この仕事を始めて早くも8年目になる。なんとか一通りのことはできるようになったし、その中である程度大きな学会などでの発表もさせていただいた。一般的には知識もそれなりにあるし手技もそれなりにできるし、後輩の面倒を見たりなんだりと一番充実しているころのはずだ。
一通りできるようになったところで、意欲のあるものはさらにいろんなことを極めるべくいったん大学に戻って専門分野の研究を始めたり、そのまま現場に残って指導者・管理者への道を歩み始めるころだ。
そんななか、てめえはドロップアウトし始めた。もったいない、といわれるし、自分でももったいないと思う。正直これだけトレーニング受けたものが仕事を減らしていくのは社会的損失だ。最前線から撤退して区ことに対し、家族のこととかなんだと理由にしているが、恐らくそんなところに真実はない。なるべくしてそうなっていると自分では思う。
何が嫌なのだろうか。何に疲れているのか。仕事そのものに対してか、職場の問題か。
仕事そのものに対してとしても、本当にそのものに対してか、専門分野に対してか。
仕事そのものに対しては、そんなに嫌ではないと思う。そうであれば、大学受験から間違っていたということになってしまう。しんどいなりにやりがいはあるし、社会に役立っているという実感もある。なにより、利益を求める仕事ではないのが性に合っている。
専門分野は選択を誤った気がしてならない。ある意味成り行きで決めてしまったが、こんなに精神的にしんどいとは思わなかった。他の国であればお亡くなりになられている方々だけに、全身の管理がとても難しい。あっという間に急変するわけだ。一見本人は元気に生活しているように見えているが、日本以外の多くの国であればもう亡くなられている方だという認識が本人にも家族にもあまりないので、何かあればひどく狼狽される。医療は一体どこまで進歩するのか。亡くなっていたはずの方々が命を長らえるのはいいことでもあり、新たな問題を生じることでもある。
二つ目だが、職場の問題とすれば、職場の人間関係か顧客の問題かそれ以外か。
人間関係は満足している。どこの職場にもいる使えない人は確かに存在するが、医療現場で働く人々は基本的に善意の人である。ので、てめえに関する人間関係には全く問題がない。上司も素晴らしい人だし、全く問題なし。
顧客の問題。デリケートな話だが、てめえの施設は特殊な人々が顧客として多く集うので、対応に難渋することがある。が、これは他の職種の人々と協力し、解決することが多いのであまり問題ではない。
結論。てめえはどうやら専門を間違えたらしい。とすると解決方法としては専門分野を変更するのが一番だが、また一からトレーニングを受けなおす気力はもう残っていない。現実的には、今までの知識を流用した仕事ができればいいわけで、なんとかそれで生き残れないかもがき中の日々。
2011年11月14日(月) |
父と暮らす/トランス脂肪酸の恐ろしさ |
夕方までの勤務の時は、帰宅時に買い物を済ませるのだが、昼までの勤務の時は、デイケアから帰って来た父と一緒に、近くのスーパーで買い物をする。 「昼は何食べた?」 と聞くが、なんやったかなあと彼は首をかしげる。短期記憶が障害されているのでまあ覚えていないだろうな、と思いながら、いつも同じ質問をする。ふと、何事もなかったかのように彼に正気が戻るのを期待しているかのように。
脳の一部を傷害した彼は、まるで子供だ。欲しいものの前でじっとしたまま動かない。「おっこれ安いやん」と叫ぶのは、たいてい生ギョーザの前だ。刺身のコーナーの前では、じっと刺身を見つめたまま動かなくなる。先日は、イワシの前で彼が動かなくなったので、100円で山盛り入ったイワシを購入し生姜と梅干しで煮つけた。「何食べたい?」ときくと、たいてい「なすび」と答えるので安くて助かる。
料理を盛り付けて机に運ぶと、「わっごちそうや。おいしそういただきまーす」と一人で食べ始める。文句を言ってこないところは人ができているが、きっとろくなものを食べてこなかった人生に違いない。てめえはこの人が、ギョーザと焼き茄子とラーメンと冷凍食品で生きてきたことを知っている。
喫煙もせず、大きな病気もなく、肥満でもない、むしろトライアスロンに出たりチャリで日本一周を実現するくらいのスポーツマンだった父が狭心症を起こしたのは、てめえが南国に行ってすぐのことだった。彼はその時、冷凍食品を運ぶトラックの運転手をしていた。 「ちょっと動くと胸がぎゅーっと重くなるのだが、これはなんだ」と父から電話がかかって来た。よく話を聞くと、典型的な狭心症発作だった。 「電話を切って、すぐに病院に行け。そうしないと心筋梗塞で死にますぜ」と、てめえは父に言った。仕事が忙しくてなんとかかんとかなどと言っていたが、最終的には病院に行くことを了承し、みごと冠動脈に狭窄が見つかった。あと少しで閉塞し、梗塞に至る一歩手前だった。完全に詰まってしまう手前で冠動脈にステントを入れ、彼は生還した。
「なんでこんなことになるんや?」と、まだ正気だった彼はてめえに聞いた。確かに、彼には心臓病のリスクファクターは全くなかった。高脂血症でもなく、糖尿病でも高血圧もなかった。先に書いたように、肥満もなく喫煙もしていない。まったくリスクはなかった。
「まあ、そういう人もおるわ。喫煙したことないのに肺がんになったり、お酒一滴も飲まないのに肝臓壊す人もおるやろ」と、てめえは疫学者が聞いたら卒倒するような詭弁を言った。だが、その時は本当にわからなかった。なぜ彼が、狭心症になったのか。
あれから時も経ち、今ならわかるようになった。まったく、学校では大切なことは学ばないものだ。今ならわかる。冷凍食品、及びそれに多く含まれる、揚げ物のせいだ。コレステロールも高くなかったのだがら恐れ入る。トランス脂肪酸の恐ろしさを父で思い知らされることになるとは思わなかった。
てめえはもともと揚げ物料理をすることが少なかった(めんどくさいからで、ほしい時には買っていた)が、トランス脂肪酸の勉強をしてから、揚げ物を徹底的に避けるようになった。もちろんスナック菓子もである。友人と外食するときは、食べることもあるが、それ以外では意識的に避けている。ので、父の食卓に揚げ物はない。ので、今後彼は長生きするだろうな、などと考えている。
2011年11月13日(日) |
小金井市のごみ問題/○○でほしい |
小金井市のごみ問題、今日までまったく知らなかった。関西ではニュースになっていないからだろうか、偶然今日初めて知った。ていうか、関西人は誰も知らないのではないか。
このままいくと、ごみを誰も引き受けてくれない可能性があると。これはすごい。ナポリと姉妹都市になれるのでは。ぜひなってください。
私見だが、小金井市の方々は、一度ごみ処理が完全にストップしないとわからないのではないか。ごみが市内の道路を埋め尽くさないと先に進まないのではないでしょうか。元朝日新聞記者の辞任した市長も甘いが議会や市民はもっと甘いのでは。次の市長選挙は誰か立候補するのか。いっそ横粂代議士が立候補してはどうか。
http://ameblo.jp/katsuhito-yokokume/entry-11068404268.html
なんで彼はここに手を突っ込んでいるのかと思ったら、次期選挙で前首相に対抗して小金井氏を含む東京19区から出る予定なのね。がんばれ「総理」。首相選挙の一票はてめえも爆笑させていただきました。笑っている場合ではないが。
http://www.youtube.com/watch?v=CBjVw-Z86W8
「続・落ち穂拾いの記」たしかに死んでほしい。あっ書いちゃった。 しかし、気持ちはよくわかりますぜ旦那。てめえも幾度となく脳内殺人を企てました。これは、そういうことができないような制度を作らないと永遠に続くような気がするぞ。そんなことをすると、善意に基づいて成り立っている医療現場が完全に崩壊するだろうが。こっちも、一度完全に崩壊しないとわからないのでは。まあてめえは最前線から離脱しましたが何か。
最近は毎日料理している。ほとんど加工食品は使用しないので、めんどくさいことはめんどくさいが仕事するよりましだ。今は5時には仕事が終わるので、それから買い物をして帰る。いろんな店で買い物するので、店ごとの特徴もわかるようになってきた。
で、まじめに考えてみたが、きちんと料理するようになった理由はどうやら二つある。一つ目は、京都に住んでいるということである。
沖縄にいるときはあまり感じなかったが、こっちでは旬のものがはっきりしているということ。まあ沖縄は亜熱帯なので旬もくそもあるかと言われればそれまでだが、京都はよりはっきりしているのではないだろうか。その旬のもので、いままでいわゆる京都の家庭料理をいうものを作ったことがなかったので、いろいろと試してみている。「なすとにしんのたいたん」とか、実際食べたことなかったわけだ。これは、子供の時に料理を作っていた母親が、京都出身ではないことと関係しているのだろう。京都にはいろいろ京野菜があるので、ネットや本などでレシピをいろいろ調べたりしながら作っている。ただし、元の味がよくわからないのだな。
本は、図書館で借りてきている。さすがに、図書館に行くと、ちゃんと京料理のコーナーがあるのだ。これはありがたい。
おかげで、今まで知らなかったことがいろいろと分かった。京都では牛肉の消費量が多いとか、こんなことも知らなかったわけだ。母親が南国出身なので、てめえの育った家では豚肉ばかりだったからな。たしかに牛肉コーナーがやたらと充実している。
京野菜も、旬の時期だけどかっと並んで消えていく。以前に、中国では、冬になると八百屋には白菜のみが山のように積んであると聞いたことがあるが、そこまで極端ではないが何となく情景が理解できる気がする。
さて二つ目。これは、偶然ネット上で出会った高野さんの日記の影響である。リンクは張らない。おっさんひとりめしでググると出てくる。これがまた、毎日おいしそうな料理を作ってらっしゃるわけだ。感化されやすいてめえは、たちまち壇一雄の本や池波正太郎の本や海軍レシピの本などを買ってしまった。ちなみにてめえが一番好きな料理本は向田邦子のもので、ずっと台所に置いてあるので表紙は脂でてらてらになっている。これは偶然、一乗寺の恵文社という書店で見つけて衝動買いしたものだが、そんな話はどうでもよい。
さて今日の晩飯は何にしようか。最近近くの店で、香菜がたまに置いてあるので、今日もあれば買って帰ろう。おいてあれば必ず買うので、最近おいてある頻度が高くなった。イカが安かったらイカと炒めてもいいし、そういえば冷蔵庫にブタのバラ肉があるのでそれで炒めてもよいし、サラダに入れてもよいし。豆とキャベツのカレーつくっていれてもいいし。
パンの一人当たりの消費量は、京都が日本一だそうだ。
この統計は「京都府」でくくっているので、おそらく「京都市」にすればもっと数値は跳ね上がるに違いない。そう考える理由は後述する。
なぜ、京都人はパン好きなのか。ミシュランの星を数多く獲った「美食の都市・京都」。京都では薄味が好まれるという幻想と共に、パン好きも京都の一面を表していると思われ非常に興味深い。
京都で薄味という幻想は誰が作ったのか。ミシュランの星密度が世界最高と思われる祇園では、様々な名店が軒を並べるが、これらの名店では出汁をしっかりと利かせているために、味を濃くする必要がない。必要がないというよりは、濃い味では出汁を生かせない。だから薄味だと思われているのだろう。だがこれらの名店を利用する京都人はごくわずかであり、大半の京都人は自宅で食事している。もしくは、大衆食を食べに行く。大衆食の代表と言えばラーメンだろうが、京都のラーメンは御存じ超ギトギトのこってりスープである。いまや全国展開どころか外国にまで暖簾を広げた「天下一品」も、発祥は京都だ。
さて、パンである。どうでもよいが、てめえの住む街はパン屋だらけである。同じ通りにパン屋がずらりと並んでいて、どのパン屋も個性的で美味い。意外なことに、あんパンやクリームパンなどいわゆる「日本のパン」を売る店はほとんどなく、ハード系やクロワッサンなどが美味い店が多い。バゲットなどは店ごとの美味さを競っている。
てめえはこの街に引っ越してきて以来、家のすぐ近くにあるパン屋にお世話になって来た。結構美味いパンを焼くし、最も近いというそれだけの理由で、そのパン屋のパンばかり食べていたが、ある日の夜中に突然家ごと燃え落ちてしまった。2階の住居部分まで燃えてしまったばかりではなく、密集する住宅街のことで、密接して建つ隣の家も半焼した。まだ家の燃えた嫌なにおいの残る翌朝、燃えたパン屋の前に立ちてめえは呆然とした。明日からどこのパンを食えばいいのだ。
隣の家まで燃やしてしまったということで、てめえのパン屋の再建は後回しになり、まずは隣の家の修理が始まった。パン屋自体は焼けたままで放置である。てめえは、まあ、そらそうやわな、などと思いつつ、通勤路でもあるパン屋の前を毎日通ることとなった。
さてパンをどこで買うか。今まで最も近いだけの理由でたまたま購入したパンが絶品だったので、実は他のパン屋を試したことすらなかった。が、探せばパン屋だらけである。
というわけで、いろんなパン屋を試してみたが、どうもいまいちだった。どうやら、燃えたパン屋はてめえの舌ととても相性が良かったらしい。そうしてパン屋巡りする毎日だった。
歩いていける範囲のパン屋をことごとく試したが、どこもいまいちだったので、自転車で行ける範囲に捜索範囲を広げた。そこでようやく、新たなパン屋を見つけたのだ。
そのパン屋は一見パン屋というよりは怪しげな衣料店のようにも見えた。店の前に立ってみるが、外から見る店の中は暗く、開店しているのかどうかもよくわからない。勇気を出して入り口の扉を押すと、なんとそこはパリだった。
店内にはフランス語のラジオが流れており、壁にはフランス映画のポスターが貼ってある。壁の白い部分にはいろんな言語の落書きがあった。店番をしていたお姉さんは、てめえと目が合うとにっこり笑って「いらっしゃいませ」と言った。bonjourと言われずにほっと一安心。
置いてあるパンをぐるりと見ると、普通のクロワッサンやアンチョビクロワッサンなど、他にもオリーブやナッツ類などうまく組み合わせてありてめえ好み。さっそくいくつか購入してみたが、どれも思った以上に美味かった。
それからは、そこでばかりパンを買うようになった。やっと見つけたお気に入りパン屋さん。散歩がてら歩いていける距離でもあったので、休日はのんびり歩きながらパンを求めている。購入して帰り、自分で淹れたコーヒーとともにいただくのが至福の時間だ。のちに知ったが、こんな近所の小さな店が東京のしかも新宿に支店を出してしかも大繁盛しているらしい。これで東京に行った時も、パンが食べたくなればいつでもいつもの味をいただけるというわけですな。
人気パン店「ル・プチメック」西山さんに聞く、今までとこれから
さててめえの近所の燃えたパン屋だが、隣の家の修理が終了した後も、しばらく焼けたままで放置されていた。おそらく、隣の家の修理で資金が尽きたのだろう。というか、資金はなかったのかもしれない。そのまましばらく時間が過ぎた。
忘れたころに、パン屋の工事が始まった。「近所の方々には大変ご迷惑をおかけしました。まもなく再開しますので宜しくお願いします」という紙が店先に張ってあった。
焼けた跡は立て直しが大変なのだろうか、それからずいぶんと日にちがたったが、ゆっくり工事は進んでいる。再開すれば、歩いてすぐのこの店にまた戻るだろうが、前述の店にもちょくちょく買いに行くだろうな。
忘れかけていたが、京都にパン屋が多い理由だった。京都のいわゆる旧市街地にあたる「洛中」は、職人の町である。特に町屋なんかは職住一致のための家であり、1階は店舗や工場であり、2階が住居となっているわけで、通勤時間もいらない職人のための家である。職人は食事の時間がまちまちであり、またさっと食べられる、もしくは作業しながらでも食べられるパンがよく食べられるようになるのに時間はかからなかったと考えられる。
したがって、京都を歩くと、特に洛中にパン屋が多いことに気付く。職人の街ではない洛外は、おそらく京都以外の街を同じくらいのパン屋密度ではないだろうか。京都市外も同じだろう。
というわけで、「京都のパン消費量は日本一」の理由としては、洛中の人々がパンをたくさん消費するためだと考えるのだが、いかがでしょうか。あまり外れていない気がするぞ。
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