミックヒーターを落札した。呆けた父の部屋に石油やガスの暖房はあまりにデンジャラスなのでセラミックヒーター。父の部屋はなぜかとても暖かく、今まで小さなヒーターで余裕だったが、越冬は厳しいだろう。去年彼は入院していたので、越冬ははじめて。セラミックヒーターが届けば、今まで彼が使っていた小さなものは台所に持っていく予定。台所寒すぎる。



2011年11月23日(水) 死亡診断書と医師法20条について つづき

先日、てめえの外来日の朝に、その日来院されるはずだった患者の家族から電話がかかってきた。なかなか起きてこないので起こしに行ったら反応なく、体が冷たくなっていると。かなり動転されている様子だったし、それだけではよくわからないので、救急車を呼んでうちの病院に来院してくださいとお話した。

最終来院日は2日前だった。体中に爆弾を抱えている方だったが、最近は比較的元気に過ごされていた。ただ、何が起きてもおかしくない方ではあった。

こちらは来院されると思い、いろいろ準備して待っていたが、なかなか来られなかった。しびれを切らしていると、警察から電話がかかってきた。救急要請された後、その方は別の病院に運び込まれ、死亡が確認されたと。ついては、当院で死亡診断書が書けませんか、との電話だった。

当院には救急受け入れの電話もなかったので、救急隊の判断で他院に運び込まれたようだ。正直、話もややこしくなるので非常に困るのだ。以前の例をたちまち思い出してしまった。日中だったので断る理由もなく、当院に受け入れ要請があればすぐに引き受けるつもりでいろんな部署にも連絡していたのに。

今度はてめえが担当医のケースでもあり、勉強しなおしたことで死後診察を行えば死亡診断書を書けることを知っていたので「先方の病院から許可もらえれば、当院で死亡診断書を書きます」と返事した。

また医師法20条の件で揉めるんだろうな、と思いながら先方の病院に電話したところ、救急担当の医師は意外なほどあっさりと「全く問題ありません。何卒よろしくお願いします」と言った。先方の話しぶりからは、面倒くささというよりは、よく勉強されている印象を受けた。

「午前中は診察がありますので、午後から伺いますが、よろしいでしょうか」
「了解しました。それまで霊安室に安置してお待ちしています」

この時点で診察時間をかなりおしていたがなんとか午前中の診察を終え、てめえは先方の病院に行き、死後診察を行った。といっても、死亡確認しただけだった。すでに死後硬直が始まっていた。ご本人は、まるで眠っているような安らかな顔だった。外傷もなく、原疾患による死亡と考えられた。たくさん抱えていた爆弾のどれかが、眠っている間に突然爆発してしまったのだろう。おそらく本人はほとんど苦しんでいないと思われた。

昨日まではいつも通りで、明日病院に行くからと準備をして、夜もいつもどおりに眠ったんです。まさかこんなことになるなんて。こんなことって、あるのでしょうか。何も言わずに逝ってしまった・・・。そう奥さんは無念そうにてめえに言った。



2011年11月22日(火) 死亡診断書と医師法20条について

てめえの担当ではなかったが、当院で往診管理していた患者さんが自宅で亡くなられた時のこと。最後の往診からは24時間以内ではなく数日経っていたと記憶している。

なんの病気を患っておられたのかは忘れてしまったが、ご本人および家族により「急変時に心肺蘇生を行わない」という意志を持っておられた。のだが、布団の中で冷たくなっていた患者を見て、動転した家族は119に電話し救急車を呼んでしまった。

到着した救急隊は職務として心肺蘇生を開始した。そしてこれまた何の手違いか、当院とは異なる病院に搬送した。運ばれた病院としてはその患者の情報は全くなく、心肺蘇生を救急隊から引き継いで継続したが、甲斐なく蘇生されず、そのまま運び込まれた病院で死亡確認された。

その病院にしてみれば、今までの経過もわからなく「異状死」の可能性があるということで、所轄の警察署に届け出た。警察は家族から事情を聴き、自宅の捜索も行い、ご本人の検案もおこなったが、事件性もなく、ご本人に外傷もなく、もともとの原疾患による死亡と考えられた。

その日その時間にたまたま救急当番をしていたてめえに、警察署から電話が入った。上記の経過を説明されたあと、担当の刑事は言った。
「というわけで、かかりつけで診ていただいていた貴院で死亡診断書を書くことはできないでしょうか。経過からも事件性はなさそうですし、ご家族も今まで診ていただいていた貴院での診断書を希望されていますし、もしできないのであれば司法解剖となります。それもどうかと考えまして。」

正直そのようなケースを経験したことがなかったので、答えに戸惑った。もちろん、拒否することもできるし、てめえとしてはそれが一番簡単だ。当院で診断書を書くとすれば、医師法20条との兼ね合いもある。また、万が一後から事件性が疑われた場合全責任を負う必要がある。

てめえは、たまたま救急当番となっていただけで担当医ではないので即答できないこと、また、医師法との兼ね合いでそんなことが可能なのかどうか知らないと説明し、担当医もしくは病院の管理者と相談してから再度連絡しますと刑事に説明し、電話を切った。

たまたま病院内に担当医がいたので上記の経緯を説明したところ「原疾患による死亡でしょう。これまでうちで診てきたのだから、こちらで死亡診断書を書いていいのでは。医師法についてはよくわからんのでいちおう管理者とも相談してみてください」とのことだった。

そのとき院長は不在だったので、副院長に相談した。いろいろ話はしたが「・・・これは、うちで書かなあかんやろう」という結論になった。この間いろんな医師と相談しているうちに、てめえの考えは「引き受けないほうがいいのではないか、最後の往診からも24時間以上たっており、他院に運び込まれたのは不幸な出来事だったが手続きとしては警察での死体検案および司法解剖が間違いがないだろうと考えるようになっていた。「後は私が責任とります」と副院長が言ったので、その後の対応はお任せすることとした。

副院長から警察に連絡され、司法解剖は免れることとなったが、今度は運び込まれた病院が怒った。てめえの病院で死亡診断書を書くのは手続き上おかしいし、そんなことは許されない。ので、ご遺体の引き渡しも行わないとする、かなり強硬なお怒りだった。

その後どういう話になったのかはわからんが、ご遺体はいったん警察が引き取って自宅に運び、そこに副院長が出向いて死亡確認を行って、死亡診断書を書くということになった。前述の病院からはその後あらためて抗議があったらしい。




医師法第二十条
医師は、自ら診察しないで治療をし、若しくは診断書若しくは処方せんを交付し、自ら出産に立ち会わないで出生証明書若しくは死産証書を交付し、又は自ら検案をしないで検案書を交付してはならない。但し、診療中の患者が受診後二十四時間以内に死亡した場合に交付する死亡診断書については、この限りでない。




上記については、最後の診察から24時間以内であれば死亡診断書が作成できるが、24時間を超えた場合については死体検案書となるというふうに学校で教わることがほとんどだと思われるし、そう解釈している人が多いが、よく読むと「24時間以内であれば、死亡確認せずに死亡診断書を作成できる」と言っているにすぎない。誤解が多かったために昭和24年に医務局長名で通知が出ているが、いまだに徹底されていないと思われる。

運び込まれた病院は、この条文を盾にかなり抗議されていたが、実は副院長があらためて診察して死亡診断書を作成しており、なんの問題もなかったのだ。てめえもあらためて勉強しなおすまで知らなかった。

つづく。



2011年11月21日(月) 医師法20条


医師法第二十条
医師は、自ら診察しないで治療をし、若しくは診断書若しくは処方せんを交付し、自ら出産に立ち会わないで出生証明書若しくは死産証書を交付し、又は自ら検案をしないで検案書を交付してはならない。但し、診療中の患者が受診後二十四時間以内に死亡した場合に交付する死亡診断書については、この限りでない。


医師法第二十条但書に関する件  
     (昭和二四年四月一四日 医発第三八五号)  
     (各都道府県知事あて厚生省医務局長通知)  
 標記の件に関し若干誤解の向きもあるようであるが、左記の通り解すべきものであるので、御諒承の上貴管内の医師に対し周知徹底方特に御配意願いたい。  

      記  
1 死亡診断書は、診療中の患者が死亡した場合に交付されるものであるから、苟しくもその者が診療中の患者であった場合は、死亡の際に立ち会っていなかった場合でもこれを交付することができる。但し、この場合においては法第二十条の本文の規定により、原則として死亡後改めて診察をしなければならない。  
  法第二十条但書は、右の原則に対する例外として、診療中の患者が受診後二四時間以内に死亡した場合に限り、改めて死後診察しなくても死亡診断書を交付し得ることを認めたものである。  
2 診療中の患者であっても、それが他の全然別個の原因例えば交通事故等により死亡した場合は、死体検案書を交付すべきである。  
3 死体検案書は、診療中の患者以外の者が死亡した場合に、死後その死体を検案して交付されるものである。


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