解放区

2011年10月24日(月) 自殺未遂した友人のその後

先週末に、自殺未遂した友人が入院している病院から「病状も安定し、そろそろ退院になりますので、貴院での外来受診の予定をお願いします」みたいな手紙が届いた。自殺企図として精神科の病院に投げるわけではなく、自宅に帰してももう大丈夫との判断でそのまま退院となるようだ。ケースバイケースだがまあそれもありだろうと思い、こちらからも「大変ご迷惑をおかけしました。御加療ありがとうございました」みたいな返書を書いて送った。その話がそのまま進めば、彼はめでたく退院し、今週にでもてめえの病院を受診する運びになっていたはずだった。


そんなわけで土日の勤務がなく週が明けて出勤したてめえに、業務メールが来ていた。
「友人の入院している病院から連絡があり、上記の友人が21日未明に無断外出され、そのまま戻っていないらしい。本人や家族にも連絡がつかず、このままだと22日に強制退院となる」
との内容だった。なんだその展開は。月曜日の朝からこれほど脱力するメールもないだろう。あわてて先方の病院に連絡したが、やはりその後本人とは連絡が付かず、22日にめでたく強制退院となったらしい。それから丸二日、何も知らないてめえのところには本人からも含めてプライベートなルートでの連絡は全くなかった。

通常であれば、自殺企図の患者が入院中に無断外出したら、おそらく未遂に終わった思いをどこかでひっそりと遂げるのだろうか、と思うものだが、てめえにはそうではないだろうというどこから湧いてきたのかもよくわからない確信があった。本気でやり遂げる人は、overdoseしたときに友人に連絡を取らないものだ。


とりあえず本人に電話をかけてみた。呼び出し音は鳴るが、出ない。電波の届かないところにいるわけでもなく電源が入っていないわけでもない。ということは、てめえからの電話だと感じて電話を取らないのだな、と思った。まあ、ある意味予想通りの展開。

しばらく呼び出し音を鳴らしたが、何の反応もないために諦め、overdoseしたときに友人が連絡を取った友人(ややこしいので以下Kとする)に連絡してみた。

「おう、お疲れ! 彼は退院したらしいな!」
と、電話を取ったKは言った。なんだ? てめえはまだ何も言っていないのに、なぜ彼は退院の話を知っているのだ? いったいKはどこまで知っているのだろうか。
「昨日彼のお母さんから電話があって、『無事退院しました。どうもありがとうございました』って言われたで。本人から? 直接連絡はないけど、お母さんがまた連絡させるって言ってたわ」

てめえはKに、彼は病院を無断で脱走したこと、病院と連絡とれずに強制退院となったことなどを簡単に説明した。ここでてめえがKに隠すことは何もない。「なんやて。彼のお母さんは普通の退院と思うてはるで。親に嘘つきよったなあいつ・・・。まあ親には言えんこともあるわな。入院理由も、自殺企図という内容は隠しているみたいや。そら最近モバゲーで出会った女の子にふられたからなんて理由、親には言えんわなぁ」

…なんとそんな理由だったのか3日間眠れなかったのじゃなかったのか。と、てめえは茫然とした。と同時に、もう何でも良くなってきた。どーでもええわ。

またなんかあったら連絡をおくれとKに話し、電話を切った。overdoseした挙句、友人に連絡。呼ばれて運ばれ命を助けてくれた病院から脱走。もともとの原因はモバゲーの出会い系? ということなのだが、彼は生活保護を受けていることを忘れてはいけない。生保でモバゲーで出会い系で失恋で絶望してoverdoseして夜中に友人をたたき起してICUに入って医療費を浪費し脱走(生保なので取っぱぐれのない病院は深追いしないと)。こんな支離滅裂は久しぶりに経験した。

しばし呆然とし、院内をふらふら歩いていると、精神科のDrから声をかけられた。
「友人さん、そろそろ退院だって?」
いやそれがですね、とてめえは脱走のことをかいつまんで説明した。
「あれ、さっきご本人から電話があって、退院したので外来の予約を取ってほしいというので、自分の外来を予約したよ」なんと。内科は連絡ありませんがなにか? 「さすがにばつが悪いんじゃないの?」と精神科Drはかばってくれたが、いやあもう知らん。どーでもいいわ。後は好きに生きてくれ。



2011年10月23日(日) America

"Let us be lovers we'll marry our fortunes together"
"I've got some real estate here in my bag"
So we bought a pack of cigarettes and Mrs. Wagner pies
And walked off to look for America

「僕たち恋人になろう、そしていつの日か結婚しよう」
「バッグの中に、ちょっとした財産を詰め込んできたわ」
そして僕らは煙草とミセスワグナーのパイを買い
アメリカを探す旅に歩き出た


"Kathy," I said as we boarded a Greyhound in Pittsburgh
"Michigan seems like a dream to me now"
It took me four days to hitchhike from Saginaw
I've gone to look for America

「キャシー」ピッツバーグでグレイハウンドのバスに乗り込み、僕は言った
「ミシガンにいたのがもうずっと昔のことのようだね」
ミシガン州サギノーからここまでヒッチハイクして、もう4日が経っていた
アメリカを探すために、ここまでやって来たんだ


Laughing on the bus
Playing games with the faces
She said the man in the gabardine suit was a spy
I said "Be careful his bowtie is really a camera"

バスの中で笑い合い
顔を寄せ合いゲームをした
ギャバジンスーツを着ている男はスパイだと彼女は言った
「気をつけろ、そいつの蝶ネクタイは実はカメラなんだ」と僕は言った


"Toss me a cigarette, I think there's one in my raincoat"
"We smoked the last one an hour ago"
So I looked at the scenery, she read her magazine
And the moon rose over an open field

「煙草をこっちに投げてくれ。レインコートの中に入っているはずだ」
「1時間前に最後の一本を吸ったわよ」
しかたなく、ぼくは外の風景を眺め、彼女は雑誌に目を落とした
どこまでも続く平野に月がのぼっていた


"Kathy, I'm lost," I said, though I knew she was sleeping
I'm empty and aching and I don't know why
Counting the cars on the New Jersey Turnpike
They've all gone to look for America
All gone to look for America
All gone to look for America

「キャシー、僕は分からなくなったよ」そう呟いた。
彼女が眠っているのは知っていたけど
僕は虚しくて心が痛くて、なぜなのか分からなかった
ニュージャージーのターンパイクを走る車の数を数えていた
みんなアメリカを探しにきたんだ
みんなアメリカを探しにきたんだ
みんなアメリカを探しにきたんだ

"America"  Words by Paul Simon



2011年10月22日(土) 東京の街に出てきました。相変わらずわけのわからないことを言ってます。

友人に年に一回の再会をするため、今年も出かけることにした。

京都に帰ってきたころには、近くなったので年に数回は再会しに行こうと思っていたのに、南の島に住んでいたころと同じく年に1回しか足を運べていない。大変申し訳ない。

今年は予算も厳しくなってきたので、夜行バスで出かけた。誰にも気兼ねなくリクライニングしてやろうと最後列の席を予約したのだが、てめえの思いとは逆に最後列はほとんどリクライニングしなかった。おかげで少しまどろんだところでケツの痛みに覚醒し、を繰り返し、結局東京に着くまでほとんど眠れなかった。


東京は雨だった。傘をさしながら、東京駅から銀座を経て築地へと歩く。途中、銀座の街中を歩きながら登校する銀座中学校の生徒を見た。この子たちはどんな所に住んでいるのだろうか、とふと思った。

築地は人大杉で、ちとうんざり。土曜日に訪れるのは間違っているということのようだ。

早々に引き揚げたため、時間が出来てしまった。どうしようか、と、歩き疲れていたこともあり、今度は公共交通機関を使って移動しようと思い、とりあえず地下鉄の駅へと向かった。路線図をぼーっと見ていたら「南千住」という駅名が目に入ってきた。

東京に来る前の日に、どこでそうなったのかまったく記憶にないのだが、ネットサーフィンする間に気が付けば「ジプシーロッテ」に夢中になっていたことを思い出した。ロッテの悲しい歴史を紐解いている間に、わずか10年ほどしか使用されなかった、東京の下町に忽然と現れ消えていった「東京スタジアム」に心奪われいろいろ調べていたことをたちまち思い出し、跡地に記念碑でもねえだろうかと思い、てめえは地下鉄に乗り南千住の駅を目指した。

結果から言うと、東京スタジアムの跡地には何も記念碑はなかった。ただ荒川総合スポーツセンターとなっているだけで、東京スタジアムができる前にあった千住製絨所の碑が何故か残っていた。まるで東京スタジアムだけ、なかったことにされているような印象を受けた。

周りはまだ下町風情が残っており、遠くの方に高層マンションが見えた。おそらく、この周りは球場があったころとさほど激変していないのだろうと勝手に想像した。

「光の球場」「ナイター終了後に照明が消えると夜蛾が一斉に周辺の民家になだれ込んだため、一種の公害にもなっていた」風景を、瞼の裏に思い浮かべてみた。ふと、球場の中から、空を切り裂く球音と共に、少し遅れて大きな歓声が聞こえてきたような気がした。


その後は近くに走っていた都電荒川線に乗車。何も考えずに王子駅で下車。JRに乗り換えると、駅の構内から「さくら新道」という怪しげな飲み屋街が見えた。今度ここを訪れたときに攻めてみようか。

それから吉祥寺に移動し、いせやでタカダワタル的。よく飲んだが、飲み足りずに山梨への列車の中でも泡盛を飲んだ。


東京では、街並みをいろいろと見ようといろいろ歩いたが、正直見るものはなかった。新しい街に取り残された古い家や町並みなどが残っているかと思ったが、今回のルートでは見当たらず。スクラップ&ビルトが進んでいるというよりは、おそらく先の大戦での空襲にて、古い家は軒並み焼けてしまい、町全体として生まれ変わったのだろうかと思った。そこが京都との違いなのだろうと思う。まあまた今度、東京にある別の街を歩いてみよう。



2011年10月21日(金) 診療所にて。カダフィー死亡。

今日の診療所勤務は暇だった。来院したのはなんと、たったの5人で、あまりの閑古鳥ぶりに思わず診察室で孤独死するかと思った。まあしゃあねえな。スタッフともまだ親しくなる以前の状態で、現在は思いっきりアウェイ気分だが、そのうち徐々にホームになるのだろう。なんにせよてめえらが暇だということは、世界は十分に平和だということだ。


カダフィーが亡くなったとのニュースがあった。独裁者が倒されたとのニュースで一色だが、いったい彼は国民にどれだけの理不尽を働いたのだろうか? てめえが無知なせいだろうか? 実のところよくわからない。wikipediaやニュースやその他いろいろ調べたが、要は彼は「変な人」「アメリカにケンカを売り続けた人」以上のことはわからないぞ。

罪もなき国民を次々と粛清したわけでもなく、個人蓄財をしたわけでもない。国民があれだけ盛り上がっている理由もわからない。リビアが産油国でなければ、こんな騒動は起きえただろうか?

独裁国家といえばもっととんでもない国があるではないか。隣国の民間飛行機を爆破したり(これはリビアもしたな)、別の国を訪問中の隣国の大統領をその国の重要な場所ごと吹き飛ばす殺害未遂を起こしたり、我が国や隣国の善良な市民を拉致したり、あろうことか国家ぐるみで偽ドル札を刷ったり覚醒剤を製造したりしているとんでもない無法国があるではないか。その国は経済政策を失敗させた閣僚を公開処刑していたが、どんだけ前時代やねん。これ、我が国に適応したら、閣僚は総辞職どころか総処刑になるぞ。おそらく極東の地にありアメリカがあまり興味がないのと、産油国ではないから生きながらえているのだろうな。






2011年10月20日(木) 二郎系を食す

諸事情により削除しました。


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