最近は毎日料理している。ほとんど加工食品は使用しないので、めんどくさいことはめんどくさいが仕事するよりましだ。今は5時には仕事が終わるので、それから買い物をして帰る。いろんな店で買い物するので、店ごとの特徴もわかるようになってきた。
で、まじめに考えてみたが、きちんと料理するようになった理由はどうやら二つある。一つ目は、京都に住んでいるということである。
沖縄にいるときはあまり感じなかったが、こっちでは旬のものがはっきりしているということ。まあ沖縄は亜熱帯なので旬もくそもあるかと言われればそれまでだが、京都はよりはっきりしているのではないだろうか。その旬のもので、いままでいわゆる京都の家庭料理をいうものを作ったことがなかったので、いろいろと試してみている。「なすとにしんのたいたん」とか、実際食べたことなかったわけだ。これは、子供の時に料理を作っていた母親が、京都出身ではないことと関係しているのだろう。京都にはいろいろ京野菜があるので、ネットや本などでレシピをいろいろ調べたりしながら作っている。ただし、元の味がよくわからないのだな。
本は、図書館で借りてきている。さすがに、図書館に行くと、ちゃんと京料理のコーナーがあるのだ。これはありがたい。
おかげで、今まで知らなかったことがいろいろと分かった。京都では牛肉の消費量が多いとか、こんなことも知らなかったわけだ。母親が南国出身なので、てめえの育った家では豚肉ばかりだったからな。たしかに牛肉コーナーがやたらと充実している。
京野菜も、旬の時期だけどかっと並んで消えていく。以前に、中国では、冬になると八百屋には白菜のみが山のように積んであると聞いたことがあるが、そこまで極端ではないが何となく情景が理解できる気がする。
さて二つ目。これは、偶然ネット上で出会った高野さんの日記の影響である。リンクは張らない。おっさんひとりめしでググると出てくる。これがまた、毎日おいしそうな料理を作ってらっしゃるわけだ。感化されやすいてめえは、たちまち壇一雄の本や池波正太郎の本や海軍レシピの本などを買ってしまった。ちなみにてめえが一番好きな料理本は向田邦子のもので、ずっと台所に置いてあるので表紙は脂でてらてらになっている。これは偶然、一乗寺の恵文社という書店で見つけて衝動買いしたものだが、そんな話はどうでもよい。
さて今日の晩飯は何にしようか。最近近くの店で、香菜がたまに置いてあるので、今日もあれば買って帰ろう。おいてあれば必ず買うので、最近おいてある頻度が高くなった。イカが安かったらイカと炒めてもいいし、そういえば冷蔵庫にブタのバラ肉があるのでそれで炒めてもよいし、サラダに入れてもよいし。豆とキャベツのカレーつくっていれてもいいし。
パンの一人当たりの消費量は、京都が日本一だそうだ。
この統計は「京都府」でくくっているので、おそらく「京都市」にすればもっと数値は跳ね上がるに違いない。そう考える理由は後述する。
なぜ、京都人はパン好きなのか。ミシュランの星を数多く獲った「美食の都市・京都」。京都では薄味が好まれるという幻想と共に、パン好きも京都の一面を表していると思われ非常に興味深い。
京都で薄味という幻想は誰が作ったのか。ミシュランの星密度が世界最高と思われる祇園では、様々な名店が軒を並べるが、これらの名店では出汁をしっかりと利かせているために、味を濃くする必要がない。必要がないというよりは、濃い味では出汁を生かせない。だから薄味だと思われているのだろう。だがこれらの名店を利用する京都人はごくわずかであり、大半の京都人は自宅で食事している。もしくは、大衆食を食べに行く。大衆食の代表と言えばラーメンだろうが、京都のラーメンは御存じ超ギトギトのこってりスープである。いまや全国展開どころか外国にまで暖簾を広げた「天下一品」も、発祥は京都だ。
さて、パンである。どうでもよいが、てめえの住む街はパン屋だらけである。同じ通りにパン屋がずらりと並んでいて、どのパン屋も個性的で美味い。意外なことに、あんパンやクリームパンなどいわゆる「日本のパン」を売る店はほとんどなく、ハード系やクロワッサンなどが美味い店が多い。バゲットなどは店ごとの美味さを競っている。
てめえはこの街に引っ越してきて以来、家のすぐ近くにあるパン屋にお世話になって来た。結構美味いパンを焼くし、最も近いというそれだけの理由で、そのパン屋のパンばかり食べていたが、ある日の夜中に突然家ごと燃え落ちてしまった。2階の住居部分まで燃えてしまったばかりではなく、密集する住宅街のことで、密接して建つ隣の家も半焼した。まだ家の燃えた嫌なにおいの残る翌朝、燃えたパン屋の前に立ちてめえは呆然とした。明日からどこのパンを食えばいいのだ。
隣の家まで燃やしてしまったということで、てめえのパン屋の再建は後回しになり、まずは隣の家の修理が始まった。パン屋自体は焼けたままで放置である。てめえは、まあ、そらそうやわな、などと思いつつ、通勤路でもあるパン屋の前を毎日通ることとなった。
さてパンをどこで買うか。今まで最も近いだけの理由でたまたま購入したパンが絶品だったので、実は他のパン屋を試したことすらなかった。が、探せばパン屋だらけである。
というわけで、いろんなパン屋を試してみたが、どうもいまいちだった。どうやら、燃えたパン屋はてめえの舌ととても相性が良かったらしい。そうしてパン屋巡りする毎日だった。
歩いていける範囲のパン屋をことごとく試したが、どこもいまいちだったので、自転車で行ける範囲に捜索範囲を広げた。そこでようやく、新たなパン屋を見つけたのだ。
そのパン屋は一見パン屋というよりは怪しげな衣料店のようにも見えた。店の前に立ってみるが、外から見る店の中は暗く、開店しているのかどうかもよくわからない。勇気を出して入り口の扉を押すと、なんとそこはパリだった。
店内にはフランス語のラジオが流れており、壁にはフランス映画のポスターが貼ってある。壁の白い部分にはいろんな言語の落書きがあった。店番をしていたお姉さんは、てめえと目が合うとにっこり笑って「いらっしゃいませ」と言った。bonjourと言われずにほっと一安心。
置いてあるパンをぐるりと見ると、普通のクロワッサンやアンチョビクロワッサンなど、他にもオリーブやナッツ類などうまく組み合わせてありてめえ好み。さっそくいくつか購入してみたが、どれも思った以上に美味かった。
それからは、そこでばかりパンを買うようになった。やっと見つけたお気に入りパン屋さん。散歩がてら歩いていける距離でもあったので、休日はのんびり歩きながらパンを求めている。購入して帰り、自分で淹れたコーヒーとともにいただくのが至福の時間だ。のちに知ったが、こんな近所の小さな店が東京のしかも新宿に支店を出してしかも大繁盛しているらしい。これで東京に行った時も、パンが食べたくなればいつでもいつもの味をいただけるというわけですな。
人気パン店「ル・プチメック」西山さんに聞く、今までとこれから
さててめえの近所の燃えたパン屋だが、隣の家の修理が終了した後も、しばらく焼けたままで放置されていた。おそらく、隣の家の修理で資金が尽きたのだろう。というか、資金はなかったのかもしれない。そのまましばらく時間が過ぎた。
忘れたころに、パン屋の工事が始まった。「近所の方々には大変ご迷惑をおかけしました。まもなく再開しますので宜しくお願いします」という紙が店先に張ってあった。
焼けた跡は立て直しが大変なのだろうか、それからずいぶんと日にちがたったが、ゆっくり工事は進んでいる。再開すれば、歩いてすぐのこの店にまた戻るだろうが、前述の店にもちょくちょく買いに行くだろうな。
忘れかけていたが、京都にパン屋が多い理由だった。京都のいわゆる旧市街地にあたる「洛中」は、職人の町である。特に町屋なんかは職住一致のための家であり、1階は店舗や工場であり、2階が住居となっているわけで、通勤時間もいらない職人のための家である。職人は食事の時間がまちまちであり、またさっと食べられる、もしくは作業しながらでも食べられるパンがよく食べられるようになるのに時間はかからなかったと考えられる。
したがって、京都を歩くと、特に洛中にパン屋が多いことに気付く。職人の街ではない洛外は、おそらく京都以外の街を同じくらいのパン屋密度ではないだろうか。京都市外も同じだろう。
というわけで、「京都のパン消費量は日本一」の理由としては、洛中の人々がパンをたくさん消費するためだと考えるのだが、いかがでしょうか。あまり外れていない気がするぞ。
夕方に台所で食事を作っていると、ぴんぽんとチャイムが鳴った。てめえは日用品をネットで買い物することが多いので、てっきりどこぞの運送会社の配達の人かと思い出てみると、元居候氏がにっこり笑って立っていたので驚いた。
彼は学生の時から、予告もなくてめえの住むところに現れては好きなだけ滞在し、好きなだけ京都観光をして帰っていく。今は大阪在住だが元々は京都出身であり、なぜそれだけ飽きずに地元観光をできるのかと不思議だったが、いったん外に出て帰ってきてから、その気持ちがわかるようになった。まあ、それはまた別の話。
さすがに南の島に移住した後はさすがにそこまでやってこなかったが、京都に再び帰ってきてからは、またちょくちょく現れるようになった。
彼はスイーツ好きで、てめえはアル中なので、いつも彼の手土産は甘いものと日本酒である。まあよくわからん組み合わせだが、この日もてめえの料理で日本酒を飲み(彼は全く飲めないので、一人で)、食後に甘いものをいただいた。
食事しながらいろんな話をしたが、自殺未遂した友人(お互い知り合いでもある)の話になると、彼は呆れながらこう言った。「彼はいつもいろんな人に助けられて、いろんなひとにチャンスをもらっているのに、全く自覚なくいつもそのチャンスをぶち壊しますねぇ」まさにその通りですわ。こうやっていろんな友人を失っていったこと、わかってんのかいな。まあ、申し訳ないがもうてめえは関係ないがね。あとは勝手に生きてくれ。
元居候氏とは遅くまでいろいろ語ったが、夜遅くになって「明日仕事ですし帰りますわ」と、自分の折り畳み自転車を組み立てて自転車に乗り、大阪に帰っていった。
2011年10月31日(月) |
友人その後/糖尿病性脳症 |
自殺未遂をした友人だが、内科の予約日だった日に予約通り受診してきた。こういったところは律儀なんだろう。
受診してくると、すぐに「病院を変えたい」と言ってきた。こちらももともとそのつもりで、本人にもそのように話していたのでまあそれはいいのだが、だが普通は、これほどの問題を起こした直後に紹介状を書いて転院させるのは仁義に反するのでしない。ので、この日は紹介しないつもりだったが、実際に診察室で本人と向き合って、なんだかどうでもよくなり紹介状を書くことにした。
「(今までの治療履歴の詳細および、自殺未遂事件の詳細の後に)上記患者様ですが、私の20年来の友人でもあり、今回治療関係と友人関係を別にした方がよいと考えました。紹介するには最悪のタイミングと愚考しています。大変申し訳ありませんが、御高配のほど何卒宜しくお願いします」と、馬鹿丁寧な紹介状を書いた。
さて、この友人の主病名は「糖尿病」である。てめえも一時期、糖尿病を多く扱う外来をしていたこともあったが、今はさらに専門特化した先生がおられるので、自分で糖尿病を治療する機会はほとんどなくなってしまった。この友人が唯一の例外で、それ以外の方は、診断した時点で専門外来に紹介する。
彼を専門外来に送らなかった理由は二つで、一つ目は、あまりにひどい糖尿病だったこと。初診の段階で即入院が必要な状態だった。専門外来の先生は大学からの派遣なので、入院は見ない。ので、初めの段階では、入院もしてもらいある程度コントロールが付いた段階で専門外来に紹介するつもりだった。
二つ目の理由は、彼自身が希望したからだ。まあそんな希望ははねつけてもよかったのだが、正直忙しい外来の中に彼が混じっていると、ほっと一息つけるというのもあった。
一つ目の理由については、ある程度コントロールできて来ていたので解決済み。二つ目については、ある程度コントロールできるようになった時点で彼に持ちかけていたのだが、彼は転医することを嫌がった。受診時間や湿布の処方などわがままが言えなくなるからだろう。しかし今回彼から言い出したので、これにて終了と相成ったわけだ。
「糖尿病ってのはね、代謝の病気ではなくって脳症なんだよ」と、以前指導医だった医師はてめえに言った。「つまり、血糖値が高くなるのは、頭がおかしいからだ。頭がおかしいから、インスリンが出なくなるまで暴飲暴食をするし、血糖値が高くなっても治療する気がないんだよ」と。まあそう言いたくなるような人も多いのは事実だがねぇ。
さて、これにて治療関係はおしまい。友人関係は、向こうはまだあると思っているのだろうがこっち的にはとっくに破綻しているので、これもおしまい。まあどこかで元気にやってくださいな。
2011年10月25日(火) |
MCハマーが検索エンジンを開発! |
「MCハマーが検索エンジンを開発」
久しぶりに、よくわからないニュースを見てしまった。なんだこの意味不明な組み合わせは。「MCハマー」と「検索エンジン」が全くつながらないのだが。
たまたま遊びに来ていた妹に「つまりどういうこと?」と聞かれた。どういうことか、てめえも知りたいわ。 「まあ、例えて言うなら『TMレボリューションがiPhoneに代わる新しいスマートフォンを開発した』ようなものかな」と適当なことを言った。 「なるほど、要は意味が分からんということやな」と妹は理解したようだ。
気長に続報を待つことにした。ホンマにgoogle超えたら面白いな。
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