2011年10月19日(水) |
ビッグダディとか友人のその後とか |
先日自殺未遂した友人は、昨日ICUから一般病室に移ったらしい。本人からメールが来たわけなのだが、そもそも院内でメールしていいのか。ICU入室中からメールがあったぞ。いちいちこうして連絡してくるあたりがかまってちゃん臭がする。共におっさんにもなっているというのになんとも悲しいぞ。君はそれでいいのか。そういう意味での「今後どうするのか」だったのだが、この年齢になると、もう人格が出来上がってしまっているので、相当強い意志がないと人間変わるのは難しいのだな。
病院間の連絡はまだ来ないので、もしかするとそのままおちつけば軽快退院となるのかもしれない。普通は自殺企図だと精神科へとつなげることが多いのだが、それはしないのか、もしくは直接精神科で入院できる病院に連絡を取っているのか。よくわからんが、てめえの職場では環境的な問題にて診ることが難しいので、こっちに来ないことはいいことかもしれない。てっきり、「かかりつけのそちらで入院できる精神病院を探してください」といったんは投げられるものだと思っていた。普通はそうなるのだが、治療までしていただいた上に転院先まで探していただいているのだとすれば大変申し訳ない。
ビッグダディ。ほぼ初めのころから追っている。もともとはたくさんの子を抱えるシングルファーザーが、生活と子供のために岩手から奄美に移住するというほのぼの話だったが、元妻がやってきたあたりから清濁入り混じったヒューマンドラマになり、とうとう今回の放映では新しい妻も現れ大爆発した。10/1の放映分はまったく先の読めない展開となり、まさしく「事実は小説よりも奇なり」だった。どれだけ優秀なシナリオライターでもあの展開は書けまい。奇しくも台本がないとの証明になったのでは。
10/8の後半はやや落ち着きを取り戻し、ほのぼのと見ることができた。テレビ局の援助があることがよくわかる後半だった。
今回の放映内容はまさしく賛否両論が渦巻いたようで、ネットでもさまざまな意見が噴出していた。てめえの母までが「今まで楽しく見ていたが、今回のダディは最低。もう途中で消したわ!」と憤慨していた。が、てめえは楽しく今後も見るだろう。
なぜだろうか、とふと柄にもなく考えてみた。おそらく、大家族がうらやましいのだろう。また、父が中心だということもあるだろう。父親が、もっと正確にいえば男がクソな存在であるということはもともとからして明らかなことなので、その点で幻滅することはない(女性は逆だろうが)。注目すべきは、あれだけの子供たちが、みなぐれることもなくまっすぐに育っていることだろう。
それにしても隠岐のあのクソ公務員には腹が立った。てめえが嫌いな公務員そのものだった。公僕ならば小豆島の職員のように、きわめて事務的に対処すればいいと思うが、てめえが権力を持っているとでも勘違いしているのだろう。まったく公務員の横暴は何とかしてほしい。彼らの給料も減らしてくれ。彼らは日本経済まで破綻させるぞこのままだったら。だが、労組がバックについている民主党だと難しいな。
日本の将来は真っ暗にしか見えない。まじめに海外移住を考えているが、先立つものがないと難しいな。どこにって? もちろんカナダでしょう。
2011年10月18日(火) |
what's new? |
同業の大先輩の話だが、海外で行われた学会に出席・発表した時の話。日本での研究成果をまとめ、慣れない英語で一生懸命プレゼンテーションされたらしい。発表が終わり、通常であればその後は会場フロアからの質問タイムになるはずなのだが、座長は「what's new?」と質問者に厳しくただし、フロアからの質問を受け付けてくれなかったそうだ。この話を聞いて、てめえはひどく感心してしまった。なるほど。もちろん、「what's new?」と聞いた座長にだ。
学問の成果に限らず、誰かの何かを焼きなおしたような内容であれば、わざわざ人の時間を浪費するものではないと。まったくそうなんだよな。
自分にとってどうでもいい「ミシュランガイド」だが、ただ一つだけその方針で感心したことがある。オリジナル料理のないレストランには星を与えないというものだ。まさしく「what's new?」だ。確かに三つ星を取ったレストランは、新たな味を生み出しているところも多く、京都でいえば瓢亭の瓢亭玉子(オリジナルか? という意見もありそうだが)や千花の塩昆布で食べる刺身などが思い浮かぶ。逆に言うと、そうでない料理は評価に値しないということができるだろう。代表的な料理はラーメンかと思う。これほど先人の作り方からはみ出ないジャンルも珍しいのではないか。というわけで、ラーメン屋がミシュランに掲載されることはないだろう。(そういう意味では、東京の三つ星に寿司屋がたくさんあるのは解せない。小野二郎氏はすごい職人だとは思うが、新しい寿司を生み出したか?)
急に話が変わるが、てめえの本棚を眺めるとほとんどがノンフィクションだ。小説はほとんどない。小説とは表現力と構成力だと思うがいまいち感心するものもなく、感情移入できぬまま途中で投げ出してしまう。実話のほうがよほど面白い。
その中で、面白く読んだ小説のひとつが「蒼穹の昴」だ。清朝末期のどろどろした時代が舞台になる壮大な話だが、浅田治郎の読みやすい文体と、一気に読ませる構成力に唸る。なかでも面白かったのは、西太后の描き方だ。これこそ「what's new!」だとおもうが、その乙女チックな西太后の描写に賛否両論が渦巻き、直木賞は取れなかった。世の中には了見の狭い輩が多いらしい。
先日ふと思い立ち、蒼穹の昴落選時の直木賞受賞作が気になったので購入して読んでみた。乃南アサの凍える牙だ。まあ面白く読んだが、やはり途中でうんざりしてきた。何故かと考えてみたが「what's new?」だな。女性の刑事というのが新しかったのだろうか? まあよくできた物語ではあったが、何となく腑に落ちなかった。
さて自分に振り返ってみて、新しいことを始めるとして、何か新しいこと、今までとは違うものを盛り込まないといけないわけだな。ここまで書いてしまうと。それはなかなか難しいことだが、模倣から始まってもいつかは新しいものを生み出せればいいなと思う今日この頃。
I'm not aware of too many things I know what I know, if you know what I mean Philosophy is the talk on a cereal box Religion is the smile on a dog I'm not aware of too many things I know what I know, if you know what I mean, d-doo yeah
私は多くのことをわかっていないし 身の程はわきまえているつもり 哲学はシリアルボックスに書いてある言葉 宗教は犬の笑顔 私は多くのことをわかっていないし 身の程はわきまえているつもり
Choke me in the shallow waters Before I get too deep
浅瀬で私の首を絞めて 深みにはまる前に
What I am is what I am Are you what you are or what? What I am is what I am Are you what you are or
私は私でしかない あなたもそうでは?
Oh, I'm not aware of too many things I know what I know, if you know what I mean Philosophy is a walk on the slippery rocks Religion is a light in the fog I'm not aware of too many things I know what I know, if you know what I mean, d-doo yeah
Choke me in the shallow water Before I get too deep
What I am is what I am Are you what you are or what? What I am is what I am Are you what you are or what?
What I am is what I am Are you what you are or what? What I am is what I am Are you what you are or what you are and
What I am is what I am Are you what you are or what?
Don't let me get too deep Don't let me get too deep Don't let me get too deep Don't let me get too deep
Choke me in the shallow water Before I get too deep Choke me in the shallow water Before I get too deep
Choke me in the shallow water Before I get too deep Choke me in the shallow water Before I get too deep
source: http://www.lyricsondemand.com/onehitwonders/whatiamlyrics.html
動画はここ
2011年10月16日(日) |
死ぬかもしれないということ |
友人が自殺未遂をした。Drug overdoseなのだが、よくある精神科系の薬剤ではなく、内科の薬だった。しかもてめえが処方した薬だ。まさしく「なんということでしょう」というナレーションが聞こえてきそうだ。ばかすか薬物を大量内服されてしまう精神科の先生方の虚しさが少し理解できた気がした。
朝にこの友人の友人(ややこしいな)から突然電話がかかってきた。まさに晴天の霹靂だった。この人はてめえも高校時代の友人だったが、卒業後は全く音信がなかった。のでまあ驚いたし、電話がかかってきた瞬間には嫌な予感がした(誰かが死んだのだろうと思ったし、それくらい交流がなかった)が、だいたいあたっていたわけだ。
本人は意識も問題なく何の障害も起きずに済みそうだが、経過観察のためしばらくICUに入院となった。落ち着いたらてめえの病院への転院依頼が来ると思われるが、これは受けなければいかんだろうな。小さくため息が出る。
基本的に、友人を顧客にすることに関しては非常に抵抗があり、この人以外にはやっていない。友人関係と顧客関係は両立すると思えないからだ。この人に関しては、初めの状況があまりに悲惨だった(保険証すらもっていなかった)こと、家族も頼れないこと、まともな友人はてめえだけだったこと、持病の状態も最悪であり他の医師にお願いするのは憚られる状況だったことなどが重なった。今後生きていくために生活保護の申請を行い、入院させて治療を行い、てめえでは診れない合併症は他院に紹介してなんとか悲惨な場面は乗り切った(つもり)。以降、友人として馬鹿話をすることもなくなり、主治医としての発言しかしていない。これでまた友人を一人失ったわけだな。てめえの腕もあり、病状は落ち着きつつあったのでそろそろ他の病院に投げようと思っており本人にもそう伝えたばかりだった。
実は最近不眠が続いており、3日まるっと眠れなかった夜中に衝動は起きたらしいが、その後も体調に変化なく、なんだか不安になっててめえに電話してきている。この日はありえないくらいの爆睡だったので気付かなかった。そのまま黄泉に旅立たれていれば、この電話に出られなかったことをてめえは後悔しただろうか。
幸いというのが良いのかどうかわからないが、別の友人に電話したようで、救急車を呼ばれてそのままICU入室となった。「夜通し付き添いしてたんやけど、夜も明けてわしも仕事やし。とりあえず電話して伝えてくれと言われたので電話した」と言い、その友人は電話を切った。いや申し訳ない、どうもお疲れ様でしたとてめえは言った。
ICUにて、「今後どうすんねん」と聞いてみたが、彼にとって意味のある質問になったか? 「ごめんなさい」との発言は、本来産み育ててくれた両親にすべきだろうと思ったが、なぜか口から出なかった。そのご両親も病院にはいない。なんとも虚しい気持ちだけだな。なんとも整理がつかないな。
#内科系のくすりの大量内服は実にやばい。ほんまにやめてほしい。その悲惨さはパラコート中毒に比べることができるのではないか。パラコートの話も、この友人にしようかと思ったがやめた。降圧剤を大量内服して「原因不明の低血圧」として救急車で運ばれてきたが、あらゆる治療に抵抗し血圧が上がらないまま亡くなった人とか、糖尿病の薬を大量内服してこれまた治療抵抗性の低血糖を来たし、脳細胞が全部壊死したひととか。診てるほうも悲惨だ。鎮静剤はたいがいの量では死なないが、内科の薬は生き地獄を見ることができるところがパラコートに似ている気がする。あまりそういった、内科の薬を大量に、という人は診ないが、ほんまにやめてほしい。たぶん飛び降りたり飛び込んだりしたほうが楽。
もっと若いころから徐々に気がついてはいたが、年を重ねるごとに、新しい友人を得るということは困難になっていくわけだ。もちろん、付き合いのある人は社会経験を積めば積むほど増えていくが、「知り合い」以上になることはない。若いころのように熱い議論をすることもなく、無防備に自分の心をさらけ出したりすることもない。そうして、どうでもいい腹の探り合いだけの知り合いがどんどん増えていく。そんな中にも魅力的な人物はいるが、若いころのようにはいかない。もっと若い時に出会っていれば、また違ったのだろうが。
そういう意味でも、昔から変わることなく付き合いのある人たちというのはとても貴重だ。長い間会っていなくとも、一瞬で昔の時間に戻ることができ、普段しないような熱い議論もできる。ただ人間には寿命があるので今後はどんどん減っていくだけだろう。
今のどうしようもない状況を打破すべくひそかにいろんなことを進めており、うまくいけばうまくいくだろうが、その中で新たな知り合いもできることだろう。だが、今までの友人(少なくとも、大学を卒業するまでのまったくただの人間だったときの自分と出会うことができた友人)と同じような付き合いをできる友人には、まず今後は出会わないだろう。
先日、連続して予期せぬ友人との再会あり。個々の再開とは全く関係なかったが、その合間に何故か予期せぬ悟りを開いてしまった。というわけで、これからは今の仕事に見切りをつけて新しい方向に進んでいくことにした。色々あったが、いまは全く食べるためだけに仕事をしている。退職の意向も伝えた。うまくいくといいが、このご時世でもあり簡単には辞めさせてくれないわけだな。
おっさんになったら、若いころには見えなかったことがいろいろ見えてきて、なんだか悲しい。今後は穏やかに生きていきたいが、さてどうなることやら。
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